No.2102 国家・政治 | 社会・コミュニティ 『SDGs――危機の時代の羅針盤』 南博・稲葉雅紀著(岩波新書)

2022.02.01

 『SDGs――危機の時代の羅針盤』南博・稲葉雅紀著(岩波新書)を読みました。共著者の南氏は1959年生まれ。東京大学法学部卒業、ケンブリッジ大学経済学修士。83年外務省入省、中国大使館、英国大使館、ジュネーブ代表部、ロシア大使館、国連代表部に勤務。2012年から15年にかけて、日本政府の首席交渉官としてSDGs交渉を担当。2017年から19年まで在東ティモール大使を経て、現在、広報外交担当日本政府代表・大使。稲葉氏は1969年生まれ。東京大学文学部卒業。2002年からNPO法人アフリカ日本協議会でエイズ、保健分野を担当。MDGs達成に向けた市民社会ネットワークを主導。2012年から市民社会としてSDGs策定に関わる。16年SDGs市民社会ネットワークを設立。現在、政策担当顧問。2016年より政府「SDgs推進円卓会議」の構成員。

本書の帯

 本書の帯にはコンパスの写真が使われ、「21世紀を生きるための知恵の宝庫」と書かれています。また、帯の裏には「COVID-19がもたらす急性的な危機は、貧困や格差・環境破壊・汚染といった慢性的危機により増幅され、ますます大きなショックをもたらすものとなっている。ここで忘れてはならないのは、SDGsは、『危機の克服』のために作られた目標だ、ということだ。(「はじめに」より)」と書かれています。

本書の帯の裏

 カバー前そでには、「地球の再生能力を超えない持続可能な世界を目指すゴールとターゲット。2030年の期限まで10年を切り、貧困や格差、環境破壊等の慢性的危機に加え、パンデミック危機の今その真価が問われている。日本政府の元交渉官とNGO代表とがSDGsの概要、交渉秘話、実践と展望を紹介する。21世紀を生き抜く知恵の宝庫がここに」と書かれています。

 本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに――危機の時代の羅針盤」
第1章 SDGsとは何か
1 持続する世界を作るための目標
2 強いられた変革
第2章 国連でのSDGs交渉
1 SDGsの起源
2 SDGsの合意まで
3 先進国と途上国との二分法を超えて
第3章 日本のSDGs
1 政府の政策
2 地域の持続可能性を見据えて
第4章 「地球一個分」の経済社会へ
1 企業を変える
2 労働と社会を変える
第5章 2030年までの
    「行動の10年」
1 SDGsサミット
2 人間(People)のゴール
3 繁栄(Prosperity)のゴール
4 地球(Planet)のゴール
5 平和(Peace)のゴール
6 パートナーシップ
  (Psrtnership)のゴール
「あとがき」
「SDGs(持続可能な開発目標)のゴールとターゲット」

 「はじめに――危機の時代の羅針盤」の冒頭は、「急性的危機と慢性的危機」として、「2019年12月に突然出現した「新型コロナウイルス感染症」(COVID-19)は、その後数カ月の間に、ヨーロッパ、北米を席巻し、さらにイラン、トルコ、中南米などにも飛び火して、瞬く間に世界を変えた。数カ月で数千万人が感染し、数十万人を死に至らしめる破壊的なパンデミックに直面して、これまで国境を越えて『つながる』ことに信を置いていた現代世界は立ちどころに国境を閉ざした」と書きだされています。

 世界のほとんどの国で、人間は「家にいる」ことを推奨され、人と人との関係は、インターネットを介したバーチャルなものへと移行させられたとして、本書には「3月以降にとられた『社会的・物理的距離』戦略に基づく強制的な『外出制限措置』は、その中でなんとか見いだされてきた、人間社会・経済とCOVID-19の『平衡・均衡』のプロセスへと移行してきたが、今後少なくとも数年間、人類はCOVID-19との共存を余儀なくされることとなっている」と書かれています。

 SDGsはそもそも、国内外で拡大する貧困と格差、「地球の限界」がもたらした気候変動や生物多様性の喪失など、ここ数十年の間に人類に破局的状況をもたらしかねない慢性的危機に対して、2030年という年限を切り、17のゴールと169のターゲット、232の指標を示して「持続可能な社会・経済・環境」に移行することによって、これを克服することを目的とするものです。しかし、本書には「COVID-19登場以前に人類をとらえてきた慢性的危機に対する意識は、COVID-19がもたらしたショックによって少なくとも、一時的には、忘却の危機にさらされた」と書かれています。

