No.1959 哲学・思想・科学 | 社会・コミュニティ 『FACTFULNESS』 ハンス・ロスリング&アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作&関美和訳(日経BP)

2020.10.24

 『FACTFULNESS』ハンス・ロスリング&アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作&関美和訳(日経BP)を読みました。「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」というサブタイトルがついています。新型コロナウイルスに関する、真偽のあやふやな情報が多く出回っていますが、何よりも大切なのはファクト(事実)。本書は、最近読んだ本の中でも最大級のインパクトでした。

本書の帯

 本書の赤い帯には、「90万部突破」「2020年上半期ベストセラー第1位」「環境・貧困・人口エネルギー・医療・教育」「学校では教えてくれない世界の教養」と書かれています。

本書の帯の裏

 帯の裏には、「あなたは世界の真実を知っている?」「質問 世界の1歳児で、なんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる? (A)20%(B)50%(C)80%」「質問 いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいる?(A)20%(B)50%(C)80%」「答えは本書に。正しい世界の見方を身につけよう」と書かれています。

 アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「ファクトフルネスとは――データや事実にもとづき、世界を読み解く習慣。賢い人ほどとらわれる10の思い込みから解放されれば、癒され、世界を正しく見るスキルが身につく。世界を正しく見る、誰もが身につけておくべき習慣でありスキル、『ファクトフルネス』を解説しよう」

 また、「世界で300大ベストセラー!」として、「ビル・ゲイツ、バラク・オバマ元アメリカ大統領も大絶賛!」「『名作中の名作。世界を正しく見るために欠かせない一冊だ』――ビル・ゲイツ」「『思い込みではなく、事実をもとに行動すれば、人類はもっと前に進める。そんな希望を抱かせてくれる本』――バラク・オバマ元アメリカ大統領」「特にビル・ゲイツは、2018年にアメリカの大学を卒業した学生のうち、希望者全員にこの本をプレゼントしたほど」と書かれています。

 さらに、「教育、貧困、環境、エネルギー、医療、人口問題などをテーマに、世界の正しい見方をわかりやすく紹介」として、「本書では世界の本当の姿を知るために、教育、貧困、環境、エネルギー、人口など幅広い分野を取り上げている。いずれも最新の統計データを紹介しながら、世界の正しい見方を紹介しているこれらのテーマは一見、難しくて遠い話に思えるかもしれない。でも、大丈夫。著者のハンス・ロスリング氏の説明は面白くてわかりやすいと評判だ。その証拠に、彼のTEDトークの動画は、累計3500万回も再生されている。また、本書では数式はひとつも出てこない。『GDP』より難しい経済用語は出てこないし、『平均』より難しい統計用語も出てこない。誰にでも、直感的に内容を理解できるように書かれている」と書かれています。 

 本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
「イントロダクション」
第1章 分断本能 
「世界は分断されている」という思い込み
第2章 ネガティブ本能 
「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み
第3章 直線本能 
「世界の人口はひたすら増え続ける」という思い込み
第4章 恐怖本能
危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう思い込み
第5章 過大視本能 
「目の前の数字がいちばん重要だ」という思い込み
第6章 パターン化本能 
「ひとつの例がすべてに当てはまる」という思い込み
第7章 宿命本能
「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み
第8章 単純化本能 
「世界はひとつの切り口で理解できる」
という思い込み
第9章 犯人捜し本能 
「誰かを責めれば物事は解決する」という思い込み
第10章 焦り本能
「いますぐ手を打たないと大変なことになる」
という思い込み
第11章 ファクトフルネスを実践しよう
「ファクトフルネスの大まかなルール」
「おわりに」
「謝辞」
「訳者あとがき」
「付録」
「脚注」
「出典」
「著者プロフィール」
「訳者プロフィール」 

 「イントロダクション」では、「ドラマティックな本能と、ドラマティックすぎる世界の見方」として、「あなたは、次のような先入観を持っていないだろうか。『世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。金持ちはより一層金持ちになり、貧乏人はより一層貧乏になり、貧困は増え続ける一方だ。何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう』少なくとも西洋諸国においてはそれがメディアでよく聞く話だし、人々に染みついた考え方なのではないか。わたしはこれを『ドラマチックすぎる世界の見方』と呼んでいる。精神衛生上よくないし、そもそも正しくない」と書かれています。 

