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22世紀の民主主義』

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No.2156


 『22世紀の民主主義』成田悠輔著(SB新書)を読みました。「選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」というサブタイトルがついています。著者は、夜はアメリカでイェール大学助教授、昼は日本で半熟仮想株式会社代表。専門は、データ・アルゴリズム・ポエムを使ったビジネスと公共政策の想像とデザイン。ウェブビジネスから教育・医療政策まで幅広い社会課題解決に取り組み、企業や自治体と共同研究・事業を行うとか。東京大学卒業(最優等卒業論文に与えられる大内兵衛賞受賞)、マサチューセッツ工科大学(MIT)にてPh.D.取得。一橋大学客員准教授、スタンフォード大学客員助教授、東京大学招聘研究員、独立行政法人経済産業研究所客員研究員 などを兼歴任。内閣総理大臣賞・オープンイノベーション大賞という気鋭の経済学者・データ科学者です。

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本書の帯

 

 本書のカバー表紙には、「民主主義が意識を失っている間に手綱を失った資本主義は加速している――私たちはどこを目指せばいいのか? 人類は世の初めから気づいていた。人の能力や運や資源はおぞましく不平等なこと。」とあります。また、帯には著者の写真とともに、「言っちゃいけないことはたいてい正しい」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

 帯の裏には「断言する。若者が選挙に行って『政治参加』したくらいでは日本は何も変わらない。これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか?  選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えること、つまりちょっとした革命である」と書かれています。ちなみに、この帯の裏にはグリーンの蛍光ペンでマーカーされている趣向になっていますが、わたしは、こういうマーカーは好きではありません。読者を馬鹿にしていると思うからです。

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アマゾンより

 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
A.はじめに断言したいこと
B.要約
C.はじめに言い訳しておきたいこと

第1章 故障

第2章 闘争

政治家をいじる
メディアをいじる
選挙をいじる
UI/UXをいじる

第3章 逃走

第4章 構想

選挙なしの民主主義に向けて
民主主義とはデータの変換である
アルゴリズムで民主主義を自動化する
不完全な萌芽 政治家不要論
「おわりに:異常を普通に」
「脚注」

 

 「A.はじめに断言したいこと」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。「分厚いねずみ色の雲が日本を覆っている。停滞と衰退の積乱雲だ。どうすれば打開できるのか? 政治だろう。どうすれば政治を変えられるのか? 選挙だろう。若者が選挙に行って世代交代を促し、政治の目を未来へと差し向けさせよう。選挙のたびにそんな話を聞く。だが、断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない」

 

 今の日本の政治や社会は、若者の政治参加や選挙に行くといった生ぬるい行動で変わるような甘い状況にないことを指摘する著者は、「数十年びくともしない慢性の停滞と危機に陥っており、それをひっくり返すのは錆びついて沈みゆく昭和の豪華客船を水中から引き揚げるような大事業だ。具体的には、若者しか投票・立候補できない選挙区を作り出すとか、若者が反乱を起こして一定以上の年齢の人から(被)選挙権を奪い取るといった革命である。あるいは、この国を諦めた若者が新しい独立国を建設する。そんな出来損ないの小説のような稲妻が炸裂しないと、日本の政治や社会を覆う雲が晴れることはない。私たちには悪い癖がある。今ある選挙や政治というゲームにどう参加してどうプレイするか?そればかり考えがちだという癖だ。だが、そう考えた時点で負けが決まっている。『若者よ選挙に行こう』といった広告キャンペーンに巻き込まれている時点で、老人たちの手のひらの上でファイティングポーズを取らされているだけだ、ということに気づかなければならない」と述べています。

 

 「何がもっと大事なのか?」と読者に問いかける著者は、「選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えること、つまりちょっとした革命である。革命を100とすれば、選挙に行くとか国会議員になるというのは、1とか5とかの焼け石に水程度。何も変えないことが約束されている。中途半端なガス抜きで問題をぼやけさせるくらいなら、部屋でカフェラテでも飲みながらゲームでもやっている方が楽しいし、コスパもいいんじゃないかと思う。革命か、ラテか? 究極の選択を助けるマニュアルがこの本である」と述べるのでした。

