No.1797 ホラー・ファンタジー | 幸福・ハートフル | 文芸研究 『涙は世界で一番小さな海』 一条真也著(三五館)

2019.11.29

 41冊目の「一条真也による一条本」は、『涙は世界で一番小さな海』(三五館)です。「『幸福』と『死』を考える、大人の童話の読み方」というサブタイトルがついています。10年前の2009年11月13日に刊行されました。

『涙は世界で一番小さな海』
(2009年11月13日刊行)

 カバー表紙には坂田季代子氏による幻想的なイラストが使われ、帯には「『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』……5つの物語は、実は1つにつながっていた!」「画期的なファンタジー論」と書かれています。

本書の帯

 また帯の裏には、以下のように書かれています。
「ドイツ御の『メルヘン』の語源には『小さな海』という意味があるそうです。すべての河はいずれ海に流れ込み、そしてすべての海はつながっています。人間の心はその働きによって、普遍の『小さな海』である涙を生み出すことができます。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる『小さな海』をつくることができるのです」

本書の帯の裏

 カバー前そでには、以下のように書かれています。
「本書を黄泉終わったあなたは、アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリが『四大聖人』であることに気づかれるでしょう。彼らの作品は、人類すべてにとっての大切な『こころの世界遺産』であると、わたしは確信しています」

 本書の「目次」は、以下のようになっています。
プロローグ ―― ハートフル・ファンタジーとは何か
わたしがファンタジーを愛読する理由  
メルヘンとファンタジーのちがい  
心を理解する重要な資料  
イソップ・グリム・アンデルセン  
こころの世界遺産  
「幸福」というものの正体
第1章 人魚姫
「イソップ寓話」と「グリム童話」  
童話の王様・アンデルセン  
「もう書かないほうがいい」  
大成功した『人魚姫』  
たった1日でいいから人間になりたい  
人魚が象徴するもの  
「愛」と「死」の物語  
人魚姫の痛み  
敬虔なキリスト教徒としてのアンデルセン  
イエスは神なのか、人間なのか
第2章 マッチ売りの少女
神は見捨てない  
『マッチ売りの少女』が教えてくれること  
孤独死を防ぐ隣人祭り  
「ランプの貴婦人」ナイチンゲール  
「かわいそう」はどこから来るか  
「死を待つ人の家」  
弔う義務、弔われる権利  
マッチ売りの少女の大きなスリッパ  
マッチの光が浮かべたもの  
アンデルセンが童話に起こしたイノベーション  
アンデルセンの描いた2つのタブー「死と痛み」
第3章 青い鳥
『青い鳥』のモデルとなった作品  
クリスマスイヴ、貧しい木こりの家では……  
『青い鳥』と仏教思想  
赤ちゃんが生まれる前にする約束  
メーテルリンクと神秘思想  
生者と死者の関係性  
死者と結びつくための方法  
死者からのメッセージ  
チルチルとミチルが訪れた「思い出の国」  
「死」の問題にとりつかれたメーテルリンク  
メーテルリンクの臨死体験
第4章 銀河鉄道の夜
宮沢賢治についての思いちがい  
『銀河鉄道の夜』と『青い鳥』の関係  
幻視者としての宮沢賢治  
謎に満ちた言葉  
ある星祭りの夜に  
宮沢賢治の臨死体験  
不治の病を抱えた兄妹  
『銀河鉄道の夜』に登場するタイタニック号  
新世界への道  
魂の錬金術  
ファンタジーに「死後」を持ち込んだ宮沢賢治
第5章 星の王子さま
世界の四大ベストセラー  
「ほんとうのこと」しか知りたがらない王子さま  
『星の王子さま』の政治&軍事批判  
「人類」というコンセプトの生みの親・イエス  
メーテルリンクとサンテックスの不思議な縁  
『人魚姫』と『星の王子さま』  
なぜ、会社経営をしつつ本を書くのか?  
星の王子さまの言う「ほんとうに役にたつ仕事」  
ナチスを批判する白魔術師たち  
5000本のバラより、絆のある1本のバラ  
見たことがないことは、いないということではない  
モーツァルトはいつも上機嫌  
魂でなら見ることができる  
1本の守るべきバラ  
砂漠が美しいのは?  
出版社が反対した『星の王子さま』のラストシーン  
「この世の中で一ばん美しくって、一ばんかなしい景色」
エピローグ ―― ハートフル・ファンタジーの時代へ  
宗教という難問  
「いいかげん」は「良い加減」  
この現実世界と並行して存在する「別世界」  
月に魅せられたファンタジー作家たち  
アンデルセンに影響を与えたファンタジー作品  
キリスト教の歴史に対する違和感  
「異民族は皆殺しにせよ」  
ファンタジーは宗教を超える  
不安の中に宿るもの  
サンタクロース誕生の理由  
葬儀というファンタジー
あとがき
「参考文献一覧」