 続けて、「実際、世界の大部分の人は中間所得層に属している。わたしたちがイメージする『中流層』とは違うかもしれないが、極度の貧困状態とはかけ離れている。女の子も学校に行くし、子供はワクチンを接種するし、女性ひとりあたりの子供の数は2人だ。休みには海外へ行く。もちろん難民としてではなく、観光客として。時を重ねるごとに少しずつ、世界は良くなっている。何もかもが毎年改善するわけではないし、課題は山積みだ。だが、人類が大いなる進歩を遂げたのは間違いない。これが『事実に基づく世界の見方』だ」と書かれています。 

 人間の脳は何百万年にもわたる進化の産物であるとして、著者は「わたしたちの先祖が、少人数で狩猟や採集をするために必要だった本能が、脳には組み込まれている。差し迫った危険から逃れるために、一瞬で判断を下す本能。唯一の有効な情報源だった、うわさ話やドラマチックな物語に耳を傾ける本能。食料不足のときに命綱となる砂糖や脂質を欲する本能。これらの本能は数千年も前には役立ったかもしれないが、いまは違う。砂糖や脂質が病みつきになり、肥満が世界で最も大きな健康問題になっている。大人も子供も甘いものやポテトチップスを避けるようにしたほうがいい。同じように、瞬時に何かを判断する本能と、ドラマチックな物語を求める本能が、『ドラマチックすぎる世界の見方』と、世界についての誤解を生んでいる」と述べています。

 また、ドラマチックな本能は、人生に意味を見出し、毎日を生きるために必要不可欠であるとして、著者は「すべての情報をふるいにかけ、すべてを理屈で判断しようとすれば、普通の暮らしは送れない。砂糖や脂質を完全に断つべきではないし、手術で感情を司る脳の部位を切除すべきでもない。けれども、ドラマチックな本能は抑えるべきだ。さもなくば、ドラマチックなものを求めすぎるあまり、ありのままの世界を見ることはできない。何が正しいのかもわからないままだ」とも述べます。

 「ファクトフルネスと、事実に基づく世界の見方」として、著者は本書について以下のように述べます。
「ほかの本と違い、この本にあるデータはあなたを癒してくれる。この本から学べることは、あなたの心を穏やかにしてくれる。世界はあなたが思うほどドラマチックではないからだ。健康な食生活や定期的な運動を生活に取り入れるように、この本で紹介する『ファクトフルネス』という習慣を毎日の生活に取り入れてほしい。訓練を積めば、ドラマチックすぎる世界の見方をしなくなり、事実に基づく世界の見方ができるようになるはずだ。たくさん勉強しなくても、世界を正しく見られるようになる。判断力が上がり、何を恐れ、何に希望を持てばいいのかを見極められるようになる。取り越し苦労もしなくてすむ」

 第一章「分断本能」では、「世界は分断されているという、とんでもない勘違い」として、著者は「人は誰しも、さまざまな物事や人々を2つのグループに分けないと気がすまないものだ。そして、その2つのグループのあいだには、決して埋まることのない溝があるはずだと思い込む。これが分断本能だ、世界の国々や人々が『金持ちグループ』と『貧乏グループ』に分断されているという思い込みも、分断本能のなせるわざだ」と述べています。

 なぜ、金持ちと貧しい者のあいだに分断が存在するという考え方が、ここまで根強く残っているのでしょうか。「分断本能」として、著者は「わたしが思うに、人はドラマチックな本能のせいで、何事も2つのグループに分けて考えたがるからだろう。いわゆる『二項対立』を求めるのだ。良いか悪いか、正義か悪か、自国か他国か。世界を2つに分けるのは、シンプルだし直感的かもしれない。しかも双方が対立していればなおドラマチックだ。わたしたちはいつも気づかないうちに、世界を2つに分けている」と述べます。

