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わたしたちのウェルビーイングをつくりあう』

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No.2122

『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』渡邊淳司/ドミニク・チェン監修・編著、安藤英由樹/坂倉杏介/村田藍子編著(BNN)を読みました。

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本書の帯

 

 本書の帯には「わたしの幸せから、わたしたちの幸せへ」「これからの社会に欠かすことのできないウェルビーイングを、包括的に捉えるための視点と方法。『個でありながら共』という日本的なウェルビーイングのあり方とは――」「ウェルビーイング(Wellbeing)=身体的にも、精神的にも、そして社会的にも『よい状態』のこと」「論考:伊藤亜紗/生貝直人/石川善樹/岡田美智男/小澤いぶき/神居文彰/木村大治/小林茂/田中浩也/出口康夫/水野祐/安田登/山口揚平/吉田成朗/ラファエル・カルヴォ」と書かれています。

 

 アマゾンの内容紹介には、「情報技術が私たちの暮らしを便利にする一方で、利用者の心の状態への負の影響も指摘されている現在、ウェルビーイングに対する注目が高まっています。本書は、ウェルビーイングとは何なのか、そしてそれをどのようにつくりあうことができるのかについて解説した書籍です。わかりあえなさのヴェールに包まれた他者同士が、根源的な関係性を築き上げ、共に生きていくための思想、実践、技術を照らし出します。ユーザーに愛されるプロダクトやサービスの設計を目指すデザイナー、エンジニア、ビジネスパーソン、また、組織環境を良くしたい人事・総務担当者などにおすすめの一冊です。『わたし』のウェルビーイングから、『わたしたちの』ウェルビーイングへ。『個でありながら共』という日本的なウェルビーイングのあり方を探求します」と書かれています。

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 本書の帯の裏

 

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」(渡邊淳司/ドミニク・チェン)

Introduction

「わたしのウェルビーイング」から始めよう

1300人の大学生が考えた

      「わたしのウェルビーイング」

「ウェルビーイング」を考えるために

Part 1 What is Wellbeing?

ウェルビーイングとは何か

1.0 Overview

ウェルビーイングの見取り図

1.1 Individual Wellbeing

「わたし」のウェルビーイング

1.2 Collective Wellbeing

「わたしたち」のウェルビーイング

1.3 Social Wellbeing

コミュニティと公共のウェルビーイング

1.4 Internet Wellbeing

インターネットのウェルビーイング

Part 2 Wellbeing in Practice

ウェルビーイングに向けたさまざまな実践

2.0  Intoroduction

テクノロジーから「自律」するために

(ラファエル・カルヴォ)

2.1  Technology

情報技術とウェルビーイング

2.1.1 感情へのアプローチが行動を変える(吉田成朗)

2.1.2 〈弱いロボット〉の可能性(岡田美智男)

2.1.3 「生きるための欲求」を引き出す

デジタルファブリケーション(田中浩也)

2.1.4 IoTとFabと福祉(小林茂)

2.2  Connection

つながりとウェルビーイング

2.2.1 予防から予備へ|

「パーソンセンタード」な冒険のために(伊藤亜紗)

2.2.2 「沈黙」と「すり合わせ」の可能性(木村大治)

2.2.3 孤立を防ぎ、つながりを育む(小澤いぶき)

2.3  Society 社会制度とウェルビーイング

2.3.1 お金から食卓へ:貨幣とつながりの現在地 (山口揚平)

2.3.2 ウェルビーイングと法のデザイン(水野祐)

2.3.3 本人による自己の個人データの活用(生貝直人)

2.4  Japan 日本とウェルビーイング

2.4.1 「日本的ウェルビーイング」を理解するために(石川善樹)

2.4.2 「もたない」ことの可能性: 和と能から「日本的」を考える(安田登)

2.4.3 祈りとつながり、文化財と場所(神居文彰)

2.4.4 「われわれとしての自己」とウェルビーイング (出口康夫)

Part 3  Wellbeing Workshop

ウェルビーイングのためのワークショップ

3.1 なぜ「ワークショップ」なのか

3.2 ウェルビーイングワークショップの流れと各ワーク

3.3 「頭」と「心」と「手」を結ぶ

Discassion

座談会:

「わたしたち」のウェルビーイングに向けたプロジェクト

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サンレーグループ20周年記念バッジ

 

 昨今注目されている「ウェルビーイング」という言葉ですが、もともとは、WHO(世界保健機構)憲章における、健康の定義に由来した思想です。その定義とは、「健康とは、たんに病気や虚弱でないというだけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態」というものです。じつは、わが社は約30年前から「ウェルビーイング」を経営理念に取り入れており、1986年の創立20周年には「Being!ウェルビーイング」というバッジを社員全員が付け、社内報の名前も「Well Being」でした。わたしの先代社長である 佐久間進(現サンレーグループ会長)の先見の明に驚いています。

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サンレーグループ報「Well Being」

 

 監修者で編著者の渡邊淳司氏(NTTコミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 上席特別研究員)とドミニク・チェン氏(早稲田大学文化構想学部・表象メディア論系 准教授)による「はじめに」では、冒頭に「ウェルビーイングとは、『わたし』が1人でつくりだすものではなく、『わたしたち』が共につくりあうものである」という本書の中核となるメッセージが書かれています。

 

 人の心はいかにして充足するのか。医学、心理学、統計学といった、近代社会における諸科学 の発展のなかで、人間の心の働きや状態を観察・分類し、そこから法則性を導き出すということが行われてきたとして、「世界中の人々の幸福度が調査されるとともに、その幸福を構成する要素、つまりウェルビーイングの要因を導き出すための、より細密な研究が加速している。人がどのようなときに、どんなことに対して充足を感じるのか。そのデータを統計的に処理し、"人間一般"の性質を導き出す。それは人間科学としてはまったく問題がない。しかし一方で、人の心を充足するための働きかけ、ウェルビーイングに向けたサービスや福祉、社会政策を検討するにあたっては、"人間一般"を対象として考えると、大きな問題を引き起こしてしまう」と書かれています。

