No.1730 人生・仕事 | 読書論・読書術 『人をつくる読書術』 佐藤優著(青春新書)

2019.06.07

 『人をつくる読書術』佐藤優著(青春新書)を読みました。読書は人生においてどのような役割を果たすのか。本を血肉にするにはどのような読み方をすればいいのか。なぜ読書は人生を豊かにしてくれるのか……などについて書かれた本です。著者は、「知の怪物」として知られる作家・元外務省主任分析官です。一条真也の読書館『野蛮人の読書室』『読書の技法』『世界と闘う「読書術」思想を鍛える100冊』『「知」の読書術』などで紹介した本のように「読書」に関する著書も多いです。

本書の帯

 本書の帯には本を手に持った著者の写真とともに、「”本を読む人”だけが得られること」「作家、外交官、教育者、キリスト教者――多彩な顔を持つ著者が教える『読書の哲学』」と書かれています。

本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「まえがき」
第1章 作家をつくる本の読み方
第2章 外交官をつくる本の読み方
第3章 人間をつくる本の読み方
第4章 教育者をつくる本の読み方
第5章 教養人をつくる本の読み方
第6章 キリスト教者をつくる本の読み方

 「まえがき」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「最近、教養という言葉がよくとり上げられる。ただし、教養とは何かと問われて、一言で説明するのは難しい。私であれば次のように説明する。
『教養とは、想定外の出来事に適切に対処する力である』
それまで経験したことのない状況や出来事に対して、どう判断しどう行動するか。単に知識の断片があるだけでは対応できない。情報力、洞察力、想像力、分析力、判断力など、その人の全人格、能力が試され、『総合知』が不可欠になる。それがすなわち教養だと私は考える」

 著者は外務省の主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍しましたが、2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、拘置所での生活を余儀なくされています。このことについて、著者は述べます。
「拘置所で役に立つのは学歴でも肩書でもカネでもない。勾留中は接見等禁止措置がとられて弁護人以外との面会、文通ができず、新聞購読も禁止された。頼りになるのは自分自身のそれまでの経験と読書などによって蓄積した知識だけで、そこから新たな解と行動を導き出す必要があった。私はできる限り冷静に自分の置かれている状況、立場を理解することに努めた。まず私の取り調べ担当検察官と話をする中で、さまざまな情報やヒントを得ることができた。また、獄中では新たに220冊の本を読んだ」

 波瀾万丈の半生を送ってきた著者は述べます。
「不器用ながらも筋を通してきたからこそ私は生き残ることができた。筋を通すには、思索によって状況を解釈し、自分なりに価値判断ができていなければならない。それを可能にしたのが獄中での読書体験であり、さらにそれまで蓄積してきた知識や知恵、すなわち中学生以降の読書体験や出会った人たちからの感化であったと思う」

 著者が本書で伝えたい重要な事柄は2つあるそうです。それは、よい本を読み、よい友人を持つことです。具体的に言えば、「中学生から30代前半までに出会う人生の先達からは大きな感化を受ける。それによって知的関心が広がり、読書の質が向上する。すると、さらに多くの人と深い部分でつながることになる。それは人格の土壌を形成し、やがて豊かな実をつける栄養源になるだろう。つまり、人生を力強く生きる最大の力になる」と述べています。

 第1章「作家をつくる本の読み方」では、「表現力を鍛えるには『とにかく書く』」として、とにかく量を書くことが重要であると述べられます。著者は、「一定以上の量をこなすことで質的な変化が生まれます。そういう意味で、外務省時代に大量の文章を書いていたのは大変役立ちました。毎日、原稿用紙で少なくても30枚から40枚くらい、1枚400字として1万2000字から1万6000字くらいでしょうか」と告白しています。

 著者は、「”3つの読み方”を使い分ける」として、読書には3つの読み方があると指摘します。「精読・熟読」「速読」「超速読」です。「精読・熟読」の場合は、基本的に3回読みます。まず第1読は線を引きながらの通読、第2読は第1読をふまえての重要カ所の書き抜き、そして第3読で再度通読します。これを体得するとほんの読み方の基礎ができるので、「速読」もできるようになります。この場合の速読は30分くらいで1冊の本を読むやり方です。その後30分ほどかけて読書ノートを作成します。そして、「超速読」は1冊を5分くらいで読むやり方です。普通の速読は1行ずつ目で追いますが、こちらはページ全体をざっと眺めて大事なポイントだけ押さえます。

