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コロナ後の世界を語る』

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No.1949


 『コロナ後の世界を語る』養老孟司&ユヴァル・ノア・ハラリ&福岡伸一&ブレイディみかこ&ジャレド・ダイアモンド&角幡唯介ほか著、朝日新聞社編(朝日新書)を読みました。「現代の知性たちの視線」というサブタイトルがついており、カバー裏には「最強論客によるアフターコロナへの提言! 日本の針路と世界の未来を問う!」と書かれています。

  

 カバー前そでには、「新型コロナウイルスは瞬く間に地球上に広まり、多くの生命と日常を奪った。あちこちで分断と対立が生じ、先行きは不透明だ。この危機とどう向き合えばよいのか。各界で活躍する精鋭たちの知見を提示し、アフターコロナの新たな世界を問う論考・インタビュー集」と書かれています。

  

 本書の「目次」は、以下の通りです。

「まえがき」

第1章 人間とは 生命とは

      養老孟司

      私の人生は「不要不急」なのか?

       根源的な問いを考える 

      福岡伸一

      ウイルスは撲滅できない 

       共に動的平衡を生きよ

      角幡唯介

      人間界を遠く離れた54日間

       世界は一変していた 

      五味太郎

      心は乱れて当たり前

       不安や不安定こそ生きるってこと

第2章 歴史と国家

      ユヴァル・ノア・ハラリ

      脅威に勝つのは独裁か民主主義か

       分岐点に立つ世界

      ジャレド・ダイアモンド

      コロナを克服する国家の条件とは?

       日本の対応とは?

      イアン・ブレマー

      国家と経済の役割と関係が変化

       第4次産業革命が加速

      大澤真幸

      苦境の今こそ国家超えた

       「連帯」を実現させる好機

      藤原辰史

      パンデミックの激流を生き抜くためには

       人文学の「知」が必要

      中島岳志

      「声」なき政治に国民の怒りが表出

       政治は大きな変化を

      藻谷浩介

      「応仁の乱」と共通する転換点

       地方からの逆襲を

      山本太郎

      病原体の撲滅は「行き過ぎた適応」

       集団免疫の獲得を

      伊藤隆敏

      「リーマン以上」の打撃 実体経済は

       通説を覆し急速に縮小している

第3章 社会を問う

      ブレイディみかこ

      真の危機はウイルスではなく

       「無知」と「恐れ」

      斎藤 環

      非常事態で誰もが気づいた

       「会うことは暴力」

      東畑開人

      猛スピードの強風で

       「心は個別」が吹き飛ばされた

      磯野真穂

      「正しさ」は強い排除の力を

       生み出してしまう

      荻上チキ

      「ステイホーム」が世論に火をつけた

       一方ポピュリズムに懸念も

      鎌田 實

      分断回避のために感染した若者に

       「ご苦労様」と言おう

第4章 暮らしと文化という希望

      横尾忠則

      作品は時代の証言者

       この苦境を芸術的歓喜に

      坂本龍一

      パンデミックでも音楽は存在してきた

       新しい方法で適応を

      柚木麻子

      暮らしを救うのは個人の工夫ではなく、

       政治であるべき

「あとがき」

 

 「まえがき」では、朝日新聞東京本社デジタル編集部次長の三橋麻子氏が、「今回収録されたものは、世界の第一線に立つ知識人が、同じ困難に向き合いながら、語り綴った論考である。新聞社だからこそ成しえた即時性にも意味があると思う。いまだコロナ禍の収束が見えない中、本書が示す多様な視点が、混迷する世界について考える一助になれば、幸いである」と述べています。

  

 第1章「人間とは 生命とは」の「私の人生は『不要不急』なのか? 根源的な問いを考える」では、解剖学者の養老孟司氏が「ヒトとウイルスは不要不急の関係」として、以下のように述べています。
「寄生虫は宿主が死なないように配慮している。寄生虫が宿主にとって致命的になるのは矛盾である。なぜなら宿主の死は自分の死を意味するからである。寄生虫が致命的になるのは、宿主を間違えた場合が多い。寄生虫ほどに『高等な』生きものになると、宿主を生かさず殺さず状態にして、自己と子孫の保全を図る。ウイルスの場合も最終的には似たことになるに違いない。ヒトは適当に感染し、適当に病気になり、適当に治療する。これならウイルスはヒト集団の中で生き続ける。ヒト集団全体を滅ぼしてしまっては、共倒れになってしまう。『新しい』ウイルスとは、新たにヒト集団に登場し、そこに適応していくまでの過程にあるウイルスである。コロナもやがてそうなるはずで、薬剤が開発され、多くの人が免疫を持ち、一種の共生関係が生じて、いわば不要不急の安定状態に入る」

