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鬼滅の日本史』

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No.1985


 12月24日になりました。クリスマス・イブですが、今年はコロナで盛り上がりませんね。一方、最高に盛り上がっているのが『鬼滅の刃』ブームです。
 『鬼滅の日本史』小和田哲男監修(宝島社)を紹介します。日本の古典には鬼が"実話"として記録されています。なぜ鬼は生まれ、人々を苦しめたのか。そして、鬼とは一体"誰"だったのか。『鬼滅の刃』のルーツと隠されたメッセージを探る本です。監修者の小和田氏は1944年、静岡県生まれ。1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。2009年3月、静岡大学を定年退職。静岡大学名誉教授。研究分野は日本中世史で、多くの著書があります。

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本書の帯

  

 市松模様の本書の帯には「『鬼滅の刃』に隠された日本史の暗号を読み解け」「リアル鬼殺隊vs鬼 1600年の戦いが蘇る!!!」と書かれ、帯の裏には「古典に残された実在の"鬼"の記録」とあります。

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本書の帯の裏

  

 アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「老若男女に大人気の漫画『鬼滅の刃』。空想の世界だと思うかもしれませんが、日本の歴史史料には作品に登場しているような『鬼』の記述が多く残されているのです。日本人は古代から鬼と戦ってきた歴史があります。本書では、そんな史料に残されている鬼とは何かを解き明かしつつ、『鬼滅の刃』で描かれている登場人物や鬼の歴史背景を独自に考察します」

  

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。

歴史史料グラビア

「鬼に喰われる人々」

「妖術を操る鬼たち」

「鬼の大量発生」

「鬼と人間との戦い」

「鬼とされた人々」

「帝都・東京に現れた鬼」

「仏の世界の鬼」

はじめに

「『鬼滅の刃』に描かれた鬼のルーツに迫る」

第1章 『鬼滅の刃』前史❶

人類の捕食者 鬼の誕生

『鬼滅の刃』の鬼のルーツは古典にあった

鬼の誕生と進化の歴史

最初の鬼の誕生

組織化する鬼たち

血鬼術の登場

自らの意思で鬼になる人々

鬼となって復讐する人鬼

女を喰らう鬼たち

鬼の大量出現

人と鬼の間に生まれた半鬼半人

【コラム】今も生き続ける鬼の子孫

第2章 『鬼滅の刃』前史❷

実録 人類VS.鬼

鬼に喰われる側から鬼を斃す側へ

鬼を討伐した歴史上の英雄たち

平安時代の「柱」・藤原秀郷

リアル鬼殺隊・源頼光と四天王

妖術使いと死闘した大宅光圀と山城光成

安倍晴明の末裔・安倍泰成

大頭魔王の使いと死闘した蒲生貞秀と土岐元貞

現代に残るリアル日輪刀

【コラム】鬼からヒントを得て人をつくった西行

第3章  隠された鬼滅の暗黒史

『鬼滅の刃』は

 鬼VS.鬼の戦いだった

竈門炭治郎にみる技芸を行う「傀儡子」

時透無一郎にみる山中で生活する「サンカ」

宇髄天元にみる闇に生きる戦闘集団「忍者」

鋼鐵塚蛍にみる製鉄の専門集団「産鉄民」

悲鳴嶼行冥にみる優遇制度があった「盲人」

栗花落カナヲにみる「人身売買」された子どもたち

鱗滝左近次にみる神隠しをおこす「天狗」

嘴平伊之助にみる5000人いた「捨て子」

伊黒小芭内にみる幽閉された「特殊児童」

【コラム】昭和まで存在した「権力が及ばない地域」

第4章  新考察 『鬼滅の刃』の謎

なぜアニメ『鬼滅の刃』は大ヒットしたのか

なぜ鬼は藤の花を嫌うのか

青い彼岸花はどこにあったのか

なぜ『鬼滅の刃』の鬼たちは異形の目を持つのか

なぜ人が多い場所に鬼が現れたのか

なぜ鬼殺隊の最上位は「柱」と呼ばれるのか

なぜ能力者に痣が発現するのか

なぜ「ヒノカミ神楽」は12の舞なのか

我妻善逸と獪岳のモデルは誰か

【コラム】炭治郎が斬った大岩のモデル・一刀石

第5章  鬼とはなにか

鬼には5つのカテゴリーがある

鬼として蔑まれた人々

山に棲む鬼女

あとがき「鬼は滅んだのか」

「参考文献」 

 

