No.1743 小説・詩歌 『すぐ死ぬんだから』 内館牧子著(講談社)

2019.07.12

 『すぐ死ぬんだから』内館牧子著(講談社)を読みました。
 一条真也の新ハートフル・ブログ「終わった人」で紹介した映画の原作小説に続く著者の「終活」小説です。ジェットコースターのようにスピーディーに流れていく物語で、一気に一晩で読みました。

 著者は1948年秋田市生まれの東京育ち。武蔵野美術大学卒業後、13年半のOL生活を経て、1988年脚本家としてデビュー。1991年ギャラクシー賞、1993年第1回橋田壽賀子賞(「ひらり」)、1995年文化庁芸術作品賞(「てやんでえッ!」)、日本作詩大賞(唄:小林旭/腕に虹だけ)、2001年放送文化基金賞(「私の青空」)、2011年第51回モンテカルロテレビ祭テレビフィルム部門最優秀作品賞およびモナコ赤十字賞(「塀の中の中学校」)など受賞多数。小説家、エッセイストとしても活躍し、2015年刊行の小説『終わった人』は累計30万部を超える大ヒットを記録、2018年6月映画公開となる。

本書の帯

 本書のカバー表紙には、カジュアルなファッションをしてデイバッグを背負っている高齢者たちのイラストが描かれ、帯には「一気に23万部!」「人生100年時代の新『終活』小説。」と書かれ、読者の感想が紹介されています。

本書の帯の裏

 また帯の裏には「78歳の忍(おし)ハナは、60代まではまったく身の回りをかまわなかった。だがある日、実年齢より上に見られて目が覚める。『人は中身よりまず外見を磨かねば』と。ところが夫が倒れたことから、思いがけない人生の変転に巻き込まれていくーー」と書かれ、読者の感想が紹介されています。

 アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「78歳の忍ハナは夫岩造と東京の麻布で営んでいた酒店を息子雪男に譲り、近所で隠居生活をしている。年を取ることは退化であり、人間60代以上になったら実年齢に見られない努力をするべきだ、という信条を持つハナは美しさと若さを保っており、岩造は『ハナと結婚してよかった』が口癖の穏やかな男だ。雪男の妻由美には不満があるが、娘の苺や孫の雅彦やいづみにも囲まれて幸せな余生を過ごしているハナだったが、ある日岩造が倒れたところから、思わぬ人生の変転が待ち受けていた。人は加齢にどこまで抗えるのか。どうすれば品格のある老後を迎えられるのか。『終わった人』でサラリーマンの定年後の人生に光を当てた著者が放つ新『終活』小説!」 

 本書は、80歳を間近にした女性主人公をめぐる、外見に関する物語です。忍ハナは自他共に認めるオシャレな高齢女性で、夫の岩造もそんなハナを自慢にしています。前半は岩造とハナの夫婦の仲の良さが描かれています。ある夜、2人は自宅のベランダでビールを飲みながら、「夫婦は半端な縁じゃない」などと語り合っていました。そのとき、ハナには岩造の顔がお婆さんのように見えました。

 男は年を取るとどんどんお婆さん顔になり、女はどんどんお爺さん顔になる。テレビに出てくる有名人でもだ。私は前からそう思って見ていた。
 岩造が年を取ったということだろうか。私もお爺さん顔になり始めているのだろうか。
 悲しすぎる。どんな努力をしても、絶対に阻止する。
(『すぐ死ぬんだから』P.96)

 しかし、ハナがビールのツマミを作って、岩造のもとへ持って行ったところ、岩造の意識はありませんでした。すぐに救急車を呼んで医大の附属病院に連れて行きます。緊急手術に向けて数々の検査が行われましたが、その甲斐なく、岩造は息を引き取りました。死因は硬膜下血腫でした。

 それから、ハナの記憶は飛びました。気づいたら、岩造の死から3日も経過していて、通夜も葬儀もすべて終わっていたのです。それは逆行性健忘症と呼ばれるものの一種で、あまりにも辛い経験をしたとき、その記憶を脳が忘れてしまうのだそうです。ハナは、自分のショックを案じ、一番辛い3日間だけ記憶を飛ばしてくれたのだと考えました。そして、「あの人ならやってくれそうだ。私を『自慢』と言い、『ハナと結婚したことが人生で一番の幸せだった』と、晩年まで言い続けた人だ」と思うのでした。