 COVID-19の有無にかかわらず、慢性的危機は存在し、深化していると指摘し、本書には「人類はいま、COVID-19と様々な慢性的危機の双方に同時に直面している。実際には、COVID-19がもたらす急性的な危機は、貧困や格差・環境破壊・汚染といった慢性的危機により増幅され、ますます大きなショックをもたらすものとなっている。ここで忘れてはならないのは、SDGsは、『危機の克服』のために作られた目標だ、ということだ。実は、SDGsがその序文や宣言、目標、実施手段、フォローアップとレビューという各パートで掲げる原則や方法は、COVID-19がもたらしている急性的危機を克服へと導く処方箋としての価値を持っているのである」と書かれています。

 第1章「SDGsとは何か」では、「脆弱性を抱えた社会」として、「『持続不能』をもたらすものは、『地球の限界』だけではない。SDGsの根幹をなすもう1本の柱は、『貧困や格差の解消』であるが、これは『持続不能な世界を、持続可能な世界に変える』という課題と矛盾しない。というのは、『貧困』と『格差』は、人類社会が手にしている資源の配分が、きわめて不公正かつ不均等、非効率に行われているということの証左だからである。SDGsは『貧困・格差の是正』を柱の1つにすることで、現代の人類社会における資源の分配が公正かつ均等、効率的に行われるようにすることを目指しているわけである」と書かれています。

 不公正と、国境を越えた欲望の生々しい力によって、資源が不均等、非効率に配分されている社会は、気候変動などの「地球の限界」に関わる危機や、急性感染症などその他のグローバルな危機に対して、弾力性や回復力が十分にない、脆弱性を抱えた社会であるとして、「逆に、社会の側で、分配の不公正を解消し、より公正、均等、効率的に資源配分が行われるようになれば、気候変動をはじめとする危機への耐性もつき、レジリエンス、即ち、弾力性と回復力をもって、危機への対応をすることができる。持続可能な社会を作る前提として、まず、貧困・格差をできる限りなくし、分配の不公正を排除して、資源配分において失敗がない社会を形作ろう、それでこそ、持続不能性の危機に対して、弾力性をもって対応できる……これは、SDGsの示す包摂的・統合的な考え方の一端である」と書かれています。

 「コースから外れている」として、わたしたちは今ますます、のっぴきならないところまで追い込まれていると指摘し、「SDGsの『変革の旅』には、もはや他の選択肢はない。やめることも、後戻りすることもできない。SDGsという羅針盤を手に、『地球1個分』の人類社会の実現、将来世代の可能性を摘まない社会・経済・環境の実現を目指して、足取りを加速化させていくよりほかには、将来世代はおろか、十数年後を生きる現役世代の未来もおぼつかないのである」とも書かれています。

 第4章「『地球一個分』の経済社会へ」の「1 企業を変える」では、「企業の社会的責任(CSR)をめぐるせめぎあい」として、企業とステークホルダーのせめぎあいは、資本主義経済の歴史を通じて存在してきたと指摘し、「私たちは、日本の近代史の中から、その事例をいくつも容易に見つけ出すことができる。栃木県北部の足尾銅山から鉱毒を流し続けた古河財閥に対する、田中正造を指導者とする渡良瀬川流域の農民の闘いは、日本の資本主義経済の初期における、このせめぎあいの事例である。戦後の高度経済成長期には、水俣病をはじめとして、全国で企業が引き起こした多くの公害や環境破壊に対して、裁判闘争を含め、多くの社会運動が展開された」と書かれています。

 90年代初頭の冷戦の終結以降、企業とステークホルダーの関係の在り方は、特に環境問題や国際保健の問題を通じて、大きく展開することとなったとして、「そのベースとなったのが、『企業の社会的責任』(CSR Corporate Social Responsibility)という考え方である。途上国におけるエイズ治療薬へのアクセスの課題は、CSRが促した変革の実例ということができる」と書かれています。

 その後、リーマン・ショックを経て、SDGsに至るプロセスの中で、CSRを代替する概念として、ハーバード大学のマイケル・ポーター教授が提唱する「共通価値の創造」(CSV Creating Shared Value)が登場し、また、SRIを代替する概念として、「ESG投資」(環境・社会・ガバナンス投資)が登場したことが紹介されます。しかし、この概念進化は、必ずしも、企業の変化に向けたさらなる前進につながったわけではないとして、「CSRで設定された『責任』概念は、CSVによって恣意的な『価値創造』概念に代替されてしまったのである」と書かれています。

