No.1810 プロレス・格闘技・武道 | 歴史・文明・文化 『殴り合いの文化史』 樫永真佐夫著(左右社)

2019.12.19

 『殴り合いの文化史』樫永真佐夫著(左右社)を読みました。歴史を繙き、現代をフィールドワークすることで、「殴るヒト」の両義性を浮かび上がらせる新しい暴力論です。著者は1971年兵庫県生まれ。2001年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。専攻は文化人類学、東南アジア地域研究。現在、国立民族学博物館教授、総合研究大学院大学教授。ボクサーとしての経験あり。 

本書の帯

 本書の帯には「きわめて人間的な」と大書され、「リングにあがった人類学者が描き出す 暴力が孕むすべてのもの」「テオゲネス/モハメド・アリ/ソクラテス/ホメロス/ドストエフスキー/ジャック・ロンドン/ホイジンガ/カイヨワ/オルテガ・イ・ガゼー/セオドア・ルーズベルト/スーパーマン/鉄腕アトム/ロッキー/矢吹丈/柳田国男/三島由紀夫/ピストン堀口/コンラート・ローレンツ/ヴィクトール・フランクル/デズモンド・モリス/ジョイス・キャロル・オーツ/たこ八郎/ボブ・ディラン」と書かれています。

本書の帯の裏

 帯の裏には、「名誉と屈辱、理性と本能、男らしさと女らしさ。」「太古から現代にいたるまで、人間は、このきわめて『人間的』な暴力とともにあった。いや、その歴史は、人間の歴史そのものなのだ」と書かれています。 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
目次
 序
1章 人間的な暴力
1―1 そこにある暴力
1-2 闘争の擬態
1-3 残忍な喜び
2章 理性の暴力
2-1 本能と暴力
2-2 口から手へ
2-3 遊びと闘争
3章 殴り合うカラダ
3-1 殴り合うカラダのイメージ
3-2 つくられるカラダ
3-3 名がつくるカラダ
4章 拳のシンボリズム
4-1 拳と手のひら
4-2 拳はペニス
4-3 正義の拳
4-4 国家による拳の暴力
5章 殴り合いのゲーム化 
5-1 闘争のゲーム
5-2 古代オリンピックの拳闘
5-3 イギリスの拳闘─流血と底力
5-4 ボクシングの成立
6章 「殴り合い」は海を越えて
6-1 ボクシングは港から
6-2 「一石四鳥」のスポーツ
6-3 「拳闘」がやってきた!
6-4 玉砕から科学へ
7章 一発逆転の拳
7-1 ハングリー精神論
7-2 よみがえる矢吹丈
7-3 逆転の渇望
7-4 殴り合いと信仰
8章 名誉と不名誉
8-1 凶器の拳
8-2 ピュアで正しい「殴り合い」
8-3 つくられる勝者と敗者
8-4 男らしさと名誉 
9章 殴り合いの快楽
9-1 「死と再生」の物語
9-2 殴り合いと快楽
10章 女性化する拳
10-1 ボクシングと女性
10-2 殴り合いは続く
「あとがき」
「註」
「参考文献」

 「序」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「人が人を拳で殴ること、これはきわめて人間的な暴力だ。こんなことを言ったら、『そんなバカな!』とびっくりするかもしれない。『拳で人を殴るなんて、動物的に決まっている。衝動的で感情的だし、自制心が利かず、行き過ぎているではないか』と。たしかにドストエフスキーも『カラマーゾフの兄弟』のなかで、従卒の顔を二発もぶん殴って血まみれにした若き将校に、『人間が人間を殴るとは! なんという犯罪だろう!』と、心の底から後悔させたものだ。
しかし、拳で殴る暴力は、人間という存在について、実に幅広い面から考えさせてくれる。私が人間的だと言うのはそういう意味だ。この暴力が許されるべきだとか、正しいとかを主張したいのではない」

 続けて、著者は以下のように述べています。
「人間は、直立歩行によって、両手が自由になった。手の機能は前肢よりはるかに洗練され、道具性を確立した『拳』は武器にもなった。動物行動学の観点から見て、拳で殴る行動は人間的なのだ。だがそれだけではない。人間だけが、拳をシンボルとし、その暴力を形式化し、あるいはそれに意味を付与してきた。しかもその歴史は人間と同じほど長い。本書は、このように文化に注目した視点から、拳で殴る暴力、とりわけ拳での殴り合いを取り上げている。そこから見えてくるのは、平和で安定した社会秩序を保つために、人間がこれまでいかに暴力に向き合い、それを馴化しようとし、あるいは特別なところに閉じ込めようとしてきたかだ」

