お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

  • HOME
  • ポップス歌手の耐えられない軽さ
Title

ポップス歌手の耐えられない軽さ』

Category

No.2084


 『ポップス歌手の耐えられない軽さ』桑田佳祐著(文藝春秋)を読みました。わたしが愛してやまない国民的バンド・サザンオールスターズのボーカリストであり、日本を代表するポップス歌手である著者が「週刊文春」に連載したエッセイをまとめた本です。もう、最高でした!

20211016184502.jpg

本書の帯

  

 表紙カバーには、海でサーフィンに興じる著者の後ろ姿の写真が使われ、帯には「曲が書けないほど 全力で書いちゃったよ......(涙)」と大書され、「マイクをペンに持ちかえて、不埒に、真面目に、時に感傷的に。時は図らずもコロナ禍という非常事態、『週刊文春』というステージで綴られた全66篇 〝魂〟のエッセイ!!」と書かれています。

20211016184522.jpg

本書の帯の裏

  

 帯の裏には「アタシはこんなことが言いたかった!」として、「親父と茅ヶ崎と/日本のロック、舐めんなよ!!/芸術は「模倣」だ!!/あの青学の時代(とき)を忘れない/『稲村ジェーン』秘話/やっぱりライブはいいよね!!/邦題をナメルな!!/日本の四季と情緒はどこに行った!?/無人島に持っていきたいアルバム&シングル/ボブ・ディランって、どこがいいの??/このウイルスにワクチンはない/一番歌が上手いって何だ!?/仕事をください!!/メンバー紹介が一番好き!!/みんなビートルズが教えてくれた/アタシが選ぶ日本の三大名曲!!/おそらく、一生音楽人宣言」とあります。

 

 アマゾンの「内容紹介」には、「サザンオールスターズのリーダーにして日本の音楽シーンの先頭を走り続ける桑田佳祐が、『頭もアソコも元気なうちに、言いたいことを言っておきたい!』という想いを出発点に、『週刊文春』で2020年1月から2021年4月にかけて連載したエッセイを一冊に結集! これまで音楽のこと以外はほとんど語ってこなかった桑田が初めて明かす、自身の原点や現代の世相への思い。そこには故郷・茅ヶ崎での少年時代や家族との絆、サザンが結成された青山学院時代の思い出、プロレスやボウリングへの愛、さらに『自主規制』がはびこる日本の現状への憂いや、60代となってからの『人生の目標』などが率直に綴られています。もちろん音楽についても、自身のサウンドに大きな影響を与えたザ・ビートルズやエリック・クラプトン、ボブ・ディランらへの畏敬の念や、佐野元春や内田裕也、沢田研二、尾崎紀世彦など敬愛する日本のミュージシャンたちへの賛歌、サザンのメンバーやサポートスタッフへの感謝の想い、そしてコロナ下で行った無観客ライブの裏話など、桑田、サザンファンならずとも興味深い話題が満載です。書籍化にあたって大幅な加筆&推敲を施し、さらに秘蔵カットも掲載! "ポップス歌手"桑田佳祐が『言葉』として残しておきたかったテーマを全身全霊、縦横無尽、天衣無縫に書き尽くした全432ページ、永久保存版の一冊です!」とあります。

 

 本書には66篇のエッセイが収められていますが、1「頭もアソコも元気なうちに」には、こう書かれています。

「年齢も年齢なものでして。今年(2020年)2月の誕生日がくれば64歳になります。さすがに残された時間は少ないと、強く意識するようになってきました。後悔したくないから、やるならすぐ。何事にも貪欲でありたいと思うこの頃です。今回は、自分が曲がりなりにも40年以上音楽活動を続けて来られた源泉となってきたもの、それをご披露しておきましょう。それは、日々の雑談と妄想です(笑)。昔も今も交友関係は極めて狭いのですが、その小さい輪の中でいつも、脈絡のない雑談を漫然と繰りひろげてきたものです。そこから、数多くの「楽曲コンセプト」や「歌詞」だって生まれて来た気がします」

 

 音楽活動を続けてきた40年以上の間に時代も変わったようで、著者は「何でもかんでも『コンプライアンス云々』などと言われるようになりました。若いミュージシャンなんかも、跳ねっ返りの強い事をやろうとすると、今は周りからすぐに止められちゃうんじゃないかな!?(汗) アタシなんかも、『転ばぬ先の杖』じゃないけど、ちょっと意見を言う前に、必ず"擁護するわけじゃないけど"とか、"誤解して欲しくないけど"なんて枕ことばを付けて、自分の立場を安泰にするクセが付いちまった。サザンオールスターズではかつて『マンピーのG★SPOT』だの、『女呼んでブギ』だの、『マイ フェラ レディ』だのというタイトルを平気で付けていましたけど、今の若い人が、同じ事をやれるかといえばなかなか難しいだろうね(誰もやりたかないでしょうけど)」と書いています。

 

