No.1918 ホラー・ファンタジー 『禁じられた遊び』 清水カルマ著(ディスカヴァー文庫)

2020.07.21

 『禁じられた遊び』清水カルマ著(ディスカヴァー文庫)を読みました。著者はフリーライターで、合気道二段。2018年、第4回本のサナギ賞大賞を受賞。翌年、受賞作『リジェネレイション』を『禁じられた遊び』に改題し出版。
 それにしても、わたしは「本のサナギ大賞」という存在を初めて知りました。なんでも、株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンが主催している賞で、未発表の作品を現役の書店員が審査・投票し、世に出したい作品を選ぶのだそうです。2014年に創設されましたが、「本のサナギ」という名称は、「本の虫」である書店員が、「本のサナギ」を見つけ、ベストセラーという「蝶」に育てて羽ばたかせたい、という思いから名づけられたとか。大賞受賞作品は、初版部2万部で書籍化されるそうです。 

本書の新カバーの下部

 本書のカバー表紙には、ゾンビの手のような灰色で血だらけの手に顔をつかまれた少年が描かれ、「湿った土の中で熟成された女の怨念が、腐肉を纏って甦り、あなたを追い詰める……その恐怖を存分に味わって欲しい。『リング』著者 鈴木光司氏推薦」「新人デビュー作が、口コミだけで驚異の4万部突破!」と書かれています。

本書の新カバーの裏の下部

 カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「伊原直人は、妻の美雪と息子の春翔と共に幸せな生活を送っていた。しかし、念願のマイホームを購入した矢先、美雪が交通事故に遭い、死亡してしまう。絶望する直人に対し、春翔は『ママを生き返らせる』と美雪の死体の指を庭に埋め、毎日熱心に祈りを捧げる。同じころ、フリーのビデオ記者、倉沢比呂子のまわりで奇怪な出来事が起こり始める……」
 また、カバー裏表紙の下部には、各地の書店員さんたちの推薦の言葉が並んでいます。見れば見るほど、「本屋大賞」を連想してしまいますね。

 この物語の主人公であるフリーのビデオ記者、倉沢比呂子は、冒頭から邪悪な霊によって想像を絶する恐怖体験をします。それによって1年間も精神病院に入院しなければならないほど心を病んでしまうのですが、その霊は死霊ではなく生霊でした。比呂子が密かに想いを寄せる直人の妻・美雪が自らの超常的な能力(テレパシー)で比呂子の秘めた恋心を知り、呪いによって比呂子を苦しめるのでした。それがグラスを粉々に砕いたり、切れていたテレビのスイッチを入れて最大音量で流したり、電話機を燃やしたり……といったやりたい放題で、「エクソシスト」の悪魔も驚くような物理現象のオンパレードで、「おいおい、生霊がここまでやるか!」と突っ込みたくなるような過剰ぶりなのです。生霊といえば、『源氏物語』の六条御息所が有名ですが、あれは陰湿で地味だから怖いのであり、本書のように派手な生霊というのはまったく怖くありません。これでは、単なる暴走エスパーです。しかも、比呂子は直人と不倫してたわけではなく、ただ憧れていただけなのです。それなのに、1年間も精神病院に入らなければいけないほどの恐怖を味わうのは理不尽きわまりないと思うのですが……。 

 本書には、大門という霊能力者が登場します。
 もともとは真言宗の僧侶でしたが、素行不良で宗派を追われ、テレビの霊能番組で活躍するという、ずばり織田無道を連想させる男です。その大門は「この世には幽霊などおらん」と断言し、釈迦だって、死後の世界があるとは一言も言っていないと説明します。さらには「人は死んだらなんにもなくなり、一切は無に帰するのだ。だから幽霊なんて怖がる必要はない」と言うのですが、それに対して比呂子が「だけど、あなたはテレビで先祖の霊が祟っているとか言ってたじゃないの」と言うと、大門はこう答えるのでした。

「あんなものは嘘っぱちだ。いいか、よく聞け。死んだ人間には何もできん。幽霊などというのは、みんな生きている人間が見させているのだ。たとえば、自殺のあったホテルの部屋に幽霊が出るという噂があるとする。そこに泊まった人間は必ず夜中に息苦しさを覚えて目を覚まし、部屋の真ん中で首をつっている人間の姿を見るという噂だ。事前に、その部屋で自殺があったと知っていれば、気味悪い先入観から、夢や幻を見てしまう可能性もあるだろう。けれども宿泊客たちは誰ひとりとして、その部屋で自殺があったことなど知らんのだ。それなのに幽霊を見るのだから霊は本当に存在するのだ、とまわりの人間たちは思うかもしれないが、それが曲者なのだ。ホテルの従業員や近所の人間は、その部屋で自殺があったことを知っている。客が泊まりにくると、『この客は自殺があった部屋で眠るのか。かわいそうに。何も出なければいいが……』と思い、その念が夜中に客に悪夢を見させたり、揺り起こして幻を見させたりするのだ。すべては生きている人間の仕業。人間がいない場所には憎悪もない。幽霊も存在せんのだ。本当に怖いのは生きている人間だ」(『禁じられた遊び』P。162~163)

 たしかに幽霊など存在しませんでした。すべての霊現象は生きている人間が起こすものであり、比呂子は美雪の生霊に苦しめられました。そして、生霊よりもさらに恐ろしい存在を知ります。それは、生と死の狭間で蠢いているものの怨念でした。いわば「この世で一番恐ろしいもの」であるとも言えますが、それが比呂子を襲うことになったそもそものきっかけは、直人が息子の春翔に「トカゲのしっぽを埋めると再生するよ」と小さな嘘をついたことでした。その嘘を信じた春翔は、愛する母のが交通事故で死んだとき、ちぎれた指先を土に埋めて、再生させようと必死に祈るのでした。その後、土の中で再生した美雪が比呂子を滅ぼそうとし、次から次に奇怪な出来事が起こります。物語は「これでもか!」というほどオドロオドロしい展開となっていく一方で、正直、これも冒頭の生霊のパワー行使と同じく、やりすぎだと思いました。デビュー作で、しかもホラーとあって、著者はちょっとサービス過剰でしたね。

