お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

Title

夢通分娩』

Category

No.1741


『夢通分娩』鎌田東二著(土曜美術社出版販売)を読みました。著者から送られた本で、一条真也の読書館『常世の時軸』で紹介した著者の第一詩集に続く第二詩集です。2018年11月から2019年4月までに書かれた詩が収められています。

20190623225007.jpg
本書の帯 

 

 本書の表紙カバーには、地中から飛び出す銀河鉄道を狼が見ているというシュールなイラストが使われています。もう表紙からして浪漫が炸裂していますが、これは門前斐紀氏の作品です。帯には「行こう 天の岩戸を抉じ開けに 暁烏のトビウオたちといっしょに どこまでもどこまでも 虚空開闢」「みゅーとうり きゅーたうり しゅーみたり 蜜の暗号を呪文のように唱えて」と書かれています。

20190623225047.jpg
本書の帯の裏

 

また帯の裏には、以下のように書かれています。

「かつて恐竜であった頃の空を覚えている

どこまでも青く 蒼く 碧く

あおさでぶちきれた癇癪

 

犬歯は疾走する

カンブリア紀から

ジュラ紀まで

 

てをつないだまま

はしったのに

蒼空に吸い込まれて溶けた

分子生物学の公式通りに

 

八雲立つ出雲

呼ばわる大音声の白亜紀殿堂で

父母未生以前の始祖鳥の卵を抱いて眠る

少女始源は夢通分娩しつづけた」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「天令」

 夢通分娩 Ⅰ 

1   産母

2   生命の樹

3   神剣   

4   猛霊   

5   通信放下僧   

6   出雲鳥兜   

7   秘儀伝授   

8   秘文字   

9   妹の力   

10  少女雪乃

夢底開闢

壹   フラフープ

貮   夢幻底

參   亀嶋の翁

肆   夢海童子 

夢通分娩 Ⅱ

11 永遠

12 少女始源

13 秘密漏洩

14 相続

15 天狼

16 空舟

17 死ステム

18 出航の朝 マンモスは到来する

19 ゆめい

20 海月なす漂へる国

「ピアニッシモは震えた」

 

 わたしは、著者と「ムーンサルトレター」という満月の往復書簡を14年以上もWEB上で交わしていますが、その著者からのレターによれば、著者は一昨年から、「いよいよ詩集をまとめねば」という気持ちになっていたとか。今から半世紀前、著者が10代後半から20代前半までの数年間、著者は「現代詩手帖」や「ユリイカ」を愛読していたとか。そこに掲載される現代詩人の作品もすべて読んでいたそうですが、20代後半に『水神傳説』という神話小説のような作品をまとめた頃からパッタリと「現代詩手帖」や「ユリイカ」を読まなくなり、次第に学問の方に集中し始めたといいます。

 

 しかし、学問に集中している間も、折に触れて、著者は詩・短歌・俳句は作っていたそうです。時々は歌う歌も作っていました。それが1988年12月12日からは「神道ソングライター」として特化したわけですが、その前兆・伏線は10代後半からあったようです。10代後半には詩を書くとともに、作詞作曲して歌も歌い始めていたのです。ですから、1998年12月にある日突然、歌い始めたというわけではなく、むしろ、何十年かのブランクの後、間歇泉のようにまた噴き上げただけなのかもしれません。

 

 学問のみならず、音楽活動に詩作と、著者のマルチな活躍ぶりには目を見張るものがあります。著者は自身の詩のことを「神話詩」と呼んでいますが、本当に古代の神々の世界とつながっているような、また宇宙のかなたに通じているような、不思議な味わいの詩の数々は「神話詩」と呼ぶにふさわしいと思います。

 