 2「親父と茅ヶ崎と」では、著者は父親について、「親父はアタシがまだ小さい頃、茅ヶ崎で映画館「国際劇場」の雇われ支配人をしていたんです。通っていた小学校のすぐ近くだったから、放課後に立ち寄っては、「モギリ」のおねぇさんや売店の従業員さん達ともよく遊んだものでした。親父は戦前、家族と満州大連に渡って、戦後に地元の北九州へ引き揚げて来ました。そこから、どうやら大船にあった松竹撮影所あたりに職を求めて、茅ヶ崎に流れ着き、映画関係や写真を撮る仕事をするようになったそうで。その親父が言うには、自分は小津安二郎監督の運転手もやっていた事があるのだとか、新聞記者をやっていたとか......。今となっちゃあ本当かどうか、確認しようがないんですけど(汗)」と書いています。

 

 著者の父の故郷が北九州というのも初めて知りましたが、があの小津安二郎監督の運転手もやっていたというのは興味深いですね。著者は、「まあ、たしかに小津さんの住まいは鎌倉で、茅ヶ崎の『茅ヶ崎館』という旅館を定宿にして台本などをお書きになっていたというから、あり得ない話でもないんですが。それで親父が、『小津監督と女優の原節子は明らかにデキてたぞ』『岸惠子は性格はキツかったけど、俺にだけは優しかった』『堺駿二の息子のマチャアキはイタズラで困った』とか、自分の子どもに向かってまことしやかに話すんですよ。どこまで本当だったんだか?(汗)」と書いています。面白すぎますね!

 

 3「テレビはつらいよ」では、サザンオールスターズのデビュー当時の音楽シーンについて、著書は「1970年代末期の昭和の世の中、その頃は歌謡曲が燦然と輝いていたし、自然とそれを『仮想敵』にして、『新しい時代を担うオレ達の音楽で、お茶の間に殴り込みだ!!』くらいの大層な思い込みがありました。ちょうどツイストやCharさん、もんたよしのりさん、ゴダイゴなんかが、同じようにテレビをプロモーションに使っていることもあって、自分達も強気でいられたんだと思います。『何? ジュリー? バカ言うなよ。歌謡曲なんかに負けないよ! こちとら洋楽がバックボーンだし!!』とばかりに、今思えば、甚だ勘違いのノリでやっておりました」と書いています。TBSの「ザ・ベストテン」などの音楽番組でサザンが熱唱していた頃がなつかしいです。

 

 「『何? ジュリー? バカ言うなよ』と言っていたという著者ですが、ジュリーこと沢田研二のことはリスペクトしていたようで、17「音楽番組が好きだ!!」には、「ジュリーさんはいつも《テレビ》と闘っておられた!! 毎回趣向を凝らし、新曲と自分の魅せ方に、テレビ的な演出とエネルギーを注ぎ込んでいらした!! あのルックスなんだから、何もしなくたってイイのに......なんていう考え方は、御本人にはサラサラ無かったんでしょうな。照れ臭そうに(そんなフリをして)司会者とのトークを終えると、まるで阿弥陀如来か殺し屋のような表情でマイク・スタンドの前に立ち、自らのヒット曲にオトシマエをつけるばく、全身全霊で"歌と相対峙する"お姿が実に神々しくも艶めかしい!! 『人生も歌も闘いのロマンなんだよ!!』たぶん、そんな思いで絶叫する沢田研二。こう言ってはナンだけど、デヴィッド・リンチやジョン・レノン以上に、"この人はヤバ過ぎる"と思った!!」

 

 18「T・レックスとグラム・ロックの世界」でも、著者は「我らサザンオールスターズがデビューした1970年代後半、日本のエンターテインメント界の頂点に君臨しておられたのは、かの沢田研二さんでございました。もともとの優れたルックスを、いっそう際立たせるド派手にして華麗なる衣装、そして歌舞伎役者もかくやと思わせるようなお化粧。そのお姿、艶めかしいこと、この上ありませんでしたね。歌番組の初登場をジョギパン姿でこなしたアタシらとしては、いろんな意味で大きな格差を感じさせられたものです(汗)」と書いています。

 

 著者のジュリーへのリスペクトはとどまるところを知らず、58「そうだ、京都へ行こう」でも、京都出身の沢田研二に言及し、「大スターとして、当時のジュリーさんは、どこか凄まじいオーラを放たれていて、近寄りがたいと言うか畏れ多いと言うか......ただでさえ萎縮しがちなアタシは、あの方を遠巻きに眺めるだけで、精一杯であった(汗)。だからと言って、『気さくで軽口を叩くジュリー』なんて、絶対イヤだけどね。その頃は、今じゃ想像も出来ないくらい、テレビの影響力がやたらと強く、中でも生の歌番組は花形。視聴率だって、『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』なんて、毎回30%以上あったからね」と書いています。

  

 そういう番組で、メインを張る事の緊張感と気迫が、ジュリーの佇まいからはヒシヒシと伝わって来たとして、著者は「メイン・イベンターとしてスポットライトを浴び、歌声を上げる数分間に、己の全てを懸けておられたと思う。スタジオ中のカメラや照明さえも味方につけての、『自己演出』もお見事だった。手先、指先、流し目、ソフト帽投げ、酒瓶ラッパ飲み、ラメ、アイシャドウ、カラーコンタクト、ずぶ濡れトレンチ・コート、パラシュート......。ジュリーさんのやるコトなす事、一挙手一投足がモーゼのように海を切り裂き、お茶の間に感動と衝撃を与える!!」と書き、最後は「沢田研二という超ド級のパフォーマー。アントニオ猪木が『燃える闘魂』なら、まさにこの人は『燃える唱魂』(商魂じゃないからね)だったのである」と締めるのでした。

