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シンクロニシティ』

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No.1926


 『シンクロニシティ』秋山眞人著、布施泰和協力(河出書房新社)を読みました。「願望が実現する『偶然』のパワー」というサブタイトルがついています。このサブタイトルは自己実現本みたいで、わたしの好みではありませんが、内容はディープな思想書でした。一条真也の読書館『日本オカルト150年史』で紹介した著者の新著に書かれてあるオカルトの理論が非常に興味深かったので、続いて本書を手に取ったのですが、輪をかけて凄い本でした。理論的には、かのコリン・ウィルソンを超えたのではないかとさえ思います。シンクロニシティを実際に起こす具体的方法についても言及されており、一条真也の読書館『奇書の世界史』で紹介した本の中に登場する古今東西の奇書たちに勝るとも劣らない超弩級の「現代の奇書」でした。

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本書の帯

 

 本書の帯には著者の顔写真とともに、「未来を見通せる! 現実を変えられる! 驚異のスピリチュアル・セオリー」「★夢や虫の知らせの意味に気づき、活用できる」「★数字・図形の力で、運命を作為的に操作できる」「★大事件や災害の予兆をキャッチし回避できる」「★時勢のゆくえや、流行の周期がつかめる」「『意味ある偶然の一致』はあなたに"重大な真実"を告げている!!」と書かれています。

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本の帯の裏

 

 また帯の裏には、「‟偶然"の意味を解いて、活用すれば あなたの人生はみるみる好転する!」として、「★テロや大震災の日時についてまわる『11』の数の意味とは?」「★大勢の人が『歯の抜け落ちる夢』を見た2カ月後に大地震が起きる!」「★運河よくなる場所、不吉な事件が起こる場所には意味がある!」「★体の‟感覚"から、これから起こる現象を予知することができる!」「★社会を変える大きな出来事は、22~24年周期で起きる!」「★シンクロニシティをコントロールしやすくする意識のつくり方とは?」「★悪いシンクロニシティの流れを食い止める『代償効果』とは?」と書かれています。

 

 さらにカバー前そでには、内容紹介があります。
「シンクロニシティの文献万巻を読みつくした著者が、最新の量子論から古の呪術書の知見までを駆使し、迷宮のごとき『偶然の一致事象のメカニズム』を究明。今日の服装や日付の数字、空に浮かぶ雲の形まで、それらが暗示する恐るべき意味の解読法を明かす。望みどおりの未来を引き寄せ、災厄を遠ざける超自然界の奥義を満載した、現代の奇書!」

 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。

まえがき
「運命を操作する方法は古来、知られていた」

序章 この「不思議な現象」は
   どこまで解明されたのか

1章 そもそも「シンクロニシティ」とは
   どのような現象なのか

2章 驚くほど多岐にわたる
   「偶然の一致」のパターンと特徴

3章 科学の常識を超える
   「メカニズム」が見えてきた......

4章 「人間の意識」と共鳴し
   時空を超えて発言する意味

5章 シンクロニシティを
   「自分で発動する」方法

6章 予兆を察知し、
   「未来を操作する」超応用法

「巻末資料」

 まえがき「運命を操作する方法は古来、知られていた」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「『友人からもらったグラスが落ちて割れ、不吉だなと思ったとたん、その友人が亡くなったという知らせが届いた』『合格した受験番号や、当たった宝くじのナンバーは、なぜか同じ数字が関わっている』――。こうした不可思議感のある偶然の一致を、スイスの心理分析家カール・グスタフ・ユング(1875~1961年)が『シンクロニシティ』と名づけたことは、よく知られている」 

 

 また、数字のシンクロニシティに巻き込まれた人物として海部俊樹元首相の名前を挙げ、「昭和29年に早稲田大学を卒業。29歳で第29回総選挙に当選。29が自分のラッキーナンバーと信じた氏は、『29年間応援してくだされば総理になれる』と宣言。29年後に総理大臣になった」と実例を示します。さらに、社会的な事象と数字のシンクロニシティもあるとして、「室町幕府15代将軍の足利義昭は室町幕府最後の将軍で、同様に15代将軍・徳川慶喜は江戸幕府最後の将軍である。そして、1991年から93年まで首相を務めた宮澤喜一は、自民党15代首相であるが、彼の代で自民党政権はいったん終止符を打ち、非自民である細川護熙に政権を譲ることになる」と例を示し、著者は「日本の歴史では15という数字が特別な意味をもつようなのだ」と述べます。 

 