 冒頭の「天令」にはなぜか「花形刑事」という謎の固有名詞が登場しますが、「夢通分娩 Ⅰ」「夢通分娩 Ⅱ」に収められた20の詩にも、摩訶不思議な固有名詞が続々と登場します。例えば、1「産婆」には「太古の海」、2「生命の樹」には「イシュタルの神殿」、3「神剣」には「世界樹」、4「猛霊」には「渤海」、5「通信放下僧」には「サハラ砂漠」「インド洋」、6「出雲鳥兜」には「生類憐みの令」、7「秘儀伝授」には「始祖鳥」、8「秘文字」には「株式情動」、9「妹の力」には「シジフォス」「ペルセウス座流星群」、10「少女雪乃」には「プレサイボーグ」、12「少女始原」には「分子生物学」、13「秘密漏洩」には「テラバイト」、14「相続」には「アマルカンド」、15「天狼」には「ペリエ」、16「空舟」には「マジンガーZ」、20「海月なす漂へる国」には「矢車剣之助」といった具合です。

 

 そんなミステリー・ワード、マジカル・ワードから、読者はさらなるドラマを想像し、詩の背景にある神話世界は深まっていくのでした。本書に収められた詩作の中で、わたしが最も好きなのは「夢底開闢」の參「亀嶋の翁」です。以下のような散文です。

 

亀嶋の翁

 

亀屋と書いた旅館に入ると二階の部屋に通された。大勢の人がいた。中に浴衣がけの老人がいて立ち上がって障子を開けて二階の縁側に導いてくれた。後を大勢の人がついてきた。老人が障子を開け放つと巨大な海が目の前にあった。一瞬亀の妖怪かと見間違ったほど大きな巨岩の島があった。島は二段となっており手前に亀そっくりな島がありすぐ背後に大きな岩島があった。手前の亀島の後ろ脚に当たるところが洞窟になっていてそこから荒々しい波が打ち寄せて来ていた。その光景を見て雷電に撃たれたような衝撃を受けた。稲妻が走った。身も心も魂もすべてを貫いていく遠い律動。その瞬間老人は浴衣のままで荒海の中に飛び込み見事な俊敏さで見る間に洞窟の中に消えていった。洞窟の中から激しい波が打ち寄せてきた。奥はどこまでつづいているか予測がつかないほど深く遠く深遠に見えた。追いかけて行きたい飛び込みたいと思った。が洋服を着ていたので瞬時惑った。と思う間に飛び込む機会を失った。見る間に波が高まり激しさを増してきた。老人は大丈夫だろうかと心配になった。波が引くまでに六時間はかかる。老人の後を追いかけ飛び込んで洞窟の中に入っていきたい。気持ちの高ぶりを抑えかねた。三十分ほどして老人が帰ってきた。がずぶぬれになっているそぶりはない。不思議だ。老人はにこやかに微笑んでいる。前歯が欠けているので好々爺に見える。老人が目の前に両手を差し出した。中に米と小さな粒粒のチーズが載っていた。受け取って少し食べた。これを他の人にも分けなければ。口の中で米とチーズが混ざった。遠くから波音が聴こえてきた。次第に音が大きくなりいつしか口は洞窟となり荒波を激しく吐き出していた。洞窟は果てしない常世に通じていた。

 

 この「亀嶋の翁」には洞窟が登場しますが、一条真也の読書館『聖地感覚』で紹介した著者の本の第一章「聖なるエネルギーと情報」の三「聖地の特徴」には、宮沢賢治が『龍と詩人』の中で、夢見の場所とも異次元孔とも言える場所を、詩人が詩想を得る場所として描き、それを龍の棲む洞窟のある岬の上に設定していることが紹介されています。

 

 洞窟に関しては、一条真也の読書館『世阿弥』で紹介した著者の著作で詳しく論じられています。宗教的修行の重要な舞台となった洞窟について、著者は同書でこう述べています。
「洞窟は、カトリックにおける『ルルドの泉』を持ち出すまでもなく、世界各地で聖地霊場となるところが多いが、このような霊験譚が加わることによって今日まで霊験新たかな空間として連綿と保持されてきたところが少なくない。国土の75%近くを山林が占め、四方を海に囲まれた日本はどこに行っても洞窟がある。その洞窟が神話伝承の神聖空間となり、さまざまな儀礼や修行が行なわれる場所になることには必然がある」

 

 その日本における洞窟について、著者は「イザナミが赴いた黄泉国がある種の洞窟的な空間として描かれているようにも見えるのだが、それはまた古墳の玄室など、墓地の内部空間のイメージともつながっている。そして、そうした洞窟は死を孕みながら絶えることのない生の源泉ないし供給源としても思念された。そのことは、熊野(三重県熊野市)にある『花の窟』からもうかがい知れる」とも述べています。

20160411162115.jpg
洞窟からすべては生まれた!