 1章「人間的な暴力」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「拳で殴る暴力は、オランウータンやチンパンジーにも見られる攻撃行為だ。しかし人間のみが拳をシンボルとして用い、拳の文化を発展させてきた。今やボクシングをはじめとする殴り合いのゲームは、巨大な資本主義的な興行ビジネスだ。このように拳で殴る文化がある面で華々しい発展を遂げられたのは、そもそも暴力や闘争には、人を夢中にさせるものがあるからだと、私は思っている」

 1-2「闘争の擬態」では、「儀式から見世物へ」として、著者は以下のように述べています。
「ビッグマッチ前の公開顔合わせは、かつて厳粛な内輪の儀式だった。マスコミが喜ぶ見世物にこれを変えたのは、モハメド・アリだ。改名前だから正確にはカシアス・クレイだ。1964年2月25日の夜、名誉か不名誉か『最凶』とまで呼ばれ恐れられていたソニー・リストンに彼は挑み、スピードと技術で圧倒し、大番狂わせのTKOで世界チャンピオンの座についた。穿設的なその試合の計量がその日の朝にあった。リストンはリング外での闇の履歴もあり、クマに喩えられていたから、アリ(クレイ)は『クマ狩り』と記したデニム・ジャケット姿で軽量会場に現れ、興奮しすぎて発作でも起こしたかのように挑発の言葉をまくし立てた。会場内はもみくちゃの大混乱に陥った。アリが恐怖のあまり気が狂ったと思った者さえいたそうだ。だが騒動の真っ最中にシュガー・レイ・ロビンソンにウィンクしたとも伝えられる。最初から仕組んでいたのかもしれない」

 2章「理性の暴力」の2-1「本能と暴力」では、「子殺しとリンチ」として、著者は以下のように述べています。
「子ども殺し、奇襲、リンチといった暴力に共通しているのは、いずれも自分の身を最大限安全なところに置こうとする点だ。神話や歴史上の英雄たちを見渡せば、いたいけな乙女に化けてクマソタケルに近づき討ち取ったヤマトタケル然り、知略を尽くして大阪城を外堀から埋めさせ、豊臣家を滅ぼした徳川家康然り、裏をかく、だます、裏切る、で強敵や難敵を打ち負かした例はいくらでもある」
 続いて、「闘争のプロセス」として、著者は述べます。
「それを考えればボクシングなど、その正反対のタイプの闘いだ。同じ体重の者同士が、同じ道具、同じ場所、同じ時間、同じルールといった平等な条件で闘うのだから。フェアプレイを旨とするスポーツ格闘技では、正々堂々と闘ってこそ男らしい。だからこそ名誉と威信が手に入れられるのだ」

 4章「拳のシンボリズム」の4-2「拳はペニス」では、「ガッツポーズは文化的」として、著者は述べています。
「腕あげジャスチャーの根底にある意味合いは共通している。拳を握った前腕は大きなペニスそのもの、それをぐいと持ち上げる動作は勃起の模擬運動だ。あげた腕の上膊部に反対の手を添えるのは、雄大なペニスがこれ以上深く進めないほど奥まで挿入されている意味だ。しかし男同士の間の侮辱や挑発でこのジェスチャーが用いられたからといって、言うまでもなくそこに同性愛の意味合いはない。『お前の肛門にぶち込むぞ』という最大限の脅しなのだ。このペニスによる脅しは、サルや類人猿の誇示行為(ディスプレイ)に著しく似ている」

 5章「殴り合いのゲーム化」の5-1「闘争のゲーム」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「暴力による闘争には、大別して2つの形態があった。その1つが、夜襲、待ち伏せ、リンチなど、手段や武器を選ばず殺戮も厭わない『戦闘』だ。もう1つが、何らかの紛争解決を目的として、個人や集団の代表同士が、時間、場所、方法、勝敗の判別基準について合意のうえで行う『決闘』だ。もちろんこの2つは理念的なモデルだから、実例の大半はこれら2つを極とするその間にあるものだ。ちなみに国家間の戦争は、それ自体が『戦闘』ではない、『戦闘』的な局面と、『決闘』的な局面が無数に組み合わさって構成される」

