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結婚不要社会』

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No.1756


 『結婚不要社会』山田昌弘著(朝日新書)を読みました。著者は、1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、中央大学文学部教授。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られます。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなりました。一条真也の新ハートフル・ブログ「無縁社会シンポジウム」で紹介した2012年1月18日に横浜で開催されたパネル・ディスカッションで、わたしは著者と共演したことがあります。  

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本書の帯

 

 本書の帯には「結婚しないほうが幸せ!?」と大書され、「『婚活』の提唱者が激動の平成男女を総括する」「結婚社会学の決定版!」と書かれています。
 また、帯の裏には、「欧米とは違うかたちで"結婚不要"になっている日本社会の実態がここに」として、本書に書かれているテーマが並べられています。

○結婚困難社会――結婚をめぐる日本の現状

○結婚再考――なぜ結婚が「必要」なのか

○近代社会と結婚――結婚不可欠社会

○戦後日本の結婚状況――皆婚社会の到来

○「結婚不要社会」へ――近代的結婚の危機

○結婚困難社会――日本の対応

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本書の帯の裏

 

 カバー前そでには、「なんのための結婚か? 決定的な社会の矛盾がこの問いで明らかに――」として、以下のように書かれています。
「好きな相手が経済的にふさわしいとは限らない 経済的にふさわしい相手を好きになるとも限らない、しかも結婚は個人の自由とされながら、社会は人々の結婚・出産を必要としている......これらの矛盾が別々に追求されるとき、結婚は困難になると同時に不要になるのである。平成を総括し、令和を予見する、結婚社会学の決定版!」

 

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

第1章 結婚困難社会
   ――結婚をめぐる日本の現状

『結婚の社会学』以降
男性には「イベント」、女性には「生まれ変わり」
 1996年頃の結婚状況
晩婚化ではなく未婚化
結婚できない人はなぜ増えたのか
未婚化現象のロジック
「いつでもできる」から「しにくいものだ」へ

第2章 結婚再考
   ――なぜ結婚が「必要」なのか

結婚の形態
結婚の定義
結婚の始まり
結婚の役割
結婚の効果
結婚の社会的機能
結婚の矛盾

第3章 近代社会と結婚
   ――結婚不可欠社会

近代的結婚の「経済的」特徴
近代的結婚の「心理的」特徴
近代的結婚の成立要素
恋愛結婚の純化
社会再生産のための矛盾
未婚者の居場所がない社会                                               .

第4章  戦後日本の結婚状況
   ――皆婚社会の到来

戦前の階層結婚
社会的制裁と一夫多妻
戦後の自由結婚
見合い結婚の変化
要素としての愛情と経済
皆婚社会時代の到来
「告白文化」の弊害

第5章  「結婚不要社会」へ
   ――近代的結婚の危機

ニューエコノミーの影響
性革命の影響
経済か? 愛情か?
離婚の自由化の影響
欧米の結婚状況
欧米と日本の違い
経済と親密性の分離

第6章  結婚困難社会――日本の対応

結婚困難社会への道
どういう人が結婚できるのか
イデオロギーと本音
近代的結婚に固執する理由
世間体の呪縛
欧米とは異なる結婚不要社会
パートナー圧力のない日本
日本の結婚の未来形

「おわりに」
「参考文献」

 

 「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「結婚は、幸福を保証しない。この点が理解されるなら、結婚はもっと、増えるのではないか。結婚難の本当の原因は、『結婚=幸福』という思いこみにあるのではないか――。右ような見解を私が自著に記したのは1996年、いまから23年前のことです。あれから社会はどのように変わり、どのように変わらなかったのでしょうか」

 

 第1章「結婚困難社会」では、「結婚できない人はなぜ増えたのか」として、以下のように書かれています。
「『結婚していない』もしくは『結婚できない』人たちが増えた原因は何でしょう。私は次のような説を展開しました。それは単に、男女の意識変化ではない。そうではなく、結婚をめぐる社会、とりわけ経済状況が変わったのだと。つまり、個人の意識はむしろ変わらないまま社会の変化が進み、結婚が減った。その結果として独身者が増え、独身でも生活できる仕組みが整ったということです」

 

