No.1941 民俗学・人類学 『21世紀の民俗学』 畑中章宏著(角川書店)

2020.09.08

 『21世紀の民俗学』畑中章宏著(角川書店)を読みました。「WIRED.jp」の異色の人気連載を最終章「ありえなかったはずの未来」を大幅加筆して単行本化したものです。一条真也の読書館『天災と日本人』で紹介した本が面白かったので、同じ著者が書いた本書を読みたくなりました。著者は1962年生まれの作家、民俗学者、編集者です。 

本書の帯

 本書の帯には、「未来のようでいて過去、あまりに古くて新しい。現代日本という『妖怪』の正体!」「自撮り棒、事故物件、宇宙葬、ホメオパシー、アニメ聖地巡礼、無音盆踊り、河童の選挙権……?」と書かれています。 

本書の帯の裏

 また帯の裏には、「インターネット、スマホ、最新テクノロジーが神仏・祭り・習俗と絡みあう新世紀のリアルとは?」「新しいと思われていたことが古いものに依存していて、古くさいと思われていたことが新しい流行の中にある――。柳田国男や宮本常一以来、不安定で流動的な現象の中にこそ日本人の変わらぬ本質を見出してきた民俗学が、新時代に切り込む」と書かれています。

 本書の「目次」は、以下の通りです。
序 ―― 21世紀の「感情」
①ザシキワラシと自撮り棒
②宇宙葬と星名の民俗学者
③薬師如来と「ガルパンの聖地」
④テクノロジーの残酷
⑤景観認知症
⑥文殊菩薩の化身たち
⑦無音盆踊りの「風流」
⑧ポケモンGOのフィールドワーク
⑨祭の「機能美」と戦後建築
⑩複数のアメリカ国歌
⑪UFO学のメランコリー
⑫山伏とホメオパシー
⑬お雑煮の来た道
⑭すべての場所は事故物件である
⑮河童に選挙権を!
⑯大震災の「失せ物」
ありえなかったはずの未来――「感情史」としての民俗学
「おわりに」
「参考文献」

 「序 ――21世紀の『感情』」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「21世紀の今日に起こった眼の前の事象について、民俗学を切り口にこれから綴っていきたいと思う。現在進行形の出来事、流行や風俗にかんして、ほかの学問ではなく、なぜあえて民俗学という学問とその方法を用いるのか。それはさっき生まれ、いつ終わってしまうかわからない、不安定で流動的な現象を捉えるには、民俗学が最も有効だと思っているからである」

 また、民俗学について、他の学問と同様に、民俗学にも、細分化した専門や関心領域があるとし、著者は「そのなかでわたしにとっての民俗学とは、まず『感情』を手がかりに、さまざまな社会現象に取り組む姿勢のことである。過去の人びと、現在を生きるわたしたちの感情が反映していると考えているのだ。だからわたしは、河童や天狗、ザシキワラシといった妖怪について、たとえ話や象徴としてではなく、実際に存在するものとして研究している」と述べています。

 続けて、歴史には記録されていない感情を扱うことで、史料にもとづいた過去に囚われることなく、市井の人間のことを想像し、見つめ直すことができるとして、著者は「だから、全く新しいと思われていることが古いものに依存していたり、古くさいと思われていたことが新しい流行のなかに見つかる。民俗学の方法を用いることで、時代に左右されない本質を探すことができる」と述べます。 

 さらに、著者は以下のようにも述べています。
「わたしが本格的に文章を書くようになったのは、東日本大震災以降のことである。東日本大震災で日本社会が『取りこぼした』ものがあったような気がしたからだ。震災後、社会学者や土木工学者による数値などのデータをもとにした分析を目にするたび、わたしは違和感を覚えた。数字が伝える情報は貴重だけれども、感情に踏みこんだ論評があまりにも少なすぎると感じた」

 続けて、津波の際に生死を分けたのは、「行政」によるものか、「運命」によるものかと著者は問いかけ、「いまあえて、『運命』と『行政』というふつうでは対語として用いられない二字熟語を並べてみたのは、こういった引き裂かれた言葉でしか、だれもが表現していないように思うからである。復興、復旧のなかでの鎮魂や供養のあり方、放射能汚染から避難した人びと、事故後も原発を支持する人びとの感情を、わたしはいまだ捉えきれずにいる」と述べます。