 

 個々人はそれぞれ固有の趣向や物語の中で生きており、データを平均することで生み出された誰でもない"人間一般"に向けたサービスが、誰かの心を十全に満たすことはないだろうとして、「もちろん、これまでもそれぞれに向けたサービスが検討されてきたが、現実として、すべての個人にカスタマイズすることは無理な話である。だからと言って、『効率性』や『経済性』だけを第一原理とすることが最善とも思えない。さらに、こうした既存の『ものさし』にとらわれると、サービス対象である人の心を1つの制御対象として機械的に捉えてしまうことすらある。ウェルビーイングは、こうした効率性や経済性といった既存の『ものさし』に代わる、人それぞれの心を起点とした発想の「コンパス」となるものである」とも書かれています。

 

 これまでのウェルビーイングの研究は、個人の心の充足を主たるテーマとして扱ってきたといいます。そこでは、自分の状態を見つめ、理性的に心を制御することが理想とされていると指摘し、「これは、心理学・社会科学をリードする欧米の、個人が屹立し、それらの充足から始まる個人主義的な社会観が影響しているのかもしれない。とはいうものの、人間は社会性を生存戦略とし、いくら個人主義が浸透しようとも、社会的な生物であることは変わらない。であるならば、『わたし(個)』だけでなく『わたしたち(共)』のウェルビーイングについても、もっと考えるべきではないだろうか」と書かれています。

 

 では、どうやって、「わたしたち」のウェルビーイングをつくりあうことができるのか? そのためには、何よりも他者との関係性を捉え直す必要があると指摘し、「現代社会では、社会の分断化が叫ばれ、異なる他者を退ける言説が衆目を集めやすい。だからこそ、蔓延する個々人を切り離す思考をうまくほどいていかなければならない。わかりあえなさのヴェールに包まれた他者同士が、根源的な関係性を築き上げ、共に生きていくための思想、実践、技術が求められている。他者を遠くから観察し尽くせるとは考えずに、他者との関係の中に入り込み、ときに自己の一部として他者を認識しつつ、異なる存在へと自己が変容することを受け容れる。本書では、そのようなプロセスを実現するための方法論として、身体に働きかけるテクノロジーや、共感・共創を促進するワークショップに着目した」と述べられ、最後には「遠くない将来、ウェルビーイングに配慮するのがあたりまえになる社会が到来するはずだ」と書かれるのでした。

 

 「『ウェルビーイング』を考えるために」では、「3つのウェルビーイングの領域」として、まず「医学的ウェルビーイング」が紹介されます。これは、心身の機能が不全でないかを問うもので、医学の領域といえるでしょう。わたしたちが普段受ける健康診断やメンタルヘルスに関する質問紙などで測定可能だといいます。次に、「快楽主義的ウェルビーイング」。現在の気分のよしあしや快・不快など、一時的、かつ主観的な感情に関する領域です。表情であったり、心拍やホルモンなど生体反応の指標で計測することができます。最後は「持続的ウェルビーイング」です。心身の潜在能力を発揮し、周囲との関係のなかで意義を感じている「いきいきとした状態」を指すものです。

 

 哲学者もウェルビーイングに関して言及。アリストテレスは「善」を有用さ/一時的な快楽/幸福(エウダイモニア)の3種に分類し、最高の善が幸福であるとしました。一時的な快楽だけではウェルビーイングを実現できず、理性によって人間の潜在能力を開花させることで実現できるとするこの考え方は、持続的ウェルビーイングの原点となっているとして、「もちろん心理学者も様々なウェルビーイングを提唱してきました。幸福度について研究するエド・ディーナーは、まず主観的なウェルビーイングの尺度を開発し、さまざまな要因と合わせて測ることで、性格や社会環境との関係が調べられると考えました。その尺度は、人生満足度/ポジティブ感情/ネガティブ感情がないことの三要素で構成されていました」と書かれています。

 

 幸福や創造性の研究の第一人者であるミハイ・チクセントミハイは、何かしているときに熱中するあまり忘我の感覚となる状態を「フロー」と名付けました。また、チクセントミハイはは、活動に本質的な価値があること、能力に対して適切な水準であることなどの条件が揃うことで生じるその体験がウェルビーイングの向上につながると考えました。ポジティブ心理学に大きな貢献をしたマーティン・セリグマンは、ウェルビーイングはポジティブ感情(Positive emotions)だけでなく、没頭する体験(Engagement)/良好な人間関係(Relationships)/人生の意味や意義を感じること(Meaning)/達成感をもつこと(Achievement)の5つが、主な要因であるとする「PERMA理論」を提唱しました。

 

  Overview「ウェルビーイングの見取り図」では、「情報通信技術の革新は、あなたを幸せにしてくれただろうか」として、さまざまな情報テクノロジーの進歩が俯瞰されます。しかし、「それは本当に『幸せ』をもたらしているといえるのだろうか?」として、「たとえば、あなたが肌身離さず持ち歩いているスマートフォンは、常時メッセージや通知を受信することを可能にしたが、その状態は外の世界に注意を払い続けなければいけないことを意味している。他人といつでも連絡が取れる安心感を得ると同時に、私たちの心身は常に緊張し、リラックスすることが困難になっているのだ。加えてSNSや検索エンジンのアルゴリズムは『最適化』の名のもとに偏った情報でユーザーを包み込み、『フィルターバブル』と呼ばれる分断の状況を生んだ。ソーシャルゲームへの依存に伴う過度な課金や、チャットツールなど閉じたコミュニティで発生するいじめ、SNS上での誹謗中傷など、インターネットの発展に伴って生まれた問題はもはや社会全体に大きな影響を及ぼしつつある。もしかしたら、私たちは情報通信技術によって『幸せ』から遠ざけられているのだろうか?」と書かれています。

