お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

  • HOME
  • 『論語』と孔子の生涯
Title

『論語』と孔子の生涯』

Category

No.2056


 『『論語』と孔子の生涯』影山輝國著(中央公論社)を読みました。2016年3月に刊行された本です。著者は1949年東京生まれ。東京外国語大学外国語学部中国語学科、東京大学文学部中国哲学専修課程卒業。東京大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程修士課程・同博士課程、東京大学助手を経て、実践女子大学文学部教授。専門は中国古代思想。

20210318141206.jpg
本書の帯

  

 本書の帯には、「論語の解釈は一通りではない! 様々な読み方を通して知る、人間の英知の奥深さ」と書かれています。帯の裏には、「『論語義疏』にはこうした興味深い解釈や説話が書かれている。そして、『論語義疏』は室町時代に朱子の新注が入ってくるまで、日本における古注『論語』の最も標準的な解釈を提供していたのである。本書では、貴重な注釈書でありながら、一般にはあまり知られてない『論語義疏』の解釈を交えながら、『論語』と孔子の生涯について述べていこう」と書かれています。

20210318141243.jpg
本書の帯の裏

  

 さらにカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「六朝時代、梁の皇侃が著した『論語義疏』は、中国では十二世紀の終わりごろに散逸してしまったが、日本に伝来し大切に保存されてきた。江戸時代に出版され、中国に逆輸入されると、彼の地の学者を驚かせたという数奇な運命をもっている。『論語義疏』は皇侃の時代までに蓄積された『論語』解釈をめぐる様々な説や、興味深い説話の宝庫である。本書では『論語義疏』を手がかりに『古典の中の古典』の豊かな内実を解き明かし、あわせて孔子の生涯を丁寧にたどってゆく。孔子とその弟子たちの生き生きとした言行録を味読するための画期的な入門書」

  

 本書の「目次」は、以下の通りです。

第Ⅰ部 『論語』の世界

第一章 『論語』はどのような書物か

  1 『論語』という名称
  2 編纂者は誰か
  3 三つの『論語』とその注釈書
第二章 『論語義疏』の話
  1 皇侃と皇侃
  2 日本に残った皇侃
  3 根本武夷と『論語義疏』の出版
  4 『四庫全書』に入れられた『論語義疏』

第Ⅱ部 孔子の生涯

第三章 遊歴以前
  1 生い立ち
  2 青年時代から壮年時代へ
  3 政治外交の表舞台に立つ
第四章 孔子の三大弟子
  1 顔淵
  2 子貢
  3 子路
第五章 諸国遊歴と魯への帰国
  1 遊歴の十三年間
  2 李康子の問い
第六章 古典の整理と孔子の死
  1 『詩』
  2 『書』
  3 『礼』
  4 『楽』
  5 『易』
  6 『春秋』
  7 孔子の死
「あとがき」
「読書案内」

  

 「はじめに」の「中国に逆輸入された『論語義疏』」では、国宝級の『論語』注釈書として『論語義疏(ろんごぎそ)』が紹介され、「『論語義疏』は六朝梁(502~557)時代、皇侃(488~545)という学者が書いた『論語』の注釈書で、『義疏』とは経典(『論語』でいえば、その本文)や、その注(『論語』でいえば、何晏らの『論語集解』)の意味を分かりやすく解説した書のことである。六朝時代は、仏典や儒教経典で多くの義疏が作られた。『論語義疏』は何晏らの古注の基礎の上に、さらに解釈を発展させたものなのである。この本は中国でもずいぶん読まれたのであるが、12世紀終わりごろ南宋の時代に、中国では亡逸してしまい、以後、誰も読むことができなくなってしまった。ところが、この書物は日本に伝わり、大切に保存されてきたのである。これが江戸時代に出版されて中国に逆輸入され、彼の地の学者をアッと驚かせたという数奇な運命をもっている。儒教の経典で、六朝時代の注釈が完全な形で残っているのは『論語義疏』だけであり、この書は皇侃の時代までに蓄積された『論語』解釈の宝庫なのである」と書かれています。

  

 本書は、この『論語義疏』について書かれた内容がほとんどですが、『論語』への理解を深める平易なコラムも20本収録されています。コラム3「『いわく』か『のたまわく』か?」では、「曰」の読み方について詳しく説明されています。現在の高等学校の漢文の教科書を見ると、どの出版社の名のも「曰」はすべて「いわく」と読んでいますが、著者は「四民平等でまことに結構なことだと思うが、江戸時代以前には誰の発言かによって『曰』を読み分けていた。明治時代以降、現在にいたるまで、その伝統に従った読み方をしている本も刊行されている。どのように読み分けるかというと、聖人の発言は敬意を表して『いわく』ではなく、『のたまわく』と読むのです。聖人とは堯、舜、夏の禹王、殷の湯王、周の文王と武王と周公旦、それにもちろん孔子である」と述べています。

  