 さらに、日本の民俗学を創始した柳田国男が、信仰を通じて過去の日本人の感情を理解し、日本人とは何かを明らかにしようとしたとして、著者は「柳田は、『わたしの家は日本一小さい家だ。この家の小ささという運命から、わたしの民俗学への志を発したといってよい』と、学問の出発点を、自らの生家に置いている。柳田とは異質の民俗学をつくりあげたとされる宮本常一も、貧しい農家の長男としての出自と不可分な貧困の問題に取り組み続けた」と述べています。

 そして、人類学がフィールドワークにおいて観察対象からある種の距離をとった記録を重視するのとは異なり、民俗学では扱う対象と研究者の距離がほんらいは近いはずである」として、著者は「伝承や風習、流行を、当事者として見つめて考える立場だといえよう。わたしは民俗学のアカデミックな教育を受けたものではないけれど、感情を揺さぶられた経験をもとに、等身大の体と自分の頭で、過去の事象、現在進行形の現象について考えているつもりだ」と述べています。

 「①ザシキワラシと自撮り棒」では、人類学者の鶴見良行が写真に対する日本人の感情の変遷をたどった興味深い論考を書いていることを紹介し、著者は「鶴見によると、日本に写真技術が輸入されてから、日本人を写真館に向かわせた動機には、2つの理由があった。1つは『人口移動による動機』である。明治維新の志士たちが家族や知人にのこすために撮影されたり、都会への遊学や就職、そしてなによりも国内外での戦争への出征にあたって、故郷に残し、故郷に送るため移動先で写真に撮られた。もう1つの動機は、『生活の区切り』をきっかけとしたものだった。出生、七五三、入学と卒業、就職、結婚、出世、還暦、死亡といった人生の『区切り目』ごとに、日本人はカメラの前に立った」と述べています。

 また、著者は以下のようにも述べます。
「『歴史主義的発想による時代』の家庭アルバムには、ある特定の日を選んで撮られた写真が多く、一年や一生のサイクルといった『ハレの日』を軸とする”螺旋的”な時間認識によるものだった。ところが大正時代に入ると、カメラと感光材料の大量生産が可能になったことから、『区切りの日』以外にも日本人は写真を撮るようになった。こうして大正末年以降の日本人のなかには、『区切りの日』の写真だけで自分の人生を象徴しない新しいタイプの人間が増えていった。さらに『写真を撮って作品を眺めるまでの一連の作業のなかに、参加者個性の充足感を感じ』、『芸術主義的発想』をするようになったのだと鶴見はいう」

 「②宇宙葬と星名の民俗学者」では、「心霊学の時代」として、著者は「ヨーロッパを主戦場におこなわれた人類史上最初の世界大戦である第1次世界大戦は、1918年に休戦となった。しかし1600万人以上という膨大な戦死者を出した未曾有の経験から、霊媒者を招いて、戦死した若者の招魂をおこなうことが大流行した。その背景には、中世のオカルティズムからつながる『心霊学』があった」と述べています。 

 また、心霊学について、こう述べられています。
「日本心霊現象研究会は『心霊問題叢書』と銘打ち、1922年(大正11年)2月から海外の心霊研究資料の出版を始めた。その第1巻はオリヴァー・ロッジ著、野尻抱影訳の『他界にある愛児よりの消息』だった。サー・オリヴァー・ロッジはイギリス・バーミンガム大学の初代学長を務めた人物で、世界的物理学者であると同時に、その物理学的概念を心霊現象の解釈に適用した人物である」

 『他界にある愛児よりの消息』は第1次世界大戦で死んだ末子、レイモンド・ロッジとの交霊記録で、ヨーロッパの読者に甚大な驚きと感動を与えました。同書によると、他界では現世と同じく星は見えるそうです。大熊座も、「チュ・チュ・チャリオ」(馬車。カシオペア座か)も見えます。昼と夜とは規則正しくは回ってきません。太陽も見えますが、暑さも寒さも感じないといいます。

 抱影自身、翻訳刊行の4年前に最初の妻を亡くしており、著者は「妻の霊との交信をこの本の内容から思い浮かべていたのかもしれない」と述べています。抱影訳の日本語版は刊行当時も反響が大きかったですが、1924年10月に『レイモンド――人間永生の証験記録』と改題され、大ベストセラーになりました。1922年と24年の間に、日本では死者・行方不明10万5000人あまりという大災害、関東大震災が起こっています。 