 序章「この『不思議な現象』はどこまで解明されたのか」では、著者は、「日付」「言葉」「神話のような物語」が超時空的にシンクロニシティを繰り返すことを指摘します。この現象を説明するには、わたしたちの意識が現象に介在していると考えるしか他に方法がなく、「シンクロニシティは、いまの科学では説明不能なことなのだ」として、さらには「時系列的にいうと、私が何か思ったから、未来においてそれに関係するおとが起きるのか、あるいは、止むことのない木霊のように、昔から延々と続いている現象に巻き込まれたのか、という問題もある。実はあるテーマを意識したり、シンボルが心に浮かんだりするということは、何かそういう周期に巻き込まれるということでもあるのだ。そういう現象がシンクロニシティの本質にあるのではないだろうか」と述べています。 

 

 本来、シンクロニシティは心理学が扱うテーマだったのかもしれません。心理学は一般には科学の1つだと思われていますが、医学のような自然科学ではなく、哲学や文学のような人文科学とされています。著者は、「近年、科学実証主義がほぼ日本人に定着した感がある。学説や統計的数字をエヴィデンス(証拠)と称し、それに見合ったものでなければ、科学的には認めないという。そうした風潮のなかで、いちばん変化を余儀なくされたのが、心理学であった。過去において信じられてきた心理学の大きな定説のほとんどが徹底的に検証され、心理学者自身によって批判の対象となっている」と述べます。 

 

 多くの人が心理学の大御所だと思っているフロイトやユングですら、いまや「学者ではない。実証主義的ではない」「彼らは哲学者や文学者に近い」と批判され、「心理学者」ではなく「心理分析家」と呼ばれるようになりました。しかし、著者は「その実証主義が最も扱いづらいのも、人間の心なのである」とも述べます。わたしもグリーフケアを研究していていつも痛感していますが、心を数字で置き換えることは無理です。心理学の統計でさえ、すべての心そのものを数値化しているわけではありません。著者は、「ユング批判で逆に浮き彫りになったのは、科学実証主義では人間の心に迫ることは難しいということであった。その実証主義者側から最も嫌われてきたテーマの1つがシンクロニシティなのである」と述べています。

  

 著者は、シンクロニシティ研究の道を遮る「負の三賢人」の存在を指摘しますが、その第1は、ガチガチの科学実証主義の人々です。彼らは「心が物に謎めいた関係をもつというシンクロニシティのような現象はあり得ない。実証主義的に合理性がないからだ」と考えます。彼らにとっては、最初からシンクロニシティは存在しないものなのです。第2は、唯物論者です。著者は、「シンクロニシティについて論述している哲学者や思想家は大勢いるが、得てして彼らは、近代マルクス主義をベースに置いた唯物論思想をもっている。その結果、シンクロニシティが宗教やオカルティズムを擁護する迷信にすぎないと考える」と述べます。そして第3は、宗教家です。別の意味で厄介で、「自分たちが唱えるシンクロニシティ的な現象や神秘的な現象だけを是として、それを客観的に検証しようともしないばかりか、それ以外の超常的現象を排除する傾向がある」と述べています。

  

 このように、シンクロニシティを研究する際に、それを妨害する「負の三賢人」が立ちはだかるのというのです。著者は、「シンクロニシティに否定的で饒舌な科学者と、もともと『物がすべてだ』として心的な物理力を否定する思想家と、自分が体験したシンクロニシティ以外はすべて偽だとする宗教家という三者だ。この三者の罵詈雑言を浴びながら、我々はシンクロニシティの研究を続けてこなければならなかったのである」と訴えるのでした。

  

 それでも、シンクロニシティは科学の分野だと主張する人も存在します。それも心理学のような人文科学ではなく、物理学のような自然科学の対象として見ています。実際、シンクロニシティは近年、量子論で説明されることが多くなってきました。著者は、「近年の研究により特殊相対性理論と量子力学を組み合わせた「場の量子論」が誕生したが、重力を扱う一般相対性理論と量子力学との間の矛盾や溝は埋まっていない。この広大な宇宙の、ミクロからマクロまでを統一して説明できる万物理論は、まだ出てきていないのだ。では、一体どの理論が生き残るのか」と述べます。そのジレンマを追求したのが、アメリカの作家ロバート・アントン・ウィルソン(1932~2007年)です。彼は、著書『コスミック・トリガー』の中で、「量子力学が成り立たない場合」「客観性が成り立たない場合」「局所性が成り立たない場合」の三つの可能性に分けて論述しました。 

 