 また、「殴り合う民族競技」として、著者は述べます。
「参加者双方が文字通り拳で殴り合う拳闘の類の民族競技も、ヨーロッパ以外の各地にあった。その発達が著しかったのは太平洋の多島地域ポリネシアだ。トンガ、サモア、ニュージーランド、ハワイなどの地域から報告されている。その競技は収穫祭、結婚式、葬式、髪切り式など、さまざまな儀礼や祭礼のイベントとして行われた。またアフリカの例だと、ナイジェリアとニジェールにまたがって住むハウサが、右腕で攻撃、左腕で防御、という機能分化したスタイルの拳闘を伝えていることも知られている」

 さらに、「足技があっても『拳法』」として、著者はこう述べています。
「中国の拳法は、後漢時代には体系化された。その技法が洗練されていく過程で『気』の理論に基づく健康法が取り入れられ、また道教や仏教の修行法として実践されるようになる。これが奈良時代以降に日本にも僧や留学生を通じて伝わった。寺門の僧侶が肉体の鍛錬や自衛のために稽古して伝えたさまざまな格闘術は、鎌倉時代以降、武士の間でも普及する」

 続けて、著者は以下のように述べます。
「日本の柔術や沖縄の唐手(本土での普及の過程で『空手』と改称)にも、中国の拳法の影響は色濃い。一方で、中国の拳法は東南アジアにも伝わっている。タイ人最古の王朝スコータイ朝にまで遡るとも伝えられるムエタイや、ミャンマーのラウェイなどはその発展型だ。あまり知られていないことかもしれないが、東南アジアでもその技術体系を伝承したのは主に仏僧だった。これらの広い地域のいわゆる拳法系格闘技には、共通点がある。それは戦場での白兵戦や、決闘で勝つための戦闘術だったはずなのに、精神修行文化としての側面を併せ持って発展したことだ」

 5-2「古代オリンピックの拳闘」では、「ホメロスが語る拳闘」として、著者は以下のように述べています。
「拳闘の起源は、よくわからない。紀元前3000年のエジプト文明やメソポタミア文明にも拳闘らしい競技があった証拠が、壺絵などに残されている。青銅器時代後期(前1600~前1200)以前と考えられる拳闘士たちの図像も、地中海全域で発見されている。しかし、現在のボクシングとの連続性が確実そうなのは、古代ギリシアの拳闘からだ」

 続けて、著者は以下のように述べています。
「文学における記述も古代ギリシア時代に遡る。ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』(前750年頃)に、懸賞をめぐる最古の拳闘の記録がある。俊足のアキレウスが、戦死した親友パトロクロスを火葬したあと、開催された葬送競技会のなかで、勝者には6歳の苦役に耐える騾馬を、敗者には把手が2つついた盃を与えるという条件で、拳闘試合が行われた」

 また、「オリンピアの祭典」として、著者は述べます。
「ホメロスの英雄叙事詩が文字化された前8世紀は、ギリシアにポリスという都市国家が生まれた時期だった。農業や牧畜は奴隷が行い、貴族や富裕な市民はしばしばスポーツに参加した。古代ギリシア人にとって、古来伝わる多種多様な宗教儀礼を、しきたり通り怠りなく行うことが、この上もなく重要だった。そして儀礼や祭礼の際には、前述のパトロクロス葬送競技会のような競技会もしばしば開催された。そのなかでとりわけ重要だったのが、いわゆる古代オリンピックだ。これはゼウスの神域にあるオリンピアの祭典として開催された。その第1回は、『イリアス』編纂とほぼ同時期の前776年に開催されたとされる」

 競技会の日数は、最初は1日だけでした。それが種目の増加とともに延び、第37回(前632年)には3日間になり、最終的には5日間となったことが紹介され、さらに以下のように書かれています。
「いよいよ祭典2日前になると、審判、トレーナー、選手ら一団は『聖なる道』を海沿いにたどってオリンピアへの58キロにおよぶ行進を始め、エリスとオリンピアの境界にあるピエラの泉に到着すると、ブタを生け贄に捧げて儀礼を行った。
大会も儀礼から始まる。最初に、評議会場の祭壇に立つ『誓いのゼウス』像の前で審判と選手による宣誓式が行われる。また5日間のうちには儀式や供犠が何度もあり、とくに満月直後にあたる祭典中日の朝には、ゼウスのために雄牛100頭の生け贄が盛大に捧げられた。少なくとも前146年にギリシアがローマ人に征服されるまでこの競技会は、宗教儀礼や神話の歴史と密接に結びついていた。その後も競技会自体は、500年以上続いたのだが」

