No.2114 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『最後の闘魂』 アントニオ猪木著(プレジデント社)

2022.03.22

 石原慎太郎氏が逝去されて、わたしにとっての「昭和のヒーロー」は、アントニオ猪木氏だけになりました。『最後の闘魂』アントニオ猪木著(プレジデント社)を読みました。本書のカバー表紙には、トレードマークの赤いネクタイに赤いマフラー姿の著者の写真が使われ、「人生は挑戦の連続だ!」「『1ミリの非常識』の壁を超えていけ――」「猪木語録の決定版!」と書かれています。ルー・テーズ、カール・ゴッチ、アンドレ・ザ・ジャイアント、ウィレム・ルスカ、モハメド・アリ、ザ・モンスターマン、ウイリー・ウィリアムス、ショータ・チョチョシビリ、ストロング小林、大木金太郎、上田馬之助、タイガー・ジェット・シンといった幾多のライバルたちと激闘を繰り広げる写真とともに、著者の79の名言を紹介。

 著者は元プロレスラー、元参議院議員。本名、猪木寛至。1943年、神奈川県生まれ。家業は石炭問屋を営んでいたが、戦後のエネルギー需要が石炭から石油にシフトしたことを受け、1957年に一家でブラジルに移住。早朝5時からのコーヒー豆収穫を行いながら、砲丸投げ競技で頭角を現し地元大会で優勝。ブラジルで力道山にスカウトされ、1960年に日本プロレスへ入門。その後は、東京プロレス、新日本プロレスを旗揚げし、数多くの試合で活躍。1989年の参院選で当選し、初の国会議員プロレスラーとなる。1998年の現役引退後は、映画・CM出演など多方面で活躍。2010年には、日本人初のWWE「殿堂(ホール・オブ・フェーム)」に認定。2013年、参院選に再出馬し当選。2019年、政界を引退。

故石原慎太郎氏と著者

 出版社の公式HPには、以下のように紹介されています。
「天才レスラーの生涯に学ぶ、逆境に耐え、人生を前に進めるための闘魂語録! 常識を超えた発想力と、類まれなる行動力をもち、リング上でも、政界でも、多くの人々を惹きつけてきたアントニオ猪木氏の言葉には、多くの人が学ぶべき『生き方』の原点がある。混迷する今、ひたすら熱き闘魂を燃やし続けてきた男が教えてくれる『思いと情熱の磨き方』『人生の切り開き方』とは――」

 本書の「目次」は、以下の通りです。
「アントニオ猪木 スペシャル・インタビュー」
第1章 「生きる」とはなにか?
第2章 夢がなければ、夢をつくれ
第3章 勇気を持て、限界を決めるな!
第4章 プロ意識が人を大きくする
第5章 「勝負」とは勝ち負けだけではない

 本書の冒頭には、「『元気があれば、なんでもできる!』の精神で、これからも『猪木の言葉』を発信し続ける!」と題された2021年11月4日に収録された「アントニオ猪木 スペシャル・インタビュー」が掲載されています。最初にインタビュアーの「令和という新時代を迎えてもなお、人々は『アントニオ猪木の言葉』を求めて『猪木語録』に勇気をもらっています。この現状をどのように感じていますか?」という質問に対して、著者は「わたしはあまり物事を深く考えないタイプなのだけど、そのときに思いついたこと、ふとしゃべったことを、いまでもみなさんに思い出してもらっている。それは大変嬉しいことですよ。わたし自身、この何年間は病院を出たり入ったりで病気と闘っている。病院の先生もここまでの回復ぶりには驚いているけど、こうやってなんとか生き延びて、いまもみなさんに自分の言葉を発することができている。そしてその言葉をみんなが受け入れ、喜んでくれている。そう考えると、『それが自分の使命なんだ』って思うこともあるよね」と答えています。