 

 ここで「アントニオ猪木」の名前が出てきましたが、著者は生粋のプロレス・ファン、それも猪木信者として知られています。9「アントニオ猪木vs大木金太郎」では、「アタクシは生まれてからこの方、ずっとプロレスの味方であります!! というとすぐ、「あんなのどうせ八百長じゃねえか」と非難する声が聞こえてくるのもまた事実。ウチの親父なんて、結構皮肉屋でしたから、『アレはなぁ、技も勝負も、最初から全部決めてあるんだよ、試合が終わったら、アイツら敵も味方もなく控え室でビール飲んでるからね』。まるで、シナリオや舞台裏を見た事があるぞと言わんばかりに"したり顔"で、いたいけな我が子に、人生の裏側を教え諭したものでした。そりゃ"もし本気でやったら、人間死んじゃうよ"くらいの事は、アタシだって感づいてましたよ(汗)。大袈裟すぎる外人レスラーのやられっぷりに、スゲエ違和感感じたコト、ありますって(大汗)」と書いています。

 

 また、著者は「アタシにとってのプロレスとは!? それはもう、アントニオ猪木こそが『プロレス』であり、プロレスとは『アントニオ猪木』の人生、人間そのものなのであります!!そんな猪木さん。あのモハメド・アリをプロレスのリングに上げたり、タイガー・ジェット・シンと抗争を繰り広げたり、倍賞美津子さんと結構したり(おっぱいデカイし羨ましい!!)、ビートたけしが送った刺客、ビッグバン・ベイダーに負けて客が暴動を起こしたり、イラクで人質を解放したり......。世間を味方に付けたり敵に回したり、そしてある時は"国会に卍固め"してみたり......(選挙に出た時の公約が、コレと「消費税に延髄斬り」でした)。とにかく、紆余曲折と荒唐無稽を繰り返しながらも、猪木の闘いは続いたのです!!」とも書いています。「ザ・ベストテン」で本物の猪木からコブラツイストを掛けられたときの著者は本当に嬉しそうでしたね!

 

 沢田研二は日本歌謡界の、アントニオ猪木は日本プロレス界のカリスマですが、日本ロック界のカリスマといえば、ご存知、矢沢永吉。わたしは永ちゃんもサザンも大好きでカラオケで歌う定番ですが(コロナ以後は歌っていません......涙)、なんと著者は永ちゃんのことも書いています。6「愛しきミュージシャンたち」で、「ザ・グレイテスト矢沢永吉さんね。実は、何度かお見かけした事はあったのですが、恐ろしくて......じゃあなくて、畏れ多くて、こっちから名乗り出るなんて出来やしません。最初は1980年代でしたが、代官山のフレンチ・レストランに我が女房、原由子と入ったら、何故か通された店の一番奥の席の近くに、矢沢さんがいらっしゃった!! こちらはすぐに気づきます。何しろ、あの矢沢エイちゃんですから。あっ!! と思って、大先輩にご挨拶に伺うか、どうしようかと......。運ばれて来た料理すら、満足に味わうことなく、原坊とクヨクヨ・オドオド小声で相談してたんだけど、矢沢さんのあまりの『存在感』に圧倒されて、とうとう席を立つ事さえ出来ませんでした(泣)」と書いています。

 

 また、著者は「2度目も、西麻布のバーで飲んでいたら、入り口あたりがいやに騒々しい。見たら『ジャーンッ!!』と、ヒーロー映画の効果音(?)が聴こえるほど、華々しくあの矢沢さんが御登場なさった!! 『Hi、エイちゃん!! ヨロシク~!! オレがサザンのヴォーカルですぅ!!』などと言えるはずがなく、この時も、先方のあまりのテンションの高さに気圧され、不覚にもまたご挨拶は叶わず......。結局、ちゃんとお話し出来た例しがないまま今に至ります」と書いています。それにしても、著者ほどの大スターが緊張するのですから、矢沢永吉おそるべし!

 

 さらに、著者は「でも、いつも思っております。その強烈な『ロック・ヴォイス』や『キャラクター』に隠れてしまいがちだけど、彼こそが"せつなさ"を歌わせたら、最強の『ポップス歌手』である事を、アタシはよく呑みの席でコンコンと人に語るのであります。だから、近づくとマゴついちゃうんだろうね(このヘタレめが!!)。今度、もし機会があったら、ちゃんと挨拶しような!!(菓子折り持って行こうかな? な、情け無い!!)」と書いています。永ちゃんの「時間よとまれ」「YES,MY LOVE」「I LOVE YOU,OK」「A DAY」「ひき潮」の切ないバラードをこよなく愛するわたしとしては、この著者の意見には大賛成です。もっとも著者も最強の「ポップス歌手」であり、矢沢永吉と桑田佳祐こそは日本ポップス界の両雄だと思っています。いつか両雄が同じステージで共演することがあれば素晴らしいですね!

