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神社崩壊』

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No.1755


 『神社崩壊』島田裕巳著(新潮新書)を読みました。一条真也の読書館仏教抹殺で紹介した本を読んだら、神道や神社の行方も気になってきたからです。著者は1953年東京生まれ。宗教学者、文筆家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻は宗教学。著書多数。わたしとの共著に一条真也の読書館『葬式に迷う日本人』で紹介した本があります。

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本書の帯

 

 本書の帯には、「あの凶行の背景は?」「神社は儲かるのか?」「神社本庁の正体は?」「『日本会議』との関係は?」「宗教学者がタブーをえぐる。」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

 また帯の裏には、以下のように書かれています。

◎神社界の危機を象徴する事件

◎ 本当に儲かるのか?――神職の平均年収

◎ 不透明な経営と広がる経済格差

◎ 神社本庁の権力構造と時代錯誤な〝夢〟

◎ 宇佐神宮、気多大社......相次ぐ離脱騒動

◎ 富岡八幡宮と「日本会議の生みの親」

◎ 神社本庁は「新宗教」である――。

 

 さらにカバー前そでには、以下のように書かれています。
「2017年末に富岡八幡宮で起きた前代未聞の事件。元宮司の弟が宮司の姉を刺殺するという凶行の背景には、不透明かつ放漫な神社経営、神社本庁との軋轢などがあり、そのいずれも現在の神社界の危機を象徴するものだった――。そもそも神社とはどのような場所で、何を祀っているのか。さらに、その収入源や経済格差、神社本庁の正体と続発する離脱騒動、その政治化や『日本会議』との関係など、御簾の裏に隠された〝暗部〟を、宗教学者が炙り出す」

 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

第一章 富岡八幡宮事件

第二章 神社はそんなに儲かるのか

第三章 神社本庁とは何か

第四章 神々の相克――神社本庁は「新宗教」である

第五章 神社本庁の政治学

第六章 揺らぐ神社の権威構造

「おわりに――神社は再生できるのか」

 

 「はじめに」では、富岡八幡宮事件が紹介されます。
2017年12月7日、東京都江東区にある富岡八幡宮で、元宮司が現在の宮司を殺害するという事件が起こりました。宮司と元宮司は姉と弟の関係にありました。弟は女とともに犯行に及んだが、姉を殺害後に弟はその女を殺し、自ら命を絶ったのです。女の方は、姉の車の運転手にも重傷を負わせていました。この事件は日本中に衝撃を与えました。

 

 江戸時代初期に創建された富岡八幡宮は「深川の八万さま」として地域の信仰を集めてきました。「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの1つに数えられ、さらには江戸勧進相撲発祥の地でもあります。近年では、新しく横綱になった力士の土俵入りも行われ、富岡八幡宮は大変ポピュラーな神社であると言えます。

 

 富岡八幡宮事件で衝撃的なのは、その遺書の内容でした。富岡茂永容疑者は、自らの息子を富岡八幡宮の宮司にするよう要求し、「もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」と綴っていたのです。

 

 この富岡八幡宮事件について、著者は「神社の危機を象徴する事件」として述べます。
「最近、『美しい日本の再建と誇りある国づくり』をスローガンに掲げて活動する保守的な団体、『日本会議』のことが取り上げられることが多くなったが、神社本庁は、日本会議を構成するもっとも有力な組織である」
 そして、富岡八幡宮と日本会議は密接な関係を持っているとして、著者は「神社は神道の施設であり、神道の歴史は相当に古い。神道は日本で唯一の土着の宗教であり、日本の伝統的な信仰として受け継がれてきている。その神道や神社が、今、もしかしたら、その歴史の上で最大の危機を迎えようとしているのではないだろうか」と述べます。

 富岡八幡宮事件の富岡茂永容疑者の祖父である富岡盛彦は「神社界の最重要人物」「日本会議の生みの親」などと呼ばれました。著者は以下のように述べています。

「富岡盛彦が、富岡八幡宮の宮司となるのは1949年のことで、養父宣永が老齢となったためだった。富岡八幡宮では、宣永が復興した社殿等が1945年の東京大空襲によってすべて焼失し、その復興が課題だった。盛彦は、延期になっていた伊勢神宮の式年遷宮を実現するために、伊勢神宮式年遷宮奉賛会理事として全国を飛び回って浄財を集め、それから富岡八幡宮の復興にかかった。氏子などからの募財によって1956年には社殿の復興を成し遂げ、社務所や結婚式場も再建している。一方で盛彦は、神社本庁理事として活動し、1952年には常務理事、1959年には事務総長に就任している。1962年に退任し、その後は、宗教法人審議会委員、國學院大學評議会議長、國學院大學の同窓会である院友会会長をつとめた。また、養父と同様に、1961年からは稜威会会長もつとめている」