 

 「『人間を幸せにする』ために」では、こうした問題は、情報通信技術を開発するうえで根源的な目標であった「人間を幸せにする」ことがきちんと意識されないまま設計が進んでしまったことから生まれたものだといえると指摘し、「そもそも人間にとって『幸せとは何か』がきちんと検討されてこなかったからこそ、本来人々を幸せにするはずの技術が人々を抑圧してしまっているのだ。近年、これらの背景から、『ウェルビーイング (Wellbeing)』という人間の心の豊かさに関する概念が注目されている。たとえば2015年に国連で採択された『SDGs:2030年までの持続可能な開発目標』においてウェルビーイングは重要な達成目標のひとつとして挙げられている。日本においても、2020年に内閣府『ムーンショット型研究開発制度』が発表した2050年までに達成すべき6つの目標において、それらの研究開発は人々のウェルビーイングに向けたものであると明言されている」と書かれています。

 

 企業活動においても、さまざまな分野のCEOも「ウェルビーイング」という言葉を口にすることが多くなりました。現代社会において、すべての問題を効率性や経済性のみによって解決することは困難であり、それに代わる、もしくはそれ以外の価値基準として「ウェルビーイング」という視点がとりあげられているとして、「現在のところ、ウェルビーイングは付加的な概念のひとつに過ぎないかもしれないが、環境問題がそうであったように、遠くない将来、人間のウェルビーイングに配慮しない企業や自治体など考えられないという社会が到来するかもしれない」と書かれています。わたしも、そう考えます。

 

 ウェルビーイングへの配慮が不可欠な時代になったとき、「効率性」や「経済性」とは異なる価値基準にそれぞれの企業が取り組み、企業活動を通して社内外で共有されることは、社会的な存在としての企業の価値を向上させるものになるであろうとして、「福祉分野においても、ウェルビーイングは議論の対象となることが多い。近年の福祉理念は、社会的弱者を救うという福祉(ウェルフェア)から、自律的な活動や自己実現をとおしての福祉(ウェルビーイング)へ変化しているといわれている。社会から見たときに、福祉の対象を保護や救済の対象と考えるのではなく、1人の人間としてその充足や自律性を積極的に尊重しようという考えに変わってきたということである」と書かれています。

 

 「医学的/快楽的/持続的ウェルビーイング」では、ひとくちにウェルビーイングといっても、その意味が見えづらいことが指摘されます。直訳すると「心身がよい状態」を指すこの言葉は、しばしば「医学的ウェルビーイング」、「快楽的ウェルビーイング」、「持続的ウェルビーイング」という3つの定義で使われているとして、「ひとつめの『医学的ウェルビーイング』とは、心身の機能が不全でないか、病気でないかを問うものである。これは健康診断やメンタルヘルスに関する診断を通じて測定可能である。ふたつめの『快楽的ウェルビーイング』とは、その瞬間の気分の良し悪しや快/不快といった主観的感情に関するものである。最後の『持続的ウェルビーイング』は、人間が心身の潜在能力を発揮し、意義を感じ、周囲の人との関係のなかでいきいきと活動している状態を指す包括的な定義である」と書かれています。

 

 「『日本的』なウェルビーイングに向けて」では、ウェルビーイングの研究は近年急速に進んできていますが、一方でこれまでの研究の多くはもっぱら「個人主義的」な視点に基づいて進められてきたことに注意しなければならないとして、「欧米では主潮となるこの視点は、確立された個人のウェルビーイングを満たすことで社会への貢献を目指すものであるが、それだけでなく、集団のゴールや人間同士の関係性、プロセスのなかで価値をつくりあうという考えに基づく『集産主義的』な視点を無視してはいけないだろう。人間関係や場のなかでの役割によって生まれる物語性、身振りや手振りや触れ合いといった身体性が人間の行動原理に強い影響を与える日本や東アジアにおいては、とりわけ集産主義的なアプローチがウェルビーイングを考えるうえで重要となってくるはずだ」と書かれています。

 

 1.1 Individual Wellbeing「『わたし』のウェルビーイング」では、「ウェルビーイングとは何なのか」について考察されます。研究上さまざまな考え方がありますが、代表的なものは、ウェルビーイングを「構成概念」と捉えるものです。「構成概念」とは、状態やメカニズムを説明するために人為的に構成された概念であり、「天気」や「景気」も構成概念だといいます。構成概念の説明として、「いったんその存在を仮定することで、新しいものの見方を提供したり、それをよくするようにさまざまな働きかけを行えるようになる。ただし、構成概念は直接見たり測定したりすることができないので、それに関連すると考えられる要因を計測することでその状態を把握する。たとえば景気という構成概念も、その存在を仮定し、さまざまな定量評価軸を設けることで、『好景気』『不景気』などその状態を評価し、それをよくしようと働きかけができるようになるのだ。これと同様に、『持続的ウェルビーイング』もその要因を具体的に把握する(もしくは定義する)ことで、それを向上させるための指針が明らかになってくるだろう」と書かれています。

 

 「持続的ウェルビーイングの構成要因」では、本書の研究プロジェクトでは、「持続的ウェルビーイング」を「人間が心身の潜在能力を発揮し、意義を感じ、周囲の人との関係の中でいきいきと活動している状態」と説明しています。米国の心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した「自己決定理論」では、何かを自分の意志で行う「自律性」、それを成し遂げる能力が自分にあると感じる「有能感」、そしてそれが他者に受け入れられる「関係性」の3つが重要だとされています。ポジティブ心理学の普及に大きな役割を担ったマーティン・セリグマンは、「PERMA理論」を提唱しました。これは、ポジティブ感情であること、何かに没頭していること、周囲と良い関係性をもつこと、意義を感じること、達成感をもつことの5つをバランスよく満たすことがウェルビーイングの実現に必要だとする理論です。

 