 ジャーナリストは人間の分断本能に訴えたがります。だから話を組み立てる際、対立する2人、2つの考え方、2つのグループを強調することを指摘し、著者は「『世界には極度の貧困層もいれば、億万長者もいる』という話は伝わりやすく、『世界の大半は、少しずつだが良い暮らしをし始めている』という話は伝わりにくい。ドキュメンタリー制作者や映画監督も同じだ。弱い個人が悪徳大企業に立ち向かうさまは、ドキュメンタリー番組でよく描かれる。正義と悪との闘いは、大ヒット映画でお決まりの構図だ。実際には分断がないのに人は分断があると思い込んだり、違いがないのに違いがあると思い込んだり、対立がないのに対立があると思い込んでしまう。どれも分断本能のしわざだ」と述べています。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「話の中の『分断』を示す言葉に気づくこと。それが、重なり合わない2つのグループを連想させることに気づくこと。多くの場合、実際には分断はなく、誰もいないと思われていた中間部分に大半の人がいる。分断本能を抑えるには、大半の人がどこにいるか探すこと」として、著者は以下のように指摘するのでした。

●「平均の比較」に注意しよう。分布を調べてみると、2つのグループに重なりがあり、分断などないことが多い。
●「極端な数字の比較」に注意しよう。人や国のグループには必ず、最上位層と最下位層が存在する。2つの差が残酷なほど不公平なときもある。しかし多くの場合、大半の人や国はその中間の、上でも下でもないところにいる。
●「上からの景色」であることを思い出そう。高いところから低いところを正確に見るのは難しい。どれも同じくらい低く見えるけれど、実際は違う。

 第2章「ネガティブ本能」では、「『世界はどんどん悪くなっている』という、とんでもない勘違い」として、著者は「人は誰しも、物事のポジティブな面より、ネガティブな面に注目しやすい。これはネガティブ本能のなせるわざだ。そしてネガティブ本能もまた、世界についての『とんでもない勘違い』が生まれる原因になっている。その勘違いとは、『世界はどんどん悪くなっている』というものだ。世界の現状について、これほどよく聞く意見はほかに見当たらない」と述べています。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「ネガティブなニュースに気づくこと。そして、ネガティブなニュースのほうが、圧倒的に耳に入りやすいと覚えておくこと。物事が良くなったとしても、そのことについて知る機会は少ない。すると世界について、実際より悪いイメージを抱くようになり、暗い気持ちになってしまう。ネガティブ本能を抑えるには、『悪いニュースのほうが広まりやすい』ことに気づくこと」といて、著者は以下のように指摘するのでした。

●「悪い」と「良くなっている」は両立する。「悪い」は現在の状態、「良くなっている」は変化の方向。2つを見分けられるようにしよう。「悪い」と「良くなっている」が両立し得ることを理解しよう。
●良い出来事はニュースになりにくい。ほとんどの良い出来事は報道されないので、ほとんどのニュースは悪いニュースになる。悪いニュースを見たときは、「同じくらい良く出来事があったとしたら、自分のもとに届くだろうか?」と考えてみよう。
●ゆっくりとした進歩はニュースになりにくい。長期的には進歩が見られても、短期的に何度か後退するようであれば、その後退のほうが人々に気づかれやすい。
●悪いニュースが増えても、悪い出来事が増えたとは限らない。悪いニュースが増えた理由は、世界が悪くなったからではなく、監視の目がより届くようになったからかもしれない。
●美化された過去に気をつけよう。人々は過去を美化したがり、国家は歴史を美化したがる。

 第3章「直線本能」では、「どうして、いずれ人口は横ばいになるのか」として、著者は「高齢者はもっと長生きするが、人口にはさしたる影響を及ぼさない。国連によれば、2100年には、世界の平均寿命はいまより11年ほど延びるという。寿命が延びることで後期高齢者は10億人ほど増え、2100年の人口は約110億人となる。しかし、同時期に大人の数は30億人も増える。いまの子供世代が年を取るにつれ、各世代の人口が順に倍増していくからだ。この「世代倍増」現象は約45年間続き、やがて落ちつく」と述べています。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「『グラフは、まっすぐになるだろう』という思い込みに気づくこと。実際には、直線のグラフのほうがめずらしいことを覚えておくこと。直線本能を抑えるには、グラフにはさまざまな形があることを知っておくこと」として、著者は「●なんでもかんでも、直線のグラフを当てはめないようにしよう。 多くのデータは直線ではなく、S字カーブ、すべり台の形、コブの形、あるいは倍増する線のほうが当てはまる。子供は、生まれてから半年で大きく成長する。でも、いずれ成長がゆっくりになることは、誰にだってわかる」と指摘するのでした。

