No.1843 人生・仕事 | 読書論・読書術 『人はなぜ物語を求めるのか』 千野帽子著(ちくまプリマ―新書)

2020.03.14

 『人はなぜ物語を求めるのか』千野帽子著(ちくまプリマ―新書)を読みました。人は人生に起こるさまざまなことに意味づけをし、物語として認識します。そうしなければ生きられないからでしょうが、それはどうしてなのか。その仕組みを探る本です。著者はパリ第4大学博士課程修了の文筆家で、公開句会「東京マッハ」司会とのこと。

本書の帯

 カバー裏表紙には、「人の思考の枠組みのひとつである「物語」とはなんだろう?私たちは物語によって救われたり、苦しめられたりする。その仕組みを知れば、人生苦しまずに生きられるかもしれない。物語は、人生につける薬である!」との内容紹介があります。また、帯には「私たちは多くのことを都合よく決めつけて生きている!?」と書かれています。

本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 あなたはだれ? そして、僕はだれ?
1 あなたは「物語る動物」です
2 どんな内容の話が物語る価値があるとみなされるのか
3 話にとって「内容」は必須ではない
第2章 どこまでも、わけが知りたい
1 ストーリーと「なぜ?」
2 説明の背後に、一般論がある
3 なぜ私がこんな目に?
4 感情のホメオスタシス
5 理由ではなく、意味が知りたい
6 なんのために生きているのか? と問うとき
第3章 作り話がほんとうらしいってどういうこと?
1 実話は必ずしも「ほんとうらしい」話でなくていい
2 人は世界を〈物語化〉する方法を変えることができる
第4章 「~すべき」は「動物としての人間」の特徴である
1 物語における道徳
2 世界はどうある「べき」か?
3 僕たちはなぜ〈かっとなって〉しまうのか?
4 不適切な信念=一般論から解放される
第5章 僕たちは「自分がなにを知らないか」を知らない
1 「心の理論」とストーリー
2 「知らない」とはどういうことか?
3 ライフストーリーの編集方針
「日本語で読める読書案内」
「あとがき」

 「はじめに」で、著者は「ストーリーは人を救いもするし、苦しめもする」として、以下のように述べています。 
「『ストーリー』は人間の認知に組みこまれたひとつのフォーマット(認知形式)です。このこと自体は、ただの事実であり、いいことでも悪いことでもありません。人間はストーリー形式にいろいろな恩恵を受けています。それなしには人間は生きられないと言ってもいいくらいです。人がストーリー形式を理解することができなくなったときは、まともな社会生活に必要な記憶や約束といったものがその人のなかで壊れてしまっています」

 第2章「どこまでも、わけが知りたい」に書かれてある「前後即因果の誤謬」のくだりが非常に興味深かったです。前後関係を因果関係だと思ってしまうことを、「前後即因果の誤謬」と呼びますが、人間の脳はつい、これをしてしまうそうです。英国の哲学者ヒュームは、著書『人間本性論』(1739)で、人間は、時間のなかで前後関係にあるふたつのことがらを、因果関係で結びつけたがる習性を持っていると指摘しました。

 フランスの批評家ロラン・バルトは、「物語の構造分析序説」(1966)で、「物語はまさに人類の歴史とともに始まるのだ。物語をもたない民族はどこにも存在せず、また決して存在しなかった。あらゆる社会階級、あらゆる人間集団がそれぞれの物語をもち、しかもそれらの物語はたいていの場合、異質の文化、いやさらに相反する文化の人々によってさえ等しく賞味されてきた。物語は、良い文学も悪い文学も差別しない。物語は人生と同じように、民族を越え、歴史を越え、文化を越えて存在する」と宣言しました。そして彼は、前後即因果の誤謬をいわば体系的に濫用するのが「物語」だと断言しました。出来事の因果関係が納得できるものであるとき、人間はそのできごとを「わかった」と思ってしまうというのです。

 「宇宙論と存在論」として、著者は以下のように述べます。
「『創世記』をはじめとする世界じゅうの創生神話・宇宙生成論は、『どういったいきさつで、この世界は在るのか』『なぜ僕たちは生きているのか』といった問に、各自のやりかたで答えようとしています。また古代のインドやギリシア以降、宗教や哲学では、『なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか』という究極の問が問われてきました。とくに哲学では、ストーリー的でない方法でこの問に答えようとする例もあります。この世界が存在すること自体が、最大の驚きといえば驚きなのです。でもこちらの問は多くの人にとっては『地』(背景)となっていて、なかなか『図』として認識されることはありません」

 「感情のホメオスタシス」という考えも興味深かったです。
危機を理解するために、人間は、時間をさかのぼって、それが自分に理解できるような事情によって起こったということにしてしまいたいといいます。「求める着地点は『新たな平衡状態』として、著者は「ストーリー的な解釈によって非常時を切り抜け、失われた平常を取り戻したいという感情を、感情のホメオスタシスと名づけました。しかし、ここで多少の表現の修正・拡大が必要になります」と述べます。

 このホメオスタシスは、必ずしも〈失われた平常〉そのものを取り戻したいわけではないといいます。著者は、「シンデレラ」のストーリーにおいては、シンデレラが舞踏会という非日常を経た後、継母にこき使われるもとの不本意な日常に戻ることが期待されているわけではないことを指摘します。そうではなく、主人公が王子と結婚して「末永く幸せに暮らしました」という平衡状態に着地することが期待されているというのです。

 「あとがき」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「人間は物語を必要としている、とよく言われます。2011年の東日本の大地震のあとには、とくによく言われました。なんだかまるで人間が、自分の外にある日光や水や酸素と同じように、物語を外から摂取することが必要であるかのようです。本書の主張は違います。人間は生きていると、二酸化炭素を作ってしまいます。そして人間は生きていると、ストーリーを合成してしまいます。人間は物語を聞く・読む以上に、ストーリーを自分で不可避的に合成してしまう。というのが本書の主張なのです」
 この発言は、著者の次回作である『物語は人生を救うのか』の内容につながっていきます。

 ちくまプリマリー新書といえば、作家の小川洋子氏が書いた『物語の役割』という名著があります。わたしはこの本を何度も読み返し、グリーフケアの研究および実践において大いに参考としました。本書『人はなぜ物語を求めるのか』も物語論の基本についてわかりやすく説明されており、勉強になりました。

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