 

 「B.要約」の「逃走」では、著者はこう述べます。
「たとえば、どの国も支配していない地球最後のフロンティア・公海の特性を逆手に取って、公海を漂う新国家群を作ろうという企てがある。お気に入りの政治制度を実験する海上国家やデジタル国家に、億万長者たちから逃げ出す未来も遠くないかもしれない。21世紀後半、資産家たちは海上・海底・上空・宇宙・メタバースなどに消え、民主主義という失敗装置から解き放たれた『成功者の成功者による成功者のための国家』を作り上げてしまうかもしれない。選挙や民主主義は、情弱な貧者の国のみに残る、懐かしく微笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。私たちが憫笑する田舎町の寄り合いのように。そんな民主主義からの逃走こそ、フランス革命・ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の大本命だろう」

 

 また、「構想」の要約として、著者は「無意識データ民主主義」を打ち出し、「インターネットや監視カメラが捉える会議や街中・家の中での言葉、表情やリアクション、心拍数や安眠度合い・・・・・・選挙に限らない無数のデータ源から人々の自然で本音な意見や価値観、民意が染み出している。『あの政策はいい』『うわぁ嫌いだ......』といった声や表情からなる民意データだ。個々の民意データ源は歪みを孕んでハックにさらされているが、無数の民意データ源を足し合わせることで歪みを打ち消しあえる。民意が立体的に見えてくる」と述べます。無数の民意のデータ源から意思決定を行うのはアルゴリズムです。アルゴリズムとは、問題を解決するための手順をコンピューターのプログラムとして実行可能な計算手続きにしたものです。検索エンジンからおすすめ表示までウェブ上のあらゆる場所で動いています。

 

 このアルゴリズムのデザインは、人々の民意データに加え、GDP・失業率・学力達成度・健康寿命・ウェルビーイングといった成果指標データを組み合わせた目的関数を最適化するように作られます。意思決定アルゴリズムのデザインは次の二段階からなるといいます。
(1) まず民意データに基づいて、各政策領域・論点ごとに人々が何を大事だと思っているのか、どのような成果指標の組み合わせ・目的関数を最適化したいのかを発見する。「エビデンスに基づく目的発見(Evidence-Based Goal Making)」と言ってもいい。
(2) (1)で発見した目的関数・価値基準にしたがって最適な政策的意思決定を選ぶ。この段階はいわゆる「エビデンスに基づく政策立案」に近く、過去に様々な意思決定がどのような成果指標に繋がったのか、過去データを基に効果検証することで実行される。

 

無意識民主主義=

(1) エビデンスに基づく目的発見

     +

(2) エビデンスに基づく政策立案

 

 として、著者は「民主主義は人間が手動で投票所に赴いて意識的に実行するものではなく、自動で無意識的に実行されるものになっていく。人間はふだんはラテでも飲みながらゲームしていればよく、アルゴリズムの価値判断や推薦・選択がマズいときに介入して拒否することが人間の主な役割になる」「無意識民主主義は大衆の民意による意思決定(選挙民主主義)、少数のエリート選民による意思決定(知的専制主義)、そして情報・データによる意思決定(客観的最適化)の融合である。周縁から繁りはじめた無意識民主主義という雑草が、既得権益、中間組織、古い慣習の肥大化で身動きが取れなくなっている今の民主主義を枯らし、22世紀の民主主義に向けた土壌を肥やす」と述べています。

 

 この無意識データ民主主義という考え方を知って、わたしはSF的であると思いました。他の多くの読者もそうだとお思います。しかし、著者は「無意識データ民主主義の構想はSF(サイエンス・フィクション)ではない。SFは、想像力の限りを尽くして、ありえる世界とありえない世界の境界に触れ、ありえることを押し広げる営みだ。浮世離れして現実に追いつかれないことが価値になる」と言い切ります。そして、「無意識データ民主主義は構想というより予測である」と訴えるのでした。

