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稲盛和夫一日一言』

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No2185


『稲盛和夫一日一言』渡部昇一著(致知出版社)を読みました。「運命を高める言葉」というサブタイトルがついています。ブログ「稲盛和夫氏、逝く!!」に書いたように、著者はわたしが心から尊敬する経営者で、2022年8月24日午前8時25分、老衰のため、京都市伏見区の自宅で亡くなられました。90歳でした。心より御冥福をお祈りいたします。最近、「稲盛和夫さん逝去後、世間の反応に私が違和感を感じた理由【江上剛コラム】」を読んで、著者が旧民主党の支援者であったために自民党や財界から嫌われた事実なども知りましたが、著者は単なる経営者というより、利他の精神を実践した哲人経営者でした。

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本書の帯

 

 本書の表紙カバーには、スーツ姿で空を見上げる著者の写真が使われています。帯には「永久保存版」「京セラ、KDDI、JAL。3つの世界的企業を率いた名経営者はどんな言葉を伝えてきたのか」「『本書は私から読者諸兄へのエネルギー転移の書である』(著者まえがきより)」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

 帯の裏には、「運命を高める箴言366」として、「人生方程式/経営者の要件/思いは必ず実現する/狂であれ/成功と失敗は紙一重/もうダメだというときが仕事の始まり/人間として正しいこと/リーダーの資質/万病に効く薬/いい仕事をする条件/成功を持続させる秘訣/サービスに限界はない/よい上司とは/成長する企業/社長の五条件/成功と失敗の分水嶺/強く一筋に思う/短所も将来役に立つ/災難の考え方」と書かれています。

 

 本書の「まえがき」には、「月刊PHP」1986年9月号に掲載された著者の以下の言葉が紹介されています。 「魂から発せられた言葉は、表現が少々稚拙であっても、聞く人の魂に語りかけ、感動を与える。全身全霊を乗せた言葉にはある種の『霊力』があるからである。つまり言霊である。一所懸命、なんとか相手にわかってほしいという思いを込めて、文字通り心の底から出た言葉は、やはり、単なる話のための言葉よりも訴える力が強いのは確かだ。聞き手の感動を呼び起こすのもそれゆえにほかならない」

 

 また、著者は「実際に、全身全霊を込め、あたかも魂をほとばしらせるがごとく話すことを、私は常としてきた。若い頃から、目標を立て追求していくにあたり、将来の姿、具体的な展開、さらには社会的な意義までを考え尽くし、それを幹部や部下が腹落ちするまで、徹底して話すように努めてきたのである。相手が納得するまで話しきると、くたくたに疲れてしまう。まるで話すことによって、私のエネルギーが相手にすべて送り込まれ、自分が抜け殻になってしまったかのようであった。このことを、私は『エネルギーを転移する』と呼んでいる」と述べています。それでは、特にわたしの心に強く響き、おそらくはわたしに転移したであろう30の言葉を以下に紹介します。

 

経営はトップの器で決まる

 経営者の人格が高まるにつれ、企業は成長発展していきます。私はそれを「経営はトップの器で決まる」と表現しています。会社を立派にしていこうと思っても、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というように、経営者の人間性、いわば人間としての器の大きさにしか企業はならないものなのです。

 

人を動かすもの

 人を動かす原動力は、ただ1つ公平無私ということです。無私というのは、自分の利益を図る心がないということです。あるいは自分の好みや情実で判断しないということです。無私の心を持っているリーダーならば、部下はついていきます。逆に自己中心的で私欲がチラチラ見える人には、嫌悪感が先立ち、ついていきかねるはずです。

 

幸福の鍵

 幸福になれるかどうか、それは心のレベルで決まる――私たちがどれだけ利己的な欲望を抑え、他の人に善かれかしと願う「利他」の心を持てるかどうか、このことが幸福の鍵となるということを、私は自らの人生から学び、確信しています。

 

志に拠って立つ

 固い志に拠って立つ人は、目標へと続く道筋が眼前から消え去ることは決してない。たとえ途中でつまずいても、くじけても、また立ち上がって前へ前へと進むことができる。逆に、志なき人の前には、いかなる道もひらかれることはない。

 

リーダーの自信

 リーダーシップを発揮するには、「自分はいつも公明正大だ」と言えるだけの迫力が必要です。「一切不正なことはしていない」と言い切れるところに迫力は生じるし、その公明正大さが経営者に自信を与え、困難な局面に立ち向かう勇気を湧き立たせてくれるのです。

 

