No.2067 プロレス・格闘技・武道 『プロレスレジェンドスター懺悔録』 イラスト/原田久仁信・構成/大貫真之介(双葉社)

2021.09.07

 『プロレスレジェンドスター懺悔録』イラスト/原田久仁信・構成/大貫真之介(双葉社)を読みました。内容は、「週刊大衆」2019年5月20日号~21年2月8日号で連載していた「This is プロレス最強伝説」を加筆・修正したものです。イラストの原田氏は1951年生まれ。77年、「週刊少年サンデー」でデビュー。80年、梶原一騎原作『プロレススーパースター列伝』をスタートさせ、以後、梶原作品と深く関わります。『男の星座』『格闘技セカイオー』など代表作は多数。「日本一のプロレス絵師」と呼ばれています。構成の大貫氏は1975年生まれ。法政大学法学部を卒業後、編集プロダクション、出版社勤務を経てフリーライターに。お笑い芸人の単行本の構成のほか、複数の雑誌に芸能、カルチャー分野の記事を寄稿中だとか。

本書の帯

 本書のカバー表紙には、原田氏が描いたプロレス史を飾る名場面のイラストが並び、帯には「全日本、新日本、U系まで総勢25名『伝説のレスラー』の咆哮!!」「★力道山、馬場、猪木……マット界創造主かく語りき」「★あの血風構想劇の真相」「★外国人レスラーおちゃめな素顔」「★海外武者修行」「★強かったレスラー実名……etc」「ファン待望の『プロレス正史』」「藤波辰爾×天龍源一郎 対談収録」と書かれています。

本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下の通りです。
プロローグ 原田久仁信
第1章◎闘魂のDNA
炎の飛龍 藤波辰爾
稲妻戦士 木村健悟
プロレスリング・マスター 武藤敬司
黒のカリスマ 蝶野正洋
ムービースター AKIRA
闘う愛の伝道師 馳浩
プロレスの教科書 大谷晋二郎
第2章◎王道の継承
極道鬼 グレート小鹿
東洋の神秘 ザ・グレート・カブキ
6時半の男 百田光雄
ド演歌ファイター 越中詩郎
デンジャラスK 川田利明
ダイナミックT 田上明
青春の握りこぶし 小橋建太
スターネス 秋山準
【Wドラゴンスペシャル対談】
藤波辰爾×天龍源一郎
「ジャイアント馬場とアントニオ猪木――素顔と伝説」
第3章◎Uの魂
関節技の鬼 藤原喜明
伝説の虎 佐山聡
格闘王 前田日明
カミソリシューター 山埼一夫
ハイブリッドレスラー 船木誠勝
プロレス王 鈴木みのる
ミスター200% 安生洋二
ミヤマ☆仮面 垣原賢人
IQレスラー 桜庭和志

 「プロローグ」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「僕にとって、”プロレスの原体験”は力道山さんです。電気屋のテレビを観ながら、やられてもやられても最後には勝つ力道山さんの試合に興奮しました。あの笑顔の奥にある殺気に惹かれたんです。ある日の夜、旅館の支配人をやっている叔父が寝ている僕を揺り起こして、『力道山に会わせてやるぞ』と言うので、寝ぼけまなこでついていったんです。旅館に着くと本当に力道山さんがいて、あの笑顔で僕の頭をなでて、なぜか軍用の10ドル紙幣をもらいました。僕には父親がいないので、『こんな人が親父だったらよかったな』と思ったことを覚えてます」

 原田氏の代表作はかの『プロレススーパースター列伝』ですが、世界のトップレスラーたちとともに、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、初代タイガーマスクといった日本人レスラーを取り上げました。著者は、「『プロレススーパースター列伝』は打ち切りとなってしまいましたが、もし続いていたら次はジャンボ鶴田編をやる予定でした。梶原先生は『本気になったら鶴田が一番強い』と断言していたんです。『体の大きさ、運動神経、どれをとっても一級品。ただ、鶴田は本気にならないんだ』と嘆いてました」と述べています。

