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雲上の巨人 ジャイアント馬場』

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No.2089


 『雲上の巨人 ジャイアント馬場』門馬忠雄著(文藝春秋)をご紹介します。著者は、1938年(昭和13年)、福島県相馬市生まれ。62年、東京スポーツ新聞社に入社。入社3年目からプロレス担当となり、年間200日は出張取材に赴いていたとか。86年に退社し、プロレス評論家となる。以来、「Sports Graphic Number」などで活躍。93年に脳梗塞で倒れるも、リハビリ後、執筆活動を続ける。同じ歳のジャイアント馬場との交流は、35年に及びました。著書に、一条真也の読書館『新日本プロレス12人の怪人』『全日本プロレス超人伝説』『外国人レスラー最強列伝』で紹介した一連の文春新書があります。

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本書の帯

  

 本書の表紙カバーには、晩年のジャイアント馬場の雄姿の写真が使われ、帯には「僕たちは、馬場さんが好きで好きで、たまらなかった。」「プロレス界のレジェンドを、誰よりも知る男の35年にわたる、涙と笑いの回想録」と書かれています。帯の裏には、「ジャイアント馬場、没後22年。最古参プロレスジャーナリストが振り返る、昭和の『巨人』と伴走した遥かなる日々」と書かれています。

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本書の帯の裏

  

 本書の「目次」は、以下の通りです。

第一章  「ジャイアント馬場」のできるまで

第二章  ドロップキックが時代を変えた

第三章  全日本プロレスのボスとして

第四章  多芸多才の人

第五章  巡業の旅は、東へ西へ

第六章  強き妻・馬場元子さん

第七章  いまは、懐かしい人たち

第八章  さようなら、馬場さん

「あとがき」
「参考文献」

 

 本書の内容はライトな回想録です。知っている話が多く、物足りませんでした。しかし、中にはところどころ興味を引かれる記述がありました。第二章「ドロップキックが時代を変えた」では、「新時代のプロレス、沸騰」として、著者は「ドロップキックを初公開した1965年は、東京オリンピック大会の翌年だ。オリンピックの成功に沸き、列島全体が活気を帯びた。高度経済成長の時期である。テレビのカラー放送が本格化し、絶妙なタイミングで、"東洋の巨人"ジャイアント馬場が出現、時代がプロレス人気をビジュアルから押し上げてくれた」と書いています。

 

 続けて、馬場のファイトは他の選手よりはるかにダイナミックだとして、著者は「水平チョップ、16文キックに始まって、ニードロップ、ヤシの実割り、河津落とし、アトミック・ドロップ(尾骶骨落とし)と大技を連発し、最後に必殺のドロップキックなのだ。一連の流れるような立体殺法は、高度経済成長というウェーブにマッチし、日本人に『自信』と『勇気』を芽生えさせるサプリメントとなった。超大型・馬場の台頭は、日本プロレスの世代交代を告げる熱いウェーブだった。ドロップキックの完成こそ、豊登をエースの座から引きずり降ろす起爆剤になった」と書いていますが、この文章を読むと、テレビのブラウン管の中で見た全盛期の馬場のファイトが甦ってくるようです。

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近藤書店のポスターに登場

  

 第四章「多芸多才の人」では、「読書人としてのジャイアント馬場」として、著者は以下のように書いています。
「米国武者修行から帰国した頃に読んでいたのは、源氏鶏太のサラリーマン物や、山手樹一郎、野村胡堂、山本周五郎といった時代小説がほとんどだった。インター・ヘビー級、インター・タッグの2冠王になった66年ごろからは、山岡荘八『徳川家康』や吉川英治『宮本武蔵』のような大河歴史小説に移行していく。そして、全日本のオーナーになると、イザヤ・ベンダさんの『日本人とユダヤ人』からエンターテイメントの柴田錬三郎、剣客物の池波正太郎、歴史物の本格派・司馬遼太郎まで幅広く読み始める。81年2月には、銀座・近藤書店のポスターに登場し、読書家として注目されてくる」

 

 『日本人とユダヤ人』について著者が馬場に聞くと、「プロレスの世界では、ユダヤ人のことを知っておかないと商売できないからね。横文字を翻訳した本は苦手だね。カタカナの名前が面倒くさくなってわけが分からなくなる(笑)」と言ったそうです。著者は、「言われてみれば、米マット界を牛耳っていたNWAの大物幹部は、会長のサム・マソニック、書記のジム・バーネット、テキサス・ダラスのプロモーター、フリッツ・フォン・エリックも、みなユダヤ系のアメリカ人、同じユダヤ系のブルーザー・ブロディが、エリックを『ボス』と呼び、彼の指示に黙って従っていたのもなるほどとうなずける」と述べています。

 

 第五章「巡業の旅は、東へ西へ」では、宿命のライバル・アントニオ猪木と馬場との関係が言及され、「馬場と猪木は、1960年9月30日、同期で同日にプロ・デビュー、馬場は猪木の5つ年上。この年齢による距離感が兄貴と弟のような関係を生んでいる。猪木が初のアメリカ武者修行に出る際、馬場はオフクロに作ってもらったオーバーコートをプレゼントしている。そして、ロサンゼルスでは、猪木に『これ取っておけよ』と、馬場はドル紙幣を餞別として手渡している。力道山道場で育った同士、気心は知れている」と書かれています。

 

 新日本プロレスと全日本プロレスの興行合戦の真っ只中、"過激な仕掛け人"と呼ばれた新日本の営業本部長の新間寿が、馬場のことをけちょんけちょんにけなした時がありました。そのとき、猪木は「なあー、新間、そんなに馬場さんを悪くいうなよ。むかし、お世話になったんだから」と新間をたしなめたそうです。著者は、「馬場と猪木の関係には、肌と肌を接触してきたプロレスラー同士にしかわからぬ絆のような結びつきがあるのではなかろうか。2人の関係を忖度するのは難しい」と述べています。

 

 「あとがき」で、著者は「本書はフィクションなし、ありのままのレジェンド"雲上の巨人"ジャイアント馬場の残像を描写した、わたしの回顧録である。執筆に当って、夫人である馬場元子さんから『馬場さんの本、文藝春秋ならOKよ』と、了解してもらったのが2017年の正月だった。まさか、その元子さんが2018年4月に亡くなるとは思ってもみなかった。原稿が全面書き直しである」と書いています。

 

 また、著者は「しんどかった。左手による2Bno鉛筆書き、長いキャリアの中での初体験、過労による負荷で左手親指・亜脱臼、どうにか脱稿のゴールは、蝉が鳴き出した7月の初旬だった。馬場元子さんから『OK』の返事を貰ってから5年近くの月日を費やしている。まさか、これほどの大仕事になるとは思わなかった」とも書いています。わたしは根っからの猪木派ですが、本書を読むと、馬場のことも好きになってくるホンワカ感溢れる内容でした。