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死という最後の未来』

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No.2103


 元東京都知事で作家の石原慎太郎氏が亡くなられました。ご冥福を心よりお祈りいたします。『死という最後の未来』石原慎太郎&曽野綾子著(幻冬舎)をご紹介します。石原氏が作家の曽野綾子氏と「死」をテーマに語り合った対談本ですが、ブログ「石原慎太郎、逝く!!」に書いたように、この記事は前々から2月2日0時に予約投稿していました。1日に石原氏の訃報に接し、あまりの不思議な偶然に、わたしは呆然としております。

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本書の帯

 

 カバー表紙には両者の写真が使われ、帯には「キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。対極の死生観をもつふたりが『死』について赤裸々に語る」「死に向き合うことで見える、人が生きる意味」「続々、重版!」とあります。

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本書の帯の裏

 

 帯の裏には、「病はある日、突然になるもの」「老衰は死に向かっての『生育』」「親しい仲間がばたばた死んでいくのは、つらい」「誰もが『死』について学んだほうがいい」「人の死でわかる、人間の業」「霊魂は存在するのか」「眼に見えない何か、はある」「コロナ禍にどう向き合うか」「悲しみは人生を深くしてくれる」とあります。

 

 アマゾンの内容紹介は、「歳はひとつ違い、家も近所で、昔からの友人。だが会う機会は多くはなかったという石原氏と曽野氏。そんなふたりが『人は死んだらどうなるのか』『目に見えない何か、はある』『コロナは単なる惨禍か警告か』『悲しみは人生を深くしてくれる』等々、老いや死、人生について語り合う。老境のふたりにとっての孤独や絶望、諦観や悲しみ、そして希望とは」とあります。

 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」石原慎太郎

第一章 他人の死と自分の死

第二章 「死」をどう捉えるか

第三章 「老い」に希望はあるのか

「おわりに」曽野綾子

 

 「はじめに」の冒頭を、石原慎太郎氏は「人間80歳を超すと誰でも紛れもなく迫ってくる『死』について予感したり考えたりします。物書きのように想像力に頼って生計を立てている人間ならば、一層我々にとって最後の『未知』、最後の『未来』である『死』について考えぬ訳にはいきません」と書きだしています。最後には、「死は誰にとっても不可避な事柄ですが、それに背を向けたり、ことさら目を逸らしたりすることは逆に残された人生を惨めに押し込めることになりかねません。老いてこその生き甲斐を積極的に求め、自ら作り出すことこそが晩節を彩る術だと改めて思います」と述べます。

 

 第一章「他人の死と自分の死」の「老衰は死に向かっての『生育』」で、石原氏は「ジャンケレヴィッチっていう、ソルボンヌ大学の倫理学担当教授が書いた『死』という本があって、いつも机の上に置いてあるんです。愛読書なんだけど、今のところこの本がいちばん死について詳しい。あらゆる角度から分析していて、面白いんです。『死は人間にとって最後の『未知』である、老衰は死に向かっての生育だ』という一節があって、僕はその示唆にいたく感激したんですよ。ただ、現実に自分の体の自由がきかなくなって衰え始めたら、生育なんて暢気なことを言っていられないと感じ始めた。老いの先には必ず死がある。だから正直、今、非常に混乱し、狼狽しています」と述べます。

 

 「誰もが『死』について学んだほうがいい」では、曽野綾子氏が「死はヘンなことでも不幸なことでもないですし、知れば面白いし、糧になります。たとえばですけれど、ヨーロッパのキリスト教の寺院は、いわば大きな墓場でもあるんです。実際に地下や壁には音楽家や文学者や......いろいろな人が眠っている。そこで結婚式や赤ん坊の洗礼式も行われる。でも日本では、死にまつわる行事と祝いの行事を、同じ場所で行うことはないですよね。縁起でもないと言われてしまう。でも、この考え方が日本人から死を学ぶ機会を奪ってきたように私は思うんです。死を遠ざけてしまって、あたかも訪れないものとして扱ってきた」と述べます。

 