 「超速読」の仕上げについて、著者はこう述べています。
「最後に結論部分をしっかり読む。こうすることで本全体をざっくりと把握するのです。このような超速読の目的の1つは、『この本が自分にとって有益かどうか』『時間をかけて読むべき本か』を判断し仕分けることにあります。もう1つは、その本の重要箇所にあたりをつけること。この本はこの部分を読んでおけば大丈夫、理解できるという部分をはっきりさせるのです」
 「精読・熟読」「速読」「超速読」については、一条真也の読書館『読書の技法』で紹介した本に詳しく書かれています。

 また、著者は「アウトプットしたければ良質なインプットを」として、以下のように述べています。
「言語能力は『読む』『聴く』『話す』『書く』の4つの力から成り立ちます。そして聴く、話す、書くという3つの力が読む力を超えることは絶対にありません。読む力が天井なのです。読む力があればつねによい表現ができるとは限りませんが、よい表現ができる人は必ず正確に読む力をもっているものです。そのため、私は表現としてのアウトプットの時間以上に、読書などのインプットの時間を確保するようにしています。どんなに少なくても1日4時間は読む時間をとっています」

 第2章「外交官をつくる本の読み方」の冒頭では、著者は「外交官は膨大な分量の文章を読み、文字を書きます。私がかつてロシアの日本大使館で働いていたときは、1日当たり10万から20万字ほどの文章を読み、日によっては約3万5000から4万字程度の文章を作成していました。作家になってからも1日約1万2000から1万6000字の原稿をほぼ毎日書き、1日10冊から20冊の本を読んでいます」と書いています。
 うーん、まさに著者は「知の怪物」ですね!

「教養のない官僚はどこかで行き詰まる」として、著者は以下のように述べています。「面白いのは、トップに立つ官僚や政治家は例外なく教養人だということです。歴史や地理、宗教や文化に詳しく、古典の小説もたくさん読んでいる。また、芸能や音楽なども通暁している。そういう素養が根本にあるからこそ深いところで人間理解ができるし、組織をまとめるリーダーシップが身につくのです」

 外務省時代の著者は「まず大切なのが己を知ること」として、そのために自国の代表的な古典を読むなどして、国の歴史や文化、芸術に関する知識を増やしたそうです。さらに著者は述べます。
「具体的には『古事記』や『日本書紀』『今昔物語』から始まり、『源氏物語』や『太平記』『平家物語』などの歴史的古典を読む。江戸時代なら近松門左衛門や松尾芭蕉などの文芸作品、明治に入って夏目漱石や森鴎外などの代表的な佐久本があります。戦後であれば太宰治や坂口安吾などの無頼派から三島由紀夫、安倍公房、それから最近の作家であれば村上春樹の作品などは最低限読んでおくことが大事でしょう。これらの本は日本に関心を持つ外国人エリートが好んで読んでいることが多く、話題にのぼることも多いからです」

 また、「神話にはその国民の『潜在意識』が反映されている」として、国際化が叫ばれている昨今、一般人も諸外国の人々と交流し、ときにはお互いにしのぎを削らなければならない時代であると指摘し、著者は述べます。
「英語などの語学力も必要ですが、本当に必要なのは、自分たちがどういう存在であるのかというアイデンティティを明確にすることです。それがなければ本当の意味での交流は難しい。そのためにはまず、自国の文化や歴史を知ること。古典を読むことです。そのなかでも特に、神話を読んでおくことをおすすめします。神話には民族の潜在的な意識、ユングのいうところの集団的無意識が織り込まれています。たとえば『古事記』では、最初にイザナギとイザナミがそれぞれの体の違いに気づき、それを補おうとして国造りが始まります。このことから日本という国はもともとオープンで素朴な気質がある。男女の差別もないし、補い合い睦み合うという平和な関係が基本にあることがわかります」