いい仕事をするために

 いい仕事をするためには、仕事と自分の距離をなくして、「自分は仕事、仕事は自分」というくらいの不可分の状態を経験してみることが必要です。すなわち、心と身体ごと、仕事の中に投げ入れてしまうほど、仕事を好きになってしまうのです。いわば仕事と「心中」するくらいの深い愛情を持って働いてみないと、仕事の真髄をつかむことはできません。

 

リーダーたるべき人

 会社がうまくいきだすと傲慢になってしまう経営者や、役職が上がるにつれ、威張るようなリーダーでは、社員の心は離れていってしまいます。地位や名誉、金といった利己の欲望を抑え、集団のために謙虚な姿勢で尽くす「無私」の心を持ったリーダーであれば、部下は尊敬し、心から従ってくれるはずです。

 

人格=性格+哲学

 人間が生まれながらに持っている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことにより、私たちの人格は陶冶されていくのです。

 

大切な価値観

「人間として正しいことを追求する」ということは、どのような状況に置かれようと、公正、公平、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現できるものを最も大切な価値観として尊重し、それに基づき行動しようというものです。

 

万病に効く薬

 一所懸命に働くことが、人生を素晴らしいものに導いてくれるのです。働くことは、まさに人生の試練や逆境さえも克服することができる「万病に効く薬」のようなものです。誰にも負けない努力を重ね、夢中になって働くことで、運命も大きく開けていくのです。

 

自信を持つ

 真に創造的なことを始めようとする際、最も重要なことは、自分自身に対する信頼、つまり自信を持つことである。自分の中に確固たる判断基準を持ち、それを信じ行動できるようでなければ、創造の領域で模索する間に、道を見失ってしまう。

 

成功を持続させる秘訣

 大成功を収め、人々の羨望を集めていた人が、いつのまにか没落を遂げていく――。謙虚さを失い、ただ「自分だけよければいい」というような利己的な思いを抱き、自分勝手に行動するなら、すべてを生成発展させようとする宇宙の意志に逆行し、一度成功したとしても、それが長続きしないのです。そうであるなら、私たちは心の中に頭をもたげる利己的な思いをできる限り抑えるように努め、他に善かれと願う「利他」の思いが少しでも多く湧き出るようにしていかなければなりません。

 

人生は魂の修行の場

 人生というのは魂の修行の場ではないか。苦難は魂を純化、深化させるために与えられている試練であり、成功体験もその人間がどこまで謙虚でいられるかを試すものでしかない。

 

人間としての「生き方」

 一所懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高め続けること。そのような当たり前のことを一所懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思います。

 

思いやりの心

 人類が備えるべき思想の軸とは何か。大切なのは「思いやりの心」を持つこと。これは仏教でいえば「慈悲」、キリスト教でいえば「愛」。この最も大切な心を人類は見失いつつある。何としても、そのような「思いやりの心」をもう一度、蘇らせる必要がある。そうすれば、われわれが抱えている問題の多くは、おのずから解決へと向かうはずだ。

 

私の経営観

 会社を経営するために、前例や常識など、これがなければならないという発想は私にはない。ものの本質とは何か、ものの道理や価値や必要性とはどういうことか、常に問いつつ経営を進めていくことが必要だ。

 

哲学が企業を動かす

 哲学がなければ企業は動かない。そもそも、企業というものが人間の集団である限り、そこに1つの「考え方」「理念」あるいは「哲学」がなければ、その集団を率いることは不可能なはずである。また、その「考え方」は普遍的な価値観に基づいた、集団全員から共感を得られるようなものでなくてはならない。そのような哲学がなければ、単なる烏合の衆と化してしまう。

 

石垣の経営

 会社は城の石垣のようなものだ。石垣には、大きな石もあれば、小さな石もある。同様に、大きな売り上げの事業もあれば、小さな売り上げの事業もある。大きな石だけを並べても風雪には耐えられず、小さい石が間に詰まっているから、石垣ががっちり組まれる。大きな石、小さな石を積んでいって、1つの大きな石垣をつくり上げていく。そのように、大小さまざまな事業を組み上げる。それが経営だ。

 

一番大切な経営資源

 私は「経営において確かなものは何だろうか」ということを絶えず真剣に考えていた。悩み抜いた末に、「人の心」が一番大事だという結論に至った。移ろいやすく不確かなものも人の心なら、ひとたび互いが信じ合い通じ合えば、限りなく強固で信頼に足るもの、それも人の心なのである。

 

経営と人の心

 企業というのは人間の集まりをどうするかということである。だから経営は人の心の動きを抜きにして語れないし、実際に人の心を無視して経営はできない。

 

