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常岡一郎一日一言』

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No.1767


 『常岡一郎一日一言』(致知出版社)を再読しました。
 「運命をひらく言葉」というサブタイトルがついています。
 常岡一郎は昭和の初めに修養団体・中心社を立ち上げた人物です。終生、人としての道を説き続けました。それでは、わたしの心に残った言葉を以下に紹介したいと思います。

 

◇心は運命の根
 人間個人の運命の根は心である。そして、その心の根となり、いのちの根となるものは、親である。親の心を伸ばし、親のなやみを消し、親の苦しみをひきうける。そこに子孫の伸び栄える道がある。

 

◇親指の働き
 中心を失ってはならない。親を除け者にしてはならない。子供のわがままで、親を粗末にして眼中におかない。親を除けることは出来るだろう。だがその時に自然の守りを失うことになる。天の支えを失うことになる。

 

◇願いを叶える方法
 よい運命になりたい。よい人と交わりたい。よい人と結婚したい。いろいろなことを私たちは願う。しかし自分の心の内容が悪かったら、悪いことに組み合わされるほかはない。何を願うよりも、自分の内容の入れ替えに努力すべきだと思う。

 

◇宝とつり合う自分
 宝を見つけて歩くより、宝とつり合う自分をつくることの方がより大切である。目や耳や手足のように、自分について歩くものは運命である。自分から1分間もはなれないものは自分の能力である。これがりっぱであることが一番宝をもっている人といえる。

 

◇人生の嵐に処する道
 人生の嵐は多い。思いもかけぬ不幸にも出合う。誤解されることもある。だまされることもある。病みわずらうこともある。すべては人生の嵐である。その中に処する道は、自分の上機嫌を失わぬこと、妙にかたくならないことである。これが人の機嫌をなおす第一条件だと思う。

 

◇幸福の光を増す
 他人の幸福が光っている。それを消して自らの幸福がふえるものではない。他人の光を消して自らの幸福感を増すのではない。他人に幸福の光あれと祈りながら、自らの幸福の光が強くなるのである。与えながら自らも与えられる。これが幸福の光を増すのである。

 

◇必死の鍛練
 人が育ってゆくためには鍛練が必要です。油断の出来ない程ハリ切って全力をしぼる。全身全霊をしぼりつくして初めて次の立派な成長が生まれる。いのちがけで戦う。勝負する。野球でも、相撲でも、学問研究でも、発明でも、必死の鍛練から生まれている。

 

◇人生にユーモアを
 引きしまった緊張と、ゆったりしたユーモア。この2つで人生の事は無理なく運ばれて行きます。ユーモアのない人生、ゆとりのない性格は疲れやすいものです。折れやすいものです。心にゆとりを持ちましょう。ユーモアや歌がわいてくるほどに・・・・・・。

 

◇円満
 太陽は丸い。地球も丸い。天体運行の道も丸い。木も人間の手も胴も丸い。円満こそ大自然の道である。運命の豊かさを生む道がそこにある。不親切、いらだたしい心。好き嫌いのはげしい心、偏狭な規制づくめの心。これは半端な心である。

 

◇赤ちゃんに学ぶ
 親の好きな笑顔、その笑顔を生む上きげんの心、人間は常にこれを赤ちゃんに学ぶべきである。欲のない無心の生き方、そこに天地の大愛から充分に守られる資格が出来るように思う。

 

◇光こそ縁である
 自分と他人は対立のはじめ、その自分はもともと生まれた時は何も知らず何も願わず、何も計らずに、気が付いたときは、親子、兄弟、姉妹の縁の中に生かされている。相対立するすべての人の心に光を付け、その光の反射で自分もたのしく生きていける。縁はすべて自分が持って歩いている。眠っているときは、何があっても何も見えない。光の中で目があいてこそ、何でも見える。光こそ縁である。

 

◇なるほどの心
 なるほどと得心がゆけば、大切な生命も金も物も捧げる。手放す。これが人間の尊い一面である。淋しいこと、悲しいこと、苦しいことも、なるほどとはっきりうなずけば、艱難の中にでも飛びこんで行ける。心が悦びにあふれるときは、どんな苦痛も身にはさらにこたえない。これが、心の力によって立つ人間の尊さである。長期の苦難になればなるほど、この「なるほどの心」を育てることが大切である。

 

◇真心
 限りなく湧く真心は、あふれて親孝行ともなり、友情ともなり、隣人愛ともなって、世をうるおす。冷たい我利我利の人は、真心の人とはいえない。純情な、生き生きとした没我の心、これが真心である。

 

◇欲を認め、欲に溺れず
 人間はすべて社会の一員である。責任は重い。
 家族を組み立てる人間である。愛欲のとりこになってはいられない。欲を認めながら、尊びながら、なお溺れず狂わぬ人間性を向上させる。これが人間社会の平和な美しい節度となる。

 

◇何かが足りない
 お客がこなくなったら、きっと自分の店に何かが足りなくなっている。よい品が足りないか、感謝が足りないか、奉仕が足りないか、そのいずれかである。それを教えてくれるのが不振ということである。

 

◇なぜ貧乏になるか
 貧乏を嫌がるより貧乏と縁のない人間になる。これが大切である。貧乏人は金がないから貧乏しているように思える。しかし貧乏とつり合う人には金は集まらない。金が逃げて行く。あせるほど逃げ足が早い。金のことを「おあし」というのも何かつながりがあるようだ。

 

◇人が一切の根本となる
 国を守るのも人。政治を行うのも人。農事も商売も人がする。英雄も学者も凶悪犯人もまた人である。世の中を組み立てるのも人。動かすのも亦人。一切の根本となるものは人である。人の善悪、賢愚これが国を左右することにもなる。事業の成否をきめる鍵にもなる。

 

◇心に真実を
 頭の先だけで事を片付ける。これが危ない。1つ1つに心をこめる。明るいよろこびを加える。これが大切である。人間の主体はあくまで心である。人格である。心に真実をつみ上げて行くことが、自分を育てる道である。

 

◇運命のわが1日
 どんなに大切にしても、24時間すれば今日1日と別れねばならない。よい日、うれしい日は50時間もあれかしと祈っても、1日は24時間で永久に人々から引き離されて行く。365日が終われば、1年と永久に別れねばならない。どんなに大切にしても別れねばならぬはかない運命のわが1日である。1年、一生である。それならば、より鮮やかに尊いことのために行きたいものである。自分を鍛えておきたいものである。

 

◇生と死
 生きていることのありがたさは、死ぬことが与えてくれる。人間は一度は死なねばならない。いつ死ぬかもしれない。こう思うとき、生きていることのありがたさをしみじみ感じる。もし人間が何百歳にもなってまだ死ななかったら、生きていることのありがたさは感じられなくなるだろう。だから、死という問題をよく見つめて、それに対する心構えをすること、これが生きている1日1日をたいせつにする心を生み出すものと思う。