 また、「新型コロナウイルスにより、人々の価値観は大きく変わりました。このような混迷の時代にどのように生きればいいのでしょう?」という質問に対しては、著者は「最近、ブラジルに移民した頃のことをよく思い出します。当時のブラジルはきちんとした医療体制が整っているわけでもなく、ケガをしたら自分で治すしかなかった。自然治癒力だけが頼みの綱だったわけです。そういうものが根底にあったから、『強さ』というものを獲得できた気がする。現代のような過保護な世の中でコロナウイルスが蔓延してしまったのだけど、だからこそ、人間本来の『強さ』というものが大切になってくるんじゃないのかな?」と答えます。

 さらに、「電車のなかで無差別殺人を強行する若者がいる一方、リストラにおびえて老後に不安を持つ中年、孤独を抱えている高齢者もたくさんいます。そんな現状だからこそ、『言葉の闘魂ビンタ』が必要なのでは?」というインタビュアーの発言に対して、著者は「むかしは大家族で、隣近所とのときあいも濃密でした。でもいまは、核家族があたりまえになり、隣に誰が住んでいるのかもよくわからない。そういう状況下においては、精神的な部分で問題を抱えている人が多いのだろうけど、あらためて教育を見直し、社会全体で問題解決に取り組んでいく必要がある」と答えるのでした。わたしのテーマの1つである「無縁社会」の克服について、著者がコメントしていることに驚き、かつその的確な意見に感嘆しました。以下、79ある本書の語録の中から、わたしのハートに特にヒットしたものを7つご紹介したいと思います。

花が咲こうと咲くまいと、
生きていることが花なんだ
(アントニオ猪木)

 モハメド・アリとの世紀の一戦で、著者は多大な借金を背負います。その後も著者は、何度も借金を背負うことになりましたが、「借金なんて、たいしたことねぇよ」と気持ちになれたそうです。著者は、「そう、開き直ることができたのだ。金持ちでも貧乏人でも、頭がよくても馬鹿でも、ハンサムでもそうでなくても、人間は生きているだけで花なんだ。だからけっして、自分から死を選んだりしてはいけない。逆境のなかから、わたしはそんなことを学んだ気がするのだ」と述べています。

人生は挑戦の連続である
(アントニオ猪木)

 著者の人生は「挑戦」ばかりでした。力道山にスカウトされて日本プロレス入りし、豊登に誘われて東京プロレスへ。そこから日本プロレスへ復帰するも、追放。自分で新日本プロレスを立ち上げ、モハメド・アリと対戦。政治家に転身後はイラクの人質解放に奮闘。著者は、「思い出すだけでも、いろいろなことがあった。その時々を全力で駆け抜けた結果、失ったものも当然あるけれど、それ以上に多くのものを手にした。あらためて思うよ、『人生は挑戦の連続である』って。誤解しないでほしいのは『猪木だから挑戦できた』わけじゃないということ。誰の人生も、大なり小なりの挑戦の結果、いまがあるということ。挑戦するのは怖いけれど、挑戦しない人生のほうがもっと怖いんだよ」と述べます。

死というものは素晴らしい世界だ。
みんな悲しく考え過ぎているんだよ
(アントニオ猪木)

 1987年、著者の母はブラジルで亡くなりました。危篤の報せを受けても、すぐにブラジルに行くことはできませんでした。しばらくして、母が持ち直したと連絡が入ります。著者は、「そのときのことだった。母が天女のように、実に清らかな姿で天に飛び立っていくイメージが頭に浮かんだのだ。しばらくして母は静かに逝った――。でも、わたしのなかには天女のような母の姿がハッキリと浮かんでいた。すると、不思議なことに悲しい思いがふっと消え去り、新しい世界に旅立つ母を祝福したい気持ちになったのだ。死を悲しく考え過ぎる必要はないのかもしれない」と述べています。著者の「死」に対する考え方には深く共感します。素晴らしい死生観であると思います。

