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死生論』

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No.2104


 『死生論』曽野綾子著(産経新聞出版)を読みました。著者は1931年、東京生まれ。幼少時より、カトリック教育を受ける。53年、作家三浦朱門と結婚。54年、聖心女子大学英文科卒業。79年、ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章受章。93年、恩賜賞・日本藝術院賞受賞。97年、海外邦人宣教者活動援助後援会代表として吉川英治文化賞ならびに読売国際協力賞を受賞。98年、財界賞特別賞を受賞。2012年、菊池寛賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長を務める。日本藝術院会員。2012年まで海外邦人宣教者活動援助後援会代表。日本文藝家協会理事。2009年10月から2013年6月まで日本郵政株式会社社外取締役。著書に『無名碑』(講談社)、『天上の青』(毎日新聞社)、『哀歌』(毎日新聞社)、『老いの才覚』(ベストセラーズ)、『人生の収穫』(河出書房新社)、『人間の愚かさについて』(新潮社)、『人間の分際』(幻冬舎)、『私の危険な本音』(青志社)、『夫の後始末』(講談社)、『納得して死ぬという人間の務めについて』(KADOKAWA)など多数。

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本書の帯

 

 本書の帯には著者の顔写真とともに、「人間が生きて死ぬということ」人間には自分が本来果たすべきだった任務を果たして死ぬという大きな使命がある筈だ。私にも、いつも私がやるべきだと思われることがあった」「日常の幸福があふれ出す珠玉の言葉」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

 帯の裏には、「死を自覚してこそ自由になれる」人間が平等であるということは、すべての人に死が一回ずつ必ず与えられていることによって納得できる。その代わり二回死ぬ人もない。死ぬ運命を見極めると、逆にしたいことがはっきり見える。どうでもいいこともわかる。だから時間をむだにしない」と書かれています。

 

 カバー前そでには、「昭和も見送った。平成の終わりも眺められるかもしれない。日本は、こんな平凡で偉大な幸福を、私という1人の人間に与えてくれた。――曽野綾子」と書かれています。ちなみに、本書の初版は平静31年2月9日に刊行されています。

 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「まえがき」

1/途方もない解放

2/人間の弱さといとおしさ

3/「不便さ」の効用

4/善良で最悪な社会

5/どこまでが「ひとごと」か

6/スローモーションの生き方

7/危機に学ぶ

8/職業に適した年齢

 

 1「途方もない解放」の「死を自覚してこそ自由になれる」では、著者は「私はカトリックの学校に育ち、子供の時から毎日死ぬ日のために祈った。人生はその誕生の日から、モータル(死ぬ運命)にあることを子供の時から教えられる、ということは実に贅沢な教育だったそれでこそ、初めて自分の人生の日々をどう使うか、という計画もできるし、生命の維持のために手を貸してくれるあらゆる人の行動に深い感謝の気持ちも持てる。人間が平等であるということは、すべての人に死が1回ずつ必ず与えられていることによって納得できる。その代わり2回死ぬ人もない。死ぬ運命を見極めると、逆にしたいことがはっきり見える。どうでもいいこともわかる。だから時間をむだにしない」と述べています。

 

 「『始末』という言葉を考える」では、夫であった三浦朱門が91歳で亡くなったので、著者も自分の命を後5年前後と、仮に計算することにしたことが明かされます。すると後片付けにちょうどいい年月だったとして、「その間、私は一切の新しい連載を止め、書きかけだの、連載をしたままで、まだこまかい手入れもしていない本の原稿があるなら、その整理をして、本にしてくださるという出版社があればその方の手に渡し、焼くべき手紙や原稿は焼き、秘書には新しい仕事を探してもらう。こんな仕事にも5年は軽くかかる」と述べます。

 

 著者は、『舞踏会の手帖』というフランス映画に言及します。1937年公開のモノクロ映画ですが、「うろ覚えの部分もあるが、社交界にデビューした初めての晩にワルツを踊ってくれた数人の青年を、何十年か後に訪ねて歩く女性の物語である。私の探し人の相手は、初めてダンスを踊ってくれた人ではない。『人生で会ってお世話になった人たち』を探すものだ。一言お礼を言うためなのである。したがってそれは恋の行く先を確かめるものではないが、それよりもしかするともっと重い人間的な意味を持つものかもしれない」と述べます。