 第4章「恐怖本能」では、「関心フィルター」として、著者は「おそらく、人の頭の中にいちばんすんなり入ってくるのは、物語形式で伝えられる情報だ。そして、物語形式の情報は、ほかの情報に比べてドラマチックに聞こえやすい。わたしたちの頭の中と、外の世界のあいだには、『関心フィルター』という、いわば防御壁のようなものがある。この関心フィルターは、わたしたちを世界の雑音から守ってくれる。もしこれがなければ、四六時中たくさんの情報が頭の中に入ってきて、何もできなくなってしまうだろう。そして、関心フィルターには10個の穴があいている。それぞれの穴は、この本で紹介する本能と対応している。『分断本能の穴』『ネガティブ本能の穴』『直線本能の穴』などだ。ほとんどの情報は関心フィルターを通過できないが、わたしたちの本能を刺激する情報だけは、穴から入って来られるようになっている。人はこうやって情報を取捨選択していく」と述べます。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「恐ろしいものには、自然と目がいってしまう」ことに気づくこと。恐怖と危険は違うことに気づくこと。人は誰しも『身体的な危害』『拘束』『毒』を恐れているが、それがリスクの過大評価につながっている。恐怖本能を抑えるには、リスクを正しく計算すること」として、著者は以下のように指摘するのでした。

●世界は恐ろしいと思う前に、現実を見よう。世界は、実際より恐ろしく見える。メディアや自身の関心フィルターのせいで、あなたのもとには恐ろしい情報ばかりが届いているからだ。
●リスクは、「危険度」と「頻度」、言い換えると「質」と「量」の掛け算で決まる。リスク=危険度×頻度だ。ということはつまり、「恐ろしさ」はリスクとは関係ない。
●行動する前に落ち着こう。恐怖でパニックになると、物事を正しく見られなくなる。パニックが収まるまで、大事な決断をするのは避けよう。

 第5章「過大視本能」では、人はみんな、物事の大きさを判断するのが下手くそだとして、著者は「もちろん、それには理由がある。何かの大きさや割合を勘違いしてしまうのは、わたしたちが持つ『過大視本能』が原因だ。過大視本能は、2種類の勘違いを生む。まず、数字をひとつだけ見て、『この数字はなんて大きいんだ』とか『なんて小さいんだ』と勘違いしてしまうこと。そして、ひとつの実例を重要視しすぎてしまうこと」と述べています。また、過大視本能と、ネガティブ本能が合わさると、人類の進歩を過小評価しがちになるとも述べます。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「ただひとつの数字が、とても重要であるかのように勘違いしてしまうことに気づくこと。ほかの数字と比較したり、割り算をしたりすることによって、同じ数字からまったく違う意味を見いだせる。過大視本能を抑えるには、比較したり、割り算をしたりするといい」として、著者は以下のように指摘するのでした。

●比較しよう。大きな数字は、そのままだと大きく見える。ひとつしかない数字は間違いのもと。必ず疑ってかかるべきだ。ほかの数字と比較し、できれば割り算をすること。
●80・20ルールを使おう。 項目が並んでいたら、まずは最も大きな項目だけに注目しよう。多くの場合、小さな項目は無視しても差し支えない。
●割り算をしよう。 割合を見ると、量を見た場合とはまったく違う結論にたどり着くことがある。たいていの場合、割合のほうが役に立つ。特に、違う大きさのグループを比べるのであればなおさらだ。国や地域を比較するときは、「ひとりあたり」に注目しよう。

 第6章「パターン化本能」では、第二次世界大戦と朝鮮戦争を通して、戦場から担架で運ばれてくる兵士の中で、あおむけよりうつぶせのほうが生存確率が高いことに、医師や看護師は気づいたことを紹介し、著者は「あおむけに寝ていると、自分の吐しゃ物で窒息することが多かったのだ。うつぶせになっていると吐しゃ物が口の外に出て、気道はふさがれない。この発見によって、兵士だけではなく数百万もの命が救われた。それ以来、うつぶせの「回復体位」が世界標準になり、地球上どこでも応急処置の講座では「うつぶせ寝」を教えるようになった(2015年のネパール地震で人命救助にたずさわった救急隊員も全員このことを学んだ)」と述べています。