  

 「ウイルスは撲滅できない ともに動的平衡を生きよ」では、生物学者の福岡伸一氏が「ウイルスも生命」として、「生命としての身体は、自分自身の所有物に見えて、決してこれを自らの制御下に置くことはできない。私たちは、いつ生まれ、どこで病を得、どのように死ぬか、知ることも選り好みすることもできない。しかし、普段、都市の中にいる私たちはすっかりそのことを忘れて、計画どおりに、規則正しく、効率よく、予定にしたがって、成果を上げ、どこまでも自らの意志で生きているように思い込んでいる。ここに本来の自然と、脳が作り出した自然の本質的な対立がある。前者をギリシャ語でいうピュシス、後者をロゴスと呼んでみたい。ロゴスとは言葉や論理のこと。生命はピュシスの中にある。人間以外の生物はみな、約束も契約もせず、自由に、気まぐれに、ただ1回のまったき生を生き、ときが来れば去る。ピュシスとしての生命をロゴスで決定することはできない。人間の生命も同じはずである」と述べています。

  

 福岡氏によれば、そんなピュシスの顕れを、不意打ちに近いかたちで、我々の目前に見せてくれたのが、今回のウイルス禍でした。ウイルスは無から生じたものではなく、もとからずっとあったものでした。絶えず変化しつつ生命体と生命体のあいだをあまねく行き来してきたのです。ウイルスの球形の殻は、宿主の細胞膜を借りて作られますウイルスも生命の環の一員であり、ピュシスを綾なすピースのひとつなのです。福岡氏は「無駄な抵抗はやめよ」として、「私は、ウイルスを、AIやデータサイエンスで、つまりもっとも端的なロゴスによって、アンダー・コントロールに置こうとするすべての試みに反対する。それは自身の動的な生命を、つまりもっとも端的なピュシスを、決定的に損なってしまうことにつながる。かくいう本稿もロゴスで書かれているという限界を自戒しつつ、レジスタンス・イズ・フュータル(無駄な抵抗はやめよ)といおう。私たちはつねにピュシスに完全包囲されているのだ」と述べるのでした。

  

 第2章「歴史と国家」の「脅威に勝つのは独裁か民主主義か 分岐点に立つ世界」では、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリが、「感染が一気に拡大したのはグローバル化の弊害だという指摘をどうみますか」というインタビュアーの質問に対して、「感染症は、はるか昔から存在していました。中世にはペストが東アジアから欧州に広まった。グローバル化がなければ感染症は流行しないと考えるのは、間違いです。文化も街もない石器時代に戻るわけにはいきません」「むしろ、グローバル化は感染症との闘いを助けるでしょう。感染症に対する最大の防御は孤立ではありません。必要なのは、国家間で感染拡大やワクチン開発についての信頼できる情報を共有することです」などと答えています。

  

 また、「感染の広がりを受け、世界にはどんな変化が起きているのでしょうか」という質問に対して、ハラリは「危機の中で、社会は非常に速いスピードで変わる可能性があります。よい兆候は、世界の人々が専門家の声に耳を傾け始めていることです。科学者たちをエリートだと非難してきたポピュリスト政治家たちも科学的な指導に従いつつあります。危機が去っても、その重要性を記憶することが大切です。気候変動問題でも、専門家の声を聞くようになって欲しいと思います」と答えます。

  

 さらに、「よい変化だけでしょうか」という質問に対しては、ハラリは「悪い変化も起きます。我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の中にある悪魔です。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取られると、人々は互いを憎み合い、感染をめぐって外国人や少数者を非難し始める。これを機に金もうけを狙うビジネスがはびこり、無知よってばかげた陰謀論を信じるようになる。これらが最大の危険です」「我々はそれを防ぐことができます。この危機のさなか、憎しみより連帯を示すのです。強欲に金もうけをするのではなく、寛大に人を助ける。陰謀論を信じ込むのではなく、科学や責任あるメディアへの信頼を高める。それが実現できれば、危機を乗り越えられるだけでなく、その後の世界をよりよいものにすることができるでしょう。我々はいま、その分岐点の手前に立っているのです」などと答えるのでした。