 一方、SRIがESG投資へと変化したことは、E(環境)、S(社会)、G(ガバナンス)に関わる非財務的要素に関する指標化という具体的な前進につながりました。しかし、社会的責任は環境・社会・ガバナンスだけに帰せられるものではないとして、「しかも日本では、気候変動など環境問題についての認識は高いものの、社会およびガバナンスについての企業の意識形成は立ち遅れている」とも書かれています。

 「2 労働と社会を変える」では、「社会の公共性を防衛する」として、「企業は利潤というインセンティブを通じて、事業を通じて外部社会に働きかけ、サプライチェーンを作り、社会を編成していく。一方、労働組合は、企業で働く正社員の賃上げや労働環境の改善を通じて、労働分配率を上げ、企業利益の社会への還元を促進する。これはSDGsの目的に合致する。しかし、それだけでは『地球1.69個分』の人類社会を『地球1個分』に変えることは難しい。さらに、この人類社会の持続不能性をもたらしているのは、企業を中心とする生産・流通・消費の総体なのである。労働組合が、企業に伍してSDGs達成のための主人公となっていくには、SDGsを自らの価値観として取り込み、未組織・非正規労働者、外国人労働者、そして外の広い世界に向けて、その活動を開いていくことが不可欠だと言える」

 第5章「2030年までの『行動の10年』」の「5 平和(Peace)のゴール」では、「国内外で多発する子どもへの暴力」として、「日本においては、2019年に全国の警察が摘発した児童虐待事件は1972件、被害を受けた子どもは1991人にのぼっており、その数は毎年増えている。そして死者は54人であった。要するに、毎週1人の子どもが虐待により亡くなっているということである」と書かれています。

 また、2018年度に日本国内の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は15万9850件にものぼると紹介され、「この相談件数も、統計を取り始めた1990年度以来毎年記録を更新しているのはよく知られているところである。このような日本国内の認識の高まりを受けて、2019年に児童虐待防止法が改正され(施行は2020年4月)、親権者が子どものしつけに際して体罰を加えることが禁止された。これなどは関係者のこれまでのたゆまぬ努力の結果であろう」と書かれています。

 「6 パートナーシップ(Partnership)のゴール」では、「SDGsが持つ、つながった人々の力」として、「SDGsには、危機を突破し、それを『持続可能な社会』に向けた変革につなげていくだけの力がある。その力の源泉は、その包摂性と参加型民主主義によって、いままでつながったことのない人々をつなげていくところ、つながった人々の力を新しいエンジンにして行けるところにこそある。COVID-19の急性的危機のさなかでこそ、SDGsが持つ、この力にこそ信を置きたい」と書かれるのでした。

「西日本新聞」2021年12月7日朝刊

 わが社は、社会貢献活動として、子ども食堂の運営などとともに、児童養護施設の入居者への七五三や成人式の晴れ着の無償提供を行っています。じつは、わたしは冠婚葬祭こそはSDGsであると考えています。SDGsとは要するに社会を持続させるために必要なことを実行するということ。そして、冠婚葬祭互助会は社会を持続させるシステムそのものであると考えます。結婚式は、夫婦を生み、子どもを産むことによって人口を維持する結婚を根底から支える儀式です。一方で葬儀は、儀式とグリーフケアによって死別の悲嘆によるうつ、自死などの負の連鎖を防ぐ儀式です。冠婚業も葬祭業も単なるサービス業ではありません。社会を安定させ、人類を存続させる文化装置です。

「西日本新聞」2021年12月8日朝刊

 そして、互助会の根本理念である「相互扶助」は、社会の持続性により深く関わります。貧困ゆえに入浴の習慣を知らない小学生がいるという。また、一日に一回しか食事ができない子どもがいるという。その事実を知り、「なんとかしなければ!」と強く思いました。SDGsは環境問題だけではありません。人権問題・貧困問題・児童虐待……すべての問題は根が繋がっています。そういう考え方に立つのがSDGsであるわけです。その意味で入浴ができない、あるいは満足な食事ができないようなお子さんに対して、見て見ぬふりはできません。「相互扶助」をコンセプトとする互助会こそはソーシャルビジネスであるべきです。

「毎日新聞」2022年1月17日朝刊

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