 

 「C.はじめに言い訳しておきたいこと」では、著者は「この本の内容が私独自の新しい見解だと主張するつもりはまったくない。独自性や親規性はほとんどどうでもよく、他人の考えも自分の発見も等しく部品として組み合わせ、未来に向けて走る自転車を作ってみたいという気分で書いてみた。私自身が新たに分析したり想像したり思考したりした情報もあれば、どこかの誰かが言ったり書いたりやったりしたことを意識してか無意識にか拝借したものもある。できるだけ参考文献を引用したが、不十分だろう。『それは私の(あるいは誰それの)言ったことだ』と思われたら、たぶんその通りだ。ありがとうございます」と述べます。そして最後に、「逆に、この本の内容を再利用したい場合はジャンジャンやってしまってほしい。私に連絡する必要も名前を記す必要もない。切り抜くなりパクるなりミックスするなり自由にしてほしい。自分のシマや功績が増えることより、世界や政治がちょっとでも変わることの方が楽しいからだ」と述べるのでした。これは、わたしの考え方とも共通するものであり、度量の広い著者に拍手をしたいと思います。

 

 第1章「故障」の「○□主義と□○主義」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「人類を突き動かすのは主義(ism)である。経済と言えば「資本主義」、政治と言えば「民主主義」。嵐の前の静けさかと思うほどかつてない安全と豊かさの泡に包まれた欧米や日本にここ半世紀ほどの間に生まれた者にとって、子どもの頃から何千回と聞かされて、もはや犬も食わない合言葉だろう。2つを抱き合わせて民主資本主義(democratic capitalism)や市場民主主義(market democracy)と呼ぶことも多い。だが、ちょっと考えるとこの提携は奇妙である。ふんわりと言って、資本主義は強者が閉じていく仕組み、民主主義は弱者に開かれていく仕組みだからだ。だが、ちょっと考えるとこの提携は奇妙である。ふんわりと言って、資本主義は強者が閉じていく仕組み、民主主義は弱者に開かれていく仕組みだからだ」

 

 資本主義経済では少数の賢い強者が作り出した事業がマスから資源を吸い上げます。事業やそこから生まれた利益を私的所有権で囲い込み、資本市場の福利の力を利かせて貧者を置いてけぼりにします。戦争や疫病、革命がなければ、富める者がますます富むとして、著者は「平時の資本主義のこの経験則を描いたものにはピケティ『21世紀の資本』からシャイデル『暴力と不平等の人類史』まで枚挙にいとまがない。そんな強者や異常値に駆動される仕組みが資本主義だ」と述べます。一方の民主主義はその逆であるとして、著者は「そもそも民主主義とは何か? 民主主義(democracy)の語源はギリシア語のdemokratiaで、『民衆』や『人民』などを意味するdemosと、『権力』や『支配』などを意味するkratosを組み合わせたものだという。『人民権力』『民衆支配』といった意味になる」と説明します。

 

 暴れ馬・資本主義をなだめる民主主義という手綱......その躁鬱的拮抗が普通選挙普及以後のここ数十年の民主社会の模式図だったと指摘し、著者は「資本主義はパイの成長を担当し、民主主義は作られたパイの分配を担当しているとナイーブに整理してもいい。単純すぎるが、単純すぎる整理には単純すぎるがゆえのメリットがある」と述べています。また、「感染したのは民主主義:人命も経済も」では、著者は「民主主義的な国ほど命も金も失った。そして、コロナ禍初期における民主国家の失敗もまた、民主主義が原因で引き起こされたものだと示すことができる。このことは、コロナ禍初期によく議論された『人命か経済か』という二者択一(トレードオフ)の議論がおそらく的外れなことも意味する。現実には人命も経済も救えた国と、人命も経済も殺してしまった国があるだけだったのだ」と述べます。

 