 また、フェリシア・ハパートとティモシー・ソーは、心の病と判定される症状と反対の状態を特定するという基準で10の状態をウェルビーイングの要因としました。ここで挙げられた「有能感」「情緒的安定」「没頭」「意義」「楽観性」「ポジティブ感情」「良好な人間関係」「心理的抵抗力・回復力」「自尊心」「活力」の10の要因は、自己決定理論やPERMA理論とも重なる点が多く、ヨーロッパの多くの国でも調査に利用されているそうです。「個人的要因」では、個人的要因で代表的なのは、目の前で起きた出来事や刺激に対して快を感じる「ポジティブ感情」だといいます。バーバラ・フレデリクソンは、喜び、愉快、鼓舞、畏敬、感謝、安らぎ、興味、希望、誇り、愛という10要素がウェルビーイングに関連するポジティブ感情だとしました。本書には、「こうしてみると、『喜び』や『愉快』といった瞬間的な感情もあれば、『愛』のように長い時間をかけて生じる感情もある。また、ポジティブ感情はウェルビーイングだけでなく、学習効果や創造性、問題解決能力、大局的な思考能力を高めることも知られてい」と書かれています。

 

 ポジティブ感情のほかに、個人内要因として挙げられるのが「心的活動の継続」と「自己認知」に関連する要因です。「心的活動の継続」にとって、活力といった目の前のことを進める心的なエネルギーは欠かせないと指摘し、「何らかの目標や報酬(外発的動機)、行為自体への興味(内発的動機)から生じる『動機づけ』、未来や目標に対するポジティブな期待から行動を引き出す『楽観性』も、心的活動に影響を与える要因だ。さらに、外部からの刺激に対する情動の安定性や調整に関する『情緒的安定』や、ネガティブな刺激や状況に対する耐性である『心理的抵抗力・回復力』、外部から乱されずにひとつのことに集中し続ける『没頭』、意識や注意をコントロールして心的揺らぎを安定させる『マインドフルネス』、没頭とマインドフルネスの要素を合わせてもつような『フロー』も、心的活動の継続と関連するだろう」と書かれています。

 

 一方、「自己認知」の基本的な要因としては「自己への気づき」が挙げられるとして、「ここでいう『気づき』とは、過去・現在・未来にわたって自分がどのような状態であるのかを認知することであり、身体の変化や情動への意識も含まれる。ほかにも、より一般的な自己への肯定的態度である『自尊心』や『自己への思いやり』は重要な要因だ。くよくよ悩まずに、自身に関する評価を受け入れ、肯定し、思いやることは、自己認知のひとつのあり方である。また、何かに取り組む際に自分の意志に基づいて行ったという感覚である『自律性』、それを成し遂げたという感覚である『達成』、さらに自分がそれを遂行する能力を有しているという感覚である『有能感』といった要因も挙げられる」と書かれています。

 

 「個人間要因」では、個人間要因の中で最も基本的なものは「関係性」や「良好な人間関係」であると指摘し、「他者と一緒に何かをすることで関係性が育まれ、他者と円滑なコミュニケーションが維持できているときには、言語的な文脈の共有だけでなく、身振りや頷き、呼吸、言葉の抑揚など、身体的なやり取りでも同期現象や一定のパターンが生まれるといわれている。また、『感謝』することは、感謝された人のウェルビーイングを向上させるだけでなく、感謝の手紙を書くなど他者に対して『感謝』を伝えた側のウェルビーイングも高めるという。感謝と同様に、『共感』を抱くこともウェルビーイングに影響する。共感には、相手の視点に立つことで相手の感情を理解する認知的な要素と、相手が感じている感情を自分も同じように感じるという情動的な要素がある。特に情動的な共感については、喜びや悲しみといった瞬間的な感情が人から人へと伝染することが知られており、情動伝染と呼ばれる。こうした伝染は長期的な幸福感でも生じることが明らかになっている」と書かれています。

 

 「ウェルビーイングの要因との関係」では、子育てに重要な内分泌ホルモンであるオキシトシンの値が、親子間に限らず他者との関係を知る客観的な指標のひとつになることが知られていると紹介し、「共感と思いやりは、生体反応によって区別することが可能だ。たとえば、誰かに共感することで感じる苦痛は、心拍数や皮膚コンダクタンスの上昇などストレスに関連する反応を引き起こすのに対し、思いやりは相手をケアしたり他者志向的な注意を向けたりするため、心拍数の減少や皮膚コンダクタンスの低下を引き起こすことがわかっている」と書かれています。興味深く、まさに「共感の科学」とでも呼ぶべきものです。

 

 「ウェルビーイングを生み出すための『よい介入』とは?」では、ウェルビーイング向上のために他者が介入する際に留意すべき点として、6つの配慮に言及しています。すなわち、個別性への配慮、自律性への配慮、潜在性への配慮、共同性への配慮、親和性への配慮、持続性への配慮です。5つめの「親和性への配慮」ですが、ポジティブ感情には、交感神経系と関連する興奮を伴うポジティブ感情と、副交感神経系と関連するリラックスしたポジティブ感情があるとして、「音楽ライブや遊園地をはじめとする多くのエンターテインメントは、外から刺激を与えることで強い興奮を伴う衝動的な感情を作り出すものだ。ただし、こうした興奮によるポジティブ感情の追及には自制が必要であり、注意しないと快楽を追求し続け最終的には中毒となってしまう危険もある」と書かれています。

 

 一方、他者を気遣い、社会的な関係を育み、自分が生きる世界に意識を向けるような行動は、平穏や思いやり、愛といったリラックスした親和的な感情をもたらすものだと指摘し、「こうしたリラックスしたポジティブ感情と、前述したような興奮を伴うポジティブ感情をバランスよく提示できる介入が求められるが、ここで困難なことは、現在の社会が興奮をもたらすエンターテインメントで溢れていることである。介入においては、外部からどんどん強い刺激を与えるのではなく、自身への気づきや環境との新しい関係性の発見など、親和的な感情を抱かせる仕組みを組み込むことが望まれる」と書かれています。