  

  「コロナを克服する国家の条件とは? 日本の対応とは?」では、生物学者のジャレド・ダイアモンドが、「危機に対応する5つの条件」を示しています。「新型コロナはすでに世界中に広がっていますが、国によって感染率や死亡率には大きな差が出ています。何がこうした差をもたらしているのですか」というインタビュアーの質問に対して、「単一の要因では説明ができない。少なくとも5つの理由があると考えています」とし、「第1に、海外からの渡航をどれぐらい制限できたか。第2に、感染者に対する隔離をどの程度行っているか。第3に、感染者の行動をたどり、感染者と接触した人々も強制的に隔離しているか。ベトナムで感染拡大が抑えられているのは、それを行っているからでしょう」「第4に、人口密度が高いかどうか。米国でも、人口密度が高いニューヨーク市では深刻な状況になっていますが、密度が低いモンタナ州ではさほどの感染者は出ていません。第5に社会的な接触の頻度。韓国における最悪の感染拡大は、人々の来訪を許した教会から起こりました。イスラエルでは、『ウルトラオーソドックス』と呼ばれるユダヤ教の戒律を厳格に守っているコミュニティーで大規模な集団感染が起きています」と述べています。

  

 「2019年の著書『危機と人類』で、国家的危機の結果を左右する12の要因を挙げています。新型コロナ危機にあたって重要なポイントは何ですか」という質問に対しては、ダイアモンドはこう述べます。
「第1は、国家が危機的な状況にあるという事実、それ自体を認めること。危機の認識がなければ、解決へと向かうことはできません。」「第2は、自ら行動する責任を受け入れること。もし政府や人々が祈るだけで行動しなければ、問題は解決できません。」「第3は、他国の成功例を見習うこと。第4は他国からの援助を受けること。そして最も重要な第5のポイントは、このパンデミックを招来の危機に対処するためのモデルとすることです」

  

 「『銃・病原菌・鉄』では、感染症が人類の歴史に大きな影響を与えてきたと指摘しています。新型コロナも現代文明に変化をもたらしますか」という質問に対しては、ダイアモンドは「気候変動問題で人がすぐに死ぬことはありませんが、新型コロナは違う。誰にとっても明らかな脅威です。私たちがなすべきことは、新型コロナが全世界への脅威だと認識し、このパンデミックを通じて世界レベルのアイデンティティーを作り上げること。それができれば、この悲劇から望ましい結果を引き出せます。気候変動や資源の枯渇、格差、そして核兵器の問題の解決に向けて協力することも可能になるでしょう。それが先にお話しした『新型コロナ問題を将来の危機に対するモデルとする』ことの真意です」と述べます。現時点では、世界レベルのアイデンティティーが実現するかどうかはわからないとして、ダイアモンドは「慎重な楽観主義者として『実現する確率は51%、実現しない確率は49%』と予測しています」と述べるのでした。

  

 「国家と経済の役割と関係が変化 第4次産業革命が加速」では、国際政治学者のイアン・ブレマーが、「パンデミックを克服すれば、世界は元の繁栄に戻れるのでしょうか」というインタビュアーの質問に対して、「ワクチンの完成に1年半かかるとされます。それを世界中に届ける必要があります。接種のための啓発活動も必要です。経済が復興し、人々が安心して旅行できるようになるまで3年はかかるでしょう」「ですが、それでも今までとは全く違う世界になります。物流は在庫を抑える『ジャスト・イン・タイム方式』から、危機に備えて在庫を確保する『ジャスト・イン・ケース方式』に転換する。経済活動は世界に広がるグローバル展開から、消費者に近いローカルなものに移行するでしょう。人の作業がなくても済むオートメーション(自動化)も進み、世界の経済人が将来のものとして予想していた第4次産業革命が一気に到来します」と述べています。

  

 「苦境の今こそ国家超えた『連帝』を実現させる好機」では、社会学者の大澤真幸氏が、現在ではすでに「封じ込め」では対応しきれない崩壊が世界で進みつつあるとして、医療システムの崩壊、経済システムの崩壊、そして人々のメンタル面での崩壊を挙げています。「メンタル面の崩壊」については、大澤氏は「たとえば、各国の医療現場で人工呼吸器の絶対数が不足し、高齢の重症患者と若い重症患者、どちらに呼吸器を優先的に装着するか、という選択を迫られる事態が多発しています。人工呼吸器を若者に回さざるを得ないとの判断。それは苦渋の決断で、社会を維持していく優先順位では、ある意味で正しいとも言える。しかし、その決断は『最も弱い立場にある人こそ、最優先で救済する』という、人間倫理の根幹をないがしろにしてしまうおそれがあります」説明しています。