 しかし、この新たな発見が、当てはめてはいけないケースにまで当てはめられてしまったとして、著者は「うつぶせ寝の効果が証明されたことから、1960年代にはこれまでとは正反対の慣習が勧められるようになった。昔からの慣わしとは違って、赤ちゃんはうつぶせに寝かせたほうがいい、とされるようになったのだ。赤ちゃんも救命が必要な患者も、いっしょくたに考えられてしまったのだった。そんなふうに『いっしょくた』にしてはいけないものをひとくくりにしていることに、わたしたちはなかなか気づけない。理屈そのものは正しいように思えるからだ。一見筋の通った理屈が善意と結びつくと、パターン化の誤りに気づくのはほぼ不可能になる。赤ちゃんの突然死は減るどころか増えていることをデータが示していても、その原因がうつぶせ寝にあるかもしれないことに誰も気づかなかった」と述べます。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「ひとつの集団のパターンを根拠に物事が説明されていたら、それに気づくこと。パターン化は間違いを生み出しやすいことを肝に銘じること。パターン化を止めることはできないし、止めようとすべきでもない。間違ったパターン化をしないように努めよう。パターン化本能を抑えるには、分類を疑うといい」として、著者は以下のように指摘するのでした。

●同じ集団の中にある違いを探そう。集団が大規模な場合は特に、より小さく、正確な分類に分けたほうがいい。
●違う集団のあいだの共通項を探そう。異なる集団のあいだに、はっとするような共通点を見つけたら、分類自体が正しいかどうかを改めて問い直そう。
●違う集団のあいだの違いも探そう。ひとつの集団(たとえば、レベル4の生活を送る人、意識のない兵士)について言えることが、別の集団(レベル4でない生活を送る人、眠っている赤ちゃん)にも当てはまると思い込んではいけない。
●「過半数」に気をつけよう。過半数とは半分より多いということでしかない。それが51%なのか、99%なのか、そのあいだのどこなのかを確かめたほうがいい。
●強烈なイメージに注意しよう。強烈なイメージは頭に残りやすいが、それは例外かもしれないと疑ったほうがいい。
●自分以外はアホだと決めつけないようにしよう。変だと思うことがあったら、好奇心を持ち、謙虚になって考えてみよう。それはもしかしたら賢いやり方なのか、だとしたらなぜ賢いやり方なのか、と自問しよう。

 第7章「宿命本能」では、「積極的に知識をアップデートする」として、著者は「知識に賞味期限はないと思えば、安心できる。一度学んだことはいつまでも使えるし、学び直す必要もないと考えれば、気が休まる。たしかに数学や物理といった自然科学でも、芸術でも、ほとんどの場合はそうだ。こうした科目なら、学校で教わったことの多くは、おそらくいまでも使える。2足す2はいまでも4だ。しかし、社会科学では基礎の基礎になる知識でさえすぐに賞味期限が切れる。牛乳や野菜と同じで、いつも新鮮なものを手に入れたほうがいい。何事も変わり続けるからだ」と述べています。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「いろいろなもの(人も、国も、宗教も、文化も)が変わらないように見えるのは、変化がゆっくりと少しずつ起きているからだと気づくこと。そして、小さなゆっくりとした変化が積み重なれば大きな変化になると覚えておくこと。宿命本能を抑えるには、ゆっくりとした変化でも、変わっているということを意識するといい」として、著者は以下のように指摘するのでした。

●小さな進歩を追いかけよう。毎年少しずつ変化していれば、数十年で大きな変化が生まれる。
●知識をアップデートしよう。賞味期限がすぐに切れる知識もある。テクノロジー、国、社会、文化、宗教は刻々と変わり続けている。
●おじいさんやおばあさんに話を聞こう。価値観がどれほど変わるかを改めて確認したかったら、自分のおじいさんやおばあさんの価値観がいまの自分たちとどんなに違っているかを考えるといい。
●文化が変わった例を集めよう。いまの文化は昔から変わらないし、これからも同じだと言われたら、逆の事例をあげてみよう。