 さらに原田氏は、「僕が最強だと思っていたのは猪木さんです。異種格闘技戦も経験してきた猪木さんは、『殺せる』心を持っているじゃないですか。そんなプロレスラーは強いですよ。佐山聡さんも『殺せる』レスラーだったと思うのですが、格闘技方面には行ってほしくなかった。真剣の斬り合いは好きじゃないんです。刀を忍ばせながら戦う、というのが僕にとって理想のプロレスなんです。だから、佐山さんが初代対外マスクとして復帰したときは、うれしかったですね」と述べるのでした。

 本書に書かれている内容のほとんどは知っていましたが、それでも「おっ?」と思う箇所はいくつかありました。そして、それはジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲に関するエピソードが多かったです。「極道鬼 グレート小鹿」では、日本プロレスの新弟子時代に、先輩である猪木に練習を見てもらうことが多かったという小鹿は、「猪木さんとスパーリングすると、オーバーに言えば1秒間に3回ギブアップを奪われるんですよ。蛇が動物に絡みついて絞め殺すような強さがありましたね。”参った”しても”起きろ!”と言われて、何度も関節を取られてしまう。思わず涙が出てしまうんだけど、恥ずかしいからそのままシャワーを浴びに行って洗い流していました。そうこうするうちに、2分、3分は耐えられるようになるんですよ。猪木さんはとにかく練習が好き。日本プロレスの選手の中で、一番練習していたんじゃないかな。引退するまで練習が好きだったという話も聞いてます」と語っています。

 「東洋の神秘 ザ・グレートカブキ」では、日本プロレスでは高千穂明久という若手選手であったカブキが、「当時日本プロレスの2大エースは、ジャイアント馬場とアントニオ猪木だった。BI砲とタッグを組むこともあったカブキから見ると、2人はタイプの違うレスラーだったという。『猪木さんは動きが速い業師。ガチンコが強くて、スパーリングでもネチネチとしたレスリングをしてきましたね。馬場さんは自分の大きさを見せるのがうまい。客を観察しているから”馬場、頑張れ!”と思うタイミングで、強さを出せるんです。アメリカでの経験が大きかったんでしょうね。2人組んだときの僕の役割は、相手の外国人選手を強く見せることでした。最後にBI砲が、その外国人選手を料理すると、お客さんが沸くからね』」と語ります。

 「青春の握りこぶし 小橋建太」では、90年代後半、全日本の四天王プロレスの激しい輪の中に馬場が入ることもあったとして、小橋は「”俺もやるときはやるんだ”という馬場さんのプライドを感じましたね。付き人をしている時代、こんなこともありました。僕がバーベルを使って鍛えていると、馬場さんは”そんなことをするな”と言うんです。アメリカ遠征時代、ジムで筋肉隆々の男同士がキスをしているところを見て、バーベル嫌いになったようで。その後も僕は器具を使ったトレーニングを続けていたのですが、ある日、馬場さんが”俺もやるからベンチプレスの重さを上げろ”と言うんです。プライドの高さといいモノは取り入れる柔軟性を感じました」と語っています。

 「スターネス 秋山準」では、馬場の指導は理論的であったとして、秋山は「力道山さんから教わったこととアメリカマットでの経験をミックスしたものが、馬場さん流のプロレスだったはずです。馬場さんからは関節技を極めるときのポイントも教わりました。足を出して”極めてみろ”と言うんですが、体が大きすぎてポイントが分からない。でも、やっていくうちに大きいレスラーでも小さいレスラーでも、共通する極め方がつかめるようになりました。ロープを背にしたときの位置も教わりました。ロープを持つんじゃなくて、胸を張って手を引っ掛ける。そうすると次の攻撃にスムーズに移れるんです。サードロープの高さがあるので、これも大きい選手じゃないと、できないんですけどね」と語っています。 