 「『いつでもできる』から『しにくいものだ』へ」として、著者は以下のようにも述べています。
「実際に未婚者、つまり『結婚したいけれども結婚できない人』が増えるにつれて、それが人々の認識のレベルにまで浸透し、人々の行動に変化をもたらしている(社会学では「再帰性」と言います)のが、ここ20年の動きなのです。『結婚なんかいつでもできる。だから独身時代を楽しまなきゃ』という認識から、『結婚はしたくてもしにくいものだ』という現実に直面して、それを知識として得てそれに基づいて行動する人が現れるようになったというわけです」

 

 また、著者は以下のようにも述べています。
「人々の結婚をめぐる認識は、20年前から徐々に変わり始めていました。だから『婚活』と呼ぶことができる現象が起きた。このような変化を私が『婚活』と名付けた2008年頃から、政府の認識も変わっていったのです。『結婚したければいつでもできる』というものから、『結婚自体が困難になっている』と認めた政府の政策変更と、未婚者の『婚活』行動――その2つが相まって、近年は国や自治体による『結婚支援』といった動きも広がっているわけです」

 

 さらに「アジア金融危機の影響」として、著者は述べます。
「『いつでも結婚できる』から『なかなか結婚できない』へ、結婚についての人々の『認識』は変化を遂げました。ところが、『結婚後は主に夫の収入で生活する』、だから『結婚相手の収入は多いほうがいい』といった『意識』のほうはほとんど変わっていません。そのために『婚活』のような相手探し競争が起こっているのです」

 

 続けて、著者は以下のように述べています。
「それに加えて生じた想定外の社会現象、それが、『恋愛の衰退』です。『結婚の社会学』では、恋愛が盛んなヨーロッパやアメリカの例をもとに、『男女ともに自分で自分の生活の責任をもつようになると、結婚が愛情だけに基づくものになる。日本社会はその方向に動くかもしれない』といった見立てを示しました。けれども日本では、そうしたことがまったく起こらずに、ヨーロッパとは逆に『恋愛が衰退する』というかたちで推移してきたのです」

 

 第2章「結婚再考」では、「結婚の形態」として、著者は以下のように述べています。
「日本で言えば、平成の天皇陛下の結婚(1959年)が社会に与えた影響はじつに大きなものでした。当時の庶民の多くは見合い結婚でした。お二人の出会いは、軽井沢のテニスコート。コートで見初めて恋愛結婚した、というのが公式見解です。ときの皇太子が恋愛結婚をするのですから庶民が真似ても何ら問題がない。時代の空気は影響を受け、一気に恋愛結婚が日本社会に広がっていったわけです」
 では、そもそも近代社会とは何か。社会学者である著者は、「近代社会とは何かというのは、じつは社会科学の永遠のテーマです。社会科学の領域では、前近代と近代の間には大きな断絶があり、社会のあり方が大きく異なると分析されるのが一般的な見解です」と説明します。

 

 それでは、結婚とは何か。
 「結婚の定義」として、著者は述べます。
「結婚はいわば、社会を構成する枠組みの1つです。その結婚をミニマムに――人類社会に共通する最低限の部分を取り出して――定義すると、『性関係のペアリングに基づく恒常的関係』と表現することができます。あまりにあっさりした定義でやや拍子抜けかもしれませんが、『結婚とは何か』を社会学や法律学、文化人類学の知見、その他の辞典類から共通の定義を導きだすと、恋愛というような『感情』の要素はまったく入ってきません。恋心や愛情があるかないかは、結婚という枠組みを通文化的に説明するときには不適当なのです」

 

 また、「結婚の効果」として、著者はこう述べています。
「前近代社会の結婚は『経済的効果』も『心理的効果』も夫婦以外の要素に強く影響されるものだったとも言えるでしょう。これに対して近代社会は、結婚がもたらす2つの効果が『純化』していると言えます。たとえば、結婚相手以外の人に経済的責任を持つ必要がないし、逆に結婚相手以外の人と楽しく過ごしてはいけないというのが近代社会の文化です。これはつまり、結婚における排他性の原理というものが近代社会においては、より純粋に適応されているということ。結婚がもたらす効果を純化したのが近代社会である、という言い方もできるでしょう」

 