 

 「始末」という言葉を、著者も実に恐れげもなく使ってたとして、「しかし始めと終わりの意味で括られた一語で、人生の重さと変化をかくも明確に言い表している言葉に、私の知る限りのほんの少数の外国語の単語では、まだ出会ったことがない。日本語の字引では、『始末』は捨てることの意味でとりあげられている場合が多いが、始めがあったからこそ終わりにも巡り会ったのだ」と述べるのでした。

 

 「病人の見舞いは誰の仕事か」では、病人の見舞いは、キリスト教的に言っても大きな仕事とされていると指摘し、著者は「神は弱い者に目をかける行為を、実は『自分のためにしてくれたことだ』と言われた。世間は健康な者、将来もなお俗世の権力を持ちそうな人だけに注目する。病人、高齢者などは、問題にされない、とはっきり口に出して言う人もいる。しかし病人の見舞いは、最高に人間的な務めだ、と修道会は、創設の時から規定していた」と述べています。

 

 「人の不幸の形は意外とよく似ている」では、アウシュビッツの囚人たちが、もともと足りたことのない食事用のパンのかけらをほんの少し残しておいて、わずかでも空腹をやわらげるために眠る直前に食べたという逸話は今でも胸を打つとして、「子供には、一度食事なしで寝る体験をさせた方がいい。それで子供たちの心も大人になる。ありがたいことに、人生には病苦や貧困があるから、私たちも他人と部分的にだが苦痛を共有することができる。そうでなければ、貧困でもなく病弱でもない人は、苦しみを知らないまま、ついに『心からの同情をもつ』という人間の高貴さを認識せずに人生を終えることになる」と述べています。

 

 「天与の『芽』に従うのが人生」では、人間は自分の選択とは別に、男女どちらかの性を受けて生まれ、親の仕事によって、居住地も決まるとして、著者は「それはいわば、神仏が命じた生き方で、当人の責任ではない。私は神仏とお話ししたことはないのだが、自分の一生の受容は、個人の素質と運命に殉じることの自然さから始まる、と思う。最初から、神仏の部分を当てにするのも間違いだが、人力では及ばない運命の開け方があるのも本当だ」と述べます。

 

 2「人間の弱さといとおしさ」の「『ミッション・コンプリート』とともに」では、著者は「戦争を賛美するつもりはいささかもないが、人間が自分の生涯の意味を深く考えるのは、戦争に巻き込まれた時と、大病の時だけなのかもしれない。小人数の特殊部隊が、目的を果たして基地に帰投した場面で、最後の場面はたった二つの言葉で締めくくられていた。「ミッション・コンプリート」(任務完了)という意味だ。私はこの簡潔な表現に思いがけず感動した。私が死んだ時、誰かが私の胸の上に、手書きで書いたこの言葉を載せてくれないか、と思う。人間の任務は、キリスト教の私から言うと、神から与えられた任務だ。どんなに小さなものでも、汚れたものでもいい。神からの命令はどれも重く、深い意味がある」と述べています。「ミッション・コンプリート」とは素晴らしい言葉ですが、M&A(ミッション&アンビション)の重要性を説くわたしとしては、「アンビション・コンプリート」という言葉も提唱したいです。

 

 「死に際はもっと、もっと上手に片づけられる」では、物が多いのは、要るものと要らないものとの仕分けができていないからだとして、著者は「私は昔より少しそれがうまくなった、と思ってはいる。死に際になったら、もっと瞬時にそれができるようになる筈だ。ならなくても、すべては要らないものになる、ということがわかる。人間に生きる時間が与えられているということは、そんな単純なことさえまだわかっていないからだ。だから自殺はいけない」と述べます。「なぜ、自殺をしてはいけないのか」という人間が生きる上での根源的な問いに対する見事な答えの1つであると思います。

 

 3「『不便さ』の効用」の「貧しさが培った日本人の心理」では、1つの国家の強みというものは、人々の生活の営みが単一ではないことだとして、著者は「工場で、直接の生産に従事している人も大切だが、哲学や心理学、宗教学や音楽を学ぶ層もいないと、国家の構造は強靱なものにならない。また精密な近代工業の背後には、長い年月、手工芸で職人として働いてきた人々の、精密な仕事に対する執着も要る。日本は幸運なことに、水と土と木しか産しない貧しい国だったので、そのあらゆる面に人材が配合され、歴史的に『働き続けられる心理』の伝承がなされた」と述べます。