 1章「そもそも『シンクロニシティ』とはどのような現象なのか」では、シンクロニシティについて、著者は「人間の心のなかにふと浮かぶ映像(人間の意識に現れる心象)と、外界で発生する事象との間で、時間を超越して連動あるいは共鳴のような現象が起きる場合がある。しかもそれは、一度始まると同じイメージ・意味(形、色、性質)をもつ事象が次々と連鎖して発生する。これがシンクロニシティの特性なのだ」と定義しています。シンクロニシティという概念は、スイスの心理分析家ユングが最初に提唱したことで知られています。何か意味があることが起こり、しかもそれには確率的にあり得ないような偶然が付随するのですが、一般的には「意味のある偶然の一致」として認識されています。現在では「共時性」とか「同時性」などとも呼ばれていますが、多くの人がそういう不思議な体験をしたことがあると思います。 

 

 日本でも、古くから「虫の知らせ」「人の縁」「兆し」などの言葉で説明される現象として知られてきました。「下駄の鼻緒が切れると、何か困ったことが起きる」「噂をすれば影が差す」などがその例ですが、著者は「たとえばおみくじを引いた番号がいくつで、その番号に書かれた吉凶の占いどおりのことが起こるだろうという考え方も、実はシンクロニシティからきているのである。実際に引かれたおみくじの棒と、後に発生する現象とは縁もゆかりもない。それなのに人々は、そこに共通の意味が現れてくると信じて、神社でおみくじを引く。なぜか。それは、体験的にシンクロニシティという存在に気がついているからではないだろうか。つまり、我々を含めて、シンクロニシティ体験者はごまんといるのである」と述べています。 

 

 シンクロニシティを説明するために、著者は「ある現象が起こる前には、前兆として現れる現象が必ず存在するのである。時間が直線的でなければ、未来に起こる現象は、過去にも影響を与える。それは何かのシグナルやタイプとして出現する。すると、大きな現象が起こる手前(過去)に必ず現れる『型(タイプ)』があって、その型の意味合いを知れば、未来がわかるという仕組みだ。そう考えると、おみくじやタロットカードの占いに意味が出てくる。それは一種の未来からのシグナルであり、タイプである。この仕組みのなかでは、たまたまめくったタロットカードの意味合いが、未来に現れてくるのだ」とも述べています。また、空を見上げただけでは風がどの方角に向かって吹いているのかはわかりませんが、旗や風見鶏があれば、見えない風の向きが可視化されます。同様に、将来起こる現象の前兆が、おみくじやタロットカードによって可視化されるというわけです。

  

 このタロットカードに出てくる濃縮した意味合いのことをユングは、心理学の土俵にのせて「原型(アーキタイプ)」と呼びました。「シンクロニシティを説明する『原型』論」として、著者は「神話のなかに未来の『原型』が現れるのである。未来と、神話の原型が共鳴するような現象が起こる。神話の原型が未来に向かって増幅される、もしくは未来と共鳴したり、未来に投影されたりするのである。型があって、広がって、現象界に現れてくる、あるいは意味だけが連鎖するような現象である」と述べています。

  

 さらに、シンクロニシティは、ユングの唱えた「集合的無意識」と深い関係があります。ユングはすべての人間の心の奥底には共通する底流があると考え、それを「集合的無意識」と 名付けました。著者は、「それは世界中の神話や民族伝承を集めた『総合意識体』『総合情報体』も呼べるようなものであり、そこから上がってくる意識や情報がいまの自分の心の動きに影響を与える。それは無意識的に起こる現象なので、知らず知らずのうちに今度は大衆が過去で起きたことと同じような出来事を社会のなかで繰り返すことが起きるのだ。その相互関係をつくり出す大本・根本が集合無意識であるとユングは考えた。人が無意識のなかで共有する歴史的、社会的、生物的部分が集合無意識だと位置づけた。この説に従えば、歴史上の有名な事象は集合無意識に刻まれているため、何度も繰り返されることになる」と述べています。 

 

 「古代人はこの現象の存在を知っていた」として、著者は以下のように述べています。「人が何かをイメージする。そのイメージが、その人の周りの堅固な物質に影響を与える。心と物質(体)が連動していると考えれば、心のなかに描かれたイメージが、肉体の健康や強固さに影響を与えることが当然起こり得るのだ。つまり、同じような病に対して、『大丈夫だ。治る』というイメージを繰り返しもった人と、もたなかった人の間には差が起きてくるのである。医療関係者は、それをただの『暗示』というだけで具体的な説明を避けてきた」 