 「21世紀の追憶」では、民主主義の失われた20年がはじまった2000年前後は、偶然か必然か、世界経済を牛耳ることになる独占ITプラットフォーム企業が勃興した時期と重なると指摘し、著者は「アマゾンの創業が1994年、グーグルが誕生したのは1998年だ。日本でも、ライブドア(オン・ザ・エッヂ)やヤフージャパンの創業が1996年、楽天(エム・ディー・エム)の創業が1997年、NTTドコモのiモードの立ち上げが1999年、LINE(ハンゲームジャパン)の創業が2000年だ。その直後に同じくらい重大な、しかしあまり目立たない出来事が起きている。もう1つのその後のスーパーパワー中国のWTO(世界貿易機関)加盟である。一見すると地味なこの出来事は、しかし、世界経済に強烈な衝撃を与えたと考えられている」と述べます。

 

 「失敗の本質」では、ビル・ゲイツが、2015年のTED講演で「次の世界大戦はウイルスとの戦争になる。そしてその戦争に向けた準備を人類はできていない」と語り、驚くほど高い解像度でコロナ禍のような感染症の混乱を予言していたことを紹介します。さらにオバマ政権からトランプ政権への引き継ぎの重要項目が、来るべき感染症危機だったことも公開情報になっているとして、著者は「民主主義を象徴する世界一の大国の住民であり、世界でも最も影響力のある経済人と政治家が具体的な提言をはるか以前からしていた。にもかかわらず、その警告をアメリカや他の民主国家はほぼ見事に無視してきた」と述べています。

 

 「デマゴーナス・ナチス・SNS」では、選挙は、みんなの体と心が同期するお祭りなので、空気に身を任せる同調行動にうってつけであるとして、著者は「数百年前であれば、同調は狭い村落内に閉じた内輪ウケでいてくれた。だが、メディアやメディアハッカーが存在する今では国や地球の規模に同調が伝播するようになった。さらに、生活や価値が分岐するにつれ政策論点も微細化して多様化しているのに、いまだに投票の対象はなぜか政治家・政党でしかない。個々の政策論点に細かな声を発せられない。こうした環境下では、政治家は単純明快で極端なキャラを作るしかなくなっていく。キャラの両極としての偽善的リベラリズムと露悪的ポピュリズムのジェットコースターで世界の政治が気絶状態である」と述べるのでした。

 

 第2章「闘争」の「シルバー民主主義の絶望と妄想の間で」では、かつての英国の宰相ウィンストン・チャーチルか誰かが「君が25歳で進歩派でないなら心に問題がある。35歳で保守派でないなら頭に問題がある」と語ったことを紹介し、著者は「確かに、若者と老人の価値観のズレは人間の常である」として、さらに「世代間の衝突は人類の原動力でもある。歴史を塗り替えるのはいつも『若くて無名で貧乏』(毛沢東)なひよっ子だ。老害への怒りとさげすみを胸に革命を起こした若者は、しかし、やがて自ら老害化し、次の世代に葬り去られる。私たちは『葬式のたびに進歩する』(ドイツの物理学者マックス・プランクの発言からくる英語の格言)というわけだ。しかし、今世紀に入ったあたりから何やら雲行きが怪しい。若者の怒りが絶望に、そして脱力に変わりつつあるように感じる。老害を葬り去ってくれるはずの葬式がどんどんと先に延び延びになり、政治がゾンビ化した高齢者に占拠される。シルバー民主主義への絶望と脱力である」と述べます。マックス・プランクが「葬式のたびに進歩する」と言っていたなんて、初めて知りました!