 また、「ソクラテスも拳闘ファン」として、著者は以下のように述べています。
「拳闘は第23回(前688年)の競技会から採用された。スミュルナのオノマストスの名が初代の勝者として記録されている。拳闘は人気競技だった。かの哲学者ソクラテスも拳闘経験があり、アテネからオリンピアまで、3日3晩の旅をしてオリンピック見物に行くほどの大の闘拳ファンだった。もっと昔だと、私たちが中学の数学で必ず習う『三平方の定理(ピタゴラスの定理)』で有名な、あのピタゴラスも拳闘が強かった。ついでにソクラテスの弟子プラトンはレスリングが強かった。哲人は鉄人でもあった」

 7章「一発逆転の拳」の7-4「殴り合いと信仰」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「人生の逆転や救いなんてことを言い始めると、なんだか話が宗教じみてくる。だが、そもそも競技のなかには神意を卜定するための宗教行事から発したらしいものも多い。日本だけに限っても相撲、綱引き、競馬、闘鶏、凧揚げ、その他たくさんある。拳で殴り合うゲームにしてもその多くが、明らかに信仰とつながりがある。たとえば1000年もの長きにわたり、拳闘を正式種目として採用してきた古代オリンピックにしても、全能の神ゼウスに捧げる儀礼祭祀の一部をなすイベントだった。しかもその競技における勝敗は、神々が決するものとして考えられていた。だから選手たちは、神々に味方してもらえるようにひたすら祈り、生け贄を捧げ、支持者を饗応した(もちろんそれが不正にも結びついた)」

 10章「女性化する拳」の10-2「殴り合いは続く」では、「暴力の減少」として、著者は以下のように述べています。
「数千年単位でも、数十年単位でも、歴史的な傾向としてまた戦争から子どもの体罰に至るさまざまな種類の暴力にも見て取れる傾向として、暴力は減っている。もしかすると私たちは、人間が地上に出現して以来、もっとも平和な時代に暮らしているかもしれない。こんなことが信じられるだろうか。だが、膨大な量の統計資料と史料や文献を参照し、暴力の観点から人類史を描き出すことで、『人間とは何か』という問いについて追究したピンカーが、実証的に指示したのはまさにこのことだった」

 さらに「殴り合いの未来」として、著者はこう述べます。
「ボクシングはたくさんの人に幸福とともに、不幸ももたらしてきた。声高にボクシング廃止を求める声が世論を動かせば、ボクシングのみならず、ゲーム化された拳による生身の闘争全般が表舞台から消えるかもしれない。そうなると、拳で殴り合うゲームは、地下格闘技として潜行したり、ヴァーチャルや空間で存続することになるのだろう。これは極端な仮定かもしれないし、私はそんなことを願っていない。だが、ありえないことではない」

 というのは、1950年代末に始まった「権利革命」の展開は、あらゆる社会的弱者の権利を保護する方向へと導き、暴力や抑圧に対する人々の嫌悪感を著しく増大させてきたからです。この動向のなかで「ボクシングの女性化」は進み、女子ボクシングも発展してきました。社会の時宜に適合するようボクシングは変化してきたわけですが、「その権利革命の延長で、いつ、またどんなことがきっかけとなって、ボクシングに対する批判的風潮が高まり、資本家たちがその興行から手を引くかはわからない」のです。

 著者は、1810年代には人気絶頂だったプライズ・ファイトが、、法的規制が強化されたうえ、蔓延する八百長に、パトロンたちがついに愛想を尽かすと、1820年代にはたちまち衰退したことを指摘し、「つまり、変わるときには一気に状況は変わる。ましてや国際的なネット社会化とスマホの普及によって、世界的な価値観の一元化に拍車がかかっているのが現代だ。もしかすると私たちはまさに今、生身の人間同士のゲームとして、合法的に公然と行われている『最後の殴り合い』のシーンに立ち会っているのかもしれない」と述べるのでした。

 19世紀初頭のプライズ・ファイトまで持ち出さなくとも、わたしたちは20世紀末から21世紀初頭にかけてに全盛を誇ったK-1やPRIDEといった格闘技が諸々の理由で一気に衰退したことをよく憶えています。よく考えれば、K-1もPRIDEも殴り合いの競技でした。せめて、ボクシングがいつまでも衰退しないことを願ってやみませんが、本書は人類学者が書いた本らしく、「人類にとって殴り合いとは何か」という本質を問いながら中の事例を渉猟しているので、格闘技も人類学も好きなわたしには、たまらない内容でした。

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