  

 また、「封じ込め」に代わる対策について、大澤氏は「例えば、現在のWHO(世界保健機関)は、総会で条約や協定を作っても、加盟国に対する強制力はありません。WHOよりもはるかに強い感染対策をとれる国際機関を設立することが必要です。新型感染症対策では、その機関による調査・判断・決定が、各国政府の力を上回る力を持つ。各国の医療資源を一元的に管理し、感染拡大が深刻な地域に集中的に投入する。人類が持つ感染症への対抗力を結集し、最も効率的に使えるようにするのです」と述べます。

  

 「これまでさまざまな分野で『国家を超える連帯』が訴えられてきましたが、ほとんど実現していません。『絵に描いた餅』では?」というインタビュアーの突っ込みに対して、大澤氏は「新型コロナウイルス問題がそうした膠着状態を変える可能性があります」として、3つの理由を述べます。第1に、気候変動は非常に長いスパンで影響が表れるため、対応も進みにくかったが、ウイルスはあっという間に世界中に広がり、1人ひとりの命を直接脅かしていること。第2に、支持的・経済的に恵まれた人々は、格差や貧困、海水面の上昇など従来の社会問題から逃げられたが、新型コロナウイルスには多くの著名人や政治家も感染しており、「民主的で平等な危機」であり、社会の指導層・支配層もわがこととせざるを得ないこと。第3に、今回のパンデミックが終息したとしても、新たな未知の感染症が発生し、広がるリスクは常にあるのであり、日常生活の背後に「人類レベルの危機」がいつ忍び寄るかわからないことを、わたしたちは知ってしまったことです。

  

 「『応仁の乱』と共通する転換点 地方からの逆襲を」では、地域エコノミストの藻谷浩介氏が「国と地方、どちらにも任せられない」として、「まるで『応仁の乱』後の時代みたいだと思いませんか? 守護大名や公家は京の都にこもって内輪もめや前例踏襲に明け暮れ、地方の守護代や国人がのし上がるまで国家権力には空白が続く――。守護大名を国会議員、公家を官僚に、守護代を知事、国人を市町村長に置き換えてみればどうでしょう。国と地方の関係は、いままさに転換点なのかもしれない」と述べています。非常に面白い視点だと思います。

  

 また、地方創生の観点から見た今回のコロナ危機は、東京への過度な一極集中を是正し、ライフスタイルを変える好機であるとして、藻谷氏は「意欲的な自治体には、『鶏口となるも牛後となるなかれ』を実践する優秀なスタッフもいます。中央省庁からの若手出向者の中にも、国より制約の少ない役場で力を発揮する人が多い。現場感覚の薄い国会や中央官庁よりも、地方自治に手応えを感じる人材がもっと増えていけばいい。応仁の乱後の戦国時代のように、地方の現場で鍛えられた首長や役人が活躍し、やがて都の公家政治を一掃する――。そんな展開をコロナ後に期待しています」と述べています。まったく同感です。

  

 「病原体の撲滅は『行き過ぎた適応』 集団免疫の獲得を」では、医学・国際保健学者の山本太郎氏が、「私たちは『感染症は自然からの脅威であり、人類は文明や科学の力で感染症と闘ってきた』というイメージを持っています」というインタビュアーの発言に対して、「巨視的には『文明は感染症のゆりかご』として機能してきたことも確かです。現在知られる感染症の大半は、農耕以前の狩猟採集時代には存在していなかった。人間は100人程度の小集団で移動を繰り返し、お互いの集団は離れていた。集団内で新型コロナウイルスのような感染症が発生しても、外には広がれず途絶えてしまう」「感染症が人間の社会で定着するには、農耕が本格的に始まって人口が増え、数十万人規模の都市が成立することが必要でした。貯蔵された穀物を食べるネズミはペストなどを持ち込んだ。家畜を飼うことで動物由来の感染症が増えた。はしかはイヌ、天然痘はウシ、インフルエンザはアヒルが持っていたウイルスが、人間社会に適応したものです」と述べています。