 

 6つめの「持続性への配慮」については、神学者のジェームズ・カースは著書『Finite and Infinite Games(有限ゲームと無限ゲーム)』の中で、世界を、勝つことが目的の有限ゲーム(徒競走や将棋)と、続けること自体が目的の無限ゲーム(生命活動や雑談)に分類し、「有限ゲームをする人は境界内でゲームを行い、無限ゲームをする人は境界とともにゲームをする」と述べたことが紹介されます。つまり、「徒競走のような有限ゲームではルールの中で相手よりも良い成績をおさめることが重要であるが、生命活動のような無限ゲームにおいては、常に境界(自身の属性や能力、他者との関係)を発見し、更新し続けることが重要だということである。ウェルビーイングの実現にとっても大事なことは、目標設定をすることだけでなく、その過程の充実によって持続性を作り出すことなのである」というわけです。

 

 1.2 Collective Wellbeing「『わたしたち』のウェルビーイング」では、マインドフルネスとケアの研究をしている井上ウィマラ氏が登場します。井上氏に「最近ウェルビーイングだったこと」を尋ねたところ、自身の父を看取った経験だという答えを得たとして、「理由は、故人が望むかたちで死を迎えることができ、また、周囲の家族も望むかたちで看取ることができたからだという。近親者の死を受け入れることがウェルビーイングの向上につながるというのは、個人主義的な価値観からは理解することが難しいかもしれない。日本における比較的身近なこうした事例は、親しい者の死という不可避の不幸を『個(わたし)』としてではなく『共(わたしたち)』として受け入れることで、持続的なウェルビーイングにつながる可能性を示している」と書かれています。

 

 能楽師(ワキ方・下掛宝生流)の安田登氏は『古事記』の中では「死ぬ」という表現が見当たらないということを語りました。古代日本においては、大和言葉としての「しぬ」は、「しわしわ」になることであり、それは生命活動が低下した状態を意味したといいます。そして、しわしわの状態に水をかければ、また「いきいき」となると指摘し、「いつの時代であっても、親しい人間の生物学的な死は当然悲しみを伴うものであり、決して一様に論じることはできない。しかし、個人主義の認識では『死ぬのはいつでも他者』(マルセル・デュシャンの墓碑)に過ぎないのに対して、縁起的な世界においては、他者の死は自分の一部が『しわしわ』になることであると同時に、他者の一部もまた、自分のなかで『いきいき』と生き続けることにほかならない」と書かれています。

 

 「自律的な『苦労』を取り戻すために」では、ピエール・ルジャンドルやイヴァン・イリイチといった西洋の歴史家や哲学者が論じたように、「病気を治す」という思想は、問題を解決するためにシステムを制御するというテクノサイエンス主義と同根であることが指摘され、「そこから、個々人の固有性を度外視した客観的な方法が適用される。精神医療においては、日本は世界で向精神薬を多く消費する国のひとつであるが、それでも疾患が治らない人も大勢いる。『べてるの家』から始まった当事者研究(当事者自身やその家族の生活経験の蓄積をもとに生まれる自助的活動)は、自分の病理を自ら相対化し、他者と共有することで、社会生活を営む力を取り戻す作用をもっている。私たちは当事者研究の事例を読み解くなかで、健常者といわれる人々もまた、自身のウェルビーイングの当事者研究を行えばいいのではないかと考えるようになったのだ」と書かれています。

 

 哲学と宗教が人々に「よい生とは何か」という教えを処方(prescribe)するのに対して、行動心理学者は人々が経験するポジティブ、ネガティブ両方の感情の要因を調査すると考えられていますが、「ウェルビーイングを巡るテクノロジーの設計においても、下手をすれば『こうすれば幸せになることが科学的に判明しています』という情報を鵜呑みにする人をいたずらに増やしてしまいかねない。そうではなくて、個々人が、その時々の他者や環境との関係性に応じて生成変化し続けるウェルビーイングを自律的に捉えるための哲学的方法こそが必要なのだ」と書かれています。

 

 1.3 Social Wellbeing「コミュニティと公共のウェルビーイング」では、「コミュニティのあり方の変化」として、1990年代にインターネットが普及し、この30年で「コミュニティ」はどのように変わっていったのだろうかとの問題が提起され、「インターネットがつくる未来への期待は、時間と空間を超えてさまざまな人と資源がつながりあう可能性に支えられていたが、いまやLINEやFacebookといったSNSは、家族や友人、恋人とのコミュニケーションに不可欠のツールと化している。かつては顔もわからない遠く離れた人たちとつながるためのものだったインターネットが、いまでは『すでに知っている人同士の関係性を良好に保つために不可欠なもの』へとシフトしているのだ。こうした変化は、私たちの人間関係が情報通信技術に大いに依存していることを浮き彫りにもしている」と書かれています。

 

 Part 2 Wellbeing in Practice「ウェルビーイングに向けたさまざまな実践」の2.0Intoroduction「テクノロジーから『自律』するために」では、シドニー大学教授(システム・エンジニアリング)のラファエル・カルヴォが「テクノロジーを設計すること」として、「他者というファクターについていえば、利他性とVRについての興味深い研究がスタンフォード大学でありました。『街の上空を飛行しているときに、地上で困っている子どもを見かける』というストーリーをVRを使って体験してもらいます。ひとつの被験者グループには、スーパーマンのように自由に空を飛び、地上で困っている子どもを見つけたときには、子どもを助けるVR体験をしてもらいます。もうひとつの被験者グループには、ヘリコプターの乗客として街を眺め、地上の子どもを見つけても、助けられないというVR体験をしてもらいます。そのVR体験のあとに、被験者に対して話をしていた実験スタッフがわざと床にペンを落とします。このとき、ヘリコプターのVR体験者はペンを拾わない人もいましたが、スーパーマンのVR体験者は全員がペンを拾う行動に出て、ペンを拾う行動にでるまでの時間も短いという結果が得られました。これは、スーパーマンとして他人を助けるときのほうが「気分が良かった」からだと考えることができます」と述べています。