 

 しかし、著者に最大の影響を与えたポップス歌手は、前川清でした。35「『内山田洋とクール・ファイブ』にシビれた!!」では、著者は「生まれて初めてアタクシに、『歌声にシビれる』どころか、『その人の魂が乗り移る』ような経験をさせてくれたのは誰であったか......。はい。それは、前川清さんであります!!」と告白し、さらに「1969年に内山田洋とクール・ファイブのヴォーカルとしてデビュー。『長崎は今日も雨だった』がいきなり大ヒットし、その後も『逢わずに愛して』『噂の女』『そして、神戸』『中の島ブルース』『東京砂漠』......。歌い継がれる楽曲を続々と世に放ちます!!」と書いています。

 

 著者は、「前川さんの、あの顰めっ面した表情と、喉奥から"愚痴でも吐くように"絞り出されるみたいな歌声。幅広のネクタイと細身のスーツを纏い、長身を直立不動にしてマイクを握り佇むそのお姿......。さらに、背後からは最強のドゥー・ワップ・コーラスが援護射撃する!! それをアタシは、彼がデビューの頃からずっとこの目に焼き付けて参りました。もちろんテレビを通して、なんですけれども......。当時は、数多あるテレビの歌番組に、毎日何度もお出になられていたので、クール・ファイブさんの新曲が出ると、レコードが発売される前から、ブラウン管(古くてゴメン)にかじり付いては、あっという間に歌詞を覚えた!!」とも書きます。ポップス歌手・桑田佳祐の原点はクール・ファイブでした!

 

 さらに著者は、「腹の底からシャウトする前川さんは、ムード歌謡界ではかなりの異端児であり、斬新だった!! 作詞、作曲、および編曲家の先生方が、音楽的に指定した『本来の歌い方』とは、ちょいと違う『ノリ方』『解釈の仕方』で彼は啼(な)き、慟哭(さけ)ぶ!! クール・ファイブのデビュー6作目『愛のいたずら』なんて3拍子のナンバーは、まさに前川清の真骨頂!! もちろん、この頃の先達の演奏陣もアレンジもぶっ飛んでいるのだが、前川さんの歌唱はジョン・コルトレーンやエリック・クラプトンのアドリブ並みにファンキーでフリーでカッコいい!!(ま、この辺の話はテキトーに聞き流してください)」とも書いています。

 

 続けて、著者は「三橋美智也や北島三郎のような、日本民謡をルーツに持つ人たちの歌唱も素晴らしいが、前川さんのルーツは多分に洋楽的な影響が大きいと、アタシは確信するのでありました。明らかに『夜の酒場演歌』とは違うノリを持つ前川節!! その辺の『日本のロック』なんかより、よっぽどガッツのある『ロッカー』であり、『R&Bシンガー』なのであります!!」と書いていますが、名曲「中の島ブルース」などを聴くと、前川清が日本最強のR&Bシンガーであるということがよくわかりますね。

 

 そして著者は、「今だからこそ断言しよう。『日本のロックにおいて日本語と英語の壁を取っ払ったのは、はっぴいえんどでも矢沢永吉でもサザンでもなく、誰あろうそれは内山田洋とクール・ファイブである』と!! だってそうなんだもん。前川さんの場合、よく言われる『大袈裟なヴィブラート』だって、実は泥臭い洋楽(的な)の発生だった。曲も良かった。無口で顰めっ面を貫いた前川清のキャラ作りも秀逸だった。藤圭子さんをはじめ、多くの女性歌手に彼はモテまくった!!(悔しい......。チ、チクショー!!)で、何より前川さんの『俺、東京なんか来るんじゃなかった』みたいな、嘆き節とも取れる仏頂面唱法が、堪らなく功を奏し、圧巻だったのである!!」と書くのでした。

 

 それにしても、前川清という素晴らしい歌手にCMソングおよび社名のサウンドロゴを歌っていただくなんて、なんとわが社はラッキーなのでしょうか! 本書には、一条真也の新ハートフル・ブログ「一番歌が上手い歌手は誰か?」で紹介したエッセイも登場します。54「一番歌が上手いって何だ!?」では、著者は「誰が一番、歌が上手いのか!?」というよくあるランキング・ネタに言及し、「そもそも歌とは、技術や正確性を競うものなのか? いや、ごく当たり前の答えだが、アタシは違うと思う。歌とはすなわち、その善し悪しや好き嫌いは、あくまでもその歌を楽しみ享受してくれる人、すなわちファンの皆様が決めるものだ」と述べています。

 

 そして、55「続・一番歌が上手いって何だ!?」では、著者は「アタシの経験値、世代感覚、単なる好みから選出すると、日本の歌謡曲史上『最強の男性歌手』は、尾崎紀世彦さんである!!」と書いています。《好きな理由 その①》は、桑田さんと同じ茅ケ崎出身であること。《好きな理由 その②》は、「1970年、遅咲きながらも衝撃的で華麗なるデビューを果たし、『また逢う日まで』では、当時、世の中に漂う沈鬱なムードを、全部、ぜーんぶ持っていってくれた!!」こと。《好きな理由 その③》は、カントリー、ハワイアン・ミュージックを音楽的基盤に持ち、シンガーとして日本語の歌謡曲を『ポピュラー・ミュージック』の領域に押し上げたこと。《好きな理由 その④》は、「ここが一番本題かもしれないが、言わずと知れた『声質』『声量』の豊かさは超一級品!!」。

 

