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読書間奏文』

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No.1763


 9月になりましたが、9月1日は1年で最も中高生の自殺が多い日だそうです。人間関係に悩む子どもたちが、新学期を迎える不安で心が壊れることが大きな原因であるといいます。嫌なら学校など行かなくてもいいから、どうか、死に急がないでほしいです。せっかくの命がもったいないですよ。わたしなら、「君たち、読書してる? いろんな本を読んで、視野を広げ、発想を転換しようよ!」と言いたいです。
 中高生の頃にいじめに遭いながらも、読書によって生き抜いた人の本を読みました『読書間奏文』藤崎彩織著(文藝春秋)です。「文學界」に連載された読書エッセイを単行本化したものです。著者は、1986年大阪府生まれ。2010年、突如音楽シーンに現れ、圧倒的なポップセンスとキャッチーな存在感で「セカオワ現象」と呼ばれるほどの認知を得た四人組バンド「SEKAI NO OWARI」でピアノ演奏とライブ演出を担当。初小説『ふたご』が直木賞の候補になるなど、その文筆活動も注目されています。

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本書の帯

 

 本書の帯には「人生が変わる読書体験」「直木賞候補作『ふたご』の著者が、『本』を通して自身のターニングポイントを綴る、初エッセイ」「『文學界』の大好評連載+書き下ろし」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

 帯の裏には、以下のように書かれています。
「ただの壁だった本のページをぽつぽつとめくり始めたのは、自分を守るために演じていた文学少女に本当になれたら良いと思ったからだ。いじめられたくないから愛想笑いをするなんて下らないよと言って、一人で本を読んでいる女の子。誰かの意見に左右されず、自分の大切なものを大切に出来る強い女の子に。演じていたはずのはりぼての文学少女が気付かせてくれたのだ。『あなたにはこんなに素敵な本があるじゃない』と。(本文より)」

 

 また、アマゾンには以下の著者の言葉が紹介されています。
「気に入った本のページの端を折り、考えごとをする時間が好きでした。妊娠や出産について、ピアノを続けてきた経緯やレコーディングについて、炎上した日の話や金銭感覚についてなど、本を閉じて巡らせてきた想いにお付き合い頂ければ幸いです。(藤崎彩織)」

 

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

「本について――まえがきに代えて」

犬の散歩

皮膚と心

もし僕らのことばがウィスキーであったなら

パレード

羊と鋼の森

コンビニ人間

妊娠カレンダー

火花

ぼくは勉強ができない

サラバ!

花虫

武道館

詩羽のいる街

悪童日記

空っぽの瓶

フェミニズム批評

「夏の夜」

「ひとりの時間」

「あとがき」

 

 この「目次」の中の『犬の散歩』から『フェミニズム』までは実在する本のタイトルです。本書に収められたエッセイは「読書エッセイ」ということになっています。書評というか、特定の本についてのエッセイということなのでしょうが、著者は少ししか本について触れません。少しだけ本の文章を引用して、あとは自分の身辺雑記のようなエッセイを淡々と綴っていきます。それでいて取り上げた本とまったく無縁の内容かというと、そうでもなくて、最後はその本の世界観としっかりリンクしているという不思議なエッセイばかりです。

 

 とにかく、著者の文章のうまさに脱帽します。たとえば、「本についてーーまえがきに代えて」では、小学校の頃に図書室に逃げ込んで本を広げていた孤独な自分について、このように書いています。

 

 私は図書館で泣いていた。私にとって本は、泣いている姿を隠す壁だった。
 図書室にいるのは、友だちが出来なくて一人ぼっちでいるのが惨めだからだ。誰にも相手にされない自分が恥ずかしくて、見られたくないからだ。
 私は学校で上手くやれない子供だった。休み時間に校庭へ誘ってくれる友だちもいなかったし、シール帳を見せ合う輪にも入れなかった。でもそんな私のことを本はすっぽりと隠してくれた。 
 古い紙の匂いには、誰かに抱きしめられているような安心感がある。私は本の中でわあっと嗚咽するように泣いたり、ぐずぐずと甘えるように泣いたりした。そうしているうちに、いつも少しづつ深く息が吸えるようになっていく。
 体育のチーム決めで一人あぶれてしまった日も、掃除の時間に自分の机だけ誰も運んでくれなかった日も、溺れそうになっていた呼吸を図書室で取り戻す。
 私は大丈夫。
 そう唱えながらひとしきり泣いた後、私は文学少女の顔をしてまた教室に戻っていくのだ。
「一人でいるのなんて、どうってことないよ。だって私には本があるもの」
 そんな顔をして。(『読書間奏文』P.9~10)

 

 自分を守るために演じていた文学少女でしたが、本をめくるページは日に日に増えていきました。著者が泣いていた時も、悩んでいた時も、眠れなかった時も、本はいつもそばにいてくれました。著者の人生は本が守ってくれたのです。

 

 恋人と別れた時には泣きながらページをめくった。自分のピースが幾つか足りないような気分になっても、失った温かさが恋しくて涙が止まらなくなっても、本はゆっくりと考えるだけの時間をくれた。
 友だちとうまくいかなくても、どうしたらいいのか本が教えてくれた。
「あんなやつ、もう口もききたくない」と思っても、「絶対に自分は間違っていない」と思っても、本を読むと波が引いたように落ちついた気分になって、自分のことばを探すことが出来た。
 眠れない夜にも本を読んだ。本の中にも、眠れない人はたくさんいた。わくわくして眠れない人。神経質で眠れない人。同質に住むシェアメイトの寝言がうるさくて眠れない人。
 どんな理由でも、眠れない人の話は好きだった。眠れないのは自分だけじゃ無いと思うと、いつの間にかうとうとと眠気がやってくるのだった。(『読書間奏文』P.11)

 

 この文章を読んで、わたしは読書の「恵み」をよく表現しているなと感心しました。そう、本を読めば、この世界には自分だけが孤立しているのではないということがわかるのです。眠れないのは自分だけではないように、失恋するのも自分だけではないし、病気になるのも自分だけではありません。そして、人間にとって最大の不安である「死」についてもそれが言えます。

 わたしには『死が怖くなくなる読書』(現代書林)という著書があります。「『おそれ』も『かなしみ』も消えていくブックガイド」というサブタイトルの通り、長い人類の歴史の中で死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいるという事実を教えてくれる本、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる本を集めました。これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。

 なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。本書には、その不条理を受け容れて、心のバランスを保つための本がたくさん紹介されています。本書の読了後、そのことをよく理解されると思います。本書では、あなた自身が死ぬことの「おそれ」と、あなたの愛する人が亡くなった「かなしみ」が少しずつ溶けて、最後には消えてゆくような本を選びました。

 死別の悲しみを癒す行為を「グリーフケア」といいますが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子どもを失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。また、自分は1人の子どもを亡くしたのであれば、世間には子を失った人が何人もいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。

 それにしても、古今東西、読書の意義や大切さや魅力を伝えてきた作家や学者は数えきれないほどいますが、本書の著者のように、自分のことだけを語りながら、さりげなく「本があれば大丈夫」「本があれば人生も捨てたもんじゃない」というメッセージを読者に送ることができるのは珍しいと思います。本書によって、読書にめざめる若い人も多いのではないでしょうか。

 

 最後に、『読書間奏文』というタイトルが素晴らしい。感想文ではなく、間奏文。ピアニストである著者ならではのタイトルだと言えますが、実際に著者が紡ぎだした言葉の数々を、わたしは音楽を聴くように読みました。そして、紅白歌合戦でちょっとだけしか聴いたことのない「SEKAI NO OWARI」の曲を聴いてみたくなりました。