No.2080 オカルト・陰謀 | 心霊・スピリチュアル 『神恐ろしや』 三浦利規著(PHP研究所)

2021.10.21

 10月21日、東京から北九州に戻ります。20日の夜は、ネイティブアメリカンが「ハンターズムーン」と呼ぶ満月のはずでしたが、わたしが宿泊しているホテルからは見えませんでした。それでも、「ShinとTonyのムーンサルトレター」第199信を投稿しました。あと1ヵ月で、なんと第200信の大台に到達するのが信じられませんね。すべては、神ながらに進んできたように思います。
『神恐ろしや』三浦利規著(PHP研究所)をご紹介します。「宮司が語る神社をめぐる不思議な話」というサブタイトルがついています。著者は、秋田県伊豆山神社宮司。1954年秋田県生まれ。明治大学文学部史学地理学科卒業。伊豆山神社禰宜を経て、1988年伊豆山神社宮司に就任。神社本庁評議員。秋田県神社庁協議員。

本書の帯

 本書の帯には「見えないけれど、何かいる」と手書き文字で大書され、「震えるほど怖いリアル・ミステリー」と書かれています。また、帯の裏には、「怪異の中に、人間の本音や業、さまざまな思いが込められている――」と書かれています。

本書の帯の裏

 アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「『神社ブーム』が続いています。参拝だけでなく、御朱印集めやパワースポットめぐりなど、現代人にとっても神秘的な場所である神社。実は昔も今も、神社やその周辺の森、お堂、修験道は、ご利益だけではなく、不思議な話、怖い話、怪異な話の宝庫だったのです。本書は、西暦807年に創建された由緒ある神社の現職宮司が見聞し体験した、震えるほど怖い話を集めました。今も続く恐ろしい『丑の刻参り』、黄昏時が逢魔が時と言われる訳、見えないけれどそこにいることを知らせてくる浮遊霊・地縛霊、そのお祓いの方法、神職さえも迷わせる霊の力、ご神像や神域や古くからの言い伝えを軽んじたときに下る神罰、みちのくの悲しく恐ろしい記憶、童謡『通りゃんせ』の歌詞そのままに『行きはよいよい、帰りは怖い』の真実……など。神様や目に見えないものを畏れ敬う心や想像する能力を失くさずに生きることの大切さを伝える本です」

アマゾン(出版社より)

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
一章 魔界への入り口
二章 胸騒ぎのあとに
三章 神上がれず、さ迷うもの
四章 東北・みちのくの怪異
五章 神御座します山々の怪し

アマゾン(出版社より)

 「はじめに」で、著者は「目に見えるものがすべてではない――と思いませんか。私たちを取り巻く、人智を超えた見えないものの存在を感じとることが大事です。一流棋士が人工知能に負ける時代――。しかしAIやロボットとは違い、人間には目に見えないものを感じ、畏れ、想像する素晴らしい能力が備わっています。不安は気づかないうちに、誰の心にも影のように寄り添っているもの。怪異は不安という母親、恐怖という父親から生まれた子どもと言えるでしょう。そこで思い切って、広く多くの方に知っていただくため、これらの不思議な話を集め一冊にまとめてみました」と書いています。

 また、中国で儒教の教えを説いた孔子は「怪力乱神」(道理では説明できない不確かなこと)を語らなかったことを紹介し、著者は「常識やモラルでは測れないような怪異な話の中にこそ、隠された人間の本音や業、さまざまな思いが込められているはずです。見えないものや、不思議なことを感じる感性や想像力を大事にすることで、きっと人生がよりしなやかに、豊かになるでしょう」と書いています。

 三章「神上がれず、さ迷うもの」の「若い女性が自殺した部屋のお祓い」では、著者は「神社の1年は初詣からはじまり、さまざまな神事が執り行われて四季がめぐっていきます。したがって、神職は多くの時間を神社で過ごしますが、時には地鎮祭や竣工式、個人の家の氏神様のお祓い事に出かけることもあります。神職にとって、それはハレの神事。その土地に鎮まります産土神や祖霊に、『人々の健康と繁栄をお護りください』と祝詞を奏し、ご加護をお願いします。しかし、時には気持ちが重く沈む、禍々しい凶事のお祓い事もあって、神職の使命の重さを感じる日もあります」と述べています。

 続けて、著者は「つらいことですが、それは交通事故死や自死が起きた場所・部屋、不幸がつづく家のお祓いなど。言うならば穢れた場のお清め。死者の霊を鎮め、大神の御座します幽世へ神上がっていただくための神事。そして、そのようなとき稀に、ぞっとするような怪異に遭遇することがあります。それは科学では解き明かせない、総身の毛が逆立つ変事です。不幸な死に方をした死者の霊魂はそのままでは神上がることができず、その場にとどまり、苦しんでいるのかもしれません」と述べます。
 