 そして、《好きな理由 その⑤》は、顔が、元「フリー」「バッド・カンパニー」のヴォーカル、ポール・ロジャーズに似ている(笑)こと。尾崎紀世彦について、著者は「洋楽を歌う時、英語の発音がメチャ素晴らしい。これは、歴代の日本の男性歌手の中では圧倒的である!! 尾崎さんの場合、単に『外国人ぽい』というのではなく、『尾崎紀世彦の洋楽』にしてしまうから凄い!! やっぱり、あのモミアゲの太さはダテではない(笑)」と最大級の賛辞を送ります。

 

 著者は、「そして女性歌手だったら、『最強』は、ちあきなおみさんだ!! 」と述べます。1969年に「雨に濡れた慕情」でデビューして以来、「四つのお願い」や「喝采」といったヒット曲を次々と放ちました。まさに(総合格闘技でいう)「『寝てよし、立ってよし』とは彼女の事だ」と著者は評します。また、「クレパスのような二十四色濃淡溢れる歌声。物語性の強い、歌唱難易度がすこぶる高い楽曲も、見事に歌いこなすその実力はまさに天下一品!!」と絶賛するのでした。

 

 ちあきなおみはデビューからしばらく経つと、取り上げる曲の雰囲気が変化しますが、著者は「もっと音楽的なチャレンジがしたい」「‟私の歌"をさらに深堀りしたい」「ちあきなおみを演出するのは、自分自身以外にはいない」という思いを本人が強く持ったのではないかと想像しています。さらに桑田さんは、「とびっきりの才能をお持ちな彼女の事。自負や目指すところがあまりに高く、周囲や日本の芸能界の慣習と、なかなか折り合いのつかない事も多々あったのかもしれない」と想像しています。

20210215121751.jpg

カラオケでよく歌いました♪

 

 著者が「最強の男性歌手」に尾崎紀世彦、「最強の女性歌手」にちあきなおみの名前を挙げたのは大いに納得しました。かの「ひとり紅白歌合戦」からもわかるように日本の歌謡曲を愛し抜いている著者ならではのチョイスだと思います。蛇足ながら、わたしなら男性歌手に前川清、沢田研二、女性歌手に美空ひばり、MISHAをエントリーしたいと思いますが......。じつは、尾崎紀世彦「また逢う日まで」はわがカラオケ・レパートリー曲なのであります。2019年7月3日にメモリード創立50周年記念祝賀会前夜祭として長崎で行われた互助会経営者カラオケ大会で、わたしは「また逢う日まで」を歌ったのですが、なんと優勝しました!(笑)

20210215121848.jpg

「喝采」も大好きな名曲です♪

 

 そして、ちあきなおみ「喝采」もわがカラオケ・レパートリー曲です。もちろん現在はコロナでカラオケ自体に行きませんが、コロナ以前はよく歌いました。この歌は元恋人の葬儀の場面を歌ったナンバーですが、そこには悲しい物語があって、しみじみと心に沁みる名曲ですね。著者は、「尾崎紀世彦さんと、ちあきなおみさん。少し『お題』と方向は逸れたが、大好きなお二人の話が出来て本当に良かった。結局、歌の上手さとは何なのだろう!? 1つ言えるのは、その曲に出逢い、上手く寄り添って、その結果として曲の妙味を最大限に引き出せた人こそが、最も上手い歌手なのだと思う」と述べています。

 

 最後に、桑田さんは「アタシにとっての『最強の歌手』とは、人物としても大変魅力的で、色っぽい人の事だったんだね!! 偉大なる大先輩方の事は、決して忘れません。尾崎紀世彦さん、ちあきなおみさん、本当にありがとうございました」と述べるのでした。ちなみに、わたしが一番好きな歌手は、本書の著者である桑田佳祐その人です。桑田さんの歌で、どれだけ人生が豊かになったか計り知れません。いつかお会いして、直接、感謝の言葉を述べたいと思っています。

 

 かくも日本の歌謡曲に詳しい著者ですが、64「アタシが選ぶ日本の三大名(ポップス)!!」では、「『いい歌』って、そもそも何なのだろう? 時代や演奏、歌唱、色んなものをひっくるめて、『名曲』たる要素を存分に孕んでいる曲とは、何であろうか? 今回は、日本が誇る名曲中の名曲選。読者の皆さんは意外に思われるかもしれないが......。アタシが、今の気分で考える『日本の三大名曲』を大発表して参ろう!!」と書いてくれるのですから、嬉しいではありませんか! その三大名曲とは? 1曲目は植木等の「ハイそれまでョ」で、著者は「この人がいなければ、戦後ニッポン社会の様相も、おそらくは違っていたのではないか?」と書いています。

 

 続いて、2曲目は笠置シヅ子の「買物ブギー」で、著者は「これの何がスゴイって、大阪弁で歌われる圧倒的なノリ!! 《大阪人=音楽的には外国人説》を立証するのが正にこの曲なのである」と述べます。さらに3曲目は、なんと「祇園小唄」。著者は、「美空ひばりの『リンゴ追分』にしようか迷ったが」としながらも、「この曲、知らない人も多かろう。そりゃそうだ。昭和5年、藤本二三吉の作品である」と説明するのでした。というわけで、「ハイそれまでョ」「買物ブギー」「祇園小唄」が日本の三大名曲だそうです。うーん。わたしならば、北島三郎の「まつり」、矢沢永吉の「I LOVE YOU,OK」、そしてサザンオールスターズの「TSUNAMI」を選びますけどね。

