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アメリカン・ブッダ』

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No.2072


 『アメリカン・ブッダ』柴田勝家著(ハヤカワ文庫)を読みました。一条真也の読書館『ヒト夜の永い夢』『ニルヤの島』で著者の長編小説を紹介しましたが、本書は短編集。著者は1987年東京生まれのSF作家。成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士課程前期修了。在学中の2014年、『ニルヤの島』で第2回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞し、デビュー。2018年、「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」で第49回星雲賞日本短編部門受賞。戦国武将・柴田勝家を敬愛しているとか。 

20210901181657.jpg本書の帯

 

 本書のカバー表紙には、ネイティブ・アメリカンと思われる青年の顔や、狼に咥えられた赤ちゃんのイラストが描かれています。帯には、「人類の未来を問う・・・・・・民俗学×SF!」「星雲賞受賞作を含む著者初の短篇集」「『SFが読みたい! 2021年版』が選ぶ ベストSF2020国内篇 第2位」と書かれています。

 

 カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「未曾有の災害と暴動により大混乱に陥り、国民の多くが現実世界を見放したアメリカ大陸で、仏教を信じ続けたインディアンの青年が救済を語る書下ろし表題作のほか、VR世界で一生を過ごす少数民族を描く星雲賞受賞作『雲南省スー族におけるVR技術の使用例』、『ヒト夜の永い夢』前日譚にして南方熊楠の英国留学物語の『一八九七年:龍動幕の内』など、民俗学とSFを鮮やかに交えた全6篇を収録する、柴田勝家初の短篇集」

 

 本書には、以下の6つの短編小説が収められています。
「雲南省スー族における
 VR技術の使用例」
「鏡石異譚」
「邪義の壁」
「一八九七年:龍動幕の内」
「検疫官」
「アメリカン・ブッダ」

 

 表題作「アメリカン・ブッダ」が書き下ろしで、他は他誌・他媒体に発表済みとなっています。いずれも民俗学とSFが融合した奇妙な味わいの物語です。これまでも民俗学とホラーの融合というのはありましたが、民俗学×SFというのは珍しく、はなかなか新鮮でした。「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」は、一生VR(バーチャル・リアリティ)ヘッドセットをつけて暮らす少数民族の物語です。彼らは生まれた直後に、ヘッドセットをつけられ、仮想のVR世界の中で人生を送ります。「彼らの見ている世界は、どんな世界なのか?」「彼らの見ている景色は、わたしたちの見ている景色とどのように違うのか?」などと興味は尽きません。

 

 スー族の長老が拙い英語で語る話は、古くから中国で「邯鄲(かんたん)の夢」として知られているものと同じでした。スー族を研究する主人公は、「彼らにとってVR上の世界こそが本当の世界であり、それを取り去ったからといって、この現実世界に順応するわけではない。我々にとっての現実がいつか、ただの夢であると告げられて、それを信じられる人間が果たしているだろうか」と考えますが、長老は「私は今、貴方に向けて話しているが、私の主体は常に私達の世界にある。貴方は今、私には1つの点として見えている。点とは貴方達の世界では点を指すが、私達の世界では個人の情報を指している。そこに差異があるのは確かだが、だからといって、それがどう違って見えるかを伝える術を持たない」と言うのでした。彼らにとってはVR空間こそが現実であり、現実世界というものは夢と同様のものに過ぎないのです。

 

 興味深いのは、結婚式についての描写です。結婚式もVR空間の中で執り行われるのです。普通の格好で村に訪れた花嫁は、花婿の肉体と出会います。VR空間上では何度となく、両者はアバターを通じて触れ合っていましたが、ここに至って初めて互いの肉体を知ります。しかしながら、彼らにとっての肉体とは単なる外部化された装置に過ぎず、顔の美醜や体型の好みなどは一切関係ありません。

 