 野尻抱影のライフ・ワークのひとつが「星名の民俗学」でした。各地からの通信約1000通をカードに整理し、1936年(昭和11年)6月、星名400を含む『日本の星』を刊行しています。「『星名の民俗学者』の遺言」として、1975年(昭和50年)5月、抱影が渋谷駅東口にあった東急文化会館の五島プラネタリウムが主宰する「星の会」で「星に感じる畏怖」と題する講演を行ったことを紹介しています。

 このときの話題は星の光の話からフロイト心理学におよぶものでしたが、「僕はこの秋に90歳になる。死んだら墓所はオリオン座にきめている。あのガンマ星の1インチ半下の所です。そこはベラトリックス、つまりあの美しいアマゾンの女兵士がまもっていてくれるのです」という抱影の締めくくりの言葉は、聴衆を驚かせました。著者は、「青白く輝くオリオン座の恒星『ベラトリックス』はラテン語で『女戦士』を意味し、『アマゾン・スター』という別名もある。いまから40年ほど前、『渋谷ヒカリエ』が立つ場所で、亡き妻が眠る宇宙の霊園に葬られたい、と言い残した天文民俗学者がすでにいたのである」

 「⑥文殊菩薩の化身たち」では、「近世社会福祉の萌芽」として、近世の地域社会でも、瞽女や座頭といった「視覚障害芸能者」に対する扶持が用意されていたことを指摘し、著者は「この事実は、アメリカ合衆国生まれの音楽学者・芸能史研究家ジェラルド・グローマーの『瞽女うた』に詳しい。かつての日本では、眼病を患った女性たちが三味線と唄を習い覚え、米などの農産物と引き換えに村々を流し歩き、芸を披露していった。こうした瞽女が成立した背景には、医療も未発達だったうえに、今日のように社会福祉が確立していなかったことも理由だと考えられてきた。しかしグローマーは、瞽女が各地を移動し、長い期間にわたり芸に裏づけされた職能を維持できたのは、近世に社会的弱者に対する福祉が芽生えていたためだと考える」と述べます。

 また、日本では古来子どもや老人は神に近い存在で、難病患者や貧しい人々は菩薩だとみなされたとして、著者は「社会的な弱者ほど、高貴であるというふうに考えられてきた。残忍な王や、負担を強いる為政者は、その半面で『福祉』について配慮せざるをえなかったはずなのに、今日の日本では、こうした説話すら忘れられてしまいかねないのである」と述べます。 

 「⑭すべての場所は事故物件である」では、「地名に蓄積した過去」として、東日本大震災以降、地震津波、河川の氾濫、火山噴火の記憶を宿した「災害地名」に注目が集まったことがあることが指摘され、「たとえば『蛇崩』『蛇抜』といった地名が土砂災害、土石流被害を刻印する地名であり、2014年(平成26年)に発生した広島市土砂災害のとき、もともと『蛇落地』と呼ばれていた場所が、イメージの悪さから『上楽地』と改名されていたとインターネット上で話題になった」と書かれています。 

 また一方で、開発地名、新興地名というべきものが新たに生み出されてきたとして、著者は「『希望ヶ丘』『光ヶ丘』『緑ヶ丘』、『青葉台』や『若葉台』といった、歴史や民俗を感じさせない無味乾燥な地名が、新興住宅地やニュータウンの呼称となった。そこが起伏に富む地形であっても、『丘』や『台』と名づけられ、『谷』や『窯(久保)』と呼ぶことはなるべくなら避けられたのだ」と述べています。

 「⑮河童に選挙権を!」では、「異形の『正義』」として、著者は「わたしのかねてからの主張に、『妖怪は実在する』、あるいは『妖怪は実在した』というものがある。そもそも柳田国男の『遠野物語』に登場する河童や天狗、ザシキワラシ、雪女、山男や山女はその目撃談、経験談から、実在したものであることは疑いえない」と訴え、さらに「天狗にかんしては、先住民族や山林生活者とおぼしき『異人』『山人』を常民の尺度からみた生命体であり、また山岳宗教者である修験山伏の性格や能力を反映した存在であるという解釈が唱えられてきた」と述べています。

 また、「『後ろめたさ』の共有」として、著者は「夢枕に立つ幽霊は、その経験を他人に話さなければあくまでも個人に属する。しかし複数の人に経験が共有されたり、あるいは幽霊が辻に立つようになると共同性を帯びる。こうしたことが繰り返されて「伝説」になっていく」と述べています。柳田は、「怨霊」や「御霊」の性格を民俗学の立場から明らかにすることに情熱を傾けましたが、その対象とは「縁者なきものの亡魂、他郷で死去したものの死霊、遭難・事故・自殺・戦死など非業の死をとげたものの亡霊、未婚のまま急死した若者の霊、あるいは愛児の夭折したものの霊魂など、現世に怨恨をのこす迷える怨霊」だったのです。