 

 また、著者は日本で古来から存在した「雛形」という思想に言及します。予兆的、前兆的に、ある社会的出来事や人間関係のなかで起きる出来事のあと(雛型)になるような現象が、どこか小さなところで起こるというのですが、著者は「たとえば、日本には古くから伝わるご神事というものがある。これは占いに近い儀式である。釜に五穀(米、麦、粟、豆、黍または稗など)を入れてつくったおかゆに竹筒を突き刺すという神事がある。突き刺した際、そこに五穀がいくつ入っているかで、吉凶、未来を占うのである。そのときに、たとえば豆が一つも入っていなかったから、これは何か異常な事態が起こるのではないか、ということを予言する」と述べています。

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儀式論』(弘文堂)

  

 続けて、著者は「そもそも、突き刺した竹筒に米の数がいくつあるかということと、将来の災害とか人災とかは関係しているはずがないにもかかわらず、このような神事は古来おこなわれてきた。しかし、関係していたという事例が多いからこそ、いまでもこのような神事が続いているのではないだろうか。これが『占う』いう儀式の根底にあるものである。雛型として占うとは、まさにこのことなのだ」と述べています。儀式の根底にシンクロニシティが存在したというのは、『儀式論』(弘文堂)の著者であるわたしにも大いに納得のゆく説明でした。儀式にサイエンスの光を当てたら、「シンクロニシティ」というキーワードが浮かび上がってくるのかもしれません。 

 

 考えてみれば、占いなどというものはシンクロニシティのコントロール術そのものでしょう。著者は、「占いは古くは中国からきたものだと思われるが、この技術は日本でも独自に発達した。たとえば、対馬列島には亀卜という占いがある。亀の甲を焼き、できた裂け目の有り様でシンクロニシティの様子をみて、予兆的に未来の事象を当てるのである。これがよく当たるので、全国にも広がった。日本最古の占いともいわれる。皇室でおこなわれる大嘗祭の儀式に使われる斎田も亀トで選ばれた。古代からあったとされる鳴釜神事では、釜の上に蒸籠を置いてそのなかに米を入れ、蓋をのせた状態で釜を焚いたときに鳴る音の強弱・長短等で吉凶を占っている。一般に、強く長く鳴るほど良いとされ、現代においても、岡山市の吉備津神社などでおこなわれている」と述べています。 

 

 生き残った占いや神事があるのは、シンクロニシティという現象があるからにほかならないという著者は、「言い換えれば、長く続いてきた神事や占い、伝統、儀礼は、まさにシンクロニシティによって根づいてきたといえるのだ。占いや神事の背景には、最初はおそらく、そういうことが読める直感的な人がいたのだと思われる。陰陽師であるとか、巫女や審神者がそういった人々だ。少なくとも彼らは呪術者であると思われていた。彼らはまた、事象のあり方を正確に記録する研究者であった可能性もある。陰陽師とされる安倍晴明も天文学の博士であった。天体の動きを読み取りながら、未来に起こる現象を知ったことは十分に考えられる」と推測しています。 

 

 2章「驚くほど多岐にわたる『偶然の一致』のパターンと特徴」では、シンクロニシティの分類方法はいくつもあることが紹介されます。名づけ親のユングは、シンクロニシティを3つのタイプに分類しました。著者は、「第1のタイプは、出来事の一致や、同じことが何度も起きる場合で、これは心的な状態と外界での事象が一致するときだ。第2のタイプは、千里眼など遠隔透視による一致で、戦争で亡くなった息子が夢枕に立ったり、行方不明になった恋人が夢で助けを求めたりするケースがこのタイプに該当する。第3のタイプは、予知による一致である。有名なのは、日露戦争の雌雄を決することになった1905年の日本海海戦で、日本の海軍参謀・秋山眞之がロシアの『無敵のバルチック艦隊』の進路と隊列を夢で予知して迎え撃ち、擊破したとされるケースだ」と紹介します。 

 

 ここで、著者は本書の中でも最も重要なことを述べています。それは、「ある意味、シンクロニシティは超常現象的なカテゴリーから卒業できる唯一のテーマであるのかもしれない。別の言い方をすれば、シンクロニシティの研究を進めることにより、人類が翻弄されてきた運命の法則から、宇宙に存在するあらゆる根本原則に至るまで、そのメカニズムを解く糸口がみつかる可能性があるのである」という言葉なのですが、わたしはこの言葉に非常に感銘を受けました。そして、著者のこの考え方こそは、まさにオカルト的思考でもなんでもなく、科学的思考ではないかと思った次第です。これまで、金環食とか皆既日食といった天体現象をはじめ、多くの「不思議」が超常現象的なカテゴリーから卒業していったことは歴史上の事実です。シンクロニシティがそうなれば素晴らしいことですし、何よりも、わたしにとって最大のテーマである「儀式」の意味や重要性を科学的に明らかにしてくれるのがシンクロニシティではないかという予感がします。 