 また、曽野氏と石原氏は死生観について語り合います。
曽野 私の中に、人は常に最後の日を考えて生きねばならないという思いがあるんです。死という逃れられないものがあって、でもその時が来るまで、与えられている生涯をどれほど自分の自由に使えるかということ、人には生きて、果たさねばならない義務があるということ、そういったことを、小さいうちから教えていくということですね。決して内向きな教えではありません。
石原 そういう明るい希望の方向へと導いたり、教えたりできるかどうかですね。非常に難しい気がするがね。
曽野 難しくはないと思います。私にしてみれば、死んだら終わりと思っている人は、ある意味、怖い。お金が欲しいから泥棒をするとか、癪に障るから人殺しをするとか、放火するとか。自分の欲望のまま実行してしまうということが、私にはよくわからない。死について学べば、少なくとも、こういう考えには及ばないんですよ。

 

 「人間には死ぬべき時がある」では、曽野氏が「私は、人にはたぶん死ぬべき時があると思っているんです。当人ではなくて、周りの人間でもなくて、神様が司っていることというか。だからそれに従うほうがいいと思っています。病人が水を飲みたいと言えば飲ませてあげる、食べたいものがあれば用意してあげる、その人が望む状態を叶えてあげる、そういう自然の範囲でいいと思うんです」と言います。一方の石原氏は、「裕次郎が最期を迎えようとしていた時は夏が間近でしてね、病院近くの神宮のプールに若者たちが溢れているのが見えるんです。僕らふたりにとって、夏はとりわけ関わりの深い季節だったのに、遠い世界だな......と感じた。そんなことを感じたのは初めてでした。その若者たちを眺めながら、彼らは死なんて感じたこともないだろう、明るい未来だけがあるだろう、と。けれど、それを妬ましいとか不条理とか思わなかった。ただ、弟だけが死んでいくのだなと。何とも不思議な時間でした」と述べます。このエピソードは、石原氏の『弟』にも書かれています。

 

 「死の床で思い出すだろう光景」では、以下のような対話が展開されます。
曽野 砂漠では人間の小ささを感じますが、その小ささこそが自由です。無数の星が光る夜空も現世の光景ではないみたいで、あれを見たら死んでもいいとさえ思いましたね。私の友達のシスターが何人かアフリカに渡っているんですが、もうほとんど死んでしまっていて、彼女たちの亡骸は、その地の土に埋められているんです。大自然の天蓋のような星空を見て、彼女たちの一生はよかったんだろうと思えた。
石原 星空は、海の上から見てもすごいですよ。ある夏の夜に、沖縄からトカラ列島を北上していたんですが、その最中に風で雲が吹き払われて、満天の星が現れたことがあってね。満天の星というのは、こういうものかと。とにかく手でつかめるくらい星が見えたんです。甲板で波に揺られて眺めながら、無限の宇宙というのや、人間という存在とは何かを思わされましたね。その儚さや尊さ......なんかをね。
曽野 そうでしょうね。月もです。満月を見ました。
石原 月か。月もいいですね。
曽野 北部の大砂丘地帯で野営をした時、静まりかえった砂漠で満月を見られるという幸運に遭遇したわけです。月はね、柿の実のような色をしていて、この世の光景とは思えなかった。ノートに「満月の夜、砂漠は海底になり、人間はみな魚になる」と書いています。その晩は月の光の下で眠りました、と言いたいところだけど、目をつぶっても眩しくて眠れないんです。自分がいつの日か死の床に就いた時、思い出すのはあの光景だろうと思います。

 

 第二章「『死』をどう捉えるか」の冒頭にある「人は死んだらどうなるのか」では、以下のような会話が繰り広げられます。
石原 こうも死というものが近く感じられる年齢になると、僕のような人間は、余計にその実体を知りたくなるんです。死ぬ時は意識が失せるわけだから、結局、何もかもがわからなくなって、捉えられない。そういう怖さと悔しさのようなものがありますね。
曽野 それはそれでよいと、私は思いますよ。
石原 キリスト教では、死んだあとにどうなるのですか?
曽野 命は続くらしいです。その生き方によって、報われるということになっています。現世での生き方によって、天国に行く人と地獄に行く人とに仕分けられるんだそうです。

 