 第8章「単純化本能」では、シンプルなものの見方に、わたしたちは惹かれる。賢い考えがパッとひらめくと興奮するし、「わかった!」「理解できた!」と感じられると嬉しいとして、著者は「パッとひらめいたシンプルな解が、ほかのたくさんのことにもピタリと当てはまると思い込んでしまうのは、よくあることだ。すると、世界がシンプルに見えてくる。すべての問題はひとつの原因から生まれているに違いない。だから、なにがなんでもその元凶を取り除かなければならないと思ってしまう。すべての問題がひとつのやり方で解決できると思い込むこともある。すると、異論は許されない。そう考えれば、なにもかもシンプルになる」と述べています

 でもここに、ひとつちょっとした問題があるとして、著者は「それでは世界をとんでもなく誤解してしまうということだ。そんなふうに、世の中のさまざまな問題にひとつの原因とひとつの解答を当てはめてしまう傾向を、わたしは「単純化本能」と呼んでいる。むしろ、自分が肩入れしている考え方の弱みをいつも探したほうがいい。これは自分の専門分野でも当てはまる。自分の意見に合わない新しい情報や、専門以外の情報を進んで仕入れよう。自分に賛成してくれる人ばかりと話したり、自分の考えを裏付ける例を集めたりするより、意見が合わない人や反対してくれる人に会い、自分と違う考えを取り入れよう。それが世界を理解するすばらしいヒントになる」と述べます。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「ひとつの視点だけでは世界を理解できないと知ること。さまざまな角度から問題を見たほうが物事を正確に理解できるし、現実的な解を見つけることができる。単純化本能を抑えるには、なんでもトンカチで叩くのではなく、さまざまな道具の入った工具箱を準備したほうがいい」として、著者はこう指摘するのでした。

●自分の考え方を検証しよう。あなたが肩入れしている考え方が正しいことを示す例ばかりを集めてはいけない。あなたと意見の合わない人に考え方を検証してもらい、自分の弱点を見つけよう。
●知ったかぶりはやめよう。自分の専門分野以外のことを、知った気にならないほうがいい。知らないことがあると謙虚に認めよう。その道のプロも、専門分野以外のことは案外知らないものだ。
●めったやたらとトンカチを振り回すのはやめよう。何かひとつの道具が器用に使える人は、それを何度でも使いたくなるものだ。ひとつの問題を深く掘り下げると、その問題が必要以上に重要に思えたり、自分の解がいいものに思えたりすることがある。でも、ひとつの道具がすべてに使えるわけではない。あなたのやり方がトンカチだとしたら、ねじ回しやレンチや巻き尺を持った人を探すといい。違う分野の人たちの意見に心を開いてほしい。
●数字は大切だが、数字だけに頼ってはいけない。数字を見なければ世界を知ることはできないが、数字だけでは世界を理解できない。数字が人々の生活について何を教えてくれるかを読み取ろう。
●単純なものの見方と単純な答えには警戒しよう。歴史を振り返ると、単純な理想論で残虐な行為を正当化した独裁者の例にはことかかない。複雑さを喜んで受け入れよう。違う考え方を組み合わせよう。妥協もいとわないでほしい。ケースバイケースで問題に取り組もう。

 第9章「犯人捜し本能」では、物事がうまくいかないと、誰かがわざと悪いことを仕組んだように思いがちだとして、著者は「誰かの意思で物事は起きると信じたいものだし、1人ひとりに社会を動かす力と手立てがあると信じていれば、おのずとそう考えるようになるだろう。個人が社会を動かしていると考えれば、社会は得体の知れないものだという恐怖心を取り払える。わたしたちは犯人捜し本能のせいで、個人なり集団なりが実際より影響力があると勘違いしてしまう。誰かを責めたいという本能から、事実に基づいて本当の世界を見ることができなくなってしまう。誰かを責めることに気持ちが向くと、学びが止まる。一発食らわす相手が見つかったら、そのほかの理由を見つけようとしなくなるからだ。そうなると、問題解決から遠のいてしまったり、また同じ失敗をしでかしたりすることになる。誰かが悪いと責めることで、複雑な真実から目をそらし、正しいことに力を注げなくなってしまう」と述べています。