 【Wドラゴンスペシャル対談】藤波辰爾×天龍源一郎「ジャイアント馬場とアントニオ猪木――素顔と伝説」では、1989年11月の札幌で天龍が婆からフォール勝ちしたことが紹介されます。それについて、天龍は「重たくてなかなか持ち上がらないんだけど、『これでも喰らえ』と、パワーボムを決めて、『返してくるだろうな』と思ったけど、そのままフォール勝ちしたんです。でも、『馬場さん、返せたんじゃいですか?』と戸惑いました。自分の会社のトップに勝つということは、”何かを押しつけられた気持ち”になるんですよ。『お前、分かっているんだろうな』とすべてを任された感覚になって、重荷に感じましたね」と言います。それを受けて、藤波は「僕が猪木さんからフォール勝ちしたときも、同じ気持ちでしたね。野球や相撲ならトップに立てることはうれしいと思いますが、僕は素直に喜べなかった。また、フォール勝ちしたときに猪木さんがニヤリと笑ったんですよね」と語っています。

 1994年1月4日、天龍は猪木にもフォール勝ちしました。それについて、天龍は「猪木さんはもう引退が近いと思っていたんですが、いざリングに上がったらビシッと体を作っていたので、僕も一気に目が覚めました。試合中、ロープをつかんだとき、猪木さんから指を折り曲げられて脱臼したんですよ。指が変な方向に曲がっちゃって(笑)。自分で戻したんですけど、猪木さんの『ナメんなよ』というメッセージだったんだと」と言います。それを受けて、藤波は「猪木さんは、どんな状態でもコンディションを整えてきますよね。横浜文化体育館で、最後のシングルをやったとき(88年8月8日)もそう。44歳になってもスタミナが落ちてない猪木さんの恐ろしさを知りました。そのうち心地よさを感じて、結果的に時間切れ引き分けでしたが、『60分も猪木さんを独り占めできたんだ』と満足感がありましたね」と語ります。

 「伝説の虎 佐山聡」では、猪木は根が”アスリート”で、プロレスを”ショー”と捉えていないことが指摘されます。”アスリート”としての強さが根底にあるのがプロレスが”ストロングスタイル”であるとした上で、それに加えて猪木は”すごみ”にこだわっていたとして、佐山は「木戸修さんは高い実力の持ち主ですが、穏やかな性格でしたので、何かが足りなかったと猪木会長は感じていたようで、”お前は街でケンカしてこい!”と怒ったんです。それくらいの”すごみ”を出せということでしょう。猪木会長の異種格闘技戦なんて”すごみ”があって当たり前の世界ですが、僕が驚いたのは、数年前に猪木酒場で観た猪木会長とヒロ・マツダさんの試。最初は”動きがない試合だな”と思っていたけど、気づくと見入ってしまう。猪木さんに”すごみ”があるから、緊張感が高い勝負しているように見えるんですよ」と語っています。

 「ミヤマ☆仮面 垣原賢人」では、現在はガン闘病中の元U戦士の垣原が全日本に参戦した際の馬場の思い出を語っています。垣原は、「お亡くなりになる数か月前に初めて対戦させていただいたんですけど、馬場さんの強さに驚きました。お客さんの分からないところで痛みを与えてくる。いわゆるシュートテクニックを持っているんです。馬場さんの”シュートを超えたものがプロレス”という発言を、裏づけような動きでした」と語ります。彼はロサンゼルスで猪木とスパーリングしたこともあり、「猪木さんは”本気で首を締めてこい”と言うんですよ。UWFで関節技を習得してきた僕に対して、”俺は落ちないから全力でやってこい”と。僕が締め上げると、猪木さんは顔を真っ赤にしながら”それが全力なのか”と言ってくる。さらに力を入れたけど、猪木さんは落ちなかったんです。異種格闘技戦を含めて数々の選手と戦ってきた猪木さんは、対戦した瞬間に”自分を殺すまでいぇってくるような相手なのか”判断できるんですよ。猪木さんは、僕のことを”コイツは、かわいい子犬だな”と、すぐに見抜いたんでしょう。それが猪木さんのプロレスラーとしてのすごさだと思いました」と語っています。新生UWFでデビューしながら、馬場と猪木のプロレスを肌で味わった稀有なレスラーである垣原の発言は非常に興味深かったです。

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