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"黄金の虎"と"爆弾小僧"と"暗闇の虎"』

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No.2065


 『"黄金の虎"と"爆弾小僧"と"暗闇の虎"』新井宏著(辰巳出版)を読みました。著者はフリーランスのライターとして、「週刊プロレス」(ベースボール・マガジン社)、「Gスピリッツ」(辰巳出版)など古今東西にわたり、国内外、男子・女子を問わず記事を執筆中。サムライTV解説、ネット記事、ムック本なども手がけているとか。

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本書の帯

  

 カバー表紙には、本書で取り上げられる3人のプロレスラーの写真が使われ、帯には「金曜夜8時の新日本プロレスを彩った3人の物語」「タイガーマスク ダイナマイト・キッド ブラック・タイガー」と書かれています。

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本書の帯の裏

  

 カバー裏表紙には、引退後の佐山(タイガーマスク)とキッド、佐山とマーク・ロコ(ブラック・タイガー)が談笑している写真が使われ、帯の裏には「『出会い』『引退』『再会』『別れ』――。日本とイギリスで紡がれた最高にして永遠のライバルストーリー」と書かれています。

  

 本書の「目次」は、以下の通りです。

プロローグ
「金曜夜8時のトライアングル」
 第1章 東洋から来たマーシャルアーティスト
 第2章 衝撃の〝センセーショナル〟サミー・リー登場
 第3章 ダイナマイト・キッドと
     ブラック・タイガーの関係
 第4章 屈辱―タイガーマスクの日本デビュー戦
 第5章 絶頂―1982年夏の新日本プロレス
 第6章 引退―「さよならタイガーマスク」
 第7章 〝爆弾小僧〟と〝黄金の虎〟の再会
 第8章 〝暗闇の虎〟と〝黄金の虎〟の再会
 第9章  2018年12月5日、
      ダイナマイト・キッドが永眠
第10章  2020年7月31日、
                    マーク・ロコが永眠
第11章  初代タイガーマスクの復活ロード
エピローグ
「1980年12月17日、
    ロイヤル・アルバート・ホール」

「あとがき」

  

 プロローグ「金曜夜8時のトライアングル」で、プロレス界に革命を起こしたとされるタイガーマスクの好敵手として知られたダイナマイト・キッドとブラック・タイガーの2人がともにイギリスから海を渡り日本にやって来たとして、著者は「両者とも初来日が国際プロレス(ブラックは素顔の"ローラーボール"マーク・ロコ)で、一度参戦した後、新日本プロレスに転出、レギュラー外国人として何度も来日するようになった。いずれもイングランド北部の出身で、現地ではマンチェスターを拠点としていた。実はタイガーマスクvsブラック・タイガーの闘いが日本で展開される数年前、キッドとブラックは母国で激しい抗争を繰り広げていた。佐山聡はタイガーマスクに変身する前にイギリスで『サミー・リー』として大ブームを巻き起こしていたが、キッドvsブラック、いやキッドvsロコという黄金カードがサミー・リー旋風に先駆け、人気を集めていたのである」と書いています。

  

 また、著者は「キッドは2018年12月5日(享年60)、ロコは2020年7月31日(享年69)に永眠。タイガーマスク、ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガーが日本で一同に揃う夢が実現することはなかった。かなったとしたら、当事者同士はもちろん、いったいどれだけのファンが喜んでくれただろう。だからこそ、昭和の新日本プロレス全盛時に空前のタイガーマスク・ブームを創り上げたこの3人のトライアングルについて、まとめてみたいと思った」と書いています。

   

 第3章「ダイナマイト・キッドとブラック・タイガーの関係」では、阿修羅・原の対戦相手として国際プロレスがキッドに続いて招聘したのは、イギリス・マットでキッドの好敵手だった"ローラーボール"マーク・ロコであったとして、著者は「キッドはミスター・ヒトを介してカルガリーから来日した。が、ロコは本人の話によるとカール・ゴッチのブッキング。その前には新日本プロレス参戦の話もあったというが、半ばゴッチの命令で父ジム・ハジーが参戦した国際プロレスを選んだのだという」と述べます。1979年9月、ロコは國際の「ダイナマイト・シリーズ」に参戦。キッドが原からベルト争奪に失敗したことを聞きつけ来襲というのが来日時の触れ込みでした。キッドと同様に、ロコもシリーズ途中からの「特別参加」でしたが、後に両者は主戦場を新日本プロレスに移し、タイガーマスクのライバルとなるのでした。