 

 また、「倫理と哲学、日本がもつ可能性」として、ラファエル・カルヴォは「いま私は、ハイデガーというドイツの哲学者が技術について考えたことを学んでいます。自律性という問題は、『人間とは何か』という問題に深くつながっているからです。哲学者というのは、その問いを考え続けてきた人たちなのだと思います。さらに日本の哲学にも触れていると、西洋と東洋では『人間』というものへの考え方、個と他者のとらえ方が大きく違うことに気づきます。もしかしたら、日本がロボット大国であることの根幹には、非生命的なものと関係性を結べる哲学があるのかもしれません。『人間の代わりに何でもやってくれるロボット』の登場が現実味を帯びつつあるいま、『人間の自律性をいかに担保するのか?』という問いを考えたときに、日本という存在は大きな意味をもってくるはずです」と述べるのでした。

 

 2.2.3「孤立を防ぎ、つながりを育む」では、認定NPO法人PIECES代表理事で東京大学医学系研究科客員研究員の小澤いぶき氏が、「子どものウェルビーイングを多角的に捉える」として、「紛争やテロ、貧困といった問題が、いま世界各国で子どもたちの生活に多大な影響を及ぼしている。そんななか、国際社会で言われ始めているのが『子どものウェルビーイング』を多角的に捉える必要性だ。たとえばユニセフは、子どものウェルビーイングを『子どもの権利の実現、およびすべての子どもがその能力、潜在的な可能性やスキルを実現する機会の達成度合い』で計るものと定義し、六分野からなる指標を総合してその達成具合を表している。なお、ヨーロッパには子どもの貧困問題を可視化するための『剥奪指標』という指標もあり、それぞれの目的に応じて活かされている。子どものウェルビーイング指標に関しては、『子どものウェルビーイング』という概念を使うことで、金銭や物質的な要素に限らない、子どもの生活に影響を及ぼしうる、教育、健康、安全、生活環境等の多様な要因の包括的な理解を促し、子どもが置かれた状況に目が向くことを目的としている」と述べます。

 

 2.3 Society「社会制度とウェルビーイング」の2.3.1「お金から食卓へ:貨幣とつながりの現在地」では、ブルー・マーリン・パートナーズ代表取締役の山口揚平氏が「文脈という価値」として、「意識の交流を増やすには、具体的に何をすればよいのだろう? そのカギは『食卓』にあると思っている。複数の人とどのくらい食を囲むかが、そのまま幸福度のKPIになる。ちなみに、ここで言う食卓は、キッチンも含んでいる。外食ではなく、作って食べるという行為が『食卓』である。食卓を囲むためには、他者との丁寧な関係構築が求められる。役割分担をしながら関わり合うコミュニティが必要なのだ。それは、コミュニケーションが対面や音声ではなく、テキストメインになっている若い世代にとっては特に難しいことだろう」と述べています。これは、わが社が開催サポートしてきた「隣人祭り」がまさに相当するのではないでしょうか? 「隣人の時代」は「ウェルビーイングの時代」なのです。

 

 また、「自らコミュニティを作れ」として、山口氏は「『孤独でないことが幸せ』という考え方は、私にはしっくりくるものだ。たとえば私はお金がなく生活が危なそうなとき、『助けてくれそうな人リスト』を持っている。いろいろなところで開示能力を発揮することによって、じわじわと味方を増やしている。これによって、家族や恋人だけではない共同体感覚がだんだんと養われてく。こうした多層的な意識の交流をさまざまな場所で展開していくことによって、安定感が増し、自分自身も情報体から意識体へと変化していく。それは、まるで自分のアイデンティティが社会の中に溶け込み、個体という意識が薄れていくような感覚である。やがて社会や世界が、自分のアイデンティティになっていくのだ」とも述べます。わたしも、まったく同意見です。

 

 2.3.3「本人による自己の個人データの活用」では、東洋大学准教授の生貝直人氏が「個人データとウェルビーイング」として、「『データは21世紀の石油である』という言葉が人口に膾灸して久しいが、AI・IoT・ビッグデータが生活環境全体を取り巻く現代において、データの活用は、企業のみならず、われわれ個々人にとっての重要性をも高め続けている。現代の情報環境では、様々な経路で集積される膨大なデータを人工知能により解析し、あらゆるサービスの基盤とすることが常態化しつつある。計測・解析された身体特性や生体反応、行動や振る舞いなどのデータから我々を理解し、よりよい状態を実現していこうとするウェルビーイングの試みも、豊かな個人データが、我々自身の意図に沿うかたちで、しかるべく活用されることが前提となるだろう」と書かれています。

 

 2.4 Japan「日本とウェルビーイング」の2.4.1「『日本的ウェルビーイング』を理解するために」では、公益財団法人Well-being for Planet Earth代表理事の石川善樹氏が「『ウェルビーイング』という言葉の語源は、『being(本質)』と『well(満足の)』だ。しかし、この『満足』をどれほどの時間軸で捉えるのかは難しい。たとえば、今日という1日の単位で考えれば、嫌なことはないに越したことはないだろう。一方で、長い人生で考えると、山あり谷ありの方が良いこともある」と述べます。また、石川氏は「第二次世界大戦後、日本経済は右肩上がりに伸びてきた。では、日本人の生活満足度・人生満足度はどうだったかというと、実は平行線だ。戦後行われてきた国民生活選好度調査によると、生活の満足度には変化はないという。『戦争』『貧困』『病気』の三大苦が大きく改善されても、意外なことに満足度への影響はなかったのだ」とも述べています。

 