 そもそも配偶者が婚姻によって村を訪れるのは、ひとえに子供を作るという即物的な目的の為であり、それを目的としないで、VR空間上のみで結婚を果たしたカップルも多く存在するという。そして、そういった何組かのカップルは、実は同性であることが後から判明し、顔を合わせたくても合わせられない事情があると、端童の男性が面白おかしく語っていた。
 そういった複雑な恋愛関係の中で、無事に婚姻を果たしたカップルは次に子供を作る――当然、セックスの最中も互いのヘッドセットを外すことはない。そうして生まれた子供は、長老の次に権力を持つ産婆の元で、人生最初の儀礼を受ける。
 つまり、ヘッドセットの装着である。(P.14)

 

 「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」には、葬儀についても書かれています。これは、『ニルヤの島』に登場した生体受像のデータが記録された石板(タブレット)と同様に、未来における葬儀のイメージをインスパイアされました。主人公がスー族の村に滞在している間、一度だけ葬礼の場を経験したのです。彼は、「この地で最も興味深いものが結婚と出産ならば、最も意義深いものが葬儀になるだろう」と書いています。その日、村の広場で、とある老人の死体が焼かれました。老人の葬礼には、介添人の女性以外は誰一人として参加していませんでした。しかし、そう見えたのはこちらの世界の話であり、端童の話によれば、VR空間の中では老人の葬儀が盛大に執り行われているということでした。

 

 老人の肉体は焼かれて灰に変わり、タッシブという白檀製の小さな櫃に入れられて、山沿いにある共同墓地の一角に埋められるという。これら一連の儀礼で最も重要なものは、老人がつけていたヘッドセットが外される瞬間であり、介添人の女性が死体からそれを外すのを見られたのは幸運だった。なんといっても数十年間にわたって装着し続けたものであり、それを外すのにも相当の手順が必要になってくる。
 まず、既に後頭部でヘッドセットを結ぶベルトと髪が複雑に絡んでいる為に、それらを丁寧に鋏で切り離す必要がある。ついで、綺麗な水で目の周りを濯いでいく。積み重なった垢と硬質化した皮膚によって癒着したヘッドセットを外すのは、並大抵の苦労ではないように思えた。
 ようやくそれが取り外された時、そこにあったのは厚い眼鏡のように盛り上がった眼鏡筋と、小さくすぼまった瞼だった。まるでモグラか地中の蛇のようだった。この身体的特徴が見られるのも、ヘッドセットを取り外し、火葬に処されるまでのごく短い間だ。
 積み上げられた薪の上に寝かされた老人は、そのまま凄まじい火力によって焼かれる。灰と煙が強い風に乗って、集落全体へと渡っていく。この間も、VR空間では、彼のために村人達が祈っているのだという。
(P.19~20)

 

 「鏡石異譚」は、主人公の女の子の成長を追いながら、未来の彼女が過去の彼女の前に出現してアドバイスするというタイムトラベルSFです。なぜ、未来の自分がアドバイスに来るのか。その理由を、彼女は「1つの出来事が、未来には様々な形で影響してくる。ドミノ倒しみたいに、些細なつまずきが連鎖して大きな不幸になる。それを防ぐには、最初のドミノが倒されないようにするしかない。きっと、未来の私はそのために、過去かの私にアドバイスをくれているのだ」と考えるのでした。

 

 「鏡石異譚」には、記憶子という新粒子が登場します。これは全ての過去を再現するものです。鏡のように常に過去に進む世界に人間は干渉できませんが、唯一、過去の世界を観測できる部分があり、それが記憶だというのです。主人公が「先生さん」と呼ぶ物理学者は、「人間は過去を知っている。それは肉体が経験したからではなく、この新粒子が、時間軸を反転した世界と我々の世界を繋いでいるからではないか、そう考えたんだ」と言います。また、「記憶というのは脳にあるものではなくて、この宇宙に存在していると考えられるというわけさ。つまり君が出会っていた過去の自分というのも、その新粒子が見せる現象だと考えたらどうかな」とも言います。

 

