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虎の回顧録』

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No.1879


 『虎の回顧録』タイガー戸口著(徳間書店)をご紹介いたします。「昭和プロレス暗黒秘史」というサブタイトルがついています。著者は1948年、東京都葛飾区出身。韓国出身の力士・龍錦を父に持つ在日韓国人2世のプロレスラー。修徳高校入学から柔道を始め、将来の大型五輪選手として期待されながら卒業後、67年に日本プロレス入り。72年にシューズとタイツ、片道切符だけを手に渡米。大型ヒール「キム・ドク」として才能を開花させ、トップとなり、週1万ドルを稼ぎアメリカン・ドリームを手にします。ジャイアント馬場の策謀により76年から全日本プロレスに参戦し、馬場・鶴田に次ぐナンバー3として活躍。81年には、当時、日本マット界では掟破りとされた新日本プロレス移籍を果たし、84年に新日離脱。全日再加入を模索するも、馬場の反対によりとん挫。88年、公開の映画「レッドブル」(主演、アーノルド・シュワルツェネッガー)に出演するなど、映画界にも進出。現在まで、現役レスラーとして日米で活躍。

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本書の帯

 

 本書のカバー表紙には著者の顔写真が使われ、帯には「シューズとタイツだけを手に、片道切符で渡米。本場アメリカでトップをとり週1万ドルを稼ぎアメリカン・ドリームを実現したレスラーを、なぜジャイアント馬場とアントニオ猪木は干したのか――」「初の自伝で日本マット界の闇が明かされる」と書かれています。20190922132853.jpg

本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

第1章 マットに立つ

第2章 アメリカン・ドリーム

第3章 全日本プロレスへ

第4章 参戦WWF

第5章 虎は死なず

「あとがき」

 

 アメリカでの生活が長い著者ですが、第1章「マットに立つ」では、「レスラーは舐められちゃいけない」として、「海外に出たら、必ず、プロレスについて、ああだ、こうだ言ってくる奴、プロレスラーを舐めてくる奴がいるんですよ。『こいつら、台本通りに、やっているだけだ』とか言って、絡んでくるのが。俺の中では、そういうときに、キチンと対応できるのがプロのレスラーだと思っているから。面倒なことに巻き込まれたくないからと、ヘラヘラしてその場を去るようなことは、すべきでない。証人を立てて、本当に強いのを教えてやればいいんですよ。アメリカで生き残っていくために、マサ斉藤さんなんかも、ずいぶんやっていたみたいですけど、それをやらなかったら、舐められる」と述べています。

 

 続けて、著者は「今は、時代が違うと言うかもしれないけど、そういう気概を持っていなかったら、プロのレスラーではない。こういうこと、あんまり、言うべきではないかもしれないけど、今、『舐められたら、終わり』という気概を持った選手がどれだけいるのか。だから、ゴッチさんが凄いんですよ。あの当時、現地の人が誰も近づかなかった、ニューヨークのハーレムに1人で入っていって、『やれるものなら、やってみろ』って、睨みながら歩いたと言っていましたから。度胸ありすぎ。当時だったら、白人が1人で入ってきたら、普通に、殺されますよ。そういう話を聞きながら、プロレスラーというのは、どういうものなのかを、学びましたよね」とも述べています。 

 

 第2章「アメリカン・ドリーム」では、「ヒールになる」として、ベビーフェイスからヒールに転向したことについて、「キム・ドクというリングネームもヒールになったら大成功だった。なぜかって言うと、アヒルのことをダック『Duck』って言うでしょう。俺のドクは、『Duck』だけど、『c』入れなくても、発音がダックになっている。だから、ヒールの俺がリングに上がると、お客さんが、アヒルの鳴き声をやりだすんです。俺を怒らすために。『クワッカ、クワッカ』って。それで、俺が、アホみたいに、『俺はアヒルじゃねえ』って怒ってギャアギャアやれば、それで成立しちゃう。それで、3分や5分は遊べる。怒って、会場を温めて試合に入れば、やりやすいんだから。ヒールになって初めてキム・ドクの名前の恩恵を受けたよ」と述べます。

  

 第3章「全日本プロレスへ」では、「望まぬアクシデントが客を呼ぶ」として、
「ケガはさせた方が悪いんです。カラダを預けている相手をケガさせるのは、自分がきちんとテークケアしてあげないから。テークケアできない相手とは『試合できない』ということになる。ニューヨークでキラー・カーンがアンドレ・ザ・ジャイアントの足首を折ったとか言われた試合があったけど、あれもリングの床のラワン材が折れて、そこにアンドレが足を突っ込んでしまった事故。プロのレスラーが相手の足首なんか折るわけがない。アクシデント。でも、望まぬアクシデントが起こってしまったら、あとはもう、いかにそれを抗争の材料にするかってことを考える。だからその因縁マッチで、カーンとアンドレはずいぶん稼いだんです」と述べています。 

 

 全日本プロレス時代の著者は、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に次ぐ「第3の男」でした。「鶴田の第一印象は『こんなもんか』」として、鶴田の思い出をこう述べています。
「今、鶴田のことを思い出すと、真っ先に浮かぶのは、78年9月、名古屋でのUNヘビー級戦。俺と鶴田、65分も試合をやったんだから。1対1のフルタイムから、5分間延長して。あれは大変だった。65分もの間、お客さんを飽きさせない。そのために鶴田を引っ張るには、どうやって、どう持っていくか、いろりおなことを考えなきゃならなかったから。あのとき、『あと5分か10分か』って考えたけど、さすがに10分は無理だと。俺はあの試合で、始めて『鶴田はたいしたものだな』と思ったんです。鶴田にあんなにセンスがあるのに驚いた。俺が組み立てた通り、ちゃんと反応するんだから。『ここでドロップキックだ』と思ってロープに振ると、その通りに反応してくる。鶴田はレスリングできたから、スリリングな切り返しも上手くやっていた」 