みんなに勇気を与えるのが、
わたしの使命(アントニオ猪木)

 これまで多くの人々に生きるエネルギーを与えてきた著者ですが、「わたしはいつも観客からエネルギーをもらって生きてきた。闘病中の現在も、YouTubeなどを通じて、大きな力をいただいている。若い頃から、ファンに頼まれると写真撮影もサインをすることも、ときには闘魂ビンタをお見舞いすることもいとわなかった。正直にいえば、『面倒くさいな』と思うときもあったけれど、素直に写真撮影に応じることで、その人が『今日、猪木に会った』と楽しい思いで過ごすことができるのならば、それはお安い御用だ。むかしから、『情けは人の為ならず』という言葉があるが、ファンが喜んでくれれば、それは回り回ってわたしにエネルギーを与えてくれるのだと、いまでも思っている」と述べています。このファンに対する著者の行為は「サービス」などという次元を超えた「ケア」そのものであると思います。他人へのケアは、自分へのケアとなって返ってくるのです。

人ができないことをやるなんて、
夢があっていいじゃないか
(アントニオ猪木)

 著者の人生は、世間のプロレスへの偏見との闘いの連続でした。プロレス内プロレスではなく、いつも世間に届かせることを意識していた著者は、「あたりまえのことをしているだけでは誰にも響かない。だからこそわたしは、批判されようとも、あらゆる仕掛けをしてきた。柔道世界一のウィレム・ルスカやボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリがやってくるとなれば、世間から多くの注目が集まる。また、巌流島で決闘するとなれば、プロレスの枠を超えたニュースになる。プロレスという枠の外に響かせたいという気持ちが、新しい発想やいろいろなアイデアを生むきっかけとなった」と述べています。

負けなければ、人は強くなれない
(アントニオ猪木)

 本当の強さとはただ勝ち続けることだけではないという著者は、「新日本プロレス旗揚げ戦でのカール・ゴッチ戦、第1回IWGPでのハルク・ホーガン戦、はじめての東京ドームでのショータ・チョチョシビリ戦……。いずれも、わたしは敗れた。しかし、負けても闘いは終わりではない。人間は負けを知って、這い上がっていくときに本当に強くなれるものだ。リングを下りてからも人生の闘いは続く。いまは病という強大な敵と闘っているが、苦しいときこそ、負けて悔しい思いをして、這い上がってきた経験が生きてくる。敗北は失敗ではない。強さを得るために必要なものだ」と述べます。ブックがあるプロレスの勝敗は単純ではありませんが、著者が大一番で敗れた試合には大きなメッセージがあったと思います。そのメッセージこそは、「負けなければ、人は強くなれない」でした!

「闘魂」とはなにか?
それは、自分自身に打ち克つこと
(アントニオ猪木)

 「闘魂」という著者のキャッチフレーズは、力道山ゆずりです。著者は、「わたしのプロレス人生は、旅から旅への連続だった。師匠・力道山との出会いと突然の別れ。東京プロレスの旗揚げと崩壊。日本プロレス除名のどん底からの新日本プロレス旗揚げ。大物日本人との対決や世界王者たちとの異種格闘技戦、IWGP、巌流島決戦、イラクの人質解放、北朝鮮での38万人大会、国会進出……。数え上げたらキリがないくらい、無数の出来事があった」と述べるのでした。

 現在、著者は未知の病と闘っています。アミロイドという物質が全身に溜まり血液循環が悪くなる”100万人に数人”の難病です。「元気があれば何でもできる――今度は自分に言い聞かせて最強の敵と闘っています」と語る著者の姿をYouTubeなどで見ると、「猪木信者」であるわたしは泣けてきます。わたしは、著者から計り知れないほどの生命力や元気を頂戴しました。アントニオ猪木こそは、世界のプロレス史および格闘技の歴史における最大のスーパースターであると、心からリスペクトしています。いつまでもお元気でいていただきたいと心から願います。

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