 また著者は、次のように述べています。
「この国で”頭がいい”とされる人はすぐに役立つ情報を欲する傾向が強く、客観情報やハウツー的な要素の強い書籍は読むにしても、小説を読む人間が少ない。しかし、インテリジェンスの世界は客観的で冷めた視点と、相手の心を読み、共感し、より深い関係を築くセンシティブでハートフルな部分の両方が必要です。物事を1つの視点や価値観からとらえるのではなく、つねに重層的、複眼的な視点でとらえなければならない。そのための訓練として、私はよい小説をたくさん読むことが重要だと考えています」
 ここで、著者は近代小説の最高傑作と呼ばれるドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を取り上げるのでした。

 第3章「人間をつくる本の読み方」では、小説が著者の人となりの基礎を築いたと告白し、初めて小説の面白さを知ったのはモーパッサンの「首かざり」(『モーパッサン短篇選』に収録)を読んだときであるとして、著者は述べます。
「文学というのは一種の予防接種のようなものかもしれません。作品には多くの魅力的な人物や生き方、考え方ばかりでなく、ときには人間性の卑俗な部分、見たくはない悪の部分も描かれています。実際に直面すると危険がおよぶような状況、jン物を疑似体験するわけです。それが抗体のように働くことで、その後の人生に対する免疫力が確実にアップするのです。最近、精神的に脆く、打たれ弱い若者が多いのは、文学に触れてこなかったせいで、人格の基礎となる土壌がやせてしまっている、あるいは免疫力が弱いということも関係しているのではないでしょうか」

 さらに「聖書は西洋の歴史や文化の入り口」として、ニーチェに興味を持った著者は、恩師のアドバイスにより、西洋哲学も絵画や音楽、文学といった西洋芸術全般も、その基礎にはキリスト教があり、近代の知性や感性を身につけるにはキリスト教を知り、そのためには聖書を学ぶことが大前提であると悟ったといいます。そして、著者は述べるのでした。
「本には読む順番があるし、触れるべき知性には順番がある。一番いいのは人類の歴史の流れにそって、それぞれの時代に生まれた思想や哲学、芸術に触れること。ギリシャの古典から始まって、ローマやビザンチンの帝国時代を抜け、30年戦争を経て1648年、ウェストファリア条約で現在の国民国家が誕生し、近代が始まる。そこからイギリスやフランスの革命や産業革命により、現代社会へと移行する」
 その恩師は、著者に『世界の名著』(中央公論社)を読むことをすすめたとか。

わが書斎の『世界の名著』

 第4章「教育者をつくる本の読み方」では、「ゲームやスマホはできるだけ遠ざける」として、著者はこう述べます。
「前頭葉や前頭前野お育てることの妨げになるのがテレビやゲーム、インターネットです。テレビを多少見るのは仕方がないとして、ゲームやインターネットは大きな問題です。岡田尊司さんの『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』(文春新書)によると、インターネットやゲームにハマっている人の脳を調べると、覚せい剤依存症と同じような反応が見られたということです」

 続けて、著者は以下のように述べています。
「ゲームやインターネットに依存性があることはある程度予測されていましたが、脳内の映像解析によって、その存在が明らかにされました。『デジタル・ヘロイン』とまで称されるこれらの弊害によって、脳の働き、発育が明らかに妨げられるのです」
「ゲームなどのデジタル媒体は人間の思考にとってマイナスの影響があります。デジタル媒体は0と1の信号で構成されている世界。そういうものに長時間触れていると、思考もデジタルになってしまう。つまり白か黒か二極思考で、グレーな部分やファジーな部分が抜け落ちてしまうのです」

 また、「型を知ると『型破り』な人間になれる」として、著者は以下のように述べています。
「哲学に限らず、読書というのは『型』を知るという意味で非常に大切です。哲学を学べば思考の鋳型がわかるように、心理学の本を読めば心の型がわかるようになる。文学を学べば人間の型がわかるようになります。『型』を知り、それを身につけることで、私たちはその型を打ち破って新しいものを手に入れることができる。これがすなわち『型破り』ということです」
「剣道やお茶の言葉で『守破離』という言葉があります。これも同じような意味で、まず修行の第一段階は師匠から教わる基本を徹底的に忠実に守ること。そののちにその基本を打ち破り、自分独自のやり方を生み出していく。そして最後の段階はそのようなことから意識が外れて自分の好きなようにやっても、それがけっして道を踏み外さない境地になる」

