お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

  • HOME
  • 石原慎太郎:作家はなぜ政治家になったのか
Title

石原慎太郎:作家はなぜ政治家になったのか』

Category

No.2166


 『石原慎太郎 作家はなぜ政治家になったか』中島岳志著(NHK出版)を読みました。NHK出版の「シリーズ・戦後思想のエッセンス」の1冊です。著者は1975年大阪府生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、現職。専門は南アジア地域研究、日本近代政治思想。主な著書に一条真也の読書館『思いがけず利他』で紹介したミシマ社の本をはじめ、『中村屋のボース』(白水社、大佛次郎論壇賞/アジア・太平洋賞大賞受賞)、『保守と大東亜戦争』(集英社新書)、『保守と立憲』『自民党 価値とリスクのマトリクス』(スタンド・ブックス)など。

20210310213102.jpg

本書の帯

 

 本書の帯には、「衝撃の『太陽の季節』刊行から、『愛国・憂国』を掲げる国会議員へ――」「彼はいかにして大衆を見方につけたのか?」「一人の戦後派保守の歩みが戦後日本社会を映し出す!」と書かれています。カバー前そでには、「戦後の時代に、常に大衆の心を捉え、『話題の人』であり続けてきた。それが石原慎太郎という存在であるならば、彼の人生をまるごと、特に高度経済成長期において文学から政治へと飛び込んでいくプロセスを検証することで、戦後という時代の核心を突けるのではないか。私はずっと以前からそう考えてきました。(「はじめに」より)」とあります。

 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。

はじめに「『戦後と寝た』男」

Ⅰ 『太陽の季節』と虚脱感

Ⅱ 「若い日本の会」と六〇年安保闘争

Ⅲ ベトナム戦争と政界進出

Ⅳ 『「NO」と言える日本』とその後

「石原慎太郎 年譜」

 

 はじめに「『戦後と寝た』男」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「石原慎太郎は、終戦から約10年後に『太陽の季節』で芥川賞を受賞しました。この小説はベストセラーとなり、当時の倫理観から大きく逸脱したストーリーは、年長世代から嫌悪されました。既成の道徳・規範に囚われない姿は、『太陽族』という若者現象を生み出し、新しい戦後的価値の賞揚に繋がりました。しかし、石原は1968年に自民党から参議院議員選挙に立候補し、当選します。以後、タカ派の政治家として、活躍します。なぜ、伝統的価値の攪乱と破壊を先導した作家が、一転して国家主義を掲げる政治家になったのか。そこには、戦後保守の重要なエッセンスが隠されているように思います」

 

 Ⅰ「『太陽の季節』と虚脱感」の「『太陽の季節』への批判」では、著者は「石原と『太陽の季節』の登場によって、まったく新しい、それまでとは違う社会がやってきた。それが芥川賞を取った、ということです。もはや『戦後』ではない。では、これから自分たちはどういう時代を生きていくのか。人々がそういう漠然とした思いを抱いていたところに現れた、ある意味で時代そのものを象徴する小説だったということなのだと思います」と述べます。

 

 「スピリチュアルへの接近」では、石原の、これまであまり知られていない面として、極めてスピリチュアルな人だということを指摘し、著者は「彼は政治家になった後も、ネッシーを発見するために莫大なお金をかけて探検隊を組織したりしているのですが、初期の文章を読んでいると、実はそういう感覚はかなり若いころからビルトインされていたようなのです」と述べ、一九五七年11月号の「婦人公論」に掲載された石原の「現代青年のエネルギー」という文章には、青年が回復すべきなのは肉体的な感覚だという話が書かれていることを紹介します。

 

 ところがそこから唐突に、それにつながる宇宙感覚が必要だと言い出し、石原は「人間はただの肉塊にまで卑小化されると同時に、その宇宙感覚もまた卑小化されてしまった。今日、青年に与えられた課題の一つは、その宇宙感覚の修復である」と続けているのです。これについて、著者は「絶望にあえぎ、迷い、孤独に耐えながらも、自分一人で前に進もうとする青年のエネルギーというものを、石原は絶大に信頼している、自分にもそういうエネルギーがある、と書く。そして、そのエネルギーがどこから来るのかといえば、宇宙感覚とつながっているというのです。こういう石原の感覚に、非常に共感を示しているのが岡本太郎です」と述べています。

 

 Ⅱ「『若い日本の会』と六〇年安保闘争」の「『若い日本の会』の混沌」の冒頭を、著者は「『戦後派』作家として華々しくデビューしながら、時代の『足掛り』を求めてあがいていた青年・石原慎太郎は、60年安保闘争を挟んで『政治』へと接近していくことになります。浮遊し続けていた彼がいよいよ『着地』を模索する時期とも言えますが、その最初のきっかけは何だったのか。私は、1958年11月に結成された『若い日本の会』だったと思っています」と書きだしています。

 