 

 富岡八幡宮事件では、茂永容疑者が銀座の高級クラブの常連で、刺殺された姉もホストクラブの上客であったことなどが報じられました。姉弟でかなりの金満家ぶりだったようです。第二章「神社はそんなに儲かるのか」では、「神社は儲からない」として、ほとんどの宮司の年収は1000万円に満たないことを紹介し、さらに著者は述べます。
「一部には、神社本庁が、宮司の月収の上限を60万円と定めているという話が出回っている。現役の宮司も、それを前提にインタビューに答えていたりするのだが、『神社本庁規定類集』を調べてみても、そうした規定は存在しない。したがって、1000万円以上の年収のぐうじが3・36パーセントにのぼるわけだが、ほとんどはそれに達していない」と書かれています。

 

 寺院に関しては「坊主丸儲け」などとよく言われますが、本当に神社は儲からないのでしょうか。著者は述べます。
「よく僧侶のなかに贅沢な暮らしをしていて、高級な会社を乗り回し、巷で遊んでいる者がいるという話を聞くことがある。ただし、神主が遊んでいるという話は聞いたことがない。事件後に、京都の祇園にある料理屋の主人に聞いても、『坊さんが遊んでいるのは事実だが、神主については聞いたことがない』という答えが返ってきた。ただ、大阪で聞いたところによれば、京都の有名な神社の神主は、大阪の歓楽街、北新地で豪遊しているという。地元の京都を避けて、人目につきにくい大阪で遊んでいるわけである。そうした神主は、1000万円以上の収入があるのだろう」

 

 そもそも、神社とは何でしょうか。「神社とは、どのような場所なのか」として、著者は以下のように述べています。
「神社は神を祀るための場であり、もっぱら祭祀を営むことが目的とされている。神社の境内は『神域』であり、世俗の世界とは隔絶されている。神社が仏教の寺院と異なるのは、寺院が僧侶の生活の場であるのに対して、神社は決して神職の生活の場ではないということである。寺院には『庫裡』と呼ばれる住居がある。僧侶は出家であり、寺院の庫裡以外に生活の場を持たない。僧侶が『住職』や『住持』と呼ばれるのも、寺院に住みこんでいるからである。これに対して、神職は基本的には神社に住んでいるわけではない。神社の境内が神域である以上、そこで何らかの経済活動を営むことは考えられない。したがって、古代から神社が建立される際には、併せて神社を経済的に支えるための土地が寄進されるのが一般的だった。建立後に土地が寄進されることもあった。『御厨』という地名が今も残されているが、それは有力な神社の神領を意味した」

 

 第三章「神社本庁とは何か」では、「神社は法律でどのように分類されているのか」として、こう説明されています。
「宗教法人は大きく分けて、2つに区別される。1つは『単位宗教法人』で、もう1つが『包括宗教法人』である。単位宗教法人は、神社や寺院、教会などのように礼拝の施設を備えているものである。それに対して、包括宗教法人は、宗派や教派、教団のように、神社、寺院、教会などを傘下に持つものである。富岡八幡宮は単位宗教法人で、神社本庁は包括宗教法人である。富岡八幡宮がまだ神社本庁の傘下にあったとき、富岡八幡宮は神社本庁に『包括』されていて、そうした状態にある単位宗教法人は『被包括宗教法人』とも呼ばれる。ところが、富岡八幡宮は、この包括関係を解消することで、神社本庁の傘下から離れたわけで、それによって『単立宗教法人』となった」

 

 現在の神社界を考える上で、神社本庁の存在を無視することはできません。では、神社本庁とはいったい何なのか。「あくまで民間組織」として、著者は以下のように述べます。
「神社本庁は東京都渋谷区代々木にあり、明治神宮に隣接している。神社本庁に包括されている神社はおよそ7万9千社にのぼり、神社界の包括法人としてはもっとも規模が大きい。各都道府県にはそれぞれ神社庁が設けられ、さらに地域にはその支部がある。都道府県の神社庁は、地域の主要な神社の境内に設けられている」

 