 「結婚の社会的機能」として、著者は「性的ペアリングである結婚には、2人がそれぞれ属している『親族集団』―――氏族やイエ、伝統的な日本社会では農山漁村のマケ(同族集団)など――を結びつける社会的な機能があります」と指摘し、さらに以下のように述べています。
「前近代社会では、かならず親をはじめとして親族の承認がないと結婚できません。対して近代社会では、親族集団を結びつけるという結婚の社会的機能が最小限のものになっているので、親族が『うん』と言わなくても結婚できます。ちなみに前近代社会では、この『親族間』という領域が重要な機能を果たしていました。たとえば、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが分析したように、結婚は『生殖相手を親族間で交換するイベント』ととらえることもできるでしょう」

 

 第3章「近代社会と結婚」では、「近代的結婚の成立要素」として、著者は以下のように述べています。
「自分で配偶者を見つけなければ生涯独りで生きなければならず、生活にもそれなりの困難が生じるのですから当然の変化でした。これが近代的結婚の1つのかたちです。ですから、『男性が独力で生活費を稼ぐ社会にならなければ、近代的結婚は成り立たない』という言い方もできるわけです」

 

 さらに著者は、以下のように述べるのでした。
「前近代社会は、結婚しなくてもイエや宗教、コミュニティなどで、経済的な安定と心理的な保証を得る場がありました。独身であってもイエのきょうだいが面倒を見たり、お寺や修道院などに入ることもできました。これは後で述べます。しかし、近代社会は結婚しないと非常に困る社会になりました。つまり、結婚しない人が生きにくい社会が近代社会でもあったのです」

 

 第4章「戦後日本の結婚状況」では、「見合い結婚の変化」として、著者は以下のように述べています。
「戦後は恋愛結婚が普及し始めると同時に、見合い結婚変質し始めます。特に、上流階級が見合いという名のもと、有無を言わせず『取り決め』で結婚を遂行していたのが、会う前でも断れるし、会ってからでも断れるという『断る自由』のある見合いを許容しだします。つまり、戦後の見合い結婚というものは、恋愛結婚に限りなく近いわけです。紹介してくれるのが仕事の上役や親族というだけで、相手に会う前も会ってからも、交際を始めてからでも『断る』ことができます」

 

 また著者は、「要素としての愛情と経済」として、「要するに、高度成長期には『出会い』が十分にあったので、皆婚社会が成立したというわけです。団塊の世代くらいまでは、ほとんどの人が結婚できました。1970年代くらいまではそうなのですが、結婚後の生活を想像できるということも大きかったでしょう」と述べ、「『告白文化』の弊害」として、「私は以前から、知り合った相手に『つき合ってください』『わかりました、つき合います』といった、告白をしなければ恋愛関係に発展しない告白文化が、今日の若者たちの恋愛の活発化を妨げている要因の1つではないか、と主張しています」と述べます。

 

 第6章「結婚困難社会」では、「欧米とは異なる結婚不要社会」として、著者は以下のように述べています。
「欧米は、幸せに生きるためには親密なパートナーが必要な社会です。結婚は不要だけれども、です。それに対して日本は、配偶者や恋人のような決まったパートナーがいなくても、なんとか幸せに生きられる社会になったのです。これが私の結論です」

 

 そして、著者は以下のように述べるのでした。
「社会としても個人としても、パートナーなしで『おひとりさま』で生きることも視野に入れておかないといけないということです。多くの人はもうそれに気づいていて、だから『おひとりさまの老後』(上野千鶴子/法研/2007年)もベストセラーになったのでしょう。『ソロ活』という言葉も生まれるわけです。そして、おひとりさまになりたくないからこそ、その逆の動きとも言える世間体に合うような『婚活』が、どんどん広がっていくわけです」

 

 わたし自身は26歳になったばかりで結婚しました。妻は22歳でした。わたしたち夫婦は夢と希望を抱いたまま(?)結婚し、30年の時間が経過しましたが、2人の娘はこれからどうなるかわかりません。実際、本人にふさわしい結婚相手と出会うことの難しさを痛感することが多いです。しかし、いくら「結婚はしたくてもしにくいものだ」と言い続けても現実は変わりません。このままでは日本の人口も減少する一方です。なんとかベスト・パートナーに出会える社会的システムを構築しなければなりません。そのためには、わが社が運営する「オークパイン・ダイヤモンド・クラブ」のようなマッチング・システムを常にアップデートする必要があると考えます。