 

 本書の中には、「?」と思える箇所もありました。
 「大切なものは『当たり前』の中に」では、長く生きてきて私がわかったことは本当に小さなことだとして、「日々、家族や身近な知人が健康に穏やかに暮らせることは偉大なことなのだ。大志が家庭を暗くするようだったら、私は卑怯者だから、大志などさっさと捨ててしまう。人を愛する、ということは、身近な存在から愛することだ、と昔カトリックの学校にいたときに教えられた。だから途上国援助も大切だが、順序としては、家族や友人から幸福にすることなのだ」と述べています。わたしは、『アンビショナリー・カンパニー』(現代書林)という本を書いたように、人が生きる上で「アンビション」(大志)ほど大切なものはないと考えています。これは、著者のようなキリスト教徒と、わたしのような儒教に学ぶ者との価値観の相違、あるいは男女間の違いかもしれません。

 

 4「善良で最悪な社会」の「たかが、勝ち負けではないか」では、世の中に要らない職業は1つもないとして、「総理大臣も大切だろうが、最も小さな立場を守る人は、ある意味でもっと大切だ。総理大臣は数日欠員のままでも国は動くだろうが、病棟の清掃に従事する人たちが消えたら、社会にはすぐに感染症が蔓延するだろう。しかし総理大臣でない人は、お酒でも飲むと『オレなんかたかがサラリーマンで』などと言っているかもしれない。私は『嘘をつくことを仕事にするたかが小説家の言うことですからね。全く気になさらなくていいんですよ』と言っている。自分の存在、やっている仕事をすべて『たかが』と思えるかどうかが大切なのだ。現実には、世間に大して影響力を持たない文章を書いている私でさえ、仕事の時には現在私の持っている総力をあげようとしている。だから微熱があったらもういい文章は書けない、と思い込んでいる」と述べています。これも異論あり。世の中には「ブルシット・ジョブ」(クソどうでもいい仕事)と呼ばれる仕事が確実に存在しますし、自分の仕事を「たかが」などと思わずに、世の中にとって必要な仕事だと誇りを持つことは非常に大切なことではないでしょうか。

 

 5「どこまでが『ひとごと』か」の「『共に仕事をする』ことの大事」では、人間には大切なことを決める時、相手を慰める時、共にお茶や食事をすることは大事な行為であり、別にご馳走はいらないとして、著者は「南米で、貧しい結核の患者が世間復帰をする直前に集まって生活する施設では、食事の時、施設長の神父の近くに一人分の空席があった。偉い人が来るので取ってあるのかと思っていたが、実はそれは、突然宿もなく食べ物を買うお金もない人が来た時、気兼ねさせずに着かせて食事をさせるための空席なのだという。座る人のいないその席は、毎食用意され『神の席』と呼ばれていた。見えない神が席に着いているのである。世界中には、美しい人の心があちこちにあった」と述べます。これは素敵な話ですね。

 

 6「スローモーションの生き方」の「皇居の森と都市の美」では、東京の中心に位置する皇居の森について言及し、著者は「東京ほど、森の多い首都はない、と言っていた人がいたが、それがこの広大な皇居の自然林のことだったのだろう。森の中には、狸もハクビシンも、町から逃れた野猫もいる。陛下は、昔からそこに生えていた樹木を大切になさって、明治以来入ってきた新種をまぜないようにしておられる、という。陛下は森の守り手でいらっしゃるのだ」と述べています。

 

 また、上皇ご夫妻が天皇・皇后だったときに、著者は「両陛下は、今までこの深い森の中で、賢所の祭祀を守られ、日本人の幸福と不幸を、共有してくださった。これからもそのお心は変わらないだろう。しかしご退位以降は、森の周囲にある町にも、気楽に足を伸ばしていただきたい、と私は願っている。国民と苦楽を共にするというご決意のもとに、上皇・上皇后両陛下として、直に銀座、浅草、新宿、池袋などに集まる人たちの哀楽を知っていただくのは、「民の竈」以来の皇室の姿勢にも適う、と思う。東京の夕景は、(厳密には2次林だというが)原始に近い皇居の森と、人間が働いて人工の極致まで細部を追求した都市の美とが、信じられないほどの壮麗さでうまく混じり合った光景だった。外国人もこの姿を見たら驚くだろう。それは日本人が歴史のどの部分も取り落とさなかった証拠なのだ」と述べます。