 ならば、戦争のような一時的変化ではなく、100年、200年続くような本質的な3つの「変化」に注目してみようと提案し、「1つ目は『人生100年時代』だ。これまでの健康づくりは、早死にしないことに主眼が置かれていたが、100歳まで元気に生きるにはどうしたらいいのかが問われていくだろう。2つ目は、世の中のAI化が及ぼすインパクト。3つ目は、都市化だ。かつて、これほど知らない人に囲まれて生きる社会はなかった。そんな都市にいると、知っている人の元へ、つまりスマートフォンの中に逃げ込みたくなる。こうして、物理的には知らない人に囲まれ、知っている人の世界はスマートフォンの向こうにあるという不思議な構造が生まれたのだ」と、石川氏は述べています。

 

 「『理解』を理解するために」として、石川氏は「理解には3つの形態がある。1つ目は、分解して再構築すること。物事を『ロジック』で捉えるこの手法は、デカルト以来400年間続く西洋的アプローチであり、今回のコンテクストで言うならば『ウェルビーイングという捉えがたいものをどう分解するのか』という話になる。ただし、このアプローチは比較的単純な物事にしか通じない。物事が複雑になると、たとえ分解はできたとしても再構築することが難しいからである。複雑な物事を考えるときに有効なのは、物事を本質で捉える『大局観』的手法だ。これはほとんどのことをノイズとして取り除き、本質だけを理解すればよいというアプローチである。さらに、西洋的な『ロジック』に対して日本人が得意とするのは3つ目の『直観』による理解だ。つまり、『見ればわかる』というアプローチである」と述べています。

 

 「大局観」で理解するアプローチは、どうでしょうか。まずはこの手法を、狩野派が描いた『洛中洛外図』という絵画を例に考えてみようと提案し、石川氏は「京都の街を描いた本作は、橋や衣服、履き物といった各要素は非常に細かく描かれている一方、絵画全体で見ると大部分が雲で覆われている。この不思議な構図の裏にあるのは、ある種の『ごまかし』だ。日本の画家は、京都とは何たるかを要素ごとに分解して再構築することは不可能だと判断した。そこで、ビッグピクチャーとしての京都と、いくつかのディテールを描き、その間を『間』としてごまかしたのである。実は、これは物理学者がよく使う手法でもある。ビッグピクチャーとディテールの間を行き来しながら現象を理解していくと、物の見方がやがてロジックから解放されていくのだ」と述べます。

 

 さらに石川氏は、「人生とウェルビーイング」として、「人生をビッグピクチャーとして捉える」ことを提案します。人生を春夏秋冬になぞらえる昔ながらの考え方に則り、100年の人生を25年ごとのビッグピクチャーに区切るのがよいと考える石川氏は、「人生最初の25年は、肉体的に成長する『春』だ。次の25年は、精神的成長が進み、働きながら家族を扶養する『夏』。さらに、肉体的にも精神的にも成熟した『秋』になると、人生100年時代の本番がやってくる。たとえばノーベル賞受賞者を考えても、研究者たちが受賞のきっかけとなる研究を始めた年齢はおよそ40歳から50歳だと言われている。また米国で雇用を生んでいるベンチャー企業は、、社会経験もスキルも人脈も築いた50歳前後の人間が創業していることが多い。50歳までに蓄えた力を使って、本当にやりたいことを始めるのがこの秋なのだ。さらにこの時期に働いて築いたものが、『冬』である75歳以降の自分を支える基盤となる」と述べます。まったく同意見です。まさに「人生の四季」であります。

 

 2.4.2「『もたない』ことの可能性:和と能から『日本的』を考える」では、能楽師(ワキ方・下掛宝生流)の安田登氏が「日本は『和の国』と呼ばれます。この『和』は、付和雷同の『和』と同じものなのでしょうか。日本が『和の国』だと言われるのは、聖徳太子の十七条の憲法の『和を以て貴しと為す』の発言に由来するところが大きいでしょう。しかし、太子のこの発言は彼のオリジナルではありません。中国で書かれた『論語』の中にある「和を貴しと為す」の言い換えです。聖徳太子の『和を以て貴しと為す』と『論語』の『和を貴しと為す』はとても似ていますが、しかし『論語』の方は、その前に『礼の用は』という言葉が置かれ、『礼の用は和を貴しと為す』と書かれています。『和』を成立させるためには『礼』の作用が必要だというのが『論語』の考え方です」と述べています。

 

 それに対して聖徳太子は、「和」そのものが貴いというのですが、『論語』や太子の使う「和」という語は、現代日本人がイメージする「和」とは少し違うと指摘し、安田氏は「『和』の古い字形は『龢』です。これは、さまざまな音の楽器を一緒に演奏するというのが原義です。そこから、さまざまな人がさまざまな意見を出したり行動しながらも、そこに調和を見出すという意味が生まれました。しかし、皆が自由に意見を出したり行動したりすると、「おれが、おれが」となり、ややもすると混沌状態に陥りがちです。そこでそれを統制するために「礼」、すなわち秩序が必要だというのが『論語』の考え方です。それを聖徳太子は「和」そのものが大事であるという思想に変化させました。わざわざ『礼(秩序)』を導入しなくても、『わたし』を捨て、相違点よりも共通点を見出す『共話』を会話の基本とする日本人は、そこに混沌が生じるおそれはないと聖徳太子は思ったのでしょう」と述べます。

 

 「能という『不在』のシステム」として、世阿弥の完成した能や、あるいは芭蕉によって完成された俳諧のことを、高浜虚子は「極楽の文学」と呼んだことを紹介し、安田氏は「この世は見ようによって、考えようによってどこでも極楽になりうる。それは世阿弥が『何もないから、何でもありうる』という境地に至っていたことにも通じます。また、江戸時代の俳諧師たちも、世の中を「俳諧(ユーモア)」で読み直す、俳諧的生活と呼び得る人生を目指しました。これは、いわゆるポジティブシンキングとは違います。その境地に至るには禅や能の稽古、あるいは俳諧の修行などを通して、『わたし』を捨て、集合的な存在と一体化するための修行が必要です。『色即是空、空即是色』です。それによって得られることが、日本的なウェルビーイングのひとつのかたちなのではないでしょうか」と述べるのでした。