 

 「選挙をいじる」の「未来の声を聴く選挙」では、自民党支持率を見ると20代でも60代でも大差なく、むしろ20代の方が高いことが多いくらいだということを指摘。日本の世代間政治対立は鈍く、アメリカでは若い世代ほどリベラルで民主党支持率が高い傾向がはっきりあるのと対照的だといいます。さらに、もう1つ根深い問題があるとして、著者は「それは若者が貧乏になっていることだ。今の日本でお金と時間を持つのは高齢者だ。なので、彼らは『文化が』とか『国家が』とかフワフワしたことを考える時間も余裕もある。それに比べ、今の日本の20代は本当に崖っぷちな状況だ。過半数の人が資産ゼロで貯金10万円以下、わずかな給料で自転車操業している状態だと考えられている。体を壊してちょっと働けなくなったら一瞬で破綻する人が今の日本の若者の多数派になっている。この状態で遠い未来に向けた国家としての投資を考えろと言っても、無理がある」

 

 「政治家・政党から争点・イシューへ」では、著者は選挙のアップデート案について、「こんな仕組みが考えられる。政治家や政党ごとに投票するのではなく、不妊治療の保険適用化や年金支給年齢の変更、LGBT法制といった個別の論点ごとに投票する。さらに、有権者それぞれにたとえば100票を割り当てる。一人一票ではなく、『自分にとって大事な政策への投票には多くの票を投じられる』ようにする。信頼できる第三者に票を委任することを許すこともできる」と提案しています。ここは、本書のキモであると言えるでしょう。

 

 「UI/UXをいじる」の「ネット投票の希望と絶望」では、教育の「過剰」について言及。著者は、「米英の有権者を調べた研究によれば、有権者は高学歴になるほど党派的で独善的になり、議論と反省によって意見を修正していく能力を失っていく傾向があるという。学歴や知識が増すごとに自分は正しいと思い込む傾向があることがその理由だ。この頑固さは民主主義の基礎を脅かす」と述べます。また、「前提条件が崩れる中で選挙の微調整を議論しても対処療法にしかならないだろう。選挙という概念一般が病にかかっていることが問題なのに、『相対的にまだマシな選挙はこれ』という処方箋になっていない処方箋を出しているようなものだからだ。真に必要なのは、選挙の再発明ではない。むしろ『選挙で何かを決めなければならない』という固定観念を忘れることだ」と述べるのでした。

 

 第3章「逃走」の冒頭で、著者は「いっそ闘争は諦めて、民主主義から逃走してしまうのはどうだろう? 民主主義を内側から変えようとするのではなく、民主主義を見捨てて外部へと逃げ出してしまうのだ。『反民主主義』や『迂回民主主義』と言ってもいいかもしれない」と述べています。国家からの逃走は、一部ではすでに日常であるとして、著者は「たとえば富裕層の個人資産。ルクセンブルクからケイマン諸島、ヴァージン諸島やシンガポールまで、低い税率そして緩い資産捕捉を求めるタックス・ヘイブンを浮遊する見えない個人資産は、世界の全資産の8%を超えるとも言われる」と述べます。「タックス・ヘイブンがあるように政治的『デモクラシー・ヘイブン』もありえるのではないか?」というわけです。

 

 「デモクラシー・ヘイブンに向けて?」では、「地球最後のフロンティアは、世界の海の半分を占める公海だとよく言われる。どの国も支配していない公海の特性を逆手に取って、公海を漂う新国家群を作ろうという企てがある。『海上自治都市協会(The Seasteading Institute)』と呼ばれる新国家設立運動だ。他に似た試みを行う団体に『青いフロンティア(Blue Frontiers)』などもある(現在は活動停止中の模様)。こうした構想が行動に移されつつある背景には、クルーズ船のような大型船舶を建造する費用が下がり、技術面・費用面での現実性が増していることがあるという」と書かれています。

 

 「すべてを資本主義にする、または〇□主義の規制緩和」では、21世紀後半、億万長者たちは宇宙か海上・海底・上空・メタバースなどに消え、民主主義という失敗装置から解き放たれた「成功者の成功者による成功者のための国家」を作り上げてしまうかもしれないと推測し、著者は「選挙や民主主義は、情弱な貧者の国のみに残る、懐かしく微笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。私たちが憫笑する田舎町の寄り合いのように。そんな民主主義からの逃走こそ、フランス革命・ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の本命だろう。フランス・アメリカ革命が民主主義革命、ロシア革命が共産・社会主義革命だったとすると、次に来るべきは資本主義革命かもしれない」と述べています。