 第5章「教養人をつくる本の読み方」では、その冒頭を「『通俗本』は専門書に挑む前の重要なステップ」として、著者は以下のように書きだしています。
「教養というのは総合知です。その知識が社会全体、歴史の中でどういう位置になるのか、どういう立場で存在しているのかという、全体をとらえるメタ認識が大前提にあります。偏りはどうしても出ますが、その偏りを自分で認識できているかどうかが大切です。(中略)まず、間違った読書の1つとして、いきなり専門的で難しい本を読み、理解できないままに時間を浪費してしまうことがあります。物事には順序があります。読書でも、まずその分野の入門書に当たることです」

 面白いのは、「日本人の知的レベルは50年前より落ちている」として、著者が通俗本と意識せず、通俗本を読んでいる可能性もあるとして、以下のように述べている点です。
「加藤周一の『読書術』ですが、実は1962年に光文社のカッパブックスから発行されました。カッパブックスはどちらかというと一般読者向けで、インテリ層はほとんど読まないものでした。ところがこの本が現在は岩波現代文庫から出されている。つまり50年前のカッパブックスのレベルが、いまの岩波現代文庫のレベルになっているのです」

 続けて、著者は以下のように述べます。
「少し前に新書ブームがありましたが、新書もまた同じように、かつての岩波新書といまの岩波新書を比べると、いまのほうがエンターテインメント性が高く通俗化しているというのが実情です。通俗本が悪いわけではありません。読んでいる本を通俗本として認識できているかどうかが問題なのです。新書や文庫だけを読んでいても、本当の体系的な知識が身につきにくいことは事実です。やはりバランスよく専門書も読むことをおすすめします」

 また著者は、「ミステリーやSFは思考を補強してくれる」として、ミステリーは思考力や推理力をつけるうえでよい分野であり、文系の人間が理数系の知識や論理的な思考を学ぶうえでSF小説も有効であると指摘します。SFについては、著者はこうも述べています。
「SFの始祖はジュール・ベルヌやH・G・ウェルズといわれています。ベルヌの『月世界旅行』は1865年に刊行された砲弾に乗って宇宙に飛び出し月まで行くという話ですが、約100年後の米国のアポロ計画でそれが実現しました。1870年の『海底2万里』に出てくる潜水艦は当時は実在していませんでしたが、約20年五にスペイン海軍が実現しています」

 さらに著者は、「専門書4割、エンタメ本6割でちょうどいい」として、以下のように述べています。
「アカデミックな分野で仕事をする人なら専門書を中心に体系的な知識を身につけなければなりませんが、一般のビジネスパーソンの場合は仕事に関する専門書を読む時間が3割から4割として、通俗本や小説などエンターテインメント性の高い本を6割から7割くらいでちょうどいいのではないでしょうか」
 その意味で、著者は漫画もよく読むそうです。「読書好きの人は漫画を軽く考える傾向がありますが、最近の漫画は下手な小説や評論などよりリアルに、現代社会や人間を描いているものが少なくありません」と述べています。

 「今の漫画のクオリティを侮ることはできない」として、著者は一条真也の新ハートフル・ブログ「キングダム」で紹介した映画の原作漫画を取り上げ、以下のように述べます。
「最近でいうなら、なんといっても累計3000万部を超えた『キングダム』(原泰久)でしょう。春秋戦国時代の中国を描いた同作品ですが、そこで描かれている戦いとサバイバルは、まさに現代のグローバリゼーションが進んだ弱肉強食の世界を連想させます。過酷な競争社会を生き延びていくには、それぞれの戦略が必要です。『キングダム』に登場する武将の葛藤や闘いを追うと、現代の厳しい競争社会でいかに立ち回り、生きていくべきかという問いに対しての答えが見えてきます」

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