 歴史史料グラビア「帝都・東京に現れた鬼」には、「鬼は時代のはざまに現れる。鬼とは人の精神が不安定となった際の『疑心暗鬼』が生み出す産物であり、また混乱する社会情勢の中で、社会の枠組みから外れていった人間たちそのものであるからだ。そのため江戸時代から明治への転換点には多くの怪異談が伝わる。文明開化後も鬼は滅びることなく、戦時中には日本と戦った米英軍を、現在では無慈悲な犯罪者を『鬼畜』と呼び、深層心理に鬼の恐怖心が残り続けている」と書かれています。

  

 はじめに「『鬼滅の刃』に描かれた鬼のルーツに迫る」の冒頭には、「鬼ごっこをして鬼から逃げ回り、『桃太郎』の絵本を読んでもらい、節分には鬼に豆を投げる......。鬼は恐ろしくもありながら、子どもにとって身近な存在だ。もっとも大人になって生物としての「鬼」の存在を信じている人は少ないだろう。しかし、令和の時代に大人も子どもも夢中にさせたのは、昔話のひとつに過ぎなかった『鬼退治』の話だ」と書かれています。 

 

 また、「令和の人々の心を打つ新たな鬼退治の物語」として、「『これは、日本一慈しい鬼退治。』『鬼滅の刃』につけられたキャッチコピーは、この物語が単なる『善』と『悪』の戦いではなく、鬼の心と向き合い『悪』の闇に光を当て続けようとする、新たな鬼退治の物語であることを表している。絶対悪と思われた鬼もまた、主人公たちと同じように悲しい過去を持っているなど、敵キャラである鬼の背景も丁寧に描かれていることが、多くの人々の心を打ったのだ」とも書かれています。 

 

 『鬼滅の刃』の独自の設定として、鬼は夜にしか生きられず、日光を浴びると消滅してしまう「弱い存在」として描かれます。そして、鬼たちは「鬼の始祖」である鬼舞辻無惨によって、反乱を起こすことがないように大勢で群れることができなくされています。鬼となることで、悲しい過去とともに人間として生きた楽しかった時間を忘れ、夜にしか生きられない、孤独な存在が、『鬼滅の刃』における鬼なのです。

  

 第1章「『鬼滅の刃』前史❶ 人類の捕食者 鬼の誕生」の「『鬼滅の刃』の鬼のルーツは古典にあった」では、「正史に記録された鬼の存在」として、「今日、生物として『鬼』が存在することを信じている人は少ないだろう。では、古代や中世の人々はどうだったのか。例えば、9世紀の『日本霊異記』には鬼の説話が載っているが、これらは実話として語られている。また『日本書紀』や『日本三代実録』などの正史(政権がまとめた公式の歴史)にも鬼は登場する。こうしたことから、鬼は実在する恐怖の存在という認識だったことがわかるだろう。しかし、これらの記録の多くは、権力者によって卑しめられた抵抗勢力だったり、社会秩序が及ばない山中などに棲む特殊技能を持つ人々、恨みを抱くあまりに狂気を宿した人々であることが多い。現代と異なり、情報が限定的だった古代や中世では、このような異質なものをリアルな鬼として恐れたのだ」と書かれています。 

 

 「『鬼滅の刃』の鬼が元人間である理由」では、昔話の『桃太郎』に登場する鬼ヶ島の鬼たちをはじめとするパターン化された鬼のイメージと、『鬼滅の刃』の鬼たちではだいぶ異なるとして、「実は、頭にツノが生え、虎のパンツを穿き、金棒を持つ鬼は近世に入ってから生まれた比較的新しい鬼の姿である。このような姿の鬼は日本の古典に登場する鬼のほんの一部に過ぎないのだ。社会秩序からはじかれた、あるいは自ら外れた『鬼滅の刃』の鬼たちの姿は、人間社会から『異質なもの』=『鬼』としてみなされた日本の古典的な鬼の姿といえるのだ」と書かれています。

  

