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蘇れ! 柔道最強説』

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No.1821


 『蘇れ! 柔道最強説』磯部晃人著(BABジャパン)を読みました。「スポーツと武道の本質、他武道・格闘技との構造比較でよくわかる」というサブタイトルがついています。著者は1960年、新潟県生まれ。新潟県立新潟高校、青山学院大学文学部史学科卒業。フジテレビ勤務。フジテレビのスポーツ局でK-1を企画し初代番組担当となり、K-1やPRIDEの事業プロデューサーを務める。「ゴング格闘技」誌で柔道コラムを長年にわたり連載。柔道三段、少林寺拳法三段。柔道史(現在主に戦後競技史)の研究をライフワークとし、柔道との関連から武道・格闘技の動向にも幅広く関心を寄せているそうです。 

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本書の帯

 

 カバー表紙には柔道衣のイラストが使われ、帯には「柔道が求めるのは、勝者か? 強者か?」「『タックル可否』『組み手争い』などの問題点から、復興への道が見える!!」「格闘技K-1、あの一大ムーブメント仕掛け人の一人が柔道を語る!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

 帯の裏には「本書は辛口の柔道批評が出発点となっている。ところが読み進めると、改めて柔道の『面白さ』に気付くだろう。(『はじめに』より)」「明治14年、嘉納治五郎によって古流柔術をもとに創始された柔道。それは、自由に技を掛け合う乱取を採用した画期的な武道だった。しかし、昭和39年の東京オリンピックで競技に採用されて以来、まずルールありきのスポーツへと変質の一途を辿る。二度目の東京オリンピックを控えた今、様々な問題点を明らかにし、新しい柔道の方向性を示す!」と書かれています。

 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。

第1章 「柔道が面白くない」という現象

第2章   「初めにルールありき」ではない宿命

第3章    採点競技の呪縛

第4章    着衣格闘技の記号論

第5章    記号論の衰退と技術の不明瞭化

第6章    タックル禁止論争の是非

第7章    現代柔道の病巣〝組み手争い〟

第8章    左組み選手の増加による柔道の変質

第9章    魔法のような「調子技」の妙味

第10章    柔道の奥深き技の数々

第11章    柔道家が求めるのは、勝者か強者か?

第12章    柔道はどうしたら面白くなるのか?

(特別寄稿)柔道とユーラシア大陸格闘文化・交流史 
富川力道(モンゴル相撲)×田中康弘(サンボ)×磯部晃人(日本柔道)

 

 第3章「採点競技の呪縛」では、「‟時間"という制約」として、著者は以下のように述べています。
「歴史的に言えば、本来審判など存在しないルール無用の殺傷術だった武道の勝敗には『相手を打ち負かす』という決着方法しかなかったわけです。それを競技スポーツ化する際に、まず最初に『時間と空間』の設定という必要性が出てきました。時間とは試合時間、空間とは試合場です。現代の観客のいる公開競技で試合場を取り決めるのは不可避ですが、問題は『時間』です」
「禁じ手なしの真剣勝負ならば、所要時間は比較的短くなるのかもしれませんが、危険な技を排除した競技スポーツの柔道では、両者にさほど実力差のない対戦では、短い時間で相手を打ち負かすのはかなり困難になります」

 
 ここで、著者は主要な五輪格闘技の試合時間を比較してみましょう。各競技とも紆余曲折はあるとしながらも、1964年の東京五輪のボクシングは3分3ラウンド(合計9分)、レスリングは前後半各5分(合計10分)の試合時間、そして柔道は決勝15分、他の試合は10分でした。それから半世紀が経過しましたが、ボクシングは変更なし、レスリングは3分2ピリオドと緩やかに変更されています。ところが柔道は1988年のソウル五輪以降、男子5分、女子4分となりました。現在では男女とも4分+延長戦となっていますが、著者は「これでは柔道が採点競技化するのは当然です。この短すぎる競技時間の設定に、柔道の面白さを損なう諸悪の根源があったと私は考えます」と述べています。

 