  

 また、「文明の成立とともに人類は流行病の苦しみを背負ったわけですか」という質問に対しては、山本氏は「私たちは感染症について『撲滅するべき悪』という見方をしがちです。だけど、多くの感染症を抱えている文明と、そうではない文明を比べると前者の方がずっと強靭だった。16世紀、ピサロ率いる200人足らずのスペイン人によって南米のインカ文明は滅ぼされた。新大陸の人々は、スペイン人が持ち込んだユーラシア大陸の感染症への免疫を、まったく持っていなかったからです」「一方でアフリカの植民地化が新大陸ほど一気に進まなかったのは、さまざまな風土病が障壁になったからです。近代西洋医学は植民地の感染症対策として発達した面が強い」と述べています。

  

 第3章「社会を問う」の「真の危機はウイルスではなく『無知』と『恐れ』」では、保育士・ライターで、ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者であるブレイディみかこ氏が、「『キー・ワーカー』を巡る分断」として、「著書『負債論』で有名な人類学者のデヴィッド・グレーバーは、何年も前から『ケア階級』という言葉を使ってきた。医療、教育、介護、保育など、直接的に『他者をケアする』仕事をしている人々のことである。今日の労働者階級の多くは、じつはこれらの業界で働く人だ。製造業が主だった昔とは違う。コロナ禍で明らかになったのは、ケア階級の人々がいなければ地域社会は回らないということだった。私たちの移動を手伝うバスの運転手や、ゴミの面倒を見てくれる収集作業員などもここに含まれている。ケア階級の人々はロックダウン中、『キー・ワーカー』と呼ばれ、英雄視された。毎週木曜日の午後8時に家の外に出て彼らに感謝の拍手を贈る習慣が続いたし、メディアでも『サンキュー、キー・ワーカーズ』のメッセージが繰り返された」と述べています。わたしは、これを読んで、グリーフケアに従事する葬祭業者の人々も「キー・ワーカー」であることを確認しました。

  

 グレーバーは、「わたしたちは、わたしたちをほんとうにケアしているのはどんな人びとなのかに気づいた。ヒトとしてのわたしたちは壊れやすい生物学的存在にすぎず、互いをケアしなければ死んでしまうということに気づいたのです」と述べています。これを受けて、ブレイディみかこ氏は「ケア階級の仕事と対峙する概念として、グレーバーは『ブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)』という言葉を唱えている。この言葉をタイトルにしたエッセーが発表された後、英国の世論調査で、実に37%が『自分の仕事は世の中に意義のある貢献をしていない』と回答した。意味のない会議に出るための書類を作成し、なくてもいい書類作成のための資料を集め、整理するために忙殺される。ホワイトカラーの管理・事務部門で働く人の多くが『内心必要がないと思っている作業に時間を費やし、道徳的、精神的な傷を負っている』とグレーバーは書いた。コロナ禍の最中に『命か、経済か』という奇妙な問いが生まれてしまったのも、現代の経済が大量の『ブルシット・ジョブ』を作り出すことによって回っているからだ」と述べるのでした。

  

 「分断回避のために感染した若者に『ご苦労様』と言おう」では、医師の鎌田實氏が、「日本のPCR検査の件数は諸外国に比べて低く抑えられてきました」というインタビュアーの発言に対して、「法律で、新型コロナウイルスを指定感染症にしたことが医療機関や医療従事者に負担をもたらしました。指定感染症だと無症状でも軽症でも、原則入院する必要があるからです。検査を増やせば、陽性とされて入院せざるを得ない人があふれる。だから、国は検査数を少なく抑えてきたのです。制度設計の誤りだったと思います」と述べています。また、「コロナ禍は日本社会を変えるのでしょうか」という質問に対しては、「ビヨンド・コロナのより良き社会を見据え、今後のことを見越した取り組みが必要だと思います。人と人との関係であれば、フィジカルディスタンシング、ソーシャルコネクティング(物理的に距離を取り、社会的につながること)が大切になってくる。どうすれば、『離れてつながる』ことが実現できるのかを考えていかなくてはなりません」と述べるのでした。この「ビヨンド・コロナのより良き社会」という言葉はわが「心ゆたかな社会」の同義語であると思います。鎌田氏には『コロナ時代を生きるヒント』(潮出版社)という著書もあるそうなので、早速、アマゾンで注文しました。