 「最初の鬼の誕生」の「神話に描かれた異形の怪物たち【古代】」では、「黄泉の国の支配者・イザナミとの共通点」として、「日本の神話に登場する最初の鬼的存在は、日本の国土を生み出した女神・イザナミといえるだろう。国土や神々の母でありながら『火の神』を産んだことで命を落としてしまったイザナミは、腐敗した体で死後の世界に君臨する恐ろしい女神となる。その体には8体もの雷神をまとい、さらには黄泉醜女という黄泉の軍勢を自在に操るのだ。『醜』には醜いというほかに、強い、恐ろしいといった意味があり、醜女たちも黄泉の国に棲む鬼の元祖的存在といえる。イザナミの夫であるイザナギが黄泉の国とこの世界とをつなぐ黄泉比良坂を封印したことで生死の世界は分断され、その直後に『鬼滅の刃』の鬼たちの最大の弱点である太陽を司る女神(日の神)・アマテラスが誕生している」と書かれています。 

 

 第2章「『鬼滅の刃』前史❷ 実録 人類VS.鬼」の「鬼に喰われる側から鬼を斃す側へ」では、「社会からはじかれた者たちが鬼となる」として、「それまで人間は一方的に喰われる側だったが、平安時代の後期になると鬼は絶対的な力の象徴ではなく、人間によって討伐可能な存在へと変わっていった。それまで陰陽師たちによって鬼を祓い、鬼の侵入を阻んできたが、より積極的に鬼の排除を行うようになったのである。武士の台頭で日本が動乱期を迎える中で、鬼は得体の知れない怪しい者から、権力闘争に敗れた反体制者や盗賊、被差別民といった社会のアウトサイダー、朝廷に対する闇の存在たちが鬼として『邪神』『姦鬼』と呼ばれるようになった」と書かれています。

   

 続けて、『鬼滅の刃』に登場する鬼たちは、すべて元人間だがその過去は、体が弱かったり、犯罪者だったり、遊女であったりと、社会的に差別を受ける立場の者たちが多いことが指摘され、「そのような者たちが、社会的な復讐や人間の時には得られなかったものを鬼の力で得ようとする物語となっている。平安時代後期以降の鬼(鬼とみなされた人)も、人間のコミュニティの中に居場所を見いだせずに社会のアウトサイダーとなり、自分たちだけのコミュニティを構築していった。しかし、それは一般の人間社会の人々からみれば脅威でしかなく、時として権力側が『鬼』とみなして討伐する対象となった」と書かれています。 

 

 「鬼を討伐した歴史上の英雄たち」では、「受け継がれる『鬼切』の精神」として、「それまで鬼に喰われる犠牲者や鬼と遭遇した者の多くは、一般庶民や地方の行政官の娘といった人々だった。しかし、人間が鬼を討伐するようになると、実在の歴史上の人物が登場するようになる。現実社会において、功名を成した人物が、闇の者たちに対してもその強力な武力を発揮したのである。後世には武士の棟梁的な称号となった征夷大将軍に初めて任命された坂上田村麻呂は、『征夷』の字の通り、東北地方の蝦夷を征伐した人物だ」と書かれています。なお、坂上田村麻呂が鈴鹿御前と戦った際に用いた刀は、源満仲へと渡り戸隠山の鬼討伐に用いられ、さらに源頼光、そして頼光四天王のひとり・渡辺綱の手へと渡って、それぞれの鬼を斬ったことから、「鬼切」と呼ばれます。 

 

 日本三大怨霊のひとりにも数えられる平将門を討った藤原秀郷は、百目鬼や大百足などの化け物退治の話が残っています。しかし、鬼の討伐で最も有名な人物は源頼光です。権勢を極めた藤原道長の側近として仕えた人物です。弓術の名手で、配下の「頼光四天王」とともに多くの鬼や妖怪を討伐したとされます。「リアル鬼殺隊・源頼光と四天王【10世紀】」の「鬼の首魁・酒呑童子との戦い」では、「古典に記された源頼光と四天王の活躍」として、「数ある鬼退治伝説の中で最も有名なのが、源頼光とその家臣たちによる大江山の酒呑童子退治である。彼らはほかにも多くの鬼を退治しており、"リアル鬼殺隊"ともいうべき存在である」と書かれています。 

 

 また、頼光は平安時代中期の武将で、清和源氏の3代目にあたりますが、弟の頼信の子孫に鎌倉幕府を開いた源頼朝がいます。摂関政治の最盛期を築いた藤原道長の側近として仕え、貴族的な側面もありました。頼光には、四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)と称される家臣たちがいましたが、「いずれも一騎当千の強者で、彼らの存在も頼光を伝説的な武人として押し上げる原動力になったといえる。『鬼滅の刃』では、鬼殺隊の最上位ランクの剣士を『柱』というが、四天王は頼光にとっての『柱』ともいうべき存在だ」と書かれています。 