 「若い日本の会」の結成を最初に呼びかけたのは江藤淳。1958年11月1日に結成準備会が開かれ、江藤の他に開高健、谷川俊太郎、羽仁進、浅利慶太の5人が集まりました。そこに石原や大江健三郎、永六輔、黛敏郎など多くの若手文化人が参加して、「若い日本の会」が始動。著者は、「面白いことに、参加した若者たちはその後、左右両方で時代を代表する存在となっていきます。石原や江藤、浅利、黛は右へ。一方、永や大江のように左を代表する人たちもいました。左派的なアングラ世界を支えた寺山修司なども参加していました。それだけ幅広い人たちが若者世代というフレームで集ったのです」と述べます。

 

 Ⅲ「ベトナム戦争と政界進出」の「文学の延長上にこそ政治がある」では、著者は以下のように述べています。
「文学の延長上にこそ政治があり、政治こそが最終的・究極的な文学であるというのが、石原のたどり着いた感覚だった。小説以上の小説、真の文学としての政治がある、という考え方です。だから彼は政治家になったあと、『文学に行き詰まったから政治に行ったんだろう』と言われると非常に怒ったそうです。『違う、俺は文学者だからこそ政治家になったんだ』と言い張ったという。それは彼の中では事実だったのだろうし、実際、政治家になったのちも石原は文学作品を書き続けています。彼にとっては、文学と政治はまさに一体のものだったのだと思います」

 

 Ⅳ「『「NO」と言える日本』とその後」の「自民党右派へ――『青嵐会』の立ち上げ」では、1973年に、中川一郎や渡辺美智雄、浜田幸一や森喜朗らと「青嵐会」と名付けた超派閥の政策集団を立ち上げ、自民党右派の一員になっていったことが紹介されます。ここに参加していた政治家の一定数がのちに、今の安倍晋三首相を支える派閥「清和政策研究会」につながる流れをつくっていくことになりますが、著者は「青嵐会といえば、結成時に血判状を作ったことが有名ですが、これを言い出したのが石原です。渡辺恒雄が「『青嵐会』を論ず」という文章を翌年7月号の『文藝春秋』に書いていますが、血判状のことを『石原慎太郎君の政治的ロマンチシズム』と評していました。石原自身が復活させたいロマンのようなものを、血判状のような形で表そうとしたのだ、という内容で、非常に的確だと思います」と述べます。

 

 さて、青嵐会が生まれたきっかけは、当時の田中角栄内閣の政治への批判だったそうです。石原はこの40余年後の2016年に、ブログ『天才』で紹介した田中の生涯を追った本を出版します。同書を一気に読み終えて思ったことは、「よくぞ角栄ほどの巨人の人生をここまでコンパクトにまとめたな!」ということです。それは石原慎太郎という作家の卓越した筆力によるものであることは言うまでもありません。同書はすべて角栄の言葉で綴られていますが、そこで語られているのは著者である石原氏の言葉でもあります。本書に書かれている角栄の言葉の端々から石原氏の憂国の想いが熱く伝わってきました。しかし、1973年当時は石原は田中批判の急先鋒だったわけです。田中政治が官僚への依存を強めていることへの批判、そして日中国交回復への批判と対台湾関係重視――それが青嵐会の基本となっていました。

 

 「終わらない『ごっこ』の世界」では、著者は結局、石原慎太郎は、何か確たる着地点を見出したのでしょうか。石原の姿は、成熟しきれないでいる日本という国の『戦後』そのもののように思えます。厳しい言い方ではありますが、彼の歩みそのものが、江藤淳のいう『ごっこ』でしかなかったように思えてなりません。江藤は国会議員になった石原に、『成熟』という『すっぽ抜けてしまった問題」に、いつか「復讐されないようにしろよ」と警告しましたが、これも戦後日本に投げかけられた問題だと言えるでしょう。そんな江藤も、1999年に妻の死を追うように、自ら命を絶ちました』

 

 平成元年(1989年)1月、石原はソニーの盛田昭夫との共著『「NO」と言える日本』を刊行し、同書は大ベストセラーになります。一方、8月の自民党総裁選では海部俊樹に敗れました。著者は、「アメリカに『ノー』と言おうと述べながら、アメリカにすり寄っていく。『NOと言える日本』は、アメリカに認められたいという願望の裏返しだったのでしょう。反発しながらもますます関係を深めていく。最終的な決定権を委ねる。さらに、中国・韓国をはじめアジアとの良好な関係を構築することもできず、外交的にも孤立しかねない状況にいる。この日本の『戦後』を、石原慎太郎の人生がそのまま体現しているのではないか――」と述べます。

 

 また、著者は「江藤淳が戦後の日本を『石原慎太郎的だ』と言ったのは、まさにそのとおりだったのではないでしょうか」と述べる著者は、さらに「石原慎太郎の残した思想とは何か。文学的価値とは何か。政治家としての実績とは何か。そこに決定打はありません。突出した業績を問われると、これと言ったものをあげることができません。しかし、日本人のほとんどが知っている人物。戦後を代表する人物。それが石原慎太郎です」と述べるのでした。石原慎太郎氏を敬愛していたわたしとしては納得いかない部分も多々ありましたが、石原氏の人生をわずか140ページで俯瞰したのは見事だと思います。石原氏を「戦後と寝た男」と呼ぶのは秀逸なコピーだと思いました。