 このうち発言があるのは、孔子の他には、堯(堯曰篇・第一章)、湯王(堯曰篇・第一章)、武王(泰伯篇・第二十章)、周公旦(微子篇・第十章)であり、彼らが発言するときは、「子日」を「しのたまわく」と読むように、みな「のたまわく」と読んだといいます。著者は、「さらに遡ると、『子曰』は『しののたまわく』と、格助詞『の』をつけて読まれていた。『堯曰』は『ぎょうののたまわく』、『武王曰』は『ぶおうののたまわく』であった。そして、そのほかの人の発言には、『顏淵曰』を『がんえんがいわく』、『子貢曰』を『しこうがいわく』のように、格助詞『が』を付けて読んだのである。『の』方が『が』よりも敬意が強かったのだ」と述べます。この説明は非常にわかりやすく、わたし自身も勉強になりました。

  

 コラム5「『己に如かざる者を友とすること無かれ』――これで友達ができる?」では、著者の高校時代に数学のよくできるクラスメイトがいたことが紹介されます。漢文の授業で『論語』のこの章を学んだとき、彼は手を挙げて教師に質問しました。その問いは、「自分より劣った者を友人とするなという原則なら、交友関係は成り立たない。なぜなら自分が友人になってもらいたいと思う優れた人は、劣っている自分などを友人にはしてくれないからである」というものでした。答えに窮した教師をしり目に、彼は得意の論理的思考で、「もしこの条件で、交友関係が成り立つとすれば、たった1つの場合が考えられる。それは同等の人間同士においてのみ可能なはずである。同等ならば、相手は確かに自分より劣ってはいないからである」と述べました。著者は、「彼の明晰な論理に、われわれ生徒一同は『さすが!』と拍手喝采を送った」と書いています。

  

 著者は、教師がそこで何と説明したのか全く記憶にないし、こんなことがあったことすら、とうに忘れてしまっていたそうですが、『論語義疏』を読んだ際、このクラスメイトの意見と全く同じことが書かれていたので、驚くと同時に、高校時代の友の顔がまざまざと脳裡によみがえったとして、著者は「いまから1500年も前に書かれた『論語義疏』でも、すでに孔子の言葉の矛盾をどう解釈すべきか問題になっていたのである。1つの解釈は、私のクラスメイトと全く同じものであった。すなわち同等な人間同士だけが友人になるというものだ。しかし、孔子の言葉を素直に読めば、自分を向上させるために優れた友を択べというほどの意味にとるのが普通であろう」と述べます。

  

 それでは、『論語義疏』に書かれている古代人の説とはどのようなものか。1つの説は、この言葉の前に「忠信を主として」とあることに着目するものです。孔子のこの言葉は忠(まごころ)や信(信義)の徳が大切であって、それが自分に及ばないものは友とするな、という意味であり、ほかの才能のことは論じていないととるのです。著者は、「なるほど、こう解釈すれば、『忠信』さえ優れていれば、ほかの才能では自分に劣っている者でも友とすることができる」と述べています。

  

 『論語義疏』にはもう1つ、別解が書かれています。それは晋の蔡謨(281~356)という人の説で、彼は「友」の字義に着目します。「友」とはもともと「志を同じくする者」という意味です。古来「朋友」なる語には、「師を同じくするものを朋といい、志を同じくするものを友という」という区別がありましたが、『論語』ではこれが使い分けられています。例えば、学而篇の「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや」という場合の「朋」は、同じ先生についた「とも」なのです。著者は、「問題の箇所は『友』だから、『同志のとも』のことを指す。『己に如かざる者を友とすること無かれ』というのは、正しい道を行おうとする志が自分と同等、あるいはそれ以上ならば、相手が仮にさまざまな面で劣っていようと友とすることができると解するのである」と述べるのでした。

  

 コラム8「『中人』とは?――9ランクに分かれる人間」では、『論語』雍也篇にある「中人以上には、以て上を語るべし。中人以下には以て上を語るべからず」という言葉を取り上げ、「中人」について考察します。著者は、「人間は大きく分けると、上、中、下の3ランクに分けられる。『中人』とは中のランクにあたる人のことだ。ランクという言葉を、古代中国語では『品』という。すなわち人間は上品、中品、下品の3つに分けられるのだ。これが日本に伝わり、今でも『上品な女性だ』とか『下品な奴だ』とかというのである」と説明します。

  

 さらに細かく分類すると、上品、中品、下品を、それぞれ3つに分けて、上上、上中、上下、中上、中中、中下、下上、下中、下下の「九品」とします。上上にあたるのは「聖人」であり、聖人は生まれつき聖人で、決してそれ以下に落ちることはありません。またそれ以下の人間は、どんなに教育を施しても、本人がどんなに努力しても、上上の聖人にはなれません。下下は「愚人」であり、この人たちは、いかなる教育を受けても、本人のいかなる努力によっても、それ以上のランクに行けないのです。著者は、「陽貨篇・第三章の『唯だ上知と下愚とは移らず』とは、このことをいったもので、『上知』は『上智』とも書いて聖人を指し、『下愚』は愚人のことを指すのである。ちなみに、人間が努力次第で聖人になれるという思想は、朱子学の成立を待たねばならない」と述べています。