 「お釈迦様は輪廻転生があるなどとは言っていない」では、石原氏が「仏教での来世は平安時代末期に浄土宗の法然が、人々の恐怖を救うために言い出したんです。極楽というものがあって、南無阿弥陀仏と唱えれば救われると。今でいえば一種のセールス。釈迦自身は、来世とか輪廻転生とか、天国とか地獄などとはひとことも言っていないんです。だから僕は、死は『最後の未知』だと思っていて、何とかそれを知りたいわけです」と述べます。

 

 また、いわゆる臨死体験について、石原氏は弟の裕次郎氏が大手術をした1週間ほど後に、「どこかの川原で、時代劇のロケーションをしていた。秋のようで川のあちこちのすすきの穂に陽が当たって、きれいだった。俺は浅い川原をジープで走り回って、段取りをつけるためにマイクロフォンで指示しているんだが、全然うまくいかない。向こう岸にいるエキストラが、まだ見えてはいけないのにチラチラ姿を現したりするから、イライラしながら怒鳴りまくった。いつまで経っても段取りがつかなくて、川の向こうに突っきって行こうとするけど、なぜだか誰かに止められて、元の岸に戻ってきてしまう。そんな夢を見続けた」「不思議なのは、川向こうの人間たちが額に、昔の人みたいに白い三角形の布をつけてた。あれが死神だったのだろうな。あのまま渡っていたら、もう戻ってはこられなかったと思う。ともかく、川の水はこれまで見たことのないほどきらめいていて、きれいな光景だったよ」と語ったのを聞いたそうです。

 

 裕次郎氏の臨死体験について、兄の慎太郎氏は「向こう側に渡ったら、そのまま逝ったのかもしれない」と語っています。「霊魂は存在するのか」では、慎太郎氏は「僕は、ハッキリ認めるんですよ。霊というのは、人間の想念なんです。親父が亡くなった時、関西に住んでいる両親の結婚の媒酌をした老婦人の家の縁側にね、突然、親父が現れたというんですよ」と語ります。また、「想念というのは、ひとつのエネルギーですからね。親父は恩人に去りゆくことの挨拶に行ったのでしょう。僕には、いつものお気に入りのソフト帽をかぶって行った......その光景が目に浮かびました。どういう道を通って行ったのかな、なんて」とも語ります。石原慎太郎氏がここまで明確な霊魂観を持っているとは知りませんでした。さらには、「宗教家というのは、聖職という曖昧な表現でいわれる観念業のようなものではなくて、一種のプラグマティックな専門的技術者ではないかと僕は思いますね。神様から与えられた使命はあるかもしれないけれど、あくまで媒介であるというのか」とも語るのでした。この考えには共感します。

 

 「お釈迦様が説いた、仏教のいちばんの原点」では、法華経を心の支えにして生きているという石原氏に対して、曽野氏が「法華経にそれほど惹かれたのは、どういうところでしたか」と質問します。すると、石原氏は「やはりお釈迦様が説いた、仏教のいちばんの原点だと僕は思うんです。キリスト教は"愛"に基づく信仰でしょう。愛は人間のもっとも尊い情念であって、それは素晴らしいものだとわかる。だが僕はもう少し物事の思考法というか、哲理、哲学を学びたかったんです」と語っています。

 

 また、石原氏は「たとえば日本の神道というのは、理性を超えた原始的な本能の上に成り立っている、非常に土俗的なものだと思うんですね。ご神体が山であったり海であったり岩であったり......するでしょう」と言います。「自然への敬いでもありますね」と言う曽野氏に対して、石原氏は「ええ、崇敬です。人間っていうのは、やっぱりああいうものを見ると、素直にすごいなと感動するわけだから。いつだったかアンドレ・マルローが来た時に、村松剛と那智の滝に行って、日本文化に造詣の深い彼が、一旦くぐった鳥居を出て戻ってね、鳥居の外から滝を見て『あ、この宮の神様は滝だな』と言ったんですね。ふうん、なるはどと思ったんですけど。日本各地にある"祭り"はその最たるものですよね。大自然に祈ったり、豊穣に感謝を捧げる。あれはあれで神聖でいいものですが、僕はああいった情緒的なことではなくて、もっと『体系』や『教義』というものを知りたかったんです。それが法華経を読んで、腑に落ちました」と語ります。