 

 その後、著者は全日本から新日本に移籍するわけですが、「新日のプロレスは『1コマ漫画』」として、「プロレスの上手さで言ったら、日本では馬場さんが最高で、それを追っかけられる頭のある選手なんかいない。猪木さんが、プロレス対異種格闘技戦とかやり始めたのも、馬場さんのプロレス頭に対抗して、むりやりひねり出したんじゃないの。ストロングスタイルも。俺に言わせれば、ストロングスタイルなんて、ろくでもないよ。あれでどうやって、次の試合とつなげるの。彼らの試合は、1コマ漫画と一緒で、1コマで笑って、1コマで泣いてで終わり。つながりがなくて、最後まで同じような試合が続く。それは選手の自己満足。猪木さんがそうなんだから。俺だったら言いますよ。『お前ら、何やっているんだ。金をもらって試合を見せているんだから、その日の試合、興行のつなぎをやれ。1コマ、1コマで終わらないで、前座はメーンイベントが熱くなるように持っていかなくてはダメなんだよ。そのためには線なんだ』って。それをわかってない、自分だけ金髪にして目立とうとする選手ばかり」と述べています。 

 

 また、新日本と全日本が激しい企業戦争を繰り広げていた頃のことについて、著者は「あの頃の新日本は、本気で全日本を潰す気だったから。プロレスは、居場所、明確なポジションが与えられないと仕事ができないわけ。1つの興行の中で、何をすべきか、存在理由が理解できてなかったら、プロの仕事はできない。キラー・カーンとのタッグで、タッグリーグ戦準優勝したりしたけど、所詮外様だし、何をやっても生え抜きの連中がやっかむから。でも新日本と水が合わなかったことが、ニューヨークに行くきっかけにもなっているからね」と回想しています。 

 

 第4章「参戦WWF」では、スーパースターとなったハルク・ホーガンとの思い出を語ります。
「ホーガンの場合、本人がビジネスマンというわけでなく、奥さんのリンダがシャープだった。ホーガンはリンダに頭が上がらない。リンダのお父さんは映画監督組合のヘッドで、絶大な権力を持っていたから。結局、2人はホーガンの浮気で、離婚したわけ。ホーガンの友達がホーガンの浮気現場を盗撮して、ネットに流し、リンダがそれを見て別れた。でも、ホーガンは盗撮した友達を訴えて、裁判所に通い、賠償金110億円手に入れたから、リング童謡、倒れてもただでは起き上がらない男ですよ。俺もWWFにいた頃、エディ・マーフィーとか、シュワルツェネッガーの映画に出演したことがあった。あれは、ニューヨークのWWFに、ハリウッドから、パラマウント・ピクチャーから依頼が来たんです。『オリエンタルの人が欲しい』と。そのときキラー・カーンは、まだニューヨークに来てなかったから。大きい人で、オリエンタルだって、俺しかいなかったの」 

 

 また、「アンドレのバックドロップを受ける」として、著者は"大巨人"アンドレ・ザ・ジャイアントにバックドロップをやられた選手は自分しかいないと自慢しつつ、「俺、柔道をやっていたから受け身が上手いので、やってくれた。でも、ニューヨークで、アンドレのバックドロップを受けたとき、あまりにも高いので、さすがに死ぬかと思った。もちろん、ケガをしないようにやってくれるんだけど。でも、お客さんは大喜びだったよね。アンドレのそんな技、見たことなかったから。アンドレは凄く人が良いからやりやすいんだけど、長州はアンドレの気分を悪くさせて、コーナーで顔を張られ、鼻血を出したりしていた。新日本の試合は、外国人から見ると善し悪し。自分勝手で小生意気に見える。日本人のファンにはそれがいいんだろうけど、アメリカのレスラーには『何だ、このチビ』ってムカつかれ、技を受けてもらえなくなるよ」と語っています。 

 

 第5章「虎は死なず」では、「プロスポーツには絶対フィックスがある」として、著者は「だいたい真剣勝負なんて、そんなもの10分もできないよ。5分で精いっぱい。ああいうのは、それに感化されるお客さんが悪いんだ。自分でやったことのある人間は、すぐわかるでしょう。これは、ハッキリ言うけど、プロって名のつくスポーツは、絶対にフィックス、決まり事がある。お客さんから、お金取ってやるスポーツは全部。フットボールでもボクシングでも」と述べます。

  

 また、「やり方がチンドン屋すぎる」として、現在のプロレスについて、「俺は昭和の男だから、古いと言われるかもしれないけど、昔は、ハーリー・レイスの試合なんか、いい大人が熱中していたけど、今のプロレスには、そういうセンスがないよね、周囲を威圧するオーラを持った、エリック、ブルーザーみたいな選手がいない。あの頃は選手のインプレッションが凄くて、その辺のあんちゃんではなく、その存在感を見に来ていた。俺も、リングに上がるときは、目つきが変わっていたから、『うわっ、キム・ドク、怖そう』とか声が聞こえてきた」と述べるのでした。確かに、昭和のプロレスラーは周囲を威圧するオーラを持っていました。歯に衣を着せずに、本音をバンバン言う著者ですが、基本的にプロレスを愛していることがよくわかりますね。