  「ファクトフルネス」とは何か。それは、「誰かが見せしめとばかりに責められていたら、それに気づくこと。誰かを責めるとほかの原因に目が向かなくなり、将来同じ間違いを防げなくなる。犯人捜し本能を抑えるためには、誰かに責任を求める癖を断ち切るといい」として、著者はこう指摘するのでした。
●犯人ではなく、原因を探そう。物事がうまく行かないときに、責めるべき人やグループを探してはいけない。誰かがわざと仕掛けなくても、悪いことは起きる。その状況を生み出した、絡み合った複数の原因やシステムを理解することに力を注ぐべきだ。
●ヒーローではなく、社会を機能させている仕組みに目をむけよう。物事がうまくいったのは自分のおかげだと言う人がいたら、その人が何もしなくても、いずれ同じことになっていたかどうかを考えてみるといい。社会の仕組みを支える人たちの功績をもっと認めよう。 

 ここで、コロナ禍の中ではドキッとするようなことが以下のように書かれています。「エボラを抑え込むには、接触者をたどって隔離するしかない。そのためには、感染者が誰と接触したかを包み隠さず正直に話してもらわなければならない。調査員は貧しいスラム街に入って、愛する家族を亡くしたばかりの人に、故人が死ぬ前に誰と接触した可能性があるかを聞かなければならないのだ。もちろん、聞き取りを受けている人もたいていの場合は故人に接触していて、エボラに感染している可能性がある。恐れが広がり、噂が噂を呼ぶ中で、焦りに任せて過激な手を打っても効果はない。力任せのやみくもな対策では感染経路はたどれない。冷静で地道な細かい作業を通して、感染経路を掘り起こすしかない。亡くなった家族に愛人が何人もいたことを隠す人がたったひとりでもいたら、何千人もの命が危険にさらされる」 

 「感染症の世界的な流行」として、ここでもドキッとすることが以下のように書かれています。
「第一次世界大戦中に世界中に広がったスペインかぜで、5000万人が命を落とした。大戦の犠牲者よりも、スペインかぜで亡くなった人のほうが多かった。4年にわたる戦争で人々の体力が落ちていたこともあるだろう。スペインかぜの流行で、世界の平均寿命は33歳から23歳へと10年も縮まった」 

 さらには、「感染症の専門家のあいだではいまも、新種のインフルエンザが最大の脅威だというのは共通の認識になっている。その理由は、インフルエンザの感染経路にある。インフルエンザウィルスは目に見えない粒子になって飛沫感染する。感染者が地下鉄に乗ると、同じ車両の人は全員感染する可能性がある。接触しなくても感染するし、同じ場所に触らなくても感染する。あっという間に広がるインフルエンザのような感染症は、エボラやHIV・エイズのような病気よりもはるかに大きな脅威になる。感染力が強くどんな対策も効かないウィルスからあらゆる手で自分たちを守ることは、あたりまえだがかなり重要だ」と書かれているのでした。

 「ファクトフルネス」とは何か。それは、「『いますぐに決めなければならない』と感じたら、自分の焦りに気づくこと。いま決めなければならないようなことはめったにないと知ること。焦り本能を抑えるには、小さな一歩を重ねるといい」として、著者は以下のように指摘するのでした。

●深呼吸しよう。焦り本能が顔を出すと、ほかの本能も引き出されて冷静に分析できなくなる。そんな時には時間をかけて、情報をもっと手に入れよう。いまやらなければ二度とできないなんてことはめったにないし、答えは二者択一ではない。
●データにこだわろう。緊急で重要なことならなおさら、データを見るべきだ。一見重要そうだが正確でないデータや、正確であっても重要でないデータには注意しよう。正確で重要なデータだけを取り入れよう。
●占い師に気をつけよう。未来についての予測は不確かなものだ。不確かであることを認めない予測は疑ったほうがいい。予測には幅があることを心に留め、決して最高のシナリオと最悪のシナリオだけではないことを覚えておこう。極端な予測がこれまでどのくらい当たっていたかを考えよう。
●過激な対策に注意しよう。大胆な対策を取ったらどんな副作用があるかを考えてほしい。その対策の効果が本当に証明されているかに気をつけよう。地道に一歩一歩進みながら、効果を測定したほうがいい。ドラマチックな対策よりも、たいていは地道な一歩に効果がある。