 

 歌手・桑田佳祐やバンド・サザンオールスターズに影響を与えたのは、もちろん日本のポップスだけではありません。その原点には、世界の音楽史に燦然と輝く偉大なバンドの存在がありました。ザ・ビートルズです! 61「みんなビートルズが教えてくれた」では、著者は「純粋に音楽の原点に立ち返ろうとする時、いつもアタシの頭の中を過ぎる、大きな大きな存在がある。それはやっぱり......。《ザ・ビートルズ》なのである!! 曲を書いたり、レコーディングをしたり、仕事や人生に行き詰ったり、素敵な女性と巡り逢った時(いつの話だよ?)......。「ココはビシッとキメようぜ!!」という大一番になると決まって......、「こんな時、ビートルズならどうするだろう?」って、人生の3分の2は考えて来た(by jun Miura)」と書いています。

 

 Blue Note Tokyoでも演った「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」も、ビートルズへの憧憬をモロに歌ったものであると告白する著者は、「とにかく、アタシが作り歌う音楽の『キモ』の部分には、必ずあのビートルズがドーンと居座っている。『クイーン』だろうが、『オアシス』だろうが、『マルーン5』だろうが......、他のどんな音楽も、どこかでビートルズを基準にして聴いている自分がいる!! アタシにとって、ビートルズこそが『人生の道標』。なんなら『宗教』と呼んでも差し支えないだろう(笑)」とまで言い切ります。また、62「続・みんなビートルズが教えてくれた」でも、「ザ・ビートルズこそ、アタクシの音楽人生の礎、原点なのである!! 今さらそんな事は大声で言うまでもない。世界中の大抵の音楽人の根っこには、ビートルズが住み着いているものだ。今じゃ、音楽の世界で当たり前になっている事の多くは、元を辿ればすべてビートルズに行き着くのである」と述べます。

 

 それでは、著者自身の音楽についてはそう書かれているのでしょうか? 4「ありがとう、平和の祭典」には、「アタシの場合は『歌』を作る時に、だいたい曲=メロディが先に出来るんです。今回も、メロディがほぼ固まるところまでは、何とか早く漕ぎ着けられました。ただ、歌詞作りは非常に難航しましてね。例えばサザンの『東京VICTORY』なんかもそうだけど、この手の"応援歌"っぽい曲の歌詞は、意外と作るのが難しいんです。偽善的というか、独善的というか......、とにかく『夢』だの『希望』だの、耳触りの良い言葉を乱用しがちになるんです。一体これはどうしたものか、無い知恵を絞ってずいぶん悩みましたね」と書いています。

 

 13「芸術は『模倣』だ!!」では、著者は芸術の本質に言及し、「ここはひとつハッキリ言い切ってやろうと思います。《芸術は、いやすべての音楽は模倣だ!!》と。若気の至りの、お恥ずかしい話からいたしやしょう(ベ、ベン、ベン、三味線が鳴る)。学生の頃なんて、楽器持ったら何でも模倣=コピーだったりするじゃないですか? 気の合うメンバーが集まりゃあ、コピー・バンドから音楽を始めるしね。ナンか似てりゃあ、それだけで嬉しかったもんなぁ、あの頃は!! 実際のところアタシだってデビューした頃は『模倣』のオン・パレード!! 『勝手にシンドバッド』の『ラララ』のイントロだって、あの頃流行ってたスティービー・ワンダーの『Another Star』を......まぁ、ノリで拝借したわけである。エッヘン(威張るな!!)」と書いています。

 

 初期のアマチュアイズムというのは、とても無邪気で偉大なものだったとして、著者は「自分がワクワクしたり、物凄くハマった感動を自分の表現に『まんま』してしまいたい!! そんな素朴な想いだったわけです(ちと古いが、あの「常磐ハワイアンセンター」の発想か?)」と告白し、「『芸術、すべての芸能や音楽は模倣である』というフレーズが、どれだけ深いものか? 人間をはじめすべての生物は、DNAのミクロ単位レベルからコピー(物真似)を始めます。まさに音楽もコレと同じく『遺伝情報の継承』なのだと言いたい。模倣こそ音楽、大いなる再生産の美学なのだ!! DNAレベルで、我々は誰かのコピーであり、模倣の連続が生み出した生き物・存在なのだと。ほら、アタシやあなた達の喋り方や生き方だって、広義ではたぶん誰かの模倣、真似から始まっていると思いませんか?」と述べます。この著者の意見に、わたしは全面的に賛同します。

 

 さらに、著者は以下の衝撃の告白をします。

「そもそも、『勝手にシンドバッド』ってタイトル自体が、当時の沢田研二さんの『勝手にしやがれ』と、ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』を半分ずつ拝借して、ガッチャンコさせたものだってことは、文春さん、じゃなくて皆さんご存知ですよね? 何ぶんにも古い話で恐縮ですけど。しかもですよ。さらに言ってしまえば『勝手にシンドバッド』というフレーズ自体が、実はアタクシの考案したモノではないのであります!! サザンがデビューするほんの少し前に、たまたまテレビを観ていたら、『8時だヨ!全員集合』で、ザ・ドリフターズの志村けんさんが、『じゃあ、勝手にシンドバッドだ!』ってセリフを、コントの中で既にお使いになっていたんですよ!!」と述べるのでした。「8時だヨ!全員集合」のそのシーンは今もYouTubeで観れますが、そんなコントをデビュー曲のタイトルにした著者は本当に凄い人ですね!