 

 3章「科学の常識を超える『メカニズム』が見えてきた......」では、「シンクロニシティ的思考の歴史と現在」として、著者は「私たちの文明や文化は、モノのシンクロニシティ、とくに土や石のシンクロニシティの研究から始まったといえなくもない。たとえば、人間は火を使う。熱くて怖いものだが、火を焚けば動物はこない。ムカデなどの節足動物やダニも火に近づかない。その現象を研究・分析することによって、火を利用・管理する文化を考えた。彼らの好奇心は、火の熱さ、怖さ、火を起こすことの大変さを超えるくらい強く、同時に彼らは高度な分析能力をもっていたのである。そこで彼らは、生活雑器の土器に、縄のような模様を刻むとどうなるかを観察したのではないだろうか。そして、ある特定の模様は、なぜか元気になるとか、運が良くなるということに気がついたのだ。あるいは、ある模様の土器に水を入れたら、神々しい力が宿ると考えたのである」と述べています。縄文土器に呪術的思考が見られるのは常識ですが、それはシンクロニシティ的思考でもあったのです。 

 

 著者は、「このような感覚は世界中にあったと推測される。しかも呪術的なものであると考えられて、広く利用されてきた」として、さらに「つまりかつては、シンクロニシティ的世界は当たり前だったのである。では、なぜシンクロニシティ的考え方が、近代において影をひそめ、そう考えるのが難しくなったのだろうか。それには明白な理由がある。それは、科学がある時期から、『誰がやっても同じこと』『いつやっても同じこと』だけが科学的だとして、そのような枠組みをつくってしまったからだ。科学が"真実"を認める場合に、再現性という条件をつけた。科学と認める真実とはこういうものだという定義をつくったのだ。実証主義万能の時代が訪れた」と述べ、実証主義を批判しています。 

  

 さらには、「実証主義では、謎は解明できない」として、著者は以下のように喝破します。
「偏った批判主義や実証主義が多くの能力ある人の才能や未来を奪ってきたことは、紛れもない事実だ。『超能力があるというのなら、いまこの場でスプーンを曲げてみろ』という、心に寄り添わない、悪意すらある実証主義によって、どれだけ多くの能力者が傷つき、消えていったことだろうか」と訴えます。おそらく、「超能力少年」として注目されていた過去を持つ著者自身の胸には、とても他人には理解できないような無念や悔しさがあるのでしょう。著者は、「超能力的なものは存在するのである。しかし、ユリ・ゲラーが"念力"でスプーンを曲げたからといって、すべての人がスプーンを曲げられるわけではない。曲げられる人もいれば、曲げられない人もいる。曲げられる人でも、いつでも曲げられるとは限らない」

  

 ここで著者は、非常に重要なことを述べます。
「ここに落とし穴があった。『誰もができるはずだ』という理由で、スプーン曲げはエネルギー伝達系で説明できると考えてしまったことだ。超常現象をエネルギーで解明しようとする動きが強まったのだ。しかし、どんなに調べても、超常現象や超能力はエネルギー伝達系では説明できなかったのである」
「こうした単純な計測実証主義が、見落としてきたものがある。とくにエネルギー理論においては、ほとんどの地球上のエネルギーは、『エネルギー不変の法則』で成り立っていて、エネルギーは伝播されていくものだと思い込んでいる。無からエネルギーが生じることはないのだ、と。この考えが問題なのだ」

 

 しかし、これでは人間の心と外界の間で起きるシンクロニシティを説明することはできません。「時空を超えて発想する『エネルギー伝達ではない力』として、著者は「一時期、1980年代から90年代にかけて、『気』をエネルギー伝達系で説明しようとした試みはあった。ソニーまでが、本社にエスパー研究室を設けて、気の研究に励んだ。だが結果として、エネルギー伝達性がある『気』は、ほとんどその実在を証明することができなかった。たとえば、手を大きく広げて、被験者の背中を見続けて、その他人の動きを自由自在に操る気功師と、その被験者の体の間には、なんのエネルギーの交換も物理的関連性も認められなかったのである」と述べています。