 この『禁じられた遊び』という小説は文庫で400ページ近くありますが、物語の展開が早くて、あっという間に読めました。ライトノベルと言ってもいいような読みやすさでしたが、もともとのタイトルは『リジェネレイション』でした。そして、明らかにホラー小説の歴史に残るある名作の影響を濃厚に受けています。”モダン・ホラーの帝王”ことスティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』です。競争社会を逃れてメイン州の田舎に越してきた医師一家を襲う怪異を描いていますが、ジェイコブズの古典的名作『猿の手』にも通じる「死者のよみがえり」というテーマに真っ向から挑んだ、恐ろしくも哀切な家族愛の物語です。

 『ペット・セマタリー』は1983年に発表されましたが、原稿自体はそれ以前に完成していました。かねてから「あまりの恐ろしさに発表を見合わせている」と噂されていた作品で、キング自身は「妻のタビサがこの本を私に発表させたがらない」と述べていました。愛するが故に、呪いの力を借りてまでも死んだ家族を生き返らせようとしてしまうという「家族愛の哀しさ」と「人間の愚かさ」を描いたモダン・ホラーの傑作です。1989年にパラマウントから映画化されましたが、邦題は「ペット・セメタリ―」でした。一条真也の新ハートフル・ブログ「ペット・セメタリ―」で紹介したように、2019年にもリメイクが作られていますが、前作の欠点を補った完全版として高い評価を得ています。日本では2020年1月17日に公開されました。 

 さて、『禁じられた遊び』といえば、1952年のフランス映画の名作を思い浮かべない人はいないでしょう。監督はルネ・クレマン、出演はブリジット・フォッセーとジョルジュ・プージュリー。 フランソワ・ボワイエ(フランス語版)の小説を原作とし、戦争で孤児となった5歳のフランス人少女の運命を描いた映画です。Wikipedia「禁じられた遊び」の「ストーリー」には、「1940年6月、ドイツ軍から逃げるため街道を進む群衆の中に、幼い少女ポーレットがいる。そこに戦闘機による機銃掃射があり、ポーレットは一緒にいた両親と愛犬を失ってしまう。ポーレットは愛犬の死体を抱きながら川沿いの道を彷徨い、そこで牛追いをしていた農家の少年ミシェルと出会う。ミシェルの家庭は貧しかったが、ポーレットが両親を亡くしていることを知り、彼女を温かく迎え入れる。ミシェルはポーレットに親近感を持ち、無垢なポーレットもミシェルを頼るようになる」と書かれています。 

 また、Wikipedia「禁じられた遊び」の「ストーリー」 には、「ポーレットは死というものがまだよく分からず、神への信仰や祈り方も知らなかった。ポーレットはミシェルから『死んだものはお墓を作るんだよ』と教えられ、愛犬の死体を人の来ない水車小屋に埋葬し、祈りをささげる。愛犬がひとりぼっちでかわいそうだと思ったポーレットは、もっとたくさんのお墓を作ってやりたいと言い出す。ミシェルはその願いに応えてやりたくなり、モグラやヒヨコなど、様々な動物の死体を集めて、次々に墓を作っていく。二人の墓を作る遊びはエスカレートし、ついには、十字架を盗んで自分たちの墓に使おうと思い立つ。そのころ、馬に蹴られて寝込んでいたミシェルの兄が亡くなり、ミシェルは父が用意した霊柩車から飾りの十字架を盗む。十字架が消えていることに父が気づいてミシェルを問い詰めると、ミシェルは隣人がやったのだと言い逃れをする。葬儀に参列したポーレットが教会にある美しい十字架を気に入ったので、ミシェルはその十字架も盗もうと教会を訪れるが、失敗して神父に追い返される。すると、それを聞いたポーレットは、ミシェルの兄が埋葬されている墓場にも十字架は沢山あると言い出す。ミシェルとポーレットは、爆撃で光る夜空の下、墓場から多くの十字架を盗みだして自分たちの墓地へと運ぶ」とも書かれています。

 わたしは、幼いミシェルとポーレットの「遊び」には、葬儀の原点があると思っています。わたしは古今東西の人物のなかで孔子を最も尊敬しています。なぜ、わたしは孔子に心を惹かれるのか。まずは、冠婚葬祭業というわたしの仕事の偉大な先達ということがあげられます。孔子の母親はもともと葬儀や卜占にたずさわる巫女であり、「原儒」と呼ばれる古代の儒教グループも葬送のプロフェッショナル集団でした。この事実は、中国文学者・白川静氏の名著『孔子伝』で明らかにされました。孟子の母親は、孟子が子どもの頃に葬式遊びをするのを嫌って家を3回替えた、いわゆる「孟母三遷」で知られていますが、孟子の師である孔子も子ども時代にはよく葬式遊びをしたようです。

 ミシェルとポーレットの「禁じられた遊び」とは虫や小動物の亡骸を地中に埋めて十字架を立てて祈りを捧げるという、小さな子どもによる「葬式遊び」でした。どうも「遊び」と「葬式」の間には強い関連性があるようです。そういえば、古代の日本では天皇の葬儀にたずさわる人々のことを「遊部(あそびべ)」と呼びました。そんなことを『唯葬論』(サンガ文庫)などに詳しく書きましたので、興味がある方はご一読下さい。

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