 

 「妖術使いと死闘した大宅光圀と山城光成【11世紀】」の「リアル血鬼術の使い手・滝夜叉姫との戦い」では、「『鬼滅の刃』に出てくる鬼たちの改心」として、「『鬼滅の刃』には、『生まれながらの鬼』は登場しない。鬼の始祖である鬼舞辻無惨が人間の恨みや嫉妬心につけ入り、自分自身の血を分け与えることで鬼に変えているのだ。鬼になった者は人間だった頃のような思考ができなくなり、人間に対する敵対心が高まり、肉親であっても容赦なく喰い殺してしまう。あるいは、鬼舞辻無惨におだてられて人の命を奪う鬼もいる。まさに人の心を失った悪鬼ともいうべき存在だが、一方で、死の間際になって人の心を取り戻し、安らかに天へ召される鬼もいる」とあります。 

 

 「現代に残るリアル日輪刀」の「鬼を斬った名刀の数々」では、「鬼殺隊が装備する鬼殺しの『日輪刀』」として、「『鬼滅の刃』において鬼殺隊が装備している『日輪刀』は、太陽の光以外で唯一鬼を倒せる武器とされる。太陽に一番近い陽光山で採取できる原料の砂鉄(猩々緋砂鉄)と鉱石(猩々緋鉱石)には、陽の光を吸収する作用がある(第9話)。日輪刀の形状は、基本的には鎬造りと呼ばれる一般的な日本刀と同じ形状である。鎬造りは刃と峰の中間よりやや峰側に鎬(刃の背に沿って小高くなった部分)をつけたもので、どちらかといえば実践向きの剣である。一方で、持ち主によって色が変わることから、別名『色変わりの刀』とも呼ばれる(第9話)」とあります。

  

 武士の象徴ともいうべき日本刀が最初に世に出たのは平安時代後期で、武家の力が増すにつれて、刀鍛冶の技術も向上していったことが紹介され、さらに「鎌倉時代に入ると各地で名工が登場し、日本刀の黄金期とも呼ばれる時代を迎える。室町時代になると、刃を上に向けて佩く打刀が流行する。打刀のほうが素早く刀を振るうことができたので、戦国乱世との相性が抜群だった。しかし、江戸時代に入って天下泰平の世になると、刀は武家のシンボルとしての意味合いを強めていく。幕末期には再び実用性が求められるようになったが、明治に入ると廃刀令が出され、一部の例外を除く帯刀が禁じられた」と書かれています。 

 

 「鬼の首魁を斬った天下五剣のひとつ・童子切安綱」として、「今も数多くの日本刀が存在するが、その中には鬼を討ったと伝わる刀もある。名刀中の名刀として高く評価される『天下五剣』の『童子切安綱』もそのひとつで、大江山に君臨していた最強の鬼・酒呑童子を斬った刀と伝わる。平安時代中期に伯耆国大原の刀工・安綱が作刀したとされ、刀身の強度も斬れ味も抜群。『大包平』と並ぶ『日本刀の東西の両横綱』と称されている。江戸時代の刀剣リスト『享保名物帳』には、『極上々の出来、常の安綱に似たるものにあらず』と称賛されている」と書かれています。

  

 第3章「隠された鬼滅の暗黒史」の「『鬼滅の刃』は鬼VS.鬼の戦いだった」では、「社会秩序からはみ出した『元人間』」として、「現実世界において『鬼滅の刃』に出てくるような異形の鬼が存在したとする確たる証拠は存在しない。それでは現実世界における鬼とは、一体どのような存在だったのか。大きな意味でいえば、鬼とは人間のコントロールを超えた過剰な力や強さ、巨大さ、醜悪さをともなう存在といえるだろう。それは山に棲む獣であったり、疫病であったり、災害だったりしただろう。人々に災いをもたらす人智を超えた観念的な存在が鬼なのだ」とあります。 

 