 

 日本の洞窟といえば、なんといっても沖縄のガマが思い浮かびます。一条真也の新ハートフル・ブログ「普天間宮」で紹介した普天間基地のすぐそばにある普天間宮の奥宮が祀られている洞窟には、3000年前の土器が出土し、2万年前のシカの骨が出ています。わたしも普天間洞穴の中に入ってみました。いやもう、言葉にできないほどの感動をおぼえ、さらには「儀式も神話も哲学も芸術も宗教も、すべては洞窟の中から始まった!」という直観を得ました。拙著『儀式論』(弘文堂)では「空間と儀式」という一章を設け、洞窟における儀式の発生について詳しく述べています。

20161012195816.jpg
儀式論』(弘文堂)

 

 さて、洞窟神話詩ともいえる「亀嶋の翁」を読んで、わたしは英国のロマン派詩人であり、批評家、哲学者でもある、S・T.コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)の3大傑作の一つといわれる「忽必烈汗(クブラ・カーン)」("kubla khan")を連想しました。忽必烈汗(クブラ・カーン)とは、モンゴル帝国の皇帝から初めて中国元朝の皇帝になった、フビライ・カンのことです。コールリッジは、ザナドゥにフビライ・カンが造った夏の宮殿についての一節を読みながら、アヘンを吸って眠りに落ち、目覚めるとすぐに書いたといわれています。バイロンに勧められて、1816年に出版したこの54行の長編詩は、現代、高く評価されています。「忽必烈汗」は、英詩の中で最も美しいと言われているものです。

 

 1797年、コールリッジはエックスモアの寂しい農村の家で『パーチャス巡国記』という本を読みさしのまま昼寝してしまいました。すると夢の中にその本の記事が出てきて、目醒めてからすぐにその夢の幻影を詩に書きました。しかし、50数行目に至った時に来客があり、コールリッジはペンを置いて席を立ちました。数分で用事をすませ再び机に戻りましたが、もはや詩のイメージは湧いてこなかったのです。こうして甘美の極とも、あるいは天上的とも言われる作品は未完のままになっています。少々長くなりますが、ぜひ、この詩を全部紹介したいと思います。

 

忽必烈汗

 

上都に忽必烈汗は勅して

壮麗な歓楽宮を営ましめた。

そこには聖なる河アルフのながれが

人間には底知れぬ洞を幾つもくぐり

太陽のない海へくだって行った。

そこで5マイルの2倍の肥沃の土地には

城壁と物見やぐらが帯のようにめぐり、

かしこの庭園には細流がうねり輝き、

香ぐわしい果のなる木々あまた花さき、

ここの森は丘とおなじように古く、

ところどころ陽あたる緑地を包んでいた。

 

だがああ! あの深いロマンチックな岩狹間よ!

それは杉森をよぎって緑の丘をくだっていた。

荒涼たる所だ! その神聖さ、その怪奇さは

かつて缺けゆく三日月の下、魔性の愛人に

こがれて泣く女が現れた所みたいだ!

そしてこの岩狹間から、小止みなくさわぎたぎりながら、

この大地がせわしくしげくあえいで息づくように

大噴水が刻々に押し出された。

その速かに断続する泉のほとばしりのなかに、

岩の巨大なかけらが跳ぶさまは、たばしる霰か、

また連枷に打たれるもみがらか。

これら躍る岩くずのなかに同時にまた絶えず

岩狹間は刻々にあの聖なる河をほとばしらせた。

迷路の流動のうねりにうねること5マイル、

森をぬけ谷をぬけて聖なる河は走り、

やがて人間には底知れぬ洞にいたり、

ついに生きものすまぬ海にさわがしく沈んだ。

そしてこの騒音のなかで忽必烈は聞いた、遠くから

戦争を預言している先祖たちの聲々を。

 

歓楽の殿堂の影が

波の上に中ほどに浮かび、

あの泉からと洞からと

まじりあう調べが聞えた。

それこそ珍しい趣向の奇蹟だった

氷の洞もあって陽の光かがやく歓楽宮!