 また、神社本庁の組織構成については以下の通りです。
「神社本庁のトップに立つのが『総裁』であり、現在は、昭和天皇の第4皇女で、今上天皇の姉にあたる池田厚子氏である。総裁は、『神社本庁憲章』では、神社本庁の名誉を象徴し、表彰を行うとされている。
「神社本庁の代表役員となっているのは総長であり、総長が実質的に神社本庁を動かしている。現在の総長は、石清水八幡宮の宮司、田中恆清氏である。総長を選出するのは、17人の理事によって構成された役員会である。理事を選ぶのは評議員会で、これは、伊勢神宮の神職や神社庁長などから構成される」

 

 第四章「神々の相克――神社本庁は『新宗教』である」では、「なぜ天皇は伊勢神宮に参拝しなかったのか」として、著者は以下のように述べています。
「伊勢において天照大神を祀る役割を果たすのが『斎王』である。斎王になるのは、親王宣下を受けた内親王か、それを受けていない女王である。この制度は、南北朝時代まで受け継がれる。斎王が祀っているのだから、それで十分だということなのだろうが、代々の天皇は、伊勢神宮に参拝することはなかった。そこに、皇祖神が祀られていたにもかかわらずである。持統天皇は、代々の天皇のなかで唯一、伊勢国に行幸したとされているが、伊勢神宮に参拝したかどうかは分からない。天皇のなかで、はじめて伊勢神宮に参拝したのは明治天皇である。即位したばかりの明治天皇は、1869(明治2)年に伊勢神宮への参拝を果たしている。持統天皇のことを除けば、代々の天皇のなかではじめて明治天皇が伊勢神宮参拝を果たしたことになる」

 

 また、「本当は恐ろしい天照大神」として、著者は以下のように述べています。
「恐ろしい神と言えば、まず一番先に想いつくのは、旧約聖書『創世記』のヤハウェである。ヤハウェは、自らが創造した人類が悪の方向へむかっていると見るやいなや、大洪水を引き起こし、ノアの家族や動物の番を除いて、人類を含むすべての動物を地上から一掃してしまう。この物語には、神の絶大な力が表現されていると見ることができるが、天照大神にも、そうした側面があったとも言える。それゆえに、天照大神は、宮中からはるか遠く伊勢に祀り籠められていたとも言えるし、代々の天皇が近づかなかったのも、それゆえであったと考えられる。少なくとも、天照大神は皇祖神ではあるものの、天皇が日頃生活する場からは遠ざけられていたのである」

 

 さらに「神社本庁は『新宗教』である」として、著者は以下のように述べています。
「伏見稲荷大社が当初から神社本庁の傘下に入らなかったように、すべての神社にとって伊勢神宮を頂点に位置づける体系のなかに組み込まれることは、必ずしも本意ではないはずである。神の立場からしても、それを受け入れることができる神と、できない神がある。たとえば、出雲大社の大国主命の場合、『古事記』や『日本書記』では、国譲りをしたことになっているが、『出雲国風土記』には、そうした話は出てこない。しかも、大国主命は、『天の下造らしし大神』とされ、出雲国に限らず、世界全体を造り上げた神とされている。そこからすれば、天照大神ではなく、大国主命こそが本宗であるという考え方も成り立つのである」

 

 続けて、著者は以下のように述べるのでした。
「実際、これは明治時代に起こったことだが、半ば公的な機関であった神道事務局が、その神殿に造化三神(天御中主神=あめのみなかぬしのかみ、高御産巣日神=たかみむすひのかみ、神産巣日神=かみむすひのかみ)と天照大神を祀ろうとしたところ、出雲大社の側から、そこに大国主命を加えるべきだという要求が出された。これは議論になり、結局、出雲大社の主張は認められなかったが、出雲大社にしてみれば、大国主命は天照大神と同格だという意識があったわけである。伊勢神宮を本宗とするということが、神社本庁創建の時点で生まれた新しいとらえ方であるとするなら、包括宗教法人としての神社本庁は、新しい1つの宗教、『新宗教』であったということにもなってくる」

 

 第五章「神社本庁の政治学」では、著者は「『日本会議』の結成」として述べています。
「神社界の枠を越えた運動体としては、1997年に結成された『日本会議』がある。日本会議は、憲法改正や首相の靖国神社公式参拝の実現をめざす運動体だが、その前身は、『日本を守る会』と『日本を守る国民会議』だった。富岡八幡宮の富岡盛彦宮司が、『日本を守る会』の結成に尽力したことについては、すでに第一章でふれた。もちろん、憲法の改正ということは、さまざまな形で議論になり、安倍首相はその実現に熱心である。だが、そこで言われる憲法の改正は、自衛隊を合憲とすることが中心である。日本会議は、憲法前文で『美しい日本の文化伝統』を明記したり、天皇を元首と定めるよう改正すべきだとしており、そこには大きなずれがある」