 55年も一緒に暮らした相手が、突然姿を消してしまったのだ。突然姿を消すことは、消えていく本人の問題ではない。残された者の問題だ。
 残された者は、消えた相手を思い出しながら、この先の人生を生きていかなければならない。初めて出会った日から死ぬまでの、笑い顔や怒り顔や言葉や……可愛いところがあった、いいやつだった、あの時は、この時は……。
 先に消える者は幸せだ。
(『すぐ死ぬんだから』P.102)

 夫を亡くしたハナは悲しみに打ちひしがれますが、彼女以外の家族は1週間もたつと日常の暮らしに戻っていきました。父親の死だというのに長男の雪男は鼻歌まじりに酒屋の配達の準備をし、その妻の由美はツナギを着てアトリエにこもって絵を描き、2人の娘のいづみは大学に通いました。そんな彼らを横目に、ハナはこう考えるのでした。

 家族であっても、この立ち直り方だ。アカの他人たちは、告別式帰りの電車内で、
「お腹すいた。何か食べて帰らない?」
「行こ行こ!」
 と手を叩くのだろう。
 他人にとって、よその人の、まして後期高齢者の死など、町をバスが走るのと同じに当たり前のことなのだ。
 そんな死に方であれ、人は必ず死ぬ。1人残らず死ぬ。そう諦めて、私も元の暮らしに戻ろう。
 毎晩そう誓う。なのに、もう1カ月も眠りが浅い。考えごとをしてはウトウトし、また目が覚めては考えごとをするという夜が続く。(『すぐ死ぬんだから』P.113)

 それほど亡き夫を失ったことを悲しんでいたハナでしたが、その後、岩造の遺言状が見つかり、そこには思いもよらない岩造の秘密が書かれていました。ここから先はネタバレになるので、詳しいことは書けません。でも、ここから一気に物語は加速して、面白くなっていくのでした。そして、さまざまな出来事があった後で、ハナはさらに外見に磨きをかけて輝きを放つのでした。

 繰り返しますが、本書は、80歳を間近にした女性主人公をめぐる、外見に関する物語です。多くの高齢者たちは、「すぐ死ぬんだから」とオシャレには無頓着です。しかし、「あとがき」で著者は、「すぐ死ぬんだから」と自分に手をかけず、外見を放りっぱなしという生き方は、「セルフネグレクト」なのではないかと指摘し、こう述べます。
「『ネグレクト』は『育児放棄』という意味でよく使われるが、『セルフネグレクト』はつまり、自分で自分を放棄することである。セルフネグレクト気味の高齢者たちは、そうでない高齢者について、陰で言うものだ。実際、私はこれまで幾度も耳にしている」

「よくやるよ。誰に見せたいわけ?」「色気づいちゃって。若作りしてみっともないよ」「あの頭、絶対にカツラだよ。自然が一番なのにさ」「人間は中身だよ、中身。上っつら飾ったってバレるよ」といった陰口が叩かれます。著者は、「これら陰口には、自分と対極にある人々への面白くなさと一抹の羨望がのぞく。それは比べた時に、自分たちがヤバい老人であると認識していることにもなる」と喝破するのでした。

 拙著『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)でも述べたように、わたしは「終活から修活へ」を提言しています。そして、わたしはアンチエイジングという考え方が嫌いです。サミュエル・ウルマンの「青春」という詩がありますが、その根底には「青春」「若さ」にこそ価値があり、老いていくことは人生の敗北者であるといった考え方がうかがえます。おそらく「若さ」と「老い」が二元的に対立するものであるという見方に問題があるのでしょう。

「若さ」と「老い」は対立するものではなく、またそれぞれ独立したひとつの現象でもなく、人生というフレームの中でとらえる必要があります。しかし、高齢者が外見に注意を払ってオシャレをすることはそれとは別問題で大切なことではないか。本書を読んで、そのように思いました。最後に、この面白い小説、前作同様にぜひ映画化してほしい!

Archives