 

 8「職業に適した年齢」の私が裁判員制度に反対した理由」では、民主主義時代には、誰でもが、何でもできるような錯覚を持つと指摘し、著者は「もちろん周囲の励ましを受けて、長年その仕事を続ける決意があれば、どのような家のどのような育ち方をした人にでも、あらゆる道は開けている。しかし私は、司法試験を通るまでの厳しい道を進んでいる青年たちを知っていたから、素人が専門家の世界に簡単にしゃしゃり出てはいけない、と思っていたのである誰でも、学歴はなくても、長い年月の研鑽を続ければ、それは可能だ。長い研鑽には、一夜漬けでは追いつかない意味がある。小説は誰にでも書けるが、プロとして書いて行くには、やはり長年の心身の鍛練は要るだろう。専門家や『職人』と呼ばれる人たちの到達した地点を、私は昔から、深く尊敬してきた。彼らが生きてきた年月の重みを、簡単に考えてはいけないのである」と述べています。

 

 「順調を羨むことはない」では、著者は「貧乏も、病気も、家庭の不幸も、天災も、すべてその人の資質を伸ばすのには役に立つ。経済的に安定した平和な家庭で、穏やかに成長することの方がいいに決まっているが、必ずしも順調を羨むこともない」と述べます。また、「世の中を動かしているのは二番以下の人たち」では、「すべての人にとって、社会が望んだ仕事はあるはずだ。英語では、「職業」という単語は普通『プロフェッション』というのだが、ほんとうは『ヴォケイション』という言葉を使うべきなのである。これは単に『仕事』という意味よりも『天職、召命、使命感』というような意味である。つまり自分しかできない仕事が、人生にはある、ということなのだ」と述べています。

 

 「自分一人で歩くことが可能な人生」では、かの悪名高い「はれのひ」事件が取り上げられます。著者は、「着物をレンタルする『はれのひ』なる業者の一種の詐欺事件を見ていると、成人式の主な目的が晴れ着を着ることにあったお嬢さんたちがたくさんいたようだ。20歳にもなったら、もう七五三の時のような幼稚な楽しみはやめて、人間としての自分を一人で創る人生に目的を切りかえた方がいい。晴れ着がどうしてもほしかったら、前々からアルバイトをして百万円貯めて自分で買う方がいい。卒業の日までにするべきことは、一生続けてもいい好きな道を明確にすることだ。好きなことのない人は、ろくな人生を歩けない。それは学校を出た時、パートナーが見つからなくても、自分一人で歩くことの可能な人生を始めるためだ。そして卒業の日から一人で最初の一歩を歩きだす。それが成人の日に用意する仕事だ」と書いているのですが、この考えはまったく理解できません。というか、間違っていると思います。

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「西日本新聞」2021年12月7日朝刊

 

 成人式に晴れ着が着たいというのは日本人女性の自然な欲求であり、何ら恥じるものではありません。それどころか、晴れ着という日本の衣装文化、ひいては冠婚葬祭という文化体系を継承する素晴らしい営みであると思います。わが社では、経済的な理由などで晴れ着を着られないお子どさんたちを支援するべく、北九州市内の児童養護施設の入所者を対象に、七五三や成人式の晴れ着を無償でレンタルするなどのサービスを始めました。昨年12月4日には来月成人式を迎える女性2人が振り袖を試着し、「成人式当日が今から楽しみ」と喜んでいました。この日、わが社の松柏園ホテルでは、市内の児童養護施設に入所する新成人の女性2人がスタッフと相談しながら振り袖を選んで試着。わが社のプレゼントがなければ晴れ着を着られなかったという女性は「一生に一度の日に、かわいい衣装を着られるようになってうれしい」と笑顔でした。それを聞いたわたしは、「本当に良かった」と思いました。著者はカトリックの信者としての信仰心はあるのでしょうが、日本文化の素晴らしさや日本人の心理にまでは理解が及んでいないようですね。