 

 「資本家専制主義?」では、新国家は最終的には一般の人々にも開放される楽観的予感もあるとして、著者は「お金と権力を手に入れた人間は、最終的には偉人としてチヤホヤされたいという承認・達成欲求にたどり着く。承認・達成欲求は弱者への施しを生む。たとえば前澤友作さんは、Twitterでシングルマザーなどにお金を配るキャンペーンをしていることで良くも悪しくも有名だ。小金に群がる一千万人単位のイナゴユーザー情報を効率よく集められて情弱ビジネスし放題という側面もあるだろう。ただ、それと同じかそれ以上に強い動機は『日本人の父になりたい』といった野心のように感じられてならない。お金配りを続ければ、自らのお金で育った子どもたちやその家族が日本中に増殖していく。最終的には巨大な拡張家族や故郷もどきにたどり着く。そこに育まれるのはお金では買えない大きな絆のようなものだろう」と述べるのでした。

 

 第4章「構想」の「民主主義とはデータの変換である」では、著者は「民主主義とはデータの変換である。そんなひどく乱暴な断言からはじめたい。民主主義とはつまるところ、みんなの民意を表す何らかのデータを入力し、何らかの社会的意思決定を出力する何らかのルール・装置であるという視点だ。民主主義のデザインとは、したがって、(1)入力される民意データ、(2)出力される社会的意思決定、(3)データから意思決定を計算するルール・アルゴリズム(計算手続き)をデザインすることに行き着く」と述べています。

 

「なぜ選挙という雑なデータ処理装置がこれほど偉そうに民主主義の中核に鎮座しているのだろうか?」との疑問に対し、著者は「選挙が使うデータの質や量がいいからではない。立候補した少数の政治家・政党の中から好みの1つを選んだだけの投票データは、投票者の意思のほんの一部しか反映していない貧しいデータなことは誰の目にも明らかだろうとして、著者は「データ処理の方法が洗練されているからでもない。多数決のようなよく使われる集計ルールは欠陥だらけなことがよく知られている」と述べます。

 

 さらに著者は、「そんな貧しさや欠陥にもかかわらず選挙を私たちが受け入れているのは、数百年前の段階でギリギリ全国を対象に設計・実行できた処理装置が選挙だからだろう。そして、法律や歴史を通じて正統性や権威性をまとったからだろう。はじめとおわりがはっきりしていて、勝者と敗者がきっぱり決まるゲームのような透明性ゆえに、暴力や内戦による血みどろの意思決定を避けられたことも大きかったに違いない」と述べます。そして、「歪み・ハック・そして民意データ・アンサンブル」では、著者は「平均化・アンサンブル化されるアルゴリズム群は、無意識民主主義にデータ・アルゴリズムの多元性と競争性をもたらす点にも注目してほしい。多様な民意データ源たちが互いに競い合いながらより良い民意抽出を目指す。無意識データ民主主義が民主主義たる理由がここにある」と述べるのでした。

 

 「選挙vs.民意データにズームイン」では、無意識データ民主主義について、著者は「現状と対比した無意識データ民主主義は、民意を読みながら政策パッケージをまとめ上げる前の段階をもっとはっきり可視化し、明示化し、ルール化する試みだとも言える。そして、ソフトウェアやアルゴリズムに体を委ねることで、パッケージ化しすぎずに無数の争点にそのまま対峙する試みとも言える。その副産物として、政党や政治家といった20世紀臭い中間団体を削減できる」と述べています。

 