 
 では、エスパー研究室の「気」の研究には何があったのでしょうか。著者は、「現象の証明にはなっていないが、昔からあるシンクロニシティ的な現象――たとえば気功師が、自分に背中を向けて離れた場所にいる人に『気の縄』を手でつなげて、後ろに引っ張ると、その人が引っ張られ、押すと前につんのめるといったような現象は、エネルギーの伝達ではなく、物理的な距離や時間を超越した、同調とか共鳴に似た現象なのではないかと考えられるようになったのだ。そう考えると、地球の裏側にいる人に自分の考えや思いが瞬時に伝わるというテレパシー現象も起こり得ることになるのである」と述べています。さらに、「このようにテレパシーは、超能力的ではあるが、シンクロニシティ的でもあるのだ。物理的な距離や時間を超越、短縮した、あるいは時空をねじったような現象があるのである」と述べるのですが、テレパシーが実在するという説明にもシンクロニシティ理論が使われるというのは、ちょっと驚きました。 

 

 著者によれば、外界で起こる事象が夢と連動していることは、古代の人も感じていたし、わかっていました。『古事記』や『日本書記』を読むと、それがよくわかるとして、「崇神天皇の時代には、飢饉などの災害を鎮めるときや、誰を次の天皇にするかを決断するときに、夢の内容を分析して人事を決めたことが記されている。夢は心の状態を示す鏡のようなものだ。心の状態が外界の事象とシンクロニシティ現象を起こすことは、周知の事実であったのである」と述べています。夢とシンクロニシティに密接な関係があることは、よく理解できますね。

  

 また、日本でも呪術の研究に没頭した研究家は多いとして、著者は「呪術をさまざまな生活に応用したと主張する呪術師は、大正時代には7万人はいたという研究もある。彼らは霊術家とかまじない師と呼ばれた。だが、おそらく彼らは、自分たちがやっている呪術的なことが、なぜ不思議がられるのかさえ、わかっていなかったと思われる。当時は、それほど当たり前なことであったのだ。というのも、彼らの呪術は昔から民間でおこなわれてきたことの集大成にはかならなかったからだ。一条真也の読書館『霊術家の黄金時代』一条真也の読書館『近代日本の民間精神療法』で紹介した本に登場する「霊術家」が、まさに著者の言う「大正時代の呪術師」にほかなりません。彼らの披露する「不思議な呪術」が近代になり、ユングによって「シンクロニシティ」という名前を与えられたのです。

  

 そして現在、世界は新型コロナウイルスに翻弄されていますが、著者は「世界はいまシンクロニシティが最も起きやすい、物質世界と精神世界が激しく交錯する時代、あるいはユングのいうところの『結び目』(物質界と霊的世界の事象をつなぐ起点)に差し掛かっているように思う。これからは、改めて精神主義的になっていくはずである。逆にそれが強くなってきているからこそ、恐れも大衆の意識のなかに出てきており、表層的には社会は実証主義的なものを求めるようになる。まさにそのせめぎ合いをしているのが、いまの世界の現状なのである」と述べるのでした。 

 

 4章「『人間の意識』と共鳴し 時空を超えて発現する意味」では、著者は、シンクロニシティの魔訶ニズム・原理を考える上で大事なのは「そもそもエネルギー伝達の現象ではない」ということを理解することであるとして、「シンクロニシティは、生体間の現象であれば、何か錯覚や暗示が介在しているかのように起こる。だが、人間と、形、色、数字、日付、シチュエーションといった外界の出来事との間で起こる場合は、エネルギー伝達現象の枠を超えて発生する。そこには、思い込みであるとか、錯覚であるとかという説明すら通用しない、スケールの大きい世界がある。その不思議な世界について、最近よく使われる説明は、プリンストン大学のロバート・ジャン教授らが提唱した『場の意識』説だ。人間の意識がつくる『場』が物に影響を与えるというのである」と述べています。 

 

 また、「シンクロニシティが起きやすくなる『ゾーン』とは」として、著者は、シンクロニシティは時間と空間を超えた特性を持つということを強調します。特に、過去から未来に流れると考えられている時系列が通用しない現象が起きるといいます。時系列を超えて発生するわけですが、「さらにいうならば、サイクル性があることだ。実は宇宙空間で地球が回転して元の位置に戻るように、シンクロニシティ現象自体も、半ば周期的に同じ場所で同じ形、性質の出来事を起こそうとして戻ってきている節がある。9・11テロ以降、5年ごとに11日に大きな事件・事故が発生したケースや二十三夜待ちのようなケースだ。つまり、『歴史は繰り返す』というが、何か大きな事件が歴史に刻まれると、その型がらせん状に繰り返すという現象が起きるのだ」と述べています。「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生はつねづね「スパイラル史観」というものを提唱されていますが、それに通じる考えであると思いました。 