大義に尽くす

 事業を行う以上、必ず利益は上げなければならないが、こうした利益はあくまでも結果であって、事業を通じて「世のため人のため」という大義に尽くさなければならない。

 

組織に命を吹き込む

 組織とは、本来無生物だが、経営者の意志や意識が吹き込まれることによって、あたかも生物のように、ダイナミックに活動をし始める――そのように組織に命を吹き込むことこそが、トップである社長のつとめなのではないだろうか。

 

全き人格者となる

 リーダーとは、全き人格者でなければならない。集団を正しい方向に導くため、能力があり、仕事ができるだけでなく、自己研鑽に努め、心を高め、心を磨き、素晴らしい人格を持った人にならなければならない。

 

王道の経営

「王道」とは、「徳」に基づいた政策のことであり、「徳」とは、中国では古来、「仁」「義」「礼」という3つの言葉で表されていました。
「仁」とは他を慈しむこと
「義」とは道理に適うこと
「礼」とは礼節を弁えていること
この「仁」「義」「礼」、3つを備えた人を「徳のある人」と呼んでいました。つまり、「徳で治める」とは、高邁な人間性で集団を統治していくことを意味するのです。

 

事業の大義名分

 集団が心を1つにして事業に邁進するためには、どうしても事業の「大義名分」が必要となる。その事業が世の中に対してどのような意義を持ち、どのように貢献するのかという、次元の高い目的が必要となる。

 

道徳を守ろうとする思い

 道徳を説く人が聖人君子である必要はない。道徳を守り切ることはできないけれど、道徳を大切に思い、守りたいと思っていることこそが大切だ。 最高の行為 「利他」とは、仏教でいう慈悲の心のことであり、またキリスト教でいう愛の心のことであり、言い換えれば「世のため人のために尽くす」ことですが、私はそのような行為こそが、人間として最高の行為であると考えています。

 

二宮尊徳の生き方

 私は、日々の仕事に打ち込むことによって、人格を向上させていくことができると考えています。つまり、一所懸命働くことは、単に生活の糧をもたらすのみならず、人格をも高めてくれるのです。その典型的な例は、二宮尊徳です。彼は生涯を通じ、田畑で懸命に働き、刻苦勉励を重ねていく中で真理を体得し、人格を高めていきました。そのような尊徳であったからこそ、リーダーとしてたくさんの人々の信頼と尊敬を集め、多くの貧しい村々を救うことができたのです。

 

美しい魂をつくる

 どんなに財産を貯め込んでも、名声を獲得しても、多くの人を従える権勢を誇っても、人生を終え、死を迎えるときには、肉体をはじめ形あるものは何一つとして持っていくことはできない。しかし、すべてが無に帰してしまうわけでもない。人間が心の奥底に持っている「魂」だけは、人生の結果として残り、来世まで持ちこすことができる。ならば、人生の目的とは美しい魂をつくることにあり、人生とはそのように魂を磨くために与えられた、一定の時間と場所に他ならない。

 

終わりの価値を高める

 人生は、宇宙のとてつもなく長い歴史からすれば、わずかな一閃にすぎないものかもしれない。しかしだからこそ、その一瞬に満たない生の始まりよりは終わりの価値を高めることに、われわれの生の意義も目的もある。私はそう考えています。もっと言えば、そうであろうと努める過程そのものに人間の尊さがあり、生の本質があるのだと思います。

 

 これらの言葉に触れると圧倒される思いですが、正直、経営者の言葉というよりも宗教家の言葉のようですここまでスピリチュアルな発言をストレートに語れるのは、現実のビジネスの世界で圧倒的な成功を収めた著者にしか許されない特権だと思いました。他の経営者、たとえばわたしのような小僧が本書のような本を書いても、「この著者は宗教がかっているな」と思われて終わりでしょう。さすがに、著者は卓絶しています。「稲盛和夫の前に稲盛和夫なく、稲盛和夫の後に稲盛和夫なし」といった印象です。

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『こころの未来』より

 

 いま、「宗教家の言葉のよう」と書きましたが、実際、著者は宗教から大きな影響を受けていました。京都大学名誉教授の鎌田東二先生は、京都大学こころの未来研究センターに在籍中の2011年7月25日に京セラ本社の社長室で著者にインタビューしたことがあります。「動機善なりや、私心なかりしか」と題するそのインタビュー記録は、ここをクリックすると全文を読めます。全部で10ページありますが、その6ページから7ページにかけて、以下のように書かれています。

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『こころの未来』より

 