 わたしは、ファンタジー作品を愛読しています。中でも、アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリの4人の作品には、非常に普遍性の高いメッセージがあふれていると考えています。いわば、「人類の普遍思想」のようなものが彼らのファンタジー作品には流れているように思うのです。戦争や環境破壊といった難問を解決するヒントさえ、彼らの作品には隠されています。とくに、アンデルセンの『人魚姫』『マッチ売りの少女』、メーテルリンクの『青い鳥』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、サン=テグジュペリの『星の王子さま』の4作品は、そのヒントをふんだんにもっており、さらには深い人生の真理さえ秘めています。

 明治時代から日本では、「四大聖人」という言葉が使われました。ブッダ、孔子、イエス、ソクラテスの4人の偉大な人類の教師たちのことです。彼らはいずれもみずから本を書き残してはいませんが、その弟子たちが人類全体に大きな影響を与えた本を生み出しました。つまり、仏典であり、『論語』であり、『新約聖書』であり、『ソクラテスの弁明』をはじめとする一連のプラトンの哲学書ですね。それらの書物を読んでみると、ブッダも孔子もイエスもソクラテスも、いずれもが「たとえ話」の天才であったことがよくわかります。むずかしいテーマをそのまま語らず、一般の人々にもわかりやすく説く技術に長けていたのです。中でも、ブッダとイエスの2人にその才能を強く感じます。だからこそ、仏教もキリスト教も多くの人々の心をとらえ、世界宗教となることができたのでしょう。

 そして、さらにその「わかりやすく説く」という才能は後の世で宗教説話というかたちでとぎすまされていき、最終的には童話というスタイルで完成したように思います。なにしろ、童話ほどわかりやすいものはありません。『聖書』も『論語』も読んだことのない人々など世界には無数にいるでしょうが、アンデルセン童話をまったく読んだことがない人というのは、ちょっと想像がつきません。これは、かなりすごいことではないでしょうか。童話作家とは、表現力のチャンピオンであり、人の心の奥底にメッセージを届かせ、その人生に影響を与えることにおいて無敵なのです。

 ところで、「世界の三大童話」といえば、なんといってもイソップ・グリム・アンデルセンです。世界中の子どもたちが、これらの童話を両親から寝る前に読んでもらったり、また字をおぼえるやいなや自分で読んできました。日本でも、児童書といえば必ずこの3つの童話の名前があがります。このように、童話の歴史において、イソップ、グリムの次に来る存在は、だれがなんといおうがアンデルセン童話なのです。しかし、古代ギリシャの寓話であるイソップは置いておくとして、同じ童話として扱われるグリム童話集とアンデルセン童話集は根本において性格がちがいます。

 グリム童話はあくまで民族のあいだで語り継がれてきたものであり、アンデルセン童話とは1人のファンタジー作家の創作だからです。シュタイナーにいわせれば、グリムこそはメルヘンであり、アンデルセンは単なるファンタジーであるというでしょう。そして、きっとグリム童話がアンデルセン童話よりもずっと価値あるものだと決めつけるでしょう。しかし、わたしはそうは思いません。たしかに最近の児童文学やヒロイック・ファンタジーに見られるような陳腐な作品は、メルヘンの足もとにも及びません。それはグリム童話だけでなく、わが国の昔話や柳田國男の『遠野物語』や松谷みよ子が集めた民話などにもいえることです。