 

 著者は、「DNAの二重らせん構造のような構造がこの世界にはあって、そのみえないらせん構造のなかに我々が組み込まれているのではないだろうか」と推測し、さらに「私の仮説では、半ば規則的、定期的に、そのような確率が偏りやすい状況がこの世界に現れる。そのとき、そこに誰かが特定の数字・キーワードを意識していたり、ある特定の神話、繰り返されやすい出来事や感情を意識したりしていると、その人間のなかにあるさまざまなビジョンが、その『らせん』にのっかって増幅、もしくは共鳴のような現象を引き起こし、その雛型やパターンが突如社会に現れる」と述べていますが、この仮説には何か異様な説得力を感じてしまいました。 

 

 たとえば、誰かが「渦と穴」のイメージを認識したら、ブラックホールの撮影が成功したり、タイガー・ウッズが復活優勝したり、ノートルダム寺院が火災になったとします。著者によれば、そこには因果関係はなく、ただ完全に時空を超えて、過去、現在、未来という「らせん状構造物」のなかで同時に、同じような意味とシンボルだけが共鳴するような現象が発生するのです。さらに、「別の言い方をすると、シンクロニシティが起きやすい『場』が、らせん的に我々の前に現れてくる。そして過去に刻まれた神話的パターンが繰り返される」といいます。 

 

 ただし、らせん的であるために、キャラクターが変わるなど少しずつ異なるバージョンでパターンが再現されるのです。著者は、「そう考えると、科学的な発明や発見も、シンクロニシティと関係があるように思えてくる。面白い発明があるときは、科学的な発見も多くなるからだ。それが集中的に発生する時期があって、人類の歴史のなかで半ば周期的に現れる。スポーツ選手がよくいうところの『ゾーン(リラックスと集中が同時に起き、最高の実力が発揮できる意識状態)に入る』わけだ。人間の潜在意識がある種のらせんモデルに入って、意識にシンボルが出てくると、現象が喚起されるのだ」と述べています。 

 

  そして、「シンクロニシティが認識されるメカニズムとは」として、著者は以下のようにシンクロニシティの本質に迫ります。
「我々の意識の奥にある膨大な情報からくる情報と、現象界の膨大な事象のなかから現れる情報が、まるで大きな漏斗と漏斗の細い筒口を合わせたように一点で集約されて、観察者個人の意識において結実する――イチョウの葉を逆さに合わせたようなモデルが、シンクロニシティの原理であるように思われる。言い換えれば、シンクロニシティは、人間個人の意識から表に出ようとするイメージと、周期的に訪れるある特定の事象の現れが、両側から磁石のように引き寄せられて、時空間を超えて『いま』の一点で結実する現象だといってもいいだろう。そこに意味があるのだ。要はそれに気づくかどうか、である」 

 

 5章以降は、シンクロニシティを「自分で発動する」方法、予兆を察知して「未来を操作する」応用法などが詳しく紹介されています。いわゆるスピリチュアル系の本を連想させるので、4章までの濃密な理論構成に比べると興味が半減するのですが、それでも「数で運命を変える秘術」に言及したくだりは興味深かったです。そこでは、中国漢民族の伝統宗教である道教では、朝起きたときに自分で最も好ましいとされる数字の数だけ足で踏み鳴らしたり、手を叩いたりすることが紹介されています。それによって、神様の力を引き出し、運気を好転させるという呪術ということですね。 

 

 著者は、神道の儀式にも言及し、「日本でも神社に参拝するときは、2回手を打ち鳴らす。音を数値化しているわけだ。二礼二拍手一拝は、儀礼の数値化でもある。『2』は『喜び』を意味する。二礼二拍手はその『2』をさらに重ねるわけだから、より意味が強くなる。出雲大社で四拍手なのは、荒ぶる神を封印するための『4』だからだ。もっと詳しく説明すると、『4』には定型化する、日常化するという力がある。汎用性が高まり社会が繁栄するという意味が『4』にはあるのだ。つまり『人の世』に形を変える、神様を人間寄りにして収まってもらうということなのである。そうすると、荒ぶる神々がむき出しになって世に出ることはなくなる」と説明しています。