〈小学6年生で宗教と出会う〉

鎌田 極端に言うと、逆境が2種類の人間をつくり上げるように思うんです。 1つは、今おっしゃるような、逆境に強くて、人に感謝する、利他的なこころが生まれてくるタイプと、もう 1 つは、自分さえよければいいというので、逆境の中をエゴイスティックに生き抜いていく利己的なタイプ。
 逆境を利他的な方向に生き抜くか、利己的なほうへ生き抜くか、この2つの道があると思うんですけれども、そこで利他のほうへこころが向かうのは、ものの考え方とか、感じ方とか、そういうものがやはり大きく作用していると思うんです。

 

稲盛 そうですね。確かに逆境というものが、人を2つの方向へ分ける。どちらかというと、世をすね、ひねて、エゴイスティックな人間になっていく人のほうが多いのかもしれません。私の場合には、幸いだったと思いますが、小学校6年生のときに結核にかかって、それで旧制中学の受験に失敗したんです。
 私の家の離れのほうに、父親の弟夫婦と、その下の弟、つまり、私から見ると叔父・叔母が住んでいたのですが、その一番上の叔父が結核にかかって、私が小学校5年生のころに死んで、続いてすぐに、奥さんも結核にかかって死に、下の弟の奥さんも、それから2年ぐらい経って死んだんです。3人目の叔父さんが結核で療養しているときに、私も結核を発病しました。叔父・叔母は亡くなって、次の叔父がもう青瓢簞みたいになって寝込んでいるわけですから、近所の人たちには、「あそこは結核の血統だ。かわいそうに、和夫ちゃんとももうお別れだろう」と言われて、自分もそういうふうに思っていました。
 当時、谷口雅春さんという方が仏教の教えの真髄をベースに、「生長の家」という新興宗教をおこしていました。それを母親が信仰し始めて、私も、そういう集まりに2、3回連れていってもらいました。これは私の結核を治そうという気持ちもあったんだろうと思います。 当時、隣にご夫婦が住んでいて、奥さんがきれいな人でした。その方が生け垣の向こうから、「和夫ちゃん、気分はどう?」とか言ってくれるわけです。その奥さんも「生長の家」の信者で、「こんな本が出たよ」といって、縁側まで『生命の實相』という本を持ってこられる。それを貸していただいて、貪るように読んでいった。

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『こころの未来』より

 

鎌田 小学6年のときに、谷口雅春さんの本を読んで人生哲学を学んだ。ずいぶん早いですね。

 

稲盛 そうしているうちに、空襲が激しくなってきまして、中学1年のときにはもう青瓢簞で寝ている間がないといいますか、空襲がありますから逃げて防空壕に入らなきゃいかん。夜中に雨あられと焼夷弾が降ってきて、周囲の家がどんどん燃える中を母や兄、妹たちと逃げていく。そういうことがしょっちゅうありました。そうやって逃げ回っているうちに、大病はどこかへ行ってしまいました。
 そういう宗教的なバックグラウンドが、小学 6 年生から中学に入るまでずっとありました。そんなことがあったから、逆境の中でも変なほうに行かないで、いい方向に行ったのではないかと思います。

 

鎌田 今お話を伺って、本当によくわかりました。そういう自分の支えになる経験があるかないかというのは、逆境の中でどう生き抜くか、その方向を決めますね。

 

稲盛 そうですね。それがまた、会社ができてから、私を非常にいい方向にリードしてくれた。今言われて気がついたんですけれども、昨今は宗教が非常に軽視されていますが、そういうものに触れるか触れないかによって、人生が大きく変わるのかもしれませんね。(稲盛和夫インタビュー「動機善なりや、私心なかりしか」)

 

 この貴重なインタビュー記事について、鎌田先生は「シンとトニーのムーンサルトレター第211」信において、「稲盛さんは小学校6年生の頃、したがって、12歳前後に大本から出た『生長の家』の創設者の谷口雅治の大著『生命の実相』を『貪るように読んで』いたのですよ。小学生で。生死の境にあった少年稲盛和夫さんが、です。この読書体験とその後の結核の療養と回復の過程で、稲盛和夫さんの死生観の核が出来たのだとわたしはこのインタビューを通して理解しました。その死生をさ迷う原体験があるからこそ、稲盛さんの『私心なき』利他的な行為が出来たのだと確信します」と書かれています。このインタビュー記事を読んで、わたしは稲盛和夫氏が大いなる霊性の人であり、まさに哲人経営者あったことを再確認しました。そんな偉大な著者と、わたしは2012年に「孔子文化賞」を同時受賞させていただきました。これは、わたしの人生でも最高に名誉な出来事でした。著者の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。