 「戦術の二極化と劣位戦の工夫」として、著者は、短い時間で勝敗を決するとなると、そのルールの中で戦術が二極化すると言います。1つは「一本勝ち」を想定する戦術であり、もう1つは「優勢勝ち」を想定する戦術であると指摘し、さらに以下のように述べています。
「皆さんは戦闘機の『優位戦、劣位戦』という戦術をご存知でしょうか。空戦で戦闘機同士が遭遇した時、自分の高度が敵より高ければ『優位』、低ければ『劣位』となり、それぞれに戦法が異なります。評論家の日下公人さんは転じて、国際社会の外交やスポーツなど世の万般に『優位戦、劣位戦』が存在することを指摘しています。(「正論」2010年9月号)。柔道もそうで、練習環境や指導体制の劣る柔道途上国の選手は、勝つためにはルールの範囲内であらゆる手段を講じる必要があります。『劣位戦』の工夫をしなければ、柔道強国の選手を相手にして勝ち目はないのです」 

 

 第4章「着衣格闘技の記号論」では、「共通言語としての柔道技」として、講道館柔道の創設者である嘉納治五郎は「科学的根拠」という言葉を日常絶えず口にして、生涯を通じて柔道の中に言葉で説明できる新しい理論を構築しようとしていたことが紹介されます。著者は、「柔道において、例えば『背負い投げ』という技は、決して1つの記号ではありません。同じ背負い投げという名称であっても、技への入り方は豊富にあって技術的展開は無数です。柔道は『基本』としての単純明快な記号論的な技術と、『応用』としての精巧緻密な記号論的でない技術の複合体なのです。そこに『守破離』と進む技術習得過程の奥深さがあるように思います」と述べています。

 

 第5章「記号論の衰退と技術の不明瞭化」では、「認識されない新技開発」として、著者は、岡野功師範の「名前のない技は残らない」という言葉を紹介し、「これは記号論的には非常に重要な示唆です」と述べています。名称を付与されない技は、技より1段階レベルの低いバリエーションとして扱われ、世間的には「無いもの」と思われるというのです。明治大学教授の齋藤孝氏は、著書『代表的日本人』の中に、「『これは釣込腰と呼ぼうじゃないか』という感じで名前を付けていき、釣込腰の訓練がカリキュラム化されていくのです。あいまいなものに名前が付けられて分節化していく。これが文化の発展の基本です」、「文化として認めてもらうには、技術体系を整理しなければなりません」と書いています。名前のない技は「あいまいなもの」のままであり、技術体系を整理して名称化しないと、文化として定着しにくいわけです。

  

 第6章「タックル禁止論争の是非」では、「二点二方向性の柔道と一点一方向性の空手」として、著者は述べています。
「嘉納治五郎師範は柔道の技術の特性を『二点二方向性』にあるとしています。つまり相手の道衣を『掴む』、技を『掛ける』という『二点』接触と、『押す』『引く』という向きが反対の『二方向』の一対の力(偶力)からなるものと定義しています。一方、空手などの打撃系格闘技の技術は、『突く』『蹴る』の『一点』接触であり、『押す』方向のみの『一方向』からなるものであり、『一点一方向性』が特性であるとされます」 

 

 この柔道の「二点二方向性」と空手の「一点一方向性」の攻撃のスピードの違いを根拠にして、大山倍達、南郷継正、堀辺正史といった人々は「柔道は空手に勝てない論」を唱えました。極真空手の創設者である大山倍達は、著書『わが空手修行』において、「柔道においては、相手を倒そうと思ったら、その前に、相手を必ず摑まなければならない。(略)これに対して、空手は一撃必殺、相手の体に触れたときには、すでに勝負がついているのである。この差が空手と柔道の決定的な相違である」と述べました。これが「空手最強論」の根本的な論理なのです。著者は、「そもそも嘉納師範は二点二方向性を柔道の『長所』として説明したのですが、一部の空手関係者たちはこの構造を柔道の『短所』と捉えて空手の一点一方向性の実戦的優位性を示すプロパガンダに利用しました」と述べています。 

 