 しかし、アンデルセンは別です。彼の創作した童話には、シュタイナーのいうメルヘンの要素があると思います。メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリの作品についても同じことがいえます。すなわち、彼らのファンタジー作品には、メルヘンのように「全人類の、小宇宙そして大宇宙の霊が生きている」のです。ユングはすべての人類の心の底には、共通の「集合的無意識」が流れていると主張しましたが、彼ら四人の魂はおそらく人類の集合的無意識とアクセスしていたのだと思います。

 ドイツ語の「メルヘン」の語源には「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているのです。このイメージこそは、メルヘンは人類にとって普遍的であるとするシュタイナーの思想そのものです。人類の歴史は四大文明からはじまりました。その4つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。そして、大事なことは河は必ず海に流れ込むということです。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということ。

 チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと、わたしは考えます。

 そして、「小さな海」という言葉から、わたしはアンデルセンの有名な言葉を連想しました。それは、「涙は人間がつくるいちばん小さな海」というものです。これこそは、アンデルセンによる「メルヘンからファンタジーへ」の宣言ではないかと、わたしは思います。というのは、メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間がみずから生み出したものではありません。涙は人間が流すものです。そして、どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、つらいときです。それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときではないでしょうか。

 つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」をつくることができるのです。これは、人類の歴史における大いなる「心の革命」であったと思います。ブッダ、孔子、ソクラテス、イエスといった偉大な聖人たちが誕生し、それぞれの教えを説いたときもそうでしたが、アンデルセンがみずから創作童話としてのファンタジーを書きはじめたときも、同じように人類の心は救われたような気がしてなりません。

 本書を読み終わった読者は、アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリの4人がもうひとつの「四大聖人」であることに気づかれることでしょう。実際、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』といった童話には、宇宙の秘密、いのちの神秘、そして人間として歩むべき道などが、やさしく語られています。これらの童話は、人類すべてにとっての大切な「こころの世界遺産」であると、わたしは確信しています。そして、そのキーワードは「幸福」と「死」の2つです。

 アンデルセンは、涙は「世界でいちばん小さな海」だといいました。そして、わたしたちは、自分で小さな海をつくることができます。その小さな海は大きな海につながって、人類の心も深海でつながります。たとえ人類が、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは深海において混ざり合うのです。まさに、その深海からアンデルセンの人魚姫はやって来ました。人類の心のもっとも深いところから人魚姫はやって来ました。彼女は、人間の王子と結ばれたいと願いますが、その願いはかなわず、水の泡となって消えます。

 孤独な人魚姫のイメージは、星の王子さまへと変わっていきました。王子さまは、いろんな星をめぐりましたが、だれとも友だちになることはできませんでした。でも、本当は王子さまは友だちがほしかったのです。七番目にやって来た地球で出会った「ぼく」と友だちになりたかったのです。星の王子さまとは何か。それは、異星人です。人間ではありません。人魚も人間ではありません。人間ではない彼らは一生懸命に人間と交わり、分かり合おうとしたのです。人間とのあいだにゆたかな関係を築こうとしたのです。それなのに、人間が人間と仲良くできなくてどうするのか。戦争などして、どうするのか。殺し合って、どうするのか。わたしは、心からそう思います。

 アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュぺリ……ハートフル・ファンタジー作家たちは「死」や「死後」や「再会」を描いて、わたしたちの心の不安をやさしく溶かしてくれます。それと同時に、生きているときによい人間関係をつくることの大切さを説いているのではないでしょうか。だれかに同情する。だれかに気をくばる。だれかを愛する。大いなる「友愛」の心で、人間関係のゆたかさという大輪のバラをこの世界に咲かせようではないか。そんな想いを込めて、わたしは本書を書きました。

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