 では、人を喰ったりさらったりするなど、具体的な被害報告がある鬼とは誰だったのでしょうか。結論からいってしまえば、同じ人間であるとして、「ある一方の側から見て、自分たちのコミュニティに害を及ぼす者たちを鬼としたのである。最もわかりやすい例が、土蜘蛛などと呼ばれた、朝廷に従わなかった地方勢力だ。後世になると絵巻などで、蜘蛛の妖怪として描かれたが、実際は紛れもない人間だった。また『清水寺縁起絵巻』には、蝦夷と呼ばれた東北地方の軍勢が鬼のような姿で描かれている。こうした人々は『絶対悪』とはいえない存在だが、鬼として扱われ、一方的に討伐された」と書かれています。 

 

 また、現代の日本のような社会福祉制度が存在しない時代において、社会的弱者は秩序ある村からはじき出され、山中に棲んだり漂泊の民となり、中には、強盗や人殺し、人さらいなどを行う犯罪集団になった者もいたとして、「そのような者たちが鬼として蔑まれ恐れられたのだ。昔話には、鬼が人間を恨んだり憎んだり、あるいは怨恨の念から人間が鬼化した話が数多くある。『鬼滅の刃』に出てくる鬼たちは人を喰らう『絶対悪』的な存在だが、このような社会秩序からはみ出て鬼とされた人々の姿と重なる」とあります。 

 

 「鬼殺隊は『埒外者』の集団だった」では、「人間のコミュニティに属さない人々」として、「『鬼滅の刃』には鬼以外に社会秩序に属さない者が描かれている。ほかでもない鬼殺隊のグループだ。第4話では鬼殺隊が『政府から正式に認められていない組織』と解説され、第54話では刀を所持している竈門炭治郎たちを見た駅員が、『警官を呼べ』と叫ぶシーンがある。また鬼殺隊のメンバーは、鬼となった者たちにもヒケを取らない悲惨な過去を持つ者も少なくない。作中では一般社会で普通の暮らしをしている者が志願して鬼殺隊に入ることは稀なケースになっているのだ。なぜ鬼殺隊が政府非公認で、社会秩序からはみ出した者たちの集団とする設定にしたのか。ここに『鬼滅の刃』の物語の深さと魅力のひとつがある」とあります。

 

 また、日本には古くから悪事を働くわけではないが、都市部や村落に属さずに暮らす人々がいたことが紹介され、「山地で狩猟する者、製鉄を行う者、薬草を探す者、芸を披露する者など、村落の共同社会とは異なる生業の人々だ。これらの人々は神やもののけのテリトリーとされた山中などに住んだり、各地を渡り歩いたりした漂泊民だったりした。このような『ご近所さん』ではない特殊な職業を持つ人々は、村落にはない生産物や娯楽などを提供する恵みをもたらす者たちである一方、外部から来た得体の知れない輩『埒外者』として、時として蔑む対象となった」とあります。 

 

 主人公・竈門炭治郎の家は山中にあり炭売りを生業にし、同期の我妻善逸や嘴平伊之助は捨て子、そのほか盲目の人物や忍者、日輪刀をつくる刀鍛冶の里の人々など、町や村のコミュニティに組み込まれていない人々で、鬼殺隊は構成されていることが指摘され、「『鬼滅の刃』に描かれている世界観というのは、人間のコミュニティからはじき出されて悪事を働くようになった『鬼』と、同じく人間のコミュニティに属さないが恵みを与える『埒外者』=鬼殺隊をベースとしているように考えられるのだ」と書かれています。 

 

 さらに、「鬼と同じ能力を持つ『柱』」として、「『鬼滅の刃』では、鬼は人間が持たない特殊能力・血鬼術を操る。一方、鬼殺隊のメンバーも「呼吸」と呼ばれる特殊能力を用いて、鬼の血鬼術に対抗する。もし鬼と鬼殺隊が同じ姿だったとしたら、どちらが鬼か区別はつかないだろう。第128話では、『呼吸』を極めると、やがて鬼の紋様と似た痣が発現すると語られている。これは人間の鬼化を示しているともいえる。古典には、山中で修行して特殊能力を取得し、前鬼・後鬼の2体の鬼を使役した役小角や、式神と呼ばれる鬼を使役した陰陽師・安倍晴明など、超能力を持った人物は鬼と近しい存在となっている。鬼とは人の力を超えた存在であるが、『埒外者』たちや村社会の人々とは異なる能力を持っている人々もまた鬼と同等に見られる存在だったのである。『鬼滅の刃』は人ならざる者=鬼と、やはり『普通の人』とは異なる『鬼に近い人』との戦いなのだ」と書かれています。 