 「空手最強論」について、著者はこう述べます。
「この空手最強神話はグレイシー柔術の登場まで続きますが、現在ではさすがに『一点一方向性』の技術が有利とする主張は姿を消したようです。現在、優勢な意見となっているのは、武術家で編集者の山田英司さんが言うように、競技の場においては、柔道・柔術のように『面』で攻めるほうが、空手・拳法のように『点』で攻めるより有利という説です。『密着度の高い技(つまり組み技)を得意とする者が、徐々にエネルギー投射率が相手より高くなるため、時間が経過すればするほど有利になる』という考え方です。初期の総合格闘技でグラップラーのほうがストライカーよりはるかに勝率が高かったのはその反映といえるでしょう」

  

 また、競技としての柔道において重要であるタックル問題について、著者は「タックルの『ヤリ得』」として、以下のように述べています。
「柔道の試合が武道的価値観の下で武道の論理で徹頭徹尾串刺しにされているのなら、タックルを繰り出すことには何の問題もないでしょう。タックルを失敗してフロントチョークやがぶりからの膝蹴りを食うリスクも含めて何でもありならば、という意味です。ところが、現代競技柔道の試合開始から終了に至るまでの審判から見た優劣の判断は終始一貫スポーツの論理に基づくルールが支配しています。その中に武道的な観点から正しいとされる技をパッチワークのようにはめ込んでも、うまくいかないのです。タックラーは完全に『ヤリ得』となります。何のリスクも負わない離れた間合いから先に技を繰り出せ、攻勢点をアピールできるばかりか、失敗しても亀になってひたすら寝技を防げば、審判が『待て』で救ってくれます」 

 

 本書には総合格闘技で活躍した柔道経験者の菊田早苗選手の言葉が紹介されています。菊田選手は、自身のブログである「菊田早苗日記」2012年8月4日の記事に「柔道のルールというのは、例えばかけ逃げ気味になった、結果寝技になった、場外に出た、すべての局面でブレイク、すなわち『待て』がかかります。つまり、自分の取った行動に責任を取らず、また初めからの体勢に戻れてしまう。ここがポイントでMMAにはこれが出来ません」と書いています。なるほど、経験者だけに説得力がありますね。 

 

 「タックル」と並んで、競技としての柔道の大きな問題となっているのが「組み手争い」です。第7章「現代柔道の病巣‟組み手争い"」では、「『組み手争い』無意味説」として、かつて総合格闘家として活躍した平直行が自身のブログである「平直行ブログ柔術武術操体」2012年2月7日の記事に「そもそも、組み手争いに、武術としての意味はあまり無い。武術には打撃も在るから、組み手争いの前にやるべき事が在る。組み手争いをするのなら、殴ったり蹴ったりも入れた方が良い。実戦を言うのなら、組み手争いは、無いと考えた方が良い」と書いています。これも、経験者だけに説得力がありますね。

 

 第11章「柔道家が求めるのは、勝者か強者か?」では、「勝者は強者たり得るか?」として、著者は「格闘技は本来単純なものです。相手を打ち負かして『勝つか負けるか』だけです。かつて、八田一朗日本レスリング協会会長は、不当判定で敗れた選手やコーチが審判や判定に不満を述べると、それに激怒してこう言ったそうです。『強いレスラーはいつも相手の上に乗っかっている』と......。20世紀初頭の伝説の黒人ボクサー、カナダ出身のサム・ラングフォードは差別的な判定を受けることが多かったようですが、『オレの右手がレフェリーだ』と対戦相手を倒しまくり生涯178勝中129ものKO勝ちの記録を残しています」と述べています。 

 

 さらに、「打撃格闘技の宿命!?『勝負証明不可能性』」として、打撃格闘技には常に決着の不透明性が付きまとうことが指摘されています。KOルール・KO決着の場合は勝敗のコントラストは明白ですが、ポイントルール・判定決着の場合は「勝者=強者」なのかということが時として判然としません。打撃系格闘技の勝利は本来は勝者の「創発的な現象」であるばきですが、審判の主観やルールの曖昧さによる齟齬をきたしやすいという永遠の課題があるというのです。著者は、打撃系格闘技は勝敗の客観妥当性を保ちにくく、「勝負証明不透明性」という宿命を逃れられないものだと感じるとして、「ボクシングやキックボクシングなどのKOを前提とする競技は別として、全般的にポイントルールの打撃系格闘技を競技として成立させることは難しいと思います。それに対して、組み技系格闘技は『勝者と強者のイメージが一致しやすい』という点に限って言えば打撃系格闘技よりも具現化しやすく、一見『競技スポーツ』としてのアドバンテージが高いように思えます」と述べるのでした。