 「結婚式があると涙を流す花嫁人形」では、京都の有名な某神社のエピソードが語られています。その神社に、大きな日本人形を抱いた70代の品のいい夫婦がやって来たそうです。応対した神職は、夫婦が抱いている人形の白無垢の花嫁姿と、小学1年生の子どもほどもあるその大きさに目を見張りましたが、主人は子どもをあやすように抱いていた人形を下ろし、「この人形は先月、婚約者を残して乳がんで死んだ娘をかたどったもんどす。36歳の遅い婚期でやっと幸せをつかんだ娘は病魔と闘いましたが、だめやったんです」と言いました。

 その主人は、「私たちは娘が哀れでなりまへん。そこで、せめてもと思い、人形屋さんに花嫁衣裳を着た人形を作ってもろたんです。娘は幼いころからこちらさんが好きで、『大きくなったら、あの神社はんで結婚式を挙げるんや』と言うてました。どうか、この人形をかわいそうな娘だとお思いくださり、娘の魂が安らかに眠れますよう、人形をこちらはんに納めさせていただけまへんやろか――――」と神職に懇願したそうです。しかし、神職は丁重に断りました。人形のお祓いをして魂を抜き、お焚き上げはできますが、慰霊のために人形を祀っておくことはできないと説明しました。

 しかし結局は、「ひと月でいいから、娘のために祀って下さい」と夫婦の強い願いに押されて、ひと月だけの約束で、お祓いをして魂を抜いた人形を神社の人目につかない場所に祀ったそうです。すると、その人形が涙を流すという現象が起き、神職は「お約束ではひと月ですが、もうこれ以上はお祀りはできませんので、人形をお焚き上げしませんか?」と両親を説得しました。すると、両親は「この神社はんで結婚式を挙げたがっていた娘の想いが人形にのり移り、こちらはんで結婚式があるたびに娘が涙を流しましたんや。それに違いありまへん。娘が不憫ですわ」と言ったそうです。

 そして、その夫婦はお焚き上げされた人形の灰の一部を持って、京都を流れる鴨川に向かいました。「鴨川は娘が好きで、よく親子で散歩した場所。婚約者とも手をつないで歩きました。仲よく岸辺に座って、水の流れを見ながら語り合ったところです」と言ったそうです。著者は、夫婦は、たとえ少しでも鴨川に人形の灰を撒くことで、娘の霊が穏やかでいられることを想って川に灰を流し、手を合わせたそうです」と、この不思議な話を結んでいます。

 「神さまはいらっしゃる」では、宮城県のほぼ中央、太平洋岸の港町である塩釜市にある鹽竈神社が紹介されます。不思議なことは、その鹽竈神社の境外末社のひとつ御竈籠神社で起きました。著者は、「『御竈』という名は、塩釜という名前のもとになった神さまの釜・神竈が安置されているからなのです。この御竈神社では毎年7月4日から6日にかけて、藻鹽焼神事という儀式が行われ、でき上がった塩は参列者に配られています。この御籠神社の一角に古代、製塩に使った釜が四口祀られています。いずれも鉄製でいつの時代のものかは不明ですが、ご祭神の塩土老翁神が製塩の技術を人々に教えたときに使われたとされています」と書いています。

 この四口の神の竈が、東日本大震災を予告しました。著者は、「直径4メートルほどの釜にはいつも海水が張られていて、どんな日照りのときでも水が枯れることはなく、台風や大雨でも釜から溢れることはありません。不思議なのは、異変が起こるときは前触れとして、必ず水の色が変わるということでした。江戸時代には神竈の水の色が変わったら、必ず急いで藩に知らせることになっていたそうです。そして言い伝えどおり、あの日神の竈が凶事を予告しました。ふだんは赤褐色に濁っている釜の水が、11日の午前8時ごろに見ると、きれいに澄んだ透明な水に変わっていたのです。午後2時46分、激しい揺れが襲いました。あれから7年、今は何事もなかったように神竈の水は赤褐色にもどっています」と書いています。

 四章「東北・みとのくの怪異」では、「禁足地」のエピソードが紹介されます。この「禁足地」と呼ばれる場所は昔から日本各地にあって、なぜ入っていけないのかという禁足の理由は、場所によってさまざまであるとして、著者は「神社の近くや境内にある場合が多く、代表的なのが千葉県市川市の『八幡の藪知らず』。慣用句として広辞苑にも載るほど有名で、市川市の葛飾八幡宮の一之鳥居の近くにある、『八幡の藪知らず』と呼ばれる一角がそれです。江戸時代から『足を踏み入れると二度と出てこられなくなる』という神隠しの伝承があり、禁足地として今でも入ってはならないとされています」と書いています。

 この禁足の由来には、平将門の墓所説、日本武尊の陣屋説、水戸光圀が迷い、やっと出てきた……などいくつかの言い伝えがありますが、真偽のほどはわからないそうです。著者は、「そしていつしか、『道に迷うことや、出口のわからないこと』を『八幡の藪知らず』『やわたしらず』と呼ぶようになったそうです。現在お化け屋敷や迷路のことを『藪』と言うのは、この『八幡の藪知らず』の伝説からきていると聞きました」と書いています。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ 
天神様の細道じゃ
ちっと通して くだしゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ。
(通りゃんせ)