 

 「竈門炭治郎にみる技芸を行う『傀儡子』」では、「山中で技芸を継承する竈門家の特殊性」として、「『鬼滅の刃』では、主人公・竈門炭治郎の生家が『ヒノカミ神楽』と呼ばれる厄祓いの神楽を代々受け継いでいる描写が出てくる(第40話)。ひと晩にわたって舞い続けることで1年間の無病息災を祈るもので、竈門家の嫡男である炭治郎も舞い型を習得していた。炭治郎の父・炭十郎は病弱だったが、最小限の動きで最大限の力を出す呼吸法を心得ていたので、ひと晩中舞い続けることができた。鬼殺隊となった炭治郎は、『ヒノカミ神楽』から「円舞」「碧羅の天」「灼骨炎陽」などの剣技を繰り出せるようになる。そして、『ヒノカミ神楽』が『始まりの呼吸』と称される『日の呼吸』と関係が深いことが明らかになっていく」と書かれています。 

 

 第4章「新考察・『鬼滅の刃』の謎」の「なぜマンガ『鬼滅の刃』は大ヒットしたのか」では、「新型コロナウイルスと鬼の意外な関係」として、「2020年、新型コロナウイルスの流行が世界を席巻した。実は疫病と鬼は古くからの深いつながりがあり、『鬼滅の刃』もまた鬼=疫病とする描写が多く見られるのだ。夏に高温多湿となり、冬に低温低湿になる日本ではしばしば疫病が流行した。奈良時代の天然痘と思われる天平の疫病、平安時代の麻疹、江戸時代には梅毒のほか、疱瘡・麻疹・疫痢・フィラリア症・天然痘などが流行した。さらに幕末にはコレラがたびたび流行し、1858年のコレラによる死者は3万人を数えたといわれる」と書かれています。 

 

 このため日本の伝統行事には、疫病を祓うためのものが多いとして、「最も有名なものが2月の節分の豆まきだろう。疫病は鬼がもたらすものと考えられ、節分=『季節を分ける日』、つまり季節の変わり目に鬼を祓って健康を祈願したのである。この節分の豆まきは宮中行事の追儺式が起源とされる。大きな流行をもたらす疫病の多くは、外国からもたらされた疫病だった。このことから『鬼は外』は外国からもたらされた疫病を国外へと追い出すことを表しているとする説もある」と書かれています。 

 

 また、「鬼は疫病そのものを表す存在」として、「赤鬼は天然痘などの疫病に罹り、高温のため顔が赤くなった様子を表しているとする説がある。また死人を想起させる青白い色で描かれることも多い。鬼とは死へと導く恐ろしい存在であり、死人そのものと考えられたのだ」と説明されます。さらに、新型コロナウイルスに対する潜在的な不安感は、日本人の精神的な土壌として息づいている鬼のイメージと結びついたと考えられるとして、「『鬼滅の刃』の爆発的なヒットは2020年になって加速した。新型コロナウイルスの日本における最初の報道は2019年12月31日のこと。2020年に入り中国・武漢でのパンデミック、2月3日に横浜港に停泊するダイヤモンド・プリンセス号でクラスターが発生、4月7日には緊急事態宣言が発令された。以降、連日新型コロナウイルスに関する報道は続き、それに伴い『鬼滅の刃』の発行部数も増加していったのである」と書かれています。 

 

 「『鬼滅の刃』は疫病との戦いを描いた物語だった」では、「祓うものから滅するものへ」として、「歴史学者の磯田道史氏は、テレビ番組で、『昔の日本人にとって鬼は祓うものだったが、今の鬼ブームでは鬼は滅びるものとして人気に。鬼に対する捉え方が変わっている』(「所ジャパン」フジテレビ、2020年7月20日放送)と指摘している。本来、疫病=鬼は祓ってもまたやってくる存在であった。そのため、毎年季節の変わり目に節分の豆まきを行い、鬼を祓う必要があった。しかし、20世紀に入ると医療・製薬技術の発展によって、多くの疫病の撲滅・封じ込めに成功してきた。疫病=鬼は、祓うものから撲滅できるものとする意識の変化が起きたのだ」と書かれています。 

 