  

 第Ⅱ部「孔子の生涯」の第四章「孔子の三大弟子」の1「顔淵」では、「仁とは何かをめぐる問答」として、孔子の弟子であった顏淵が仁について尋ねたくだりが紹介されます。孔子は、「身勝手な行動を抑え、礼の規範に立ち戻るのが仁である。一日でも身勝手な行動を抑え、礼の規範に立ち戻れば、天下の人々はみな、仁徳に帰服するであろう。仁を行うのは自分次第であり、人任せにはできないのだ」と述べました。顔淵が「どうかその細目をお聞かせください」と言うと、孔子は「礼からはずれたことに目を向けてはいけない。礼からはずれたことに耳を傾けてはならない。礼からはずれたことを口にしてはいけない。礼からはずれたことを行ってはならない」と述べました。これを聞いた顔淵は、「私は至らぬ者でございますが、その言葉を実践したく存じます」と言うのでした。著者は、「仁の説明として、実に堂々たるものである。最上級の定義といってもよいであろう」と述べています。

  

 顔淵は孔子の最愛の弟子であったとされています。その顔淵が死んだとき、孔子の嘆きは尋常ではありませんでした。『論語』先進篇には、「顔淵死。子哭之慟。従者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之爲慟、而誰爲」と書かれています。「哭」とは喪葬(葬祭)の際の泣き方です。著者は、以下のように説明しています。
「およそ人の泣き方には三通りある。涙を流し、声を上げて泣くのが『哭』。涙は流すが、声を上げずに泣くのが『泣』。涙は流さず、声を上げて泣くのが『号』である。ずっと後世の小説であるが、『水滸伝』(第二十五回)に『婦人の泣き方に3通りある。涙があり、声があるのを哭という。涙があり、声がないのを泣という。涙がなく、声があるのを号という』と書かれている」

  

 第六章「古典の整理と孔子の死」の6『春秋』では、「『獲麒』事件」として、興味深い事件が紹介されています。哀公の治世は27年(前468)までです。では、『春秋』はなぜ14年(前481)までしか書いていないのかというと、孔子にとって大事件が起きたからだとして、著者は「この年の春、大野という場所で狩りが行われ、叔孫氏の御者である鉏商という者が獣を仕留めた。見たこともない獣であったので、不吉だと思われた。孔子はこの獣を『麟』だとし、『吾が道、窮まれり(私の道も終りだ)』と述べたと『孔子世家』はいう。麟は『麒麟』ともいう。東京日本橋の欄干の上に鋸えられている像であり、また、あるビール会社の標章にもなっているので日本人にも馴染み深い想像上の動物だ。一説に麒は雄、鱗は雌であるとか、角があるのが麟、角がないのが麒などと区別する場合もある。麟は天下太平のときに現れるのに、そうでないときに出現し、狩られて死んだのは、自分が近い将来に死ぬ兆しであることを孔子は悟ったのである」と述べています。

  

 「獲麟」事件が起きたのが哀公14年(前481)春でした。翌哀公15年(前480)には、孔子の弟子である子路が衛の国の内乱に巻き込まれて命を落とします。さらにその翌年の哀公16年(前479)、孔子は重い病にかかりました。弟子の子貢が面会に行くと、ちょうど杖をついて門前を散策していました。子貢を見ると孔子は、「賜(子貢の名)よ、どうしてもっと早く来なかったのか」と言い、歎いて「太山壊れんか。梁柱摧けんか。哲人萎まんか」と歌いました。孔子の目には涙が浮かんでいました。子貢に向かい、「天下に道がなくなって久しい。私の道に遵ってくれる者もいない。かりもがり(埋葬する前の一時期、亡骸を棺に納めてとむらうこと)をするとき、夏の人は東階に棺を置き、周の人は西階に柩を置き、殷の人は堂上の2本の柱の間に棺を置く。昨晩、私は堂上の2本の柱の間に座って供え物を受ける夢を見た。私の始祖は殷の人だったのだ」と言いました。著者は、「孔子の先祖の孔防叔は、もと宋の人であった。宋は周に滅ぼされた殷の遺民が建てた国であったことを思い出してほしい。孔子は死を前にして自らの出自を明らかにしたのであろう」と述べています。

  

 本書『『論語』と孔子の生涯』は、『論語義疏』という日本に伝わった貴重な写本を紹介しつつ、『論語』の多様な読み方の楽しみを説き、孔子の生涯をたどった本です。『論語』の解釈は一通りではないことがよくわかりますが、本書の白眉は洒脱なコラムの数々と、著者流の『論語』解釈でした。目から鱗の発見も多く、わたしは「やはり『論語』は面白い!」と改めて思いました。