 

 そして、石原氏は「お釈迦様が初めて『哲学』というものを宗教(法華経)に持ち込んだと思います。きちんとした哲学がある。哲学をどうのこうの講釈しても仕方ないですけど、哲学というのは、時間と存在について考える学問でしてね。料理の哲学とか、野球の哲学とか......ああいうものは哲学じゃないんだな。カントやアリストテレスが言ったみたいに、物の存在と時間について考える学問」と語るのでした。

 

 第三章「『老い』に希望はあるのか」の「棺の中で着る服を準備」では、曽野氏は「うちでは死は特別なものではなくて、日常の繋がりの中にあるものという考えなんです。ですから棺には、夫が毎朝、読むのを楽しみにしていた新聞を入れました。でも、私はあの棺というものがあまりよくない、死を塞いでいると思うことがあります。人間はそれこそ砂漠にそのまま寝かせるようなことができれば、いちばんいいんだろうなと思います。それでこそ人の死は仰々しいものじゃなく、自然にやってきて、逝くんだとわかる」と語っています。わたしは、棺に異を唱える人を初めてしりました。「人の死は仰々しいものじゃなく、自然にやってきて、逝く」と言いますが、それでは風葬や鳥葬などが良いとでもいうのでしょうか?

 

 「人間の死は、永遠に向かっての新しい誕生日」では、以下の対話が交わされます。
曽野 私、何事によらず、ささやかなのが好きなんです。人それぞれ事情があれど、私は大きな葬式というものが好きではないですから。
石原 それは、どうして。
曽野 権威的な感じがしてしまうんです。派手派手しくするのは、自分が偉いということを他人に見せつけたいのかもしれません。何人いらっしゃったとか、大臣が来てくださったとか、弔辞の電報がどれくらい来たとか、昔なら大きな花輪をいくつも置いたりとか。私はそもそも権威主義の人間が好きではありません。そういう人って、会って5分でにおう(笑)。そういう鼻はきくんです。

 

 「この世に生きた証を残すべきか」では、石原氏が「織田信長が桶狭間の決戦に出かける前に、一差し舞った幸若舞の『敦盛』の名文句があるでしょう。『人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢まぼろしの如くなり。一度生を受け、滅せぬ者のあるべきか』という。信長はこの句を愛吟したといわれていますが、重要なのはそのあとの一行だと思っています。『これぞ菩薩の種ならむ、これぞ菩薩の種なる』と。さらにこうも謡っています。『死のふは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすよの』と。人は、誰かが死んだあと、どういうやつだったとかこうだったとか、なんだかんだと勝手なことを言うけれどね。信長は、まったくおこがましい、ちゃんちゃらおかしいと軽蔑しているんです。まったくその通りだと思うね。偲ぶ会だの何だのというのも、僕にはよくわからないですね」と語っています。

 

 葬式については、以下の会話が交わされます。
石原 僕は自分の葬式をどうするかは、もう決めてありましてね。長男には全部、伝えてあります。
曽野 それはいいですね。準備は大事なことですから。残された家族がアタフタしないで済みます。
石原 別に葬儀場ではなくて、ホテルでやってもいいんですけどね。ああしろこうしろと伝えてあって、ヨットレースの優勝カップは必ず並べるように言ってある。国からもらった勲章もいろいろあるけれど、ああいうものは飾らなくていい。それから音楽。流す曲も決めてあります。「海よさらば」という曲で、初島のレースの時に、番組のためにNHKから頼まれて詞を書いたんです。「嵐去り、星くず揺れて...」というような詞でね、とてもいい曲なんです。山本直純の作曲で、ダークダックスが歌って。

 