 

 2.4.3「祈りとつながり、文化財と場所」では、平等院住職の神居文彰氏が「祈りと世界のつながり」として、「仏教の因果や縁起思想が日本的なネットワークを育んだように、宗教とウェルビーイングは深く結びついています。なかでも『祈り』は非常に重要な宗教的振る舞いであり要素のひとつでしょう。かつてマルティン・ルターは神への祈りは人間と神のコミュニケーションと語っていたり、ウィリアム・ジェームズは人は祈らずにいられないから祈るのだと論じていて、一口に祈りといってもさまざまなものがありうる。雨を降らせるために祈るといったように、功利的なものもあるでしょう。ただ、わたし自身は、動作としての祈りこそがウェルビーイングにとって重要なのではと感じています」と述べています。

 

 とりわけ日本において、祈りは自分のためや身近な人のためのみにあるのではなく、自然のためや神仏のために祈ることもあると指摘し、神居氏は「この『誰かのために』という性質は日本的なものだと言えそうです。たとえば京都の比叡山で修行していた僧侶、最澄も、この精神を非常に重視していました。あなたのため、集団のため、地域のため、信じているもののため......と拡張させていって、ひいては地球や宇宙までたどり着かせる拡張感。その後この地で、法然や親鸞、日蓮や一遍など多くの宗祖が生まれていったのは、天台宗の開祖である最澄が『誰かのため』を常に実践していたからでしょう。それは強制でも自己犠牲でもなく、日本の人々は祈りを通じて精神の面でも行動の面でも他者との関わり方を見つけていくようなところがあり、日本で言霊というものが重視されるのも、言葉を伝え、誰かがそれを聞き、また他の誰かに伝えていくというように他者とのつながりに重きがおかれているからでしょう」と述べるのでした。

 

 2.4.4「『われわれとしての自己』とウェルビーイング」では、京都大学教授で人社未来形発信ユニット長の出口康夫氏が「『われわれとしての自己』のウェルビーイング」として、「ウェルビーイングの主体は、『自己』としての「われわれ」に他ならない。ウェルビーイングとは、何よりもまず『われわれ』の状態なのである。また、『われわれとしての自己』とは1個の身体行為でもある。すると、『われわれ』のウェルビーイングは何よりもまず、この行為がうまくいっていること、すなわち『行為の遂行順調性』を意味することになる。ウェルビーイングは、ここではむしろウェルゴーイング(Well-going)ないしはウェルドゥーイング(Well-doing)と呼ばれるべき事態なのである」と述べています。

 

 座談会「『私たち』のウェルビーイングに向けたプロジェクト」では、最後にドミニク・チェン氏が「他人とウェルビーイングについて話し合うだけでも多くの気づきが生まれます。対話や共話が起こり、1人では得られない気づきを得て、互いの心の充足について自律的に捉え直す、という動きが生まれることが大事なんですよね。そもそも、ウェルビーイングについて話し合うことが、ウェルビーイングにつながるのだと」と発言しています。

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「はあとぴあ」1986年春号

 

 わたしは、1986年(昭和61年)の冬に日本儀礼文化協会発行の「はあとぴあ」の編集長を引き受けることになりました。当時、わたしは早稲田大学の3年生でした。それまでの「はあとぴあ」は、礼法をはじめとして、茶道、華道、装道などの芸道や、武道や、歌舞伎などの古典芸能といった日本伝統文化を中心にした誌面づくりでした。わたしは、これらの伝統に加えて、いつもオシャレでハッピーな雑誌にしたいと考え、編集方針を一新することにしました。当時、アメリカのエグゼクティヴに"ヤッピー"というライフスタイルがブームとなっており、わたしも「はあとぴあ」の理想をわかりやすくするライフスタイルを提案しようと思い、あれこれ頭をひねったものです。

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 わたしは、"ヤッピー"のクールで斜にかまえたようなところが気にくわなかったため、ウェットでストレートな"はあとぴあん"というライフスタイルをイメージしました。それを8つに分けて発表したのが「はあとぴあん宣言」です。わたしが新編集長となって初めて変身第1号を出したのは、1986年の4月1日でした。反響は予想を上回って、たくさんのおほめの言葉を頂戴しました。「はあとぴあんのようなライフスタイルを目標としたい」という読者からのお便りが届くたびに、大いに恐縮したものです。もちろん、大学生という身分の若造がライフスタイルを語るなど100年早いのでしょうが、"はあとぴあん"は、わたし自身の理想の人生イメージの集大成でした。

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 その「はあとぴあん宣言」の最初が「1.はあとぴあんは、ウェルビーイングである」として、以下のように書いたのでした。
「ハイタッチ社会のキーワードとなるウェルビーイング(well−being)は、幸福な存在、相手を幸福にする存在の意である。ウェルビーイングは、WHO(世界保健機構)憲章における、健康の定義に由来した思想である。その定義とは、「健康とは、たんに病気や虚弱でないというだけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態」というものだが、従来、身体的健康のみが一人歩きしてきた。ところが、文明が急速に進み、社会が複雑化するにつれて、現代人は、ストレスという大問題を抱え込んだ。ストレスは精神のみならず、身体にも害を与え、社会的健康をも阻む。そこで、全く新しい心身医学という学問が、日本心身医学協会会長の池見酉次郎博士によって、提唱された。心身医学は、真の健康をめざす21世紀の医学であり、その真の健康を得た状態が、ウェルビーイングである。健康は幸福と深く関わっており、人間は健康を得ることによって、幸福になれる。ウェルビーイングは、自らが幸福であり、かつ、他人を幸福にするという人間の思想を唱ったものだ。ウェルビーイングは、新しい科学であり、新しい哲学であり、新しい宗教である。ウェルビーイング、それは、すなわち、はあとぴあんである」