 

緒琴いだく乙女を

かつて私はまぼろしに見た。

それはアビシニアの乙女で、

その緒琴をかなでて

アボラの山の歌をうたっていた。

もし私がもう一度心のなかにあの乙女の

歌と調べをよみがえらすことができたら、

どんなにか深い喜びにとらわれ、

高らかな長い音楽につれて、

なかぞらにあの殿堂を建てるであろうに、

あの陽の光かがやく殿堂を! あの氷の洞を!

音楽を聴いた人々はみなそこでそれらを見て、

みんな叫ぶであろう、「気をつけよ! 気をつけよ!

彼女のきらめく眼! 彼女のなびきただよう髪!

彼女のまわりに三たび輪をつくり、

かしこみ恐れて目を閉じよ、

なぜならば、彼女は甘露を食べ、

楽園の乳を飲んで育ったのだ。

(斎藤勇・大和資雄訳)

 

 日本語に訳してしまうと、コールリッジの言葉の音楽による純粋に幻影的な動的風景を忠実に再現することはできませんが、大体のイメージはわかると思います。まさに、あらゆる詩美の芳香を蒸留したエキスのような作品です。コールリッジはこの詩を書いている時に少し阿片が入っていたと言われていますが、天上からインスピレーションも受けていたに違いないと思います。「亀嶋の翁」にも「忽必烈汗」と同じエートスを感じます。よもや鎌田東二先生がコールリッジのように阿片を吸引していたことはないでしょうが、天上からインスピレーションも受けたことは間違いないと思います。

20131014002412.jpg
リゾートの思想』(河出書房新社)

 じつは、この「忽必烈汗」こそは、わたしの最も好きな詩であります。1991年2月15日に上梓した拙著『リゾートの思想』(河出書房新社)でも全文を引用・紹介しているほどです。当然ながら、「忽必烈汗」と同じく洞窟が舞台となる幻想詩である「亀嶋の翁」も非常に気に入りました。コールリッジには「老水夫行」という有名な詩もあるのですが、「亀嶋の翁」には「老水夫行」と「忽必烈汗」を合わせたような魅力があると思います。

 

 それから、本書で強く印象に残った詩は17「死ステム」です。宮本武蔵や佐々木小次郎が登場する詩で、以下のような内容です。

 

17 死ステム

 

佐々木小次郎

あなたの背丈ほど伸びた猜疑心

 

もてあまして

一路

 

リーピチープは往く

この世の果ては遠い

誰もが分かっていることだが

誰にもわかっちゃいない

 

密厳浄土

暗黒神話

猿の惑星

 

どこからどこまでが第一楽章で

リズムも変拍子だから

不定期刊行物のように

非連続機関銃の如く社会非実装する

 

とんでもない

杓子定規な

わかめの姫よ

 

浮いた晴れたの

憂き世じゃないか

 

愛い奴め

憂い奴よ

有為八津と

 

しがらみみぐるみさんすくみ

知られることなき家計簿を

ほどきつづけて老婆となった赤猪子無慚

 

きみの名をよびつづけて

ぼくは百匹のしらみをのみこんだ

 

手の込んだ猿芝居と

武蔵は言う

 

だが猿蟹合戦

世界は魔女乱打の如く

入り乱れて横浜

 

その先がないところまで

走り抜けるのみ

疾風怒濤の聖剣と 

 

 この「死ステム」という詩から、わたしは一条真也の新ハートフル・ブログ「武蔵-むさし-」で紹介した日本映画を連想しました。この映画は、従来の武蔵のイメージが一変するような斬新な作品でした。史実に基づくリアルな武蔵を中心とした群像劇ですが、武蔵がまるで"殺人マシン"のように描かれています。たしかにそういった一面があったことは否定できないにせよ、彼が書き残した『五輪書』の内容などを読むと、やはり崇高な哲学を持った超一流の武芸者であったと思います。

 