   

 第7章「"爆弾小僧"と"黄金の虎"の再会」では、1988年末にWWFを離れ、全日本プロレスに主戦場を移したダイナマイト・キッドについて、著者は「当時のWWFは筋肉隆々のマッチョレスラー全盛時代。身体の小さいキッドはステロイド系の過剰摂取に加え、肉体のダメージから痛み止めを常に打つ状態でリングに上がっていた。身体を大きくするために薬物を使い、リングではじぶんよりずっと大きなレスラーに全身でぶつかっていく。これを毎晩繰り返し、さらに長距離の移動が肉体的にも精神的にも大きくのしかかった。カルガリーにいる家族にも会えない毎日が続く」と述べています。

  

 続けて、ステロイドは精神にも害を与え、攻撃的な性格に変えてしまうことを指摘し、著者は「それゆえロッカールームでの悪ふざけにも拍車がかかった。過激なイタズラがレスラー仲間の怒りを買い、たびたび問題を起こすようになる。それでも、リング上での人気は絶大だった。とくに全日本では体格の近い相手、たとえばマレンコ・ブラザーズとは名勝負を作り出し、スタン・ハンセンやテリー・ゴディら自分たちより大きなレスラーへ果敢にぶつかっていく姿が共感を呼んだ。全身全霊のファイトは、まさしく日本人好みだった」と述べています。

   

 ダイナマイト・キッドやブラック・タイガーと熱闘を繰り広げたタイガーマスクは1983年に電撃引退、佐山はタイガー・ジムをオープンし、理想の格闘技である「シューティング」の実現に向けて動き出します。その後、UWFを経て、シューティングを「修斗」として完成するも離脱。プロレス界に復帰しながら「掣圏道」(のちに「掣圏真陰流」と改称)、「須麻比」といった新しい格闘技や武道の創設に励んできました。佐山聡は間違いなく、日本の総合格闘技の発展に大きな役割を果たしましたが、現状を見ると、彼の理想が実現されているとは言い難いです。

   

 では、佐山自身にとってタイガーマスクとしての2年4ヵ月は何だったのか。そして、ライバルたちとの闘いをどう振り返るのか。本書の第11章「初代タイガーマスクの復活ロード」の最後には、佐山の「ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、さらに小林邦昭もいますし、ライバルがいてこそ、やはりタイガーマスクが光っていたと思います。彼らが思う存分に僕を動かしてくれたのかなと。縛りつけられないで、自由にできた。その点は幸せだったなと思います。タイガーマスクとは、新日本が作り出したプロレスの結晶だと思うんですね。それを思う存分に活かしてくれたのがライバルたちだと思います。そのライバルたちと思う存分、自由に闘えたから、ああいう試合ができたんですね。切っても切れない人たち、ライバルたちがボクを思いっ切り動かしてくれました」と語っています。

  

 最後に、本書にはダイナマイト・キッド、マーク・ロコの晩年の様子も詳しく紹介されています。佐山が、キッドが60歳の若さでこの世を去る直前に見舞いに訪れ、2人が涙ながらに再会を喜び合うシーンは感動的です。著者はキッド、ロコの両者の葬儀に参列しており、そのレポートはイギリスの葬儀の実情として興味深く読みました。佐山聡は健在ですが、狭心症で生死を彷徨いました。いずれも「つわものどもが夢の跡」といった印象ですが、どうか初代タイガーマスクとして多くのプロレスファンに夢を与え、スーパー・タイガーとして日本の総合格闘技の礎を築いた佐山聡氏にはいつまで元気でいていただきたいです。