 

 また、「音感がイタコ状態」として、著者は「アタクシは、『遠い記憶』や『既視感』をツテに曲を書いています。そのすべては、学究的に鍛錬されたものではなく、借りモノの知識とか経験を総動員したり、自分の幼い頃からの記憶やら思い出やら、好きで観たモノ聴いてきた音、それらを引っ張り出してはあれこれ切り貼りなんかして、自分なりのカタチにしていくのです。ごく一部の天才や特別なエリートの人を除けば、物づくりはそうやって進めるモノなのであります」とも述べています。

 

 22「『稲村ジェーン』秘話」では、著者が1990年に初めて監督した映画「稲村ジェーン」が北野武によって批判されたことが触れられます。著者は、「アタクシの映画が公開される前年、1989年に発表されたのが北野監督のデビュー作『その男、凶暴につき』。観る者の度肝を抜く、凄まじい作品でしたよね。タイトルの通り全編ヴァイオレンスな雰囲気に満ちていて、同時に独特の"映像美"があって。お笑いの世界で頂点に立つビートたけしが監督した映画とは思えない!! 誰もが当時これを観て、そう驚愕したものでございます。先走ってお話しすれば、その北野武さんには、完成したアタクシの作品を『オモシロくない』と厳しく批評されてしまったんです」と振り返ります。

 

 北野武による批判について、「稲村ジェーン」公開初日にマスコミからどう思うかと聞かれた著者は、「『老舗大旅館の価値観で、アタシのような新興ビジネス・ホテルの事を、どうのこうのと語って欲しくない』みたいな事を言ったんですな、アタシが。たけしさんからズバリと言われて、ムッとしたのも事実でしたが、自分の作品の出来に、内心では確固たる自信が持てなかった"後ろめたさ"もあった。話題の作品として持ち上げられる中、わざわざ観て頂いた挙げ句、"北野監督"に見抜かれた瞬間の言い知れぬ"怖さ"を、その時大いに感じたものでした。ともかく、"機運"だけはありそうだ。たけしさんの批判も、即座にメディア受けしそうな言葉で切り返すほど、プロレスチックで確信犯なアタシがそこにはいたのです」と述べます。わたし個人の感想では、「稲村ジェーン」はMV(ミュージックビデオ)映画の傑作だと思いました。名曲「真夏の果実」をはじめ、挿入歌がどれも素晴らしかった!

 

 32「続・邦題をナメるな!!」では、「脱力こそ『創造』の源」として、著者は「アタシの曲で『波乗りジョニー』というのがある。あれは大学1年の時の事。通学の東海道線に乗っていて、ふと「『波乗りジョニー』ってフレーズ......イイな」と、思った。曲どころかメロディのカケラも浮かんでいないのに、その言葉だけが浮かんで来たのである。それから20年以上経って、アタシはプロとなり曲を作った時「あ、あの時の『波乗りジョニー』ココで使っちゃおう!!」となった。ずいぶん"お気楽な稼業だ"と思われるだろうが、『いとしのエリー』も『真夏の果実』も『悲しい気持ち』も......、あまり悩むことなくスンナリと付けられたタイトルほど、楽曲の出来栄えと相まってハマりも良かったと思う。逆に言えば、悩み抜いた題名を冠した曲ほど、出来栄えもイマイチなものが多かった(汗)」と書いています。やはり、著者は天才です!

 

 44「続・素晴らしき哉、坂本冬美!!」では、演歌歌手である坂本冬美の「ブッダのように私は死んだ」の製作を担当したエピソードが披露され、著者は「坂本冬美さんの新しい可能性を追求したかった!! などと言うとおこがましいが、あの方は『歌う海綿体』と言われるくらい(言われてないけど)、色んな局面や方向性に対応できるし、アタシはお逢いする以前から、《音楽的な吸収力と表現力が抜群である》というイメージを彼女に持っていた。当たり前だが、坂本冬美......。その歌声の色艶と響きは天下一品、唯一無二のお宝だ!! まだ世に出ていない曲を、しかも小生の作ったモノが、目の前で彼女によって歌われる光景は、まさに『恍惚』と『カタルシス』の極みであった!!」と彼女を絶賛します。

 

 著者は、「ブッダのように私は死んだ」のイマジネーションをどこから得たのか? じつは、「ブッダ~」が出来た直接的な理由は、ちょうどその頃、Netflixの米テレビ・ドラマ「ベイツ・モーテル」を著者が観ていた事にも起因するそうです。著者は、「映画『サイコ』シリーズの主人公、アンソニー・パーキンスが演じたノーマン・ベイツの少年時代を描いたお話で、ストーリーだけじゃなく映像も素晴らしい。とても怖くてグロいが、その《キモ可愛い》世界観にどハマりして、大いに刺激と影響を受けたのだ」と述べています。いやあ、素敵過ぎますね!