 
 著者は、シンクロニシティを読み解く案内書が「易」であることを紹介した後、悪い方のシンクロニシティの進行を止めるためには、代償を払う必要があることを紹介します。「そのために何も人柱を立てる必要はない。大切なものだと思っているモノを手放す、大事に握りしめていたものを誰かにあげる、という代償でもいい。個人のなかで完結させるには、誰かに何かをサービスするだけでも十分なのである」と述べます。そして、京都の祇園祭の由来も、その代償効果と関わっていると明かし、「平安遷都(794年)から70年近くが経った863年、疫病が流行したため朝廷は神泉苑で初めて御霊会をおこなったことが記録からわかっている。御霊会は、疫病や死者の怨霊などを鎮めるためにおこなう祭りだ。ところがその後も、翌864年に富士山が大噴火を起こし、869年には陸奥で貞観地震が起こり、津波によって多数の犠牲者が出るなど災害が相次いだ。つまり悪循環のシンクロニシティが始まったわけだ。そこで、時の朝廷は、全国の国の数を表す66本の矛を立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿三基を送り薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り御霊会を執りおこなった。この869年(貞観11年)の御霊会が、祇園祭の起源とされているのだ」と説明します。

  

 2020年、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、祇園祭の「山鉾巡行」が中止になりました。しかし、もともと祇園祭は疫病の流行を鎮めるための祭だったのです。著者は、「現代の私たちは、疫病が流行ったから祈りや祭りで祟りを鎮めようなどというと、よほど信心深い人以外は、科学的根拠のない迷信の類であるとして笑い飛ばすだろう。だが、シンクロニシティの仕組みがわかれば、実は古代の人たちはかなりシンクロニシティの本質を知っていた可能性が強いのだ。疫病、火山の噴火、地震、津波と続く天災の連鎖に対して、それを鎮めるには、盛大な祭りを開催することによって、大騒ぎの"疑似大噴火"を先に起こしてしまえばいいわけである」と述べ、さらには「この祇園祭と同じような祭りが、古代イスラエルでも開催されていた可能性があることもわかっている。ソロモン王が神殿完成の際、国に伝染病が起こらないように祈り、祭りを開催したと、『旧約聖書』に書かれているのだ。代償効果は、身近なシンクロニシティでも現れる。人形をかわいがることによって自分が成長する、家のなかで植物をかわいがることによって自分の運命がよくなる、といった効果だ」と述べるのでした。

  

 結局、シンクロニシティにおける代償効果とは、イギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーによって著された未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書である『金枝篇』で「類感呪術」と呼ばれたものに通じているようです。これは「共感呪術」とも呼ばれますが、類似したもの同士は互いに影響しあうという発想に則った呪術で、広くさまざまな文化圏で類感呪術の応用が見られます。この類感呪術あるいは共感呪術によって、同じ形のもの同士がシンクロニシティを起こすのかもしれません。著者は「陰陽師や神主などが祓や祈禱のとき、人間の身代わりとした紙人形(形代)がこの例だ。紙人形に罪・穢れ・災いなどを移して祓をし、川や海に流すのである。ひな人形も元は形代であったとされている。しきたりや慣習を忘れ、実証科学漬けになった現代の我々も、古代人が見出した知恵と英知の結晶を利用しない手はないのである」と述べています。

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日本人の「しきたりや慣習」を知る2冊

  

 このような「しきたりや慣習」について、わたしは『決定版 冠婚葬祭入門』および『決定版 年中行事入門』(ともにPHP研究所)で詳しく紹介しました。平成から令和に改元され、すべての日本人が大きな節目を迎えました。改元に際しては、新天皇が誕生する秘儀である「大嘗祭」をはじめ、多くの儀式が執り行われました。改めて日本は、儀式にあふれている国であることを実感しました。ときには人間に恵みをもたらし、ときには人間の生命をも奪う自然というものに対して畏敬の念をもちながら、神事などのセレモニーを大切にしてきたのが日本人ではないでしょうか。それが「冠婚葬祭」になったのではないでしょうか。一方、日本では四季がはっきりしているがゆえに「年中行事」が発達・普及したように思います。万巻の書を読んだ著者による、膨大なデータに裏付けられたシンクロニシティの理論書である本書を読んで、「しきたりや慣習」の大切さを教えられ、わたしは強い感銘を受けました。わたしは、冠婚葬祭や年中行事を大事にする人は幸せになれると信じているのですが、その理論的根拠を得た思いです。秋山さん、本当にありがとうございました!