 

 第六章「揺らぐ神社の権威構造」では、著者は「皇室と神社界の未来」として述べます。
「皇位の安定的な継承に向けての議論は進んでいないし、そうした方向にむかう兆しも見えていない。たとえ、皇位の継承が果たせたとしても、皇族の減少、天皇家以外に宮家が存在しないという事態が、それほど遠くない将来に訪れる可能性がある。それは、天皇制の基盤を揺るがすことにもなるし、神社界への影響も避けられない」

 

 また、「『神社崩壊』の危機」として、著者は述べます。
「天皇が不在ということになれば、皇祖神の価値は著しく低下する。伊勢神宮は、皇祖神を祀るがゆえに、神社本庁によって本宗と位置づけられているわけだが、その地位は根本から揺らぐことになる。そうなれば、皇室とのかかわりから神宮と称されている各神社の地位も揺らぐ。当然、それによって神社本庁の存在意義も薄れることになる。にもかかわらず、神社本庁がその一翼を担う日本会議は、彼らの考える「伝統」にこだわり、女性天皇や女系天皇、女性宮家の設立に反対するばかりで、皇位継承の危機に対する根本的な対応策を提示できていない。旧宮家の復帰だけが具体策として俎上に載せられてはいるが、到底それが実現される状況にはない」

 

 「おわりに――神社は再生できるのか」では、「宗教離れしていく世界」として、著者は以下のように述べています。
「私は、2016年に上梓した『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』(SB新書)において、世界的に宗教が力を失いつつある状況について報告した。その波は日本にも及んでおり、新宗教の教団は、一部を除いて、信者数が激減している。既成仏教の場合には、葬儀が重要な役割を果たしており、新宗教ほど信者数が激減するようにはなっていない。だが、本山などは、参拝者が相当に減少している。それも、地方で過疎化が進み、これまで講の組織を結んで本山に集団で参拝してきた人々がいなくなってしまったことが大きい」 

 

 神道については、著者は以下のように述べています。
「神道には、死や血を穢れとする観念がある。とくに神域は穢れを免れた空間でなければならないとされてきた。神道が、近代になるまで葬儀を営まなかったのも、穢れの観念が関係する。では、神道において、穢れを祓うための手段がさまざまに開発されてきたかと言えば、必ずしもそうではない。その面では、神道は仏教にその役割を任せてきた。とくに神仏習合の時代には、密教がもっぱらその役割を担っていた。その点で、臨時大祓を営んだとしても、それで穢れを浄化することができるのか、神道の考え方にもとづいても、はっきりとした答えは出せないはずである」

 

 最後に、富岡八幡宮の再生の手段として、著者は世俗的な方向での解決の他に、宗教的な方向での解決というものを以下のように提案します。
「神域が穢されたということを、より深刻に受け止め、信仰にかかわる形での解決を模索する必要もあるのではないだろうか。その際に、1つ考えられる手立てが、『放生会』の復活である。放生会は、もともと仏教に由来するもので、殺生戒の考え方が基盤になっている。人は、生き物を殺すことによってしか生き続けることができない。そのことを改めて認識するために、鳥獣や魚を海や川に放つのが放生会である」

 

 続けて、著者は放生会についてこう述べるのでした。
「このように放生会は、仏教の思想にもとづいており、基本は仏教寺院で営まれるものだが、八幡神を祀る神社にも伝わっている。そこには、八幡神が八幡大菩薩と称されたことや、武神、軍神として信仰を集めたことが関係しているものと思われる。したがって、八幡信仰のもとになる宇佐神宮では、現在でも放生会が行われており、それは、そこから八幡神を勧請した石清水八幡宮にも伝えられている。神仏分離という大波を被っているはずなのに、この仏教由来の行事が八幡宮に残されているのは、それだけ、八幡神の信仰と放生会が強く結びついてきたからだろう」

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著者の島田裕巳氏と 

 

 富岡八幡宮をはじめとした神社を再生させる具体的プランとして、このように放生会を提案する著者の姿勢は素晴らしいと思いました。宗教学者として波乱万丈の人生を送られてきた著者ですが、いたずらに「葬式は、要らない」とか「宗教消滅」とか「神社崩壊」などと叫んで大衆の不安を煽るよりも、このような宗教再生のための具体的提案を行うことこそ著者の真骨頂であり、新たなミッションではないかと思いました。