 「無意識民主主義の来るべき開花」では、民主主義はグダグダで後手後手なので有事に弱いと言われてきたし、一方で、独裁や専制は指導者が狂えばすぐに有事を作り出してしまうとして、著者は「民主と専制のいいとこ取りをした幸福な融合はありえないだろうか?」と問いかけます。そして、「無意識民主主義は1つの答えを与えてくれる。民意データを無意識に提供するマスの民意による意思決定(民主主義)、無意識民主主義アルゴリズムを設計する少数の専門家による意思決定(科学専制・貴族専制)、そして情報・データによる意思決定(客観的最適化)の融合が無意識民主主義であるからだ」と述べるのでした。

 

 「政治家不要論」の「政治家はネコとゴキブリになる」では、わたしたちの社会はだんだん「人間を属性で区別するな」という社会になっていると指摘し、著者は「男女で区別するな、年齢で区別するな、人類皆同じと考えようという方向にだんだん向かっている。この流れが今後も続くと、人間とそれ以外の動物や生命も区別するなという方向にいくと予想できる。ある種のベジタリアンやビーガンの友人たちと話すと、解体される鶏や〆られるサバが感じる痛みへの共感を切々と語ってくれることがある。あの感じだ」と述べています。

 

 ネコが政治家になる世界は思ったより早く到来しそうだとして、著者は「2022年春には元おニャン子クラブの生稲晃子氏が参院選への出馬を表明した。それどころではない。実は本物のネコがすでにアメリカ大統領選に出馬済みである。1988年の大統領選挙に出馬したオスネコ『モリス』だ。モリスは当時人気のキャットフードの広告塔だった。テレビや雑誌に出まくっていたモリスの露出度は抜群で、そこらの政治家より高い知名度を誇っていた」と述べます。「おニャン子クラブ」は人間界のアイドルであってネコではありません。また、1988年の大統領選挙に出馬したオスネコ「モリス」というのは、いくらネットで調べたら本当でした。ビックリ!

 

 また、著者は「こうしたことを言うと『しかしネコやゴキブリは言葉をしゃべれない』と言ってくる人が多い。だが、数百年前のヨーロッパ人植民者たちは、自分たちの言語が通じない植民地の他民族のホモ・サピエンスをコミュニケーション相手や(被)選挙権の主体だなどと思っていただろうか? ほとんど動物と同じだと見なしていたからこそ、ごく自然に奴隷として酷使できたのではないだろうか? その精神性が時間をかけて変わってきた」とも述べます。うーん?

 

 また、著者は「ネコやゴキブリでなくてもいい。より現実的で短期的には、VTuber(Virtual YouTuber)やバーチャル・インフルエンサーのようなデジタル仮想人がそういう存在になっていくだろう。VTuberが政治家の身代わりになって、生身の人間政治家への誹謗中傷を引き受ける。その仮想人を鬱や自殺にまで追い込むとスッキリする......そんなサービスが出てくれば生身の人間も仮想人もWin-Winだ。そして、VTuberや仮想人の人権を大マジメに議論する時代がくる」とも述べます。

 

 さらに、著者は「ネコやアルゴリズムに責任が取れるのか」という疑問だについて、「そもそも人間の政治家は責任を取れているのだろうか? 今の自民党の執行部には80代の後期高齢者がゴロゴロいる。彼らが社会保障や医療や年金や教育といった制度や政策を作っている。数十年先の社会にこそ影響を与える政策に、80代の政治家は一体どんな責任を取れるのだろうか? 結果が出る頃には確実に亡くなっているというのに。ということは、人間政治家が責任を負えていると盲信することは、死者に責任追及できると言っているのに限りなく近くなる。言葉が通じず言葉も発さない死者は、一体どんな反省の弁を聞かせてくれるだろうか? 墓場に眠る人間が生きたネコや不眠不休のアルゴリズムより責任感に満ちていると信じる理由はどこにあるのだろうか?もはや哲学的である」と述べるのでした。民主主義の再生に向けた民主主義の沈没、それが無意識データ民主主義であるという著者の主張には説得力があり、本書は民主主義のアップデートについて考える最高のテキストでした。最後に、著者の人気の秘密は、頭の良さとともに声の良さにあると思います。