 武蔵の生まれについては諸説ありますが、現在の兵庫県西部にあたる播磨国の生まれという説が有力です。戦国時代後期から江戸時代初期に生きた剣豪ですが、武蔵はその時代に生きる様々な剣豪と戦って勝利を収め、「生涯無敗」と言われました。特に有名なのが、巌流島の決闘で知られる佐々木小次郎との対決です。武蔵の名声は、昭和の作家・吉川英治の『宮本武蔵』によって不動のものとなりました。

 

 わたしは2013年のサンレーグループの新年祝賀式典の社長訓示で、武蔵の「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」という紹介しました。吉川英治の『宮本武蔵』では、武蔵が吉岡一門との決闘にたった1人で出かける際、ある神社の前を通りかかって武運を祈ろうとしますが、「神仏は崇拝するものであって、利益を願うものではない」と思って、そのまま通過するという場面があったと記憶しています。わたしは、このエピソードから「人事を尽くして天命を知る」という言葉を連想しました。

20140128102327.jpg
手向山公園の入口で

 

 映画「武蔵-むさし-」の第二部は「二天」と名付けられ、武蔵が二刀流に開眼したくだりが描かれます。それを見て、2014年1月28日に著者と一緒に小倉の手向山に登って、二人で「二天一流」について大いに語り合ったことを思い出しました。武蔵は二刀流で有名ですが、著者はわたしに向かって、「社長業と作家業を両立させているあなたの生き方そのものが見事な二刀流ですよ」と言って下さいました。著者によれば、「仕事をする人」や「物事を深く考える人」は世の中に多くいますが、「物事を深く考えながら仕事をする人」は少ないそうです。それを両立できる人こそが「世直し」を実現できる人なのだとか。恐縮の至りです。

20140128103608.jpg
手向山で法螺貝を奏上する著者

 

 そして、著者はわたしに「天地二刀流の開祖になりなさい」と言われたのです。「天地二刀流」とは天と地、太陽と月、そして生と死を結ぶワザだそうです。それはそのまま「産霊(むすび)」そのものであると言えますが、からのミッションをわたしは慎んで拝命しました。しかしながら、本書『夢通分娩』を読んで、わたしは著者こそは学問と芸術(音楽&詩)の二刀流の達人であることを痛感したのであります。

 

 第二詩集である本書を上梓したばかりの著者ですが、なんと9月には第三詩集『狂天慟地』(土曜美術出版販売)を上梓されるとか。いやはや、Tonyさん、凄すぎます!著者は現在、上智大学グリーフケア研究所の特任教授を務められています。じつは、もうすぐ島薗進先生(上智大学グリーフケア研究所所長)、著者、小生の3人の共著で『グリーフケアの時代』(弘文堂)という本が刊行されるのですが、本書末に収められた「ピアニッシモは震えた」は、まさに慰霊と鎮魂とグリーフケアの詩であると感じました。最後に、その「ピアニッシモは震えた」を紹介いたします。

 

ピアニッシモは震えた

 

光の海

 見下ろしていて

  落ちた

 

いのちのささやき

 いっしゅんいっしゅんになりひびくこえ

  とおいかげろうのような

 

生きてあること

 遠くのものに耳かたむけること

  死者たちはなげく

   聴いてくれ

   

寄り添い人は全身耳になる

すべての星は全球光になる

すべてのいのちは影になる

 

 ピアニッシモは震えた。指の先に無数の星が降っていた。地面を裂いて雷が大蛇の舌のように天空に延びていった。待っている者は十字路で事切れた。屍体を片付けるために遺族は木に登って天に唾した。死者を悼むために。応えぬモノが時の沖から頭を擡げた。すべてのいのちあるものよ。越えるのだ。超えてゆくのだ。嘆きの谷を下れ。悲しみの海を渡れ。苦しみの岬から飛べ。飛ぶのだ。恐れるな。鎮魂の石笛が途切れた。どこにも静寂はなかったが沈黙が支配した。世界はこれほど喧騒なのに。死んだように声がなかった。死者は甦らない。終わった先に海が開ける。港はある。指先から光が漏れた。ピアニッシモは顫えて瞳を大きく見開いたままゆっくりと身を投げた。