 石原氏は、辞世の句も、とうに作ってあるそうです。「灯台よ 汝が告げる 言葉は何ぞ 我が情熱は 誤りていしや」というものですが、これは句ではなく歌ですね。石原氏は「海で嵐に遭うと、位置がつかめずに灯台の光にすがるんですよ。灯台はちゃんと暗号を出すんですね。それを解読して何とかホームポートにたどり着いた心境を詠んだんだけど、その灯台に託して、自分の人生の航海が正しかったか、まちがったかどうかを問いかける句なんです」と言います。それを聞いた曽野氏は「私は原稿をもう何百枚、何千枚、何万枚も書いて、その原稿を焼きましたからね。それ全部がエピタフ(墓碑銘)だと思っているんです」と語ります。

 

 大ヒットした「千の風になって」の冒頭には「私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません。眠ってなんかいません」というフレーズがありますが、石原氏は「散骨だけでなくて、墓に納めたいと思うのはね、ちょっといい話があるんです。女房の父親、僕にとっての義父ですが、激戦地で壮烈な戦死をしているんです。その義父の骨が女房の実家の墓に入っている。戦死したのは、女房がまだ母親の腹の中にいた頃でしてね、女房は父親に会ったことがない。でもね、義父と義母が交わした書簡が残っていたんですよ。義母が亡くなる時、『自分と一緒に焼いてくれ』と頼んでいたというのですが、女房の兄がとっておいてくれたんですね。それが文藝春秋から本になって出ているのです。読むと、これが非常に胸を打つ書簡集なんだな。そういうものを読んだあとに、実際、骨が残っているのはいいものだなと思ったんです。まだ骨壺の中を見たことはないですけれど、残っていて、触ることもできるわけでしょう」と語ります。それを聞いた曽野氏は「戦争で亡くなられたとしても、生きていらしたという証ですから」と言うのでした。

 

 新型コロナウイルスの感染拡大という人類を揺るがす未曾有の事態については、「人との接触を禁じる現実が意味すること」で、石原氏は「僕はこの崩壊が引き起こした、人との接触が封じ込められてしまったという現実は、どうにも天の警告のように感じてしまうんですよ。今、文明と技術の限界を自覚して、我々が英知の所産として自惚れてきたことを、あらためて反省することこそ必要ではないかと思うんです。それが真の文明というものへの手がかりとなるのではないかと。戦後、これほどたくさんの人が『死』について考えた事象は稀でしょう」と語っています。わたしも、まったく同感です。

 

 「誰もが死ぬという、よくできた制度」では、以下の会話が交わされます。
曽野 私は50歳になった時から、寝る前に「3秒の感謝」というものをするようになりました。「今日までありがとうございました」と言うんです。もしもその夜中に死んだとしても、けじめをつけたことになるでしょう。死ぬということは、いい制度だと思いますよ。
石原 いい制度?(笑)
曽野 そう。だってそうでしょう、「あなた自由にやりなさい」とずっと生きていたら、どこでやめたらいいかわからないじゃないですか(笑)。

 

 最後に、「生涯は単なる旅路にすぎない」では、以下の会話が交わされます。
曽野 いろいろとお話をしてきましたが、死というものには結論など出ない。株の儲け方とかいうようなテーマなら出るかもしれませんけど(笑)。死はすべての人に平等に訪れるものであって、これだけ、あれこれと命題が与えられている、ということが素晴らしいんだと思います。
石原 確かに面白い。僕と曽野さんの考え方だけでも、正反対ですからね。最後までがむしゃらにやりたい僕と、静かに死を受け入れていく曽野さんと。老年期は、それぞれ自分の老境と向き合って存分に味わっていく。そうやって人は成熟していくのでしょう。それが人生の妙味といえるのかもしれません。
曽野 わかっているのは、人には最後に果たすべき任務、つまり死ぬという使命があるということだけ。
石原 まさに死は人生の頂点です。そして最後の未知、希望である。

 

 本書は、果敢に人生を生き抜いた男女二人の「生」の備忘録であり、「死」への果たし状のように思えました。わたし個人としては石原氏の死生観には共感できるものの、曽野氏の死生観には違和感をおぼえるところも多々ありました。おそらく、曽野氏が信仰されているカトリックの思想がわたしには合わないように思います。しかしながら、人生の大先輩たちの「死」をめぐる対話には大いに学びを得ることができました。わたしたちには、みな、「死という最後の未来」があることを改めて知りました。