 そして、新型コロナウイルスについては2020年9月現在、ワクチンは完成しておらず世界的な封じ込めの目処は立っていないとして、「強力な鬼に対して、傷つき、時に死者を出しながら立ち向かう鬼殺隊の姿は、新型コロナウイルスに恐怖しながらも、疫病を撲滅するために懸命に闘ってきた人類の歴史そのものといえるだろう。この新型コロナウイルスへの恐怖感と鬼殺隊への共感と応援こそが、『鬼滅の刃』の大ヒットの大きな要因と考えられる」と述べるのでした。

 

 「なぜ鬼殺隊の最上位は『柱』と呼ばれるのか」の「『鬼滅の刃』と出雲神話の共通点」では、「『柱』の名称は人の力を超えた存在の証」として、「日本では、神を1人、2人ではなく、1柱、2柱と数える。『柱』の漢字の成り立ちは『木』+『主(燭台で静止している火)』で、『動かない木』を意味する。日本では樹木に神が宿るとされたことから、ご神木など樹木に対する信仰があり、『柱』と数えることにつながったとされる。鬼殺隊は、人の力を超えた存在=神に近い存在として、『柱』という表現を用いたのではないだろうか。もっとも日本の神々は、幸福ばかりをもたらす存在ではなく、時に荒ぶる力で災いをもたらすこともあり、『古事記』や『日本書紀』では、神同士の戦いの様子も多く記されている。『鬼滅の刃』は『柱』という呼吸を使うことで、『神(人ならざる者)』と『鬼(人ならざる者)』という構図を象徴的に表しているとも考えられる」と書かれています。 

 

 また、「9名の『柱』と9本の柱を持つ出雲大社」として、「出雲の神々の守護神的存在が、太陽神・アマテラスと並ぶ最高神・タカミムスヒだ。『ムスヒ』とは神道における万物を生み出す力で『産霊』と書く。『日本書紀』ではタカミムスヒが出雲大社の建設を指示したとされ、産屋敷の『産』の字はここからとられたのではないか。さらに古典に残る最初の鬼の記述は、『出雲風土記』にある阿用郷の1つ目鬼である。一方、『鬼滅の刃』では最初の鬼は鬼舞辻無惨とされる。これらを整理すると、『産屋敷』=『タカミムスヒ(産霊)によって建てられた屋敷(出雲大社)』、『9人の柱』=『出雲大社を支える9本の柱』、『最初の鬼・鬼舞辻無惨』=『古典における最初の鬼・阿用郷の鬼』とピタリと一致する」と書かれています。

  

 「なぜ能力者に痣が発現するのか」の「痣は鬼化の前現象を表している」では、「実際にある身体能力を向上させる呼吸法」として、「『鬼滅の刃』で鬼殺隊が使う技の名前「○○の呼吸」と呼ばれる。これは「全集中の呼吸」によって、血液中に大量に酸素を取り込むことで心拍と体温を上げ、身体能力を飛躍的に向上させる技術である。全集中の呼吸ほどではないが、呼吸によって一時的に身体能力を向上させることは可能である。有名なのが空手の逆複式呼吸法『息吹』だ。通常、息を吸うと腹が膨らみ、吐くと引っ込むが、息吹では逆に息を吸い込む際に腹を引っ込め、吐く時に膨らませる。『息吹』では完全に息を吐ききる。激しい運動を行った後は呼吸が乱れるが、この『息吹』で空気をすべて吐き切った後に息を吸うことで供給できる酸素量が増加し、すぐに呼吸が整う。この『息吹』を意識すると、筋肉の強化や疲労の軽減などの効果があるとされる。酸素は脂肪や糖質を燃焼させてエネルギーに変える役割がある。運動に身体能力と呼吸は密接に関係している。小さな体でも鬼に対抗できる力を持たせるために、『呼吸』を取り入れたことは理にかなっている設定といえるだろう」と書かれています。

 

 「なぜ『ヒノカミ神楽』は12の舞なのか」の「『ヒノカミ神楽』は最古の舞が原型になっている」では、「高千穂に伝わる『ヒノカミ神楽』のモデル」として、「竈門炭治郎が鬼舞辻無惨を最後に苦しめた技が『ヒノカミ神楽』だ。全部で12種類の型があり、この種類の型を休むことなく繰り返すことで13種類目の型になるとされる。炭治郎は夜明けまで『ヒノカミ神楽』を繰り返し行い、無惨を追い詰めることになる。『ヒノカミ神楽』は、かつて無惨を追い詰めた継国縁壱が用いた『日の呼吸』がベースになっている。縁壱は炭治郎の先祖である竈門炭吉に『日の呼吸』の型を披露し、以降竈門一族はこの『日の呼吸』を『ヒノカミ神楽』として継承してきた」とあります。 