 11章「ファクトフルネスを実践しよう」では、「最後にひとこと」として、著者は「世界中のすべての人が、事実に基づいて世界を見る日がいつかやって来るだろうか? 大きな変革はなかなか想像できないものだ。でも、そんな日がやってきてもおかしくないし、いつかきっとやってくると思っている。理由は2つ。ひとつは、正確なGPSが道案内の役に立つのと同じで、事実に基づいて世界を見ることが人生の役に立つからだ。もうひとつは、もっと大切なことだ。事実に基づいて世界を見ると、心が穏やかになる、ドラマチックに世界を見るよりも、ストレスが少ないし、気分も少しは軽くなる。ドラマチックな見方はあまりにも後ろ向きで心が冷えてしまう。事実に基づいて世界を見れば、世の中もそれほど悪くないと思えてくる。これからも世界を良くし続けるためにわたしたちに何ができるかも、そこから見えてくるはずだ」と述べるのでした。

 「訳者あとがき」の冒頭は、「『ファクトフルネス』の著者、ハンス・ロスリングは医師であり、公衆衛生の専門家であり、またTEDトークの人気スピーカーでもあります。動くバブルチャートを両手で追いかけながら、コミカルに早口で話すハンスの姿を覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか? ハンスはスウェーデンのウプサラに生まれ、母国スウェーデンとインドで医学を学び、医師になりました。その後モザンビークのナカラで医師として働き、貧しい人々の間で流行していた神経病の原因を突き止めます。この病気がコンゾです。この本にも当時の経験のいくつかが描かれています。その後、スウェーデンに戻ってカロリンスカ医科大学で研究と教育に励みました。この頃から、人々の知識不足と闘うことがハンスの人生の使命となったのです。以来、世界の舞台で『事実に基づく世界の見方』を広めることに尽力してきました」t書きだされています。

 訳者は、「間違いを認めて許せる空気」として、「玉石混淆の情報であふれている社会を生き抜くには、情報を疑う力や、自分の頭で考える力は必要です。間違った情報を鵜呑みにするのは、たしかに愚かなことです。しかしそれを警戒しすぎるあまり、事実に基づいた正しい情報も否定し、事実に基づかない『真実』を鵜呑みにしてしまってはいけません。たとえば本書では、『ワクチンは危険だ』という事実に基づかない『真実』を信じてしまい、ワクチンを子供に受けさせようとしない親がいることについて警鐘を鳴らしています」と述べます。

 事実に基づかない「真実」を鵜呑みにしないためには、どうすればいいのでしょうか。それは、情報だけでなく、自分自身を批判的に見る力が欠かせません。
「訳者あとがき」には、「この情報源を信頼していいのか?」と問う前に、「自分は自分を信頼していいのか?」と問うべきなのだとして、「そのセルフチェックに役立つのが、本書で紹介されていた10の本能です。もしどれかの本能が刺激されていたら、『この情報は真実ではない』と決めつける前に、『自分は事実を見る準備ができていない』と考えたいものです」と書かれています。

 とはいえ、「自分自身を批判的に見るべきだ」という主張も押し付けすぎるのはいけないといいます。なぜなら、本能に支配されて事実を無視してしまう人をおとしめても、世の中は良くならないからです。最後に、「訳者あとがき」には、「必要なのは、誰もが『自分は本能に支配されていた』と過ちを認められる空気をつくることです。そういう空気をつくるためには、本能に支配されていた人や、本能を支配しようとする人を叩くことよりも、許すことのほうが大事です。『ファクトフルネス』がつくろうとしていたのは、まさにそんな空気です」と述べるのでした。情報過多で、しかも信用するに値しない偽情報が流通している昨今、本書はあらゆる国の、あらゆる年齢の、あらゆる人々が読むべき必読書であると言えます。

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