 そうして、こうした「霊」たちが集合性を帯び、個人から離れて公共化され、抽象化されたのが日本の妖怪なのであるとして、著者は「妖怪は特定の個人や家族だけではなく、共同体の枠を越えて、人々を『もやもや』させたい。崇高さと滑稽さのあいだに開いた落とし穴に、人々を連れ込み、名状しがたい感情を抱かせたい。そうしたことが必要な状況に社会があるとき、妖怪は生まれてくるのである」と述べます。

 「死に去りし『多数派』」として、ドナルド・トランプのアメリカ大統領就任を受けて、松岡正剛が「千夜千冊」の1630夜としてアモス・エロンの『エルサレム――記憶の戦場』(1989年)を取り上げたことを紹介し、著者は「トランプは大統領になる前からアメリカ大使館のエルサレム移転を吹聴していたといい、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教という世界三大宗教の聖地であるエルサレムの、『世界』と『永遠』と『記憶』について振り返る。そのなかで松岡は、イスラエルの現代詩人で、エルサレムで暮らしてきたイェフダ・アミハイが、エルサレムを『何か忘れたと誰もが思っているところ』『地上で唯一、死者にも投票権のある都市』だと書いていることを、『まことに言い得て妙』だと評価している」と述べます。

 「死者の投票権」、あるいは「死者の政治参加」に関していえば、農政官僚時代の柳田国男が、すでに先駆的な認識を示し、提案をしていたことを指摘する著者は、1902年(明治35年)から1903年にかけて中央大学で行った「農業政策学」の講義で、柳田が「国家は現在生活する国民のみを以て構成すとはいいがたし、死し去りたる我々の祖先も国民なり。その希望も容れざるべからず。また国家は永遠のものなれば、将来生れ出ずべき我々の子孫も国民なり。その利益も保護せざるべからず」と述べたことを紹介します。さらにその8年後、1910年(明治43)に刊行された『時代ト農政』では、柳田は「況んや我々はすでに土に帰したる数千億万の同胞を持っておりまして、その精霊もまた国運発展の事業の上に無限の利害の感を抱いているのであります」と述べています。

 「ありえなかったはずの未来――『感情史』としての民俗学」では、「民俗感情の公共化」として、著者は「先にわたしは、知性以前の感情が個人や家族にとどまらず共同のものとなったとき、民俗感情が『公共化』されるといった。たとえば夢枕に立つ幽霊は、その経験を他人に話さないかぎり、あくまでも個人に属する。しかし幽霊が辻に立つようになり、多くの人に経験が共有されると共同性を帯びる。そうしたことが繰り返されることによって、幽霊は『伝説』『伝承』として公共化されていくのである」と述べます。

 続けて、著者は以下のように述べています。
「民俗学者の桜井徳太郎は、柳田の霊魂にかんする最初の興味は、死霊一般、人間霊一般に対して常民が抱く観念形態ではなく、特殊なケースに出現する現象や、観念する対象そのものに注がれていたと指摘する。そして柳田は、『縁者なきものの亡魂、他郷で死去したものの死霊、遭難・事故・自殺・戦死など非業の死をとげたものの亡霊、未婚のまま急死した若者の霊、あるいは愛児の天折したものの霊魂など、現世に怨恨をのこす迷える怨霊』を研究対象としたと桜井はいう。こうしたさまよえる『霊魂』が集合性を帯び、公共化されたものが妖怪であるとわたしは考える」

 そして、最後に著者は「妖怪は特定の個人や家族を越えて、人びとを『もやもや』させるために生まれてくるのである。日常と非日常のあいだに開いた落とし穴に人びとを連れ込み、恐怖と滑稽の感情を人びとに抱かせるために現われるのだ。そうした状況が社会に必要になったとき、妖怪は登場するのである」と述べるのでした。現代のさまざまな風俗や現象について書かれたものの中には消化不良のものもありましたが、全体的に興味深く読めました。特に「⑮河童に選挙権を!」に強い印象を受けましたが、このテーマは著者の次回作である『死者の民主主義』(トランスビュー)に受け継がれていきます。

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