 記憶が宇宙に存在しているなんて、まるで全宇宙のデータベースとしての「アーカシック・レコード」を連想させます。さらに、先生さんは、「記憶子を制御するような技術が発見されれば、いずれ事実というものに意味はなくなる。物理的な痕跡や残された記録すら、人間にとって都合の良い意味に書き換えられる。今現在でさえ、僕らは自分の意識に従って正しいと思う記録を信じる。それ以外は全て不都合なもので、何かの誤りであると思い込む。九十九個ある玉を、世界全ての人が百個あると言うのなら、それは百個の玉になるんだ」と言うのでした。こんな物理学的関心に満ち溢れた時間SFが「迷い家」「座敷わらし」「オシラサマ」といった民俗学的ワードに沿った物語として展開していくのですから、たまりません。わたしは、この「鏡石異譚」が一番好きでした。

 

 「邪義の壁」は、昔から増改築を繰り返してきた迷路のような家の白壁から白骨死体が発見され、その後もいろいろと禍々しいものが発見されるというホラー風味のSFです。隠れキリシタンとか、隠し念仏などの宗教的テーマを含んでいますが、これはちょっと踏み込みが浅い感じでしたね。この話は、長編で書くと、また面白いのではないかと思いました。

 

 「一八九七年:龍動幕の内」は、『ヒト夜の永い夜』の前日譚で、人間の言葉を解析し、人間の望む答えを提示するITロボットが「天使」として登場するくだりがスリリングでした。また、この物語ではロンドンに留学している南方熊楠と孫文が大英博物館で待ち合わせるのですが、冒頭に書かれた博物館の描写が素晴らしいです。

 

 ここは世界の全てがある場所、つまり大英博物館である。
 大英帝国の威光も燦然たり。七つの海を渡り、世界のあらゆる地域を踏破した帝国だ。この国の冒険家達は、それぞれの地域から貴重な資料を持ち帰り――略奪したと言ってもいいだろう――それを巨大な博物館に収めた。言ってしまえば、子供の頃に綺麗な石や奇妙な虫を拾い集め、家に帰って玩具箱に詰め込んだことの、全世界規模のものなのだ。
 かのロゼッタストーンはもとより、無数のミイラにラムセス二世の胸像やらの古代エジプト美術、翻って地中海ギリシアの神殿遺物にエトルリア美術、古代ローマの花瓶が並び、アッシリアの彫像が出迎え、輝くのは古代ウルの金杯、または大陸先史時代の石器に青銅器、鉄器が時代ごとに分けられ、アフリカの投げナイフ、あるいはアメリカ先住民のレリーフが掲げられている。
(P.137~138)

 

 「検疫官」は、人間の思想に影響を及ぼすもの、すなわち「物語」を疫病のウイルスのようにみなし、検疫する男の物語です。コロナ禍の現在、わたしのハートにヒット! 面白いのは、「キリスト」という名前を聞いただけで検疫官が卒倒するほどのショックを受ける場面です。知らない者は「キリストってよく聞くけど、なんだ?」「もしかしてアメリカのコミックのヒーローとか?」などと訊ね、知っている者は「もっとも怖いものだ」と答えるのでした。

 

 拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)に書いたように、宗教とはまさに物語そのものであり、キリスト教や仏教といった世界宗教は「大きな物語」です。共産主義とかファシズムなどの政治思想の正体も「物語」です。最後には、「物語というものは人間が抱えた不治の病だ。どれだけ防疫を施そうとも、脳の奥では物語の腫瘍が膨れ続ける。それが破裂したら最後、人は何かを想像することを止められないのだ」と書かれています。

 

 最後の「アメリカン・ブッダ」は、仮想世界である「Mアメリカ」に住む主人公と、彼に向かって現実のアメリカから語りかけるミラクルマンの物語です。「Mアメリカ」では、あらゆる物質に満たされ人々が永遠に近く生きることができます。人類が切望し続けてきた「天国」そのもののように思えますが、その天国に行っても人間は苦しみ争い続けるのでした。主人公に対して、仏陀について語るミラクルマンは、ネイティブ・アメリカン(本人は自身を「インディアン」と呼んでいます)です。彼が断片的に語る仏教の教義が、この奇妙な味わいの物語によくマッチしていました。6つの異色短編小説が詰まった『アメリカン・ブッダ』は、読んで絶対に後悔しない名作揃いです。こんな面白い短篇集は久々に読みました。おススメです!