 

 さて、「柔道最強説」という本書のタイトルは、かつて極真空手が唱えた「空手最強説」をかなり意識していると思いました。一条真也のハートフル・ブログ「柔道vs空手」にも書きましたが、柔道と空手は宿命のライバルです。ライオンとトラ、カブトムシとクワガタがライバルであるのと同じくらいの宿敵です。平家と源氏、東京と大阪、巨人と阪神、早稲田と慶應、ソバとウドン......、何でもいいですが、ある人がそのどちらを好むかで当人の「こころ」がわかるような本質的な二項対立を、柔道と空手には感じますね。オリンピックの正式種目であり警察武道としても採用されている柔道には、保守的なイメージがあります。そもそも「徒手空拳」を意味する空手には、アナーキーで革新的なイメージがある。柔道は体制派、空手は反体制派といったところでしょうか。一方、「柔道ストラテジー」で示されるように、柔道は相撲のアンチテーゼでもあります。相撲も柔道も空手も、単なる格闘技や武道のジャンルを超えた一種の思想なのです。いつか、『相撲、柔道、空手』といったタイトルの日本人論を書いてみたいです。 

 

 特に柔道と空手はともに同じ白い道衣を着る武道であり、永遠のライバルですね。
 柔道小説の金字塔である冨田常雄の『姿三四郎』や梶原一騎原作の『柔道一直線』では、空手家は完全に悪役として描かれ、正義の柔道家に投げ飛ばされてしまいます。
 反対に、同じく梶原一騎原作の『空手バカ一代』では、柔道家は空手家に一方的にやられる負け役でした。あと重要なのは、不世出の柔道家とされた木村政彦を力道山が破ったことです。「昭和の巌流島」と呼ばれたその一戦はリアルファイトではなくプロレスでしたが、力道山が柔道王・木村を倒した技が空手チョップだったことが大きかった。
 力道山は空手出身ではなく、相撲出身でしたが、空手チョップという必殺沢の名に「空手」がついていたことによって、大衆は幻想を抱いてしまったのです。そう、空手が柔道よりも強いと思ってしまったんですよぉぉぉぉぉ!(ターザン山本風に)

  

 それから時が過ぎて、夢のような「柔道vs空手」のドリームマッチが実現しました。2000年10月31日の「PRIDE.11」での小川直也vs佐竹雅昭です。平成の「柔道王」と「空手王」の直接対決が実現したのです。いやあ、もうこの試合には、むちゃくちゃコーフンしましたね。当時の小川は「破壊王」橋本真也をセメントで破った「暴走王」。また、佐竹は日本人最強のK−1戦士であり、マンガにもなった「となりの格闘王」。なんとなく「大言壮語」を売り物にする2人のキャラが似ていたこともあり、大いに盛り上がりました。 

 

 後に吉田秀彦と佐竹の試合も実現しましたが、そのファンタジー性からいって小川vs佐竹のほうがスリリングでしたね。試合前に、なんと、われらが桑田佳佑がリングに登場して、2人にオリジナル応援歌である「PRIDEの唄」を歌ったこともなつかしい思い出です。素晴らしい名曲でした。本書を読んで、そんなことを思い出しました。それにしても、柔道が空手よりも強いことを論証してくれて、スッキリしました。わたしの「一条真也」というペンネームは『柔道一直線』の主人公・一条直也から取ったものであり、わたしはいつでも柔道の味方です。来る東京五輪では、日本柔道の金メダル・ラッシュに期待しています!

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最強の柔道家・山下泰裕氏と

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わたし、柔道の味方です!