 

 「ヒノカミ神楽」は武術としてではなく、新年のはじまりに山頂で行い、一晩にわたって繰り返し舞を奉納することで、1年間の無病息災を祈る行事として伝承されました。神楽の起源は神々の時代にまで遡るとして、「『古事記』や『日本書紀』には、太陽神・アマテラスが岩戸に隠れたため世界が闇に覆われ、さまざまな禍が起きた。神々は話し合い、アマテラスが岩戸を開くように、岩戸の前で祭事を行った。この時にアメノウズメが踊った舞が神楽の起源とされる。その結果、岩戸は開かれ世界に再び光がよみがえった。その後、アメノウズメは地上世界へと降り立ち、宮崎県の高千穂の地に住居を構えたと伝わる」とあります。 

 

 あとがき「鬼は滅んだのか」では、「鬼とは、害悪をもたらす『異質なもの』」として、「本書で紹介してきた鬼は、山から降りてくる者であり、朝廷や幕府への反体制者であり、『恨み』や『妬み』を強く持つ不幸な者などである。共通するのは、自分たちの社会秩序、生活空間から外れたところからやってくる、害悪をもたらす『異質なもの』である点だ。このことは古典の中だけに限らない。近代の太平洋戦争においても、『鬼畜米英』の標語のもと、外からの敵を『鬼』としてイメージしたのである。グローバリゼーションや価値観の多様化、SNSに代表されるコミュニケーションの変化によって、現代人はひと昔前に比べて、明らかに『異質なもの』に接する機会が増えたといえる。このことから人々に本能的な防御反応として、自分を『正義』とする自己肥大と他者への攻撃が起きる」と書かれています。

 

 さらに、「現代社会は新たな鬼を生み続けている」として、「第4章において、『鬼滅の刃』のヒットの要因として、改元と新型コロナウイルスをあげたが、新型コロナウイルス陽性者や帰省者への誹謗中傷などのいわゆる『自粛警察』などは、まさにこの異質なものへの防御反応が顕著に現れた例だといえるだろう。『自粛警察』側からすれば、新型コロナウイルス陽性者や帰省者などは、自分たちに害悪をもたらす『異質なもの』、すなわち鬼だろう。一方で、自分たちの存在以外を認めずに攻撃をする『自粛警察』は、そのほかの多くの人々にとってやはり『異質な存在』になってしまっている。そして、そのことに本人は気づいていない」と書かれています。 

 

 そして、「自粛警察」は、辛い過去やコンプレックスなどから自己を肯定して他者を否定する『鬼滅の刃』における「鬼」そのものといえるだろうとして、「現代社会では『自粛警察』の例に見られるように誰もが鬼になり得る。そしてそのような鬼はいつどこで現れるかわからない。その恐怖感は現代人の心の奥底にも常にあることが、『鬼滅の刃』の大ヒットに表れている。このことから、新たな鬼の物語はこれからもつくられていくだろう。現代においても鬼はまだ滅びていないのだ」と述べるのでした。『鬼滅の刃』の関連本は多いですが、そのほとんどがキャラクターの解説や名言集の類です。そんな中で、本書は日本史における「鬼」と「埒外者」の本質をよく描いており、勉強になりました。また、新型コロナウイルスと「鬼」の関係についても多大なインスピレーションを与えられ、拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』の参考になったことを告白しておきます。

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近刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

  

 最後に、わたしは来年早々に『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を上梓します。経済効果という視点からでは見えてこない、社会現象にまでなった大ヒットの本質を明らかにしました。今回のブームには、漫画の神様の存在や、現代日本人が意識していない、神道や儒教や仏教の影響を見ることができます。わたしは、今回の現象は単なる経済的な効果を論じるだけではない、大きな転換点を感じています。新型コロナウイルスの感染におびえる現代人に、精神的免疫とでもいうべき存在が『鬼滅の刃』であると断言できます。多くの『鬼滅の刃』関連本では語られてこなかった(作者自身も気が付いていないかもしれない)大ヒットの秘密を開陳したいと思います。お楽しみに!