 「日暮れ時、あとをついてくる小さな女の子」では、童謡の「通りやんせ」の歌詞が紹介されます。おめでたい子どものお祝いで神社へ行くのに、なぜ「帰りはこわい」のでしょうかという疑問を示し、著者は「実はこの言葉が、『神隠し』のほんとうの意味を教えています。昔の日本は貧しく、やっと生きている人々は、生んだ子どもを皆育てられなかったのです。家族が増えればわずかな食べ物がなくなりました。そこで育てられない親は、七五三のお参りで招宮に子どもを連れてきて、『神さま、申しわけありません。私たちは貧しくて、もうこの子を育てられません。神さまにお返しします。どうかおゆるしください』と謝り、神さまに手を合わせました。そして、ゆっくりと手がのびて……」と書いています。
 
 お預かりした子どもを神さまにお見せしてから、せめてお菓子を与え、帰り道の誰もいないところでひっそりと神さまにお返ししたとして、著者は「こうして、また村で子どもがひとり『神隠し』に遭いました。昔、子どもの神隠しのほとんどは、『神さまにお返ししたか、人さらいにさらわれたか、人買いに売られたか、森で迷ったり、川や池に落ちて人知れず死んだか』でした」と述べています。

 「秋田の山奥で、神職が見てしまった村の習わし」では、町での出産は病院へ行く時代に、まだ産婆が赤ん坊をとり上げていた村が紹介されます。その村の村人は、赤ん坊を育てるときは屏風を普通に置くのですが、著者は「神さまにお返しするときは『逆さ屏風』で産婆に知らせるのでした。もし、逆さ屏風なら産婆は何も聞かずに、赤子の鼻と口に水で濡らした和紙を置くのです」と書いています。この村でもひそかにつづいていた”逆さ屏風”の習わしは、その後、作家の深沢七郎が書いた小説に描かれて有名になりました。
 
 五章「神御座します山々の怪し」の「千年の道、熊野古道の怖い出来事」では、世界遺産・紀州の熊野古道に気味の悪い言い伝えがあることが紹介されます。著者は、「一人で古道を歩いていると、昔、道で倒れて亡くなった死者の霊がとり憑くと……いうもので、地元では古くからよく知られた話です。紀州の熊野は神話の時代から神々が御座す土地とされ、『熊野三山』と総称される、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社が厳かに鎮座しています。熊野古道はこの三つの神社をめぐる道。観光ポスターにあるような1000年の昔に開かれた苔むした山道が、杉の大木が立ち並ぶ薄暗い森の中をうねうねとつづいています」と書いています。
 
 平安時代には、京都から天皇や貴族、武士、庶民までもが熊野を詣でました。その人々の参詣の様子が長い蟻の行列のように見えたことから、「蟻の熊野詣」と呼ばれました。また、熊野は「再生の地、甦りの地」と言われます。著者は、「再生、甦るためには、いったん死ななければいけません。熊野は浄土の地であると見なされたので、熊野(=浄土)に入るには、熊野詣は『葬送の作法』をもって行われました。そのため衣装も死装束でした。儀礼的に死んで甦るのが熊野詣でした」と述べます。
 
 平安時代からこの道を多くの参拝者や僧侶、修験者、商人が通り、疲れや空腹で行き倒れています。熊野古道は死者の道でもあったとして、著者は「そんな死者の霊魂が引き止めるのでした。1000年以上もつづいている道には、想いを残して死んださまざまな霊魂がとどまり、ひっそりとうずくまっています。数多くの霊の中には現世への執着心が強くて、どうしても神上がれず、死んだ場所で苦しみつづけて地縛霊や浮遊霊となることもありました。熊野古道が通る土地には、『霊にとり憑かれたときは、持っている食べ物を置いて逃げろ』という言い伝えがあり、もし食べ物がないときは、手の平に『米』と書いて見せろ、とされていました。空腹で亡くなった人の霊には、『米』の方が経や祓詞より効いたのでしょう」と述べるのでした。本書を読んで、語られている不思議な話はグリーフケアと深い関連があることに気づきました。本来、グリーフケアとか慰霊とかいうと神社よりも寺院の方がふさわしいように思いますが、そこは神仏習合の名残なのかもしれません。

開運! パワースポット「神社」へ行こう

 本書と同じPHP研究所から出版された『開運! パワースポット「神社」へ行こう』の「はじめに」にも書きましたが、わたしは疲れたときなど、よく神社に行きます。最近、若い人たちを中心に神社が「パワースポット」として熱い注目を浴びています。わたしは疲れたときなど、よく神社に行きます。何よりもまず、神社は木々に囲まれた緑の空間です。ゆたかな緑の中にいると、いつの間にか元気になります。八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、根本的に開かれていて寛容なところです。 まったく神社ほど平和な場所はありません。 伊勢神宮や出雲大社には心御柱があります。わたしは、すべての神社は日本人の心の柱であると思います。「神社さえあれば日本人は大丈夫!」とさえ思えてきますね。

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