 

 本書には、日本の随筆の伝統を感じさせるような名文もあります。36「日本の四季と情緒はどこに行った!?」がそれで、著者は「異常気象で自然から感じられる情緒・風情が無くなると、『命を守る行動を取る』なんて事が最優先になり、我々にとって生活はおろか、物事を嗜む余裕なんかも、どんどん失せてしまうのであります。我らが音楽にだって、少なからず影響が出て来ますよ。そりゃそうですよね。民謡、演歌、歌謡曲、ポップスやロックに至るまで、そもそも音楽ってのは、人の『情』を表すものだったんですから!!」と述べています。

 

 また、特に日本では、古来「うた」と言えば和歌のようなものが中心にあったと指摘し、著者は「そこで謳い上げられて来たものとは、何だったでしょうか?? 1つには、"花鳥風月"といった自然を愛でて慈しむこと。もう1つには、恋情を中心とした人の心の移り変わりですよね。つまりは、『もののあはれ』と『ひとのなさけ』。そうした濃やかな心情を、日本人は『うた』に乗せて巧みに表現してきたわけであります」と述べます。

 

 56「仕事をください!!」では、コロナ禍で毎日がつまらないのでしょうか、著者は「なんかさあ、面白いコト無いかねえ? 今よりももっと、いやチョットだけでもいいからさぁ。新鮮で刺激的で、やり甲斐のある仕事がしたい!!」と嘆き、「アタシに限らず、皆さんの日常だって、大抵同じ事の繰り返しではないか?? そう、それぞれの『マイ・ルーティン』で仕事や人生が成り立っている事は、すでに"わかっちゃいるけど、やめられない"ところであろう。表現の世界だってそうだよね。伝統芸能たる歌舞伎や落語なんて、それこそ江戸の時代から掛かっている演目がザラにある。相撲の土俵のしつらえや仕切りの型だって、何百年も変わらないし。土俵入り、番付表、化粧廻し、なんてのも、江戸時代からまるで変わらないって言うんだから。アタシの好きなプロレスだって、まさに『マンネリズムの総合百貨店』だ。『その展開、待ってました!!』ってのが一番の見せ所なわけで。試合を締めくくるお馴染みの大技・決め技があってこその、一流のスター選手と呼ばれるんだからね」と述べます。

 

 前向きに解釈すれば「偉大なるマンネリズム」こそ、人の営みの根幹と言えるのだろうとして、著者は「毎年繰り返される四季の中、アタシたちは飽きもせず花見をして花火を上げ、紅葉狩りをして初詣に行くのを喜びとして生きて来たのである。最近じゃあ、ハロウィーンなんて似合わない事もやってないと、日本人のマンネリズムが風邪を引いちまいそうだし。あゝそうか、コロナ禍の生活の息苦しさって、こういう『愛すべきマンネリ』が断ち切られることに対する違和感、心の痛みなんだろうね!! マンネリは、物事を長く続けていく原動力である。アタシらはマンネリを愛し、そこに共生して生きる単細胞生物なのだ!!」と述べるのでした。

 

 66「おそらく、一生音楽人宣言」では、著者は以下のように書いています。

「震災から半年が経った時、宮城で2日間ライブをやらせて頂いた。その時の会場の皆さんの歓声が、今も頭から離れない。簡単に形容してはいけないかもしれないが、『我々は、そもそも"悲しいから"歌うんじゃないか?』『苦痛を伴う人生があってこその、音楽なんじゃないか?』 そんな思いが、当時の皆さんの歓声や表情に触れた時、アタシの胸をかすめていった。東北と向き合って、何が出来るか自問することはこれからも続くだろう。『オマエの歌が東北にとって何の足しになるんだ? 』と言われれば、ごもっとも。『音楽人=特別な才能、人を救える』などとは思っていない。ただ、皆さんと『思い』を共有するコトにおいての、歌そのもののチカラだけは信じてみたい」と述べています。著者の真摯な言葉には、いろいろと考えさせられます。

 

 「あとがき『女房の日記』」では、著者の奥様である原由子さんが「桑田家は明治初頭、小倉の城下町に住んでいた。丁度森鴎外が小倉に赴任して、『小倉日記』を書いた頃と重なる。戸籍の住所を見るとすぐ近くなので、桑田家と森鴎外もご近所付き合いがあったかもなんて楽しみながら『小倉日記』を読んだ。現在はかなりの繁華街のようだが、当時は閑静な町だったらしい」と書いています。桑田家のルーツが小倉だったとは知りませんでした。小倉生まれの小倉育ちで、今も小倉に住んでいるわたしは、もう大感激です!

 

 また、原さんは本書について、「2020年のお正月から始まった連載。『頭もアソコも元気なうちに、言いたい事を言っておく!』なんて言ってたけど、連載を始めてみたら、言いたい事は、子供の頃から影響を受けたりお世話になった人達への感謝と礼賛だったようだ。連載が始まって間もなくコロナ禍に見舞われ、医療従事者の方々始め日本中が大変な思いをされてる中、音楽界も窮地に陥り、私達に何が出来るのか試行錯誤の日々。まさかサザンオールスターズが、デビュー43年目の記念日に無観客の配信ライブをやるなんて! この時は文春の原稿書きとライブの準備が重なり、殆ど眠れない日々が続いていたっけ」と書いています。いやあ、このご夫婦、いいですねえ。ますますサザンが好きになりました!。最後に、有名人が著者であることは別にして、本書は間違いなく名著です!