No.1709 プロレス・格闘技・武道 『最強レスラー数珠つなぎ』 尾崎ムギ子著(イースト・プレス)

2019.04.16

 『最強レスラー数珠つなぎ』尾崎ムギ子著(イースト・プレス)を読みました。当ブログの読者のみなさんはご存知のように、わたしはプロレスを愛する者です。ブログでも、これまで数多くのプロレスに関する本を紹介してきました。「もう、プロレス本はいいわ」と思うのですが、その一方で、ときどき無性にプロレス本が読みたくなります。そんな時に、アマゾンで本書を知って購入しました。
 著者は1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部卒業後、リクルートに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。「日刊SPA!」、「ダ・ヴィンチ」などでプロレスの記事を中心に執筆。プロレス本の編集・構成も手がけ、本書がデビュー作となります。

本書の帯

 本書の帯には、「あなたが最強だと思うプロレスラーを指名してください」「プロレスとは? 強さとは? 生きるとは?」「強い者には常識を打ち壊す力がある! ムギ子さんにもその資質を感じます」(佐山サトル)「強さとは何か? 世の男共の永遠のテーマ。ちょっと変なムギ子さんでなければ書けない本だ」(藤原喜明)と書かれています。

本書の帯の裏

 帯の裏には、「総勢19名、団体の垣根を越え、奇跡のバトンがつながれた――。プロレスラーが『自分より強いと思うレスラー』を指名する――『日刊SPA!』連載時から物議をかもした問題作がついに単行本化!!」「[特別対談]『強さを求めて』佐藤光留×尾崎ムギ子」と書かれています。
さらにカバー前そでには、「『私にはもうプロレスしかない……!』 廃業寸前のライターを救ってくれたのはプロレスだった!」と書かれています。

本書のカバー裏表紙

 本書に登場するレスラーは、宮原健斗、ジェイク・リー、中嶋勝彦、鷹木信悟、岡林裕二、関本大介、佐藤光留、崔領二、鈴木秀樹、若鷹ジェット信介、石川修司、田中将斗、垣原賢人、鈴木みのる、小橋建太、髙山善廣、前田日明、佐山サトル、藤原喜明、藤原敏男の19名ですが、わたしの知らない若いプロレスラーもたくさんいました。

 「はじめに」で、新宿歌舞伎町のバーで著者がノンフィクション作家の柳澤健氏に出会います。柳澤氏といえば
 一条真也の読書館『完本 1976年のアントニオ猪木』『1964年のジャイアント馬場』、そして『1984年のUWF』で紹介した本の著者ですが、プロレスに興味を持ったという著者に対して、柳澤氏は次のように語ったのでした。
「女子がプロレスに魅了されるのは当然です。戦後、アメリカのプロレスは、専業主婦が支えていたんですよ。男たちが戦争に行っている間は外に出て仕事をしていた女性たちは、テレビでガタイのいい男たちの闘いを観て欲求不満を解消していたんです。テレビだけでは満足できない女性はプロレス会場に足を運び、プロレスラーが泊まるホテルに押しかけて関係を持つ女性まで現れた。アメリカに限った話ではありません。江戸時代には、お金持ちのおばさんが歌舞伎役者を買う”役者買い”が普通にあった。『いい男に抱かれたい』という女性の秘めた欲望が、プロレスを観て全開になってもおかしくはない。行動に移すかどうかはともかくとして」

 廃業寸前のライターだった著者は、プロレスのプの字も知らない状態でプロレスの記事を書きました。「プロレスはショー」、「最強より最高」と。この記事がTwitterで大炎上しました。騒動の発端は、佐藤光留というレスラーのツイートで、彼は「書いた人間を絶対に許さない」と怒っていました。著者はこう書いています。
「ひとり目のレスラーは、わたし自身が指名することにした。パンクラスMISSION著者が所属・佐藤光留。件の記事に噛みついてきた人だ。連載タイトルに”最強”という言葉を使うことにしたのは、『最強より最高』というフレーズに佐藤が怒りを露わにした。そのことが、わたしのなかでずっと引っ掛かっているからだ。強さとはいったいなんなのか。この連載を通して探っていきたい」

 佐藤と発対面した著者は、「その節は気分を害してしまい、大変申し訳ありませんでした。改めて、なぜ佐藤選手があの記事に憤りを感じたのか、教えていただけますでしょうか」と問います。それに対して、佐藤はこのように答えました。
「女性がビジュアルから入ったり、『試合が面白いければどっちが強いかなんて関係ない』っていう見方をしてプロレスに携わってくるのは、全然かまやしないんですよ。ただ、メディアが紹介するときに、『いまは強さなんてそんなに関係ないんだよ』みたいなことを言われると、やっているほうからしては、その生き死にで生活しているんだっていう話です。僕は保育園の卒園文集に『プロレスラーになる』と書いたので。それ以外の人生を送ってきていないですから。物書きのかたの場合だと、『誤字脱字を見つけるのがブームなんだよ』と言われるのと一緒です。いや、そこじゃねえじゃん、っていう」
これは、うまいことを言うなと感心しました。確かにそうです。

 パンクラスで鈴木みのるの弟子だった佐藤光留にはじまって、さまざまな若手レスラーを渡り歩いた後、著者は初代タイガーマスクの佐山サトルに会います。これは著者にとって至福の出来事でした。なぜなら、著者は「佐山女子会」を結成したからです。著者は述べます。
「きっかけは、『1984年のUWF』(柳澤健著/文藝春秋)。プロレスに憧れ、失望し、それでも新格闘技という道を切り拓こうとする佐山青年は、儚さを帯びたヒーローそのものだった。ああ、佐山さんのすべてが好きだ! 闘いも、見た目も、思想も、歌が上手なところもすべて!」

 続けて、著者は以下のように書いています。
「当時の私は、どん底だった。仕事がない。貯金は底をついた。このままでは飢え死にしてしまう……。佐山さんだけが、心の支えだった。頑張って生きていこう。生きていれば、いつか佐山さんに会えるかもしれない。それだけを夢見ていた。夢は突然、叶うことになった。この連載でノアの中嶋勝彦選手が、”最強レスラー”として佐山サトルの名前を挙げたのだ。『へえ、佐山さんですか。意外ですね』と平静を装いながら、私の体は小刻みに震えていた。オフィスを後にした瞬間、涙が頬を伝った。こうして私は、憧れの佐山さん、否、『佐山先生』(プロレス界ではそう呼ぶ)に会いに行くことになった」

 佐山に会った著者は、佐山女子会の会長であることを告げ、「わたしは会長として、佐山先生の歴史や思想を発信していきたいと考えているんです」と言います。それに対して、佐山は次のように述べました。
「30年前、修斗を作りましたけども、天覧試合をやりたいとか、相撲のようなものを作りたいとか、精神的なものと共にあるものを作りたかったんですね。それでタイガーマスクを辞めて格闘技の世界に入ったわけですが、若気の至りって言うんですかね。哲学も科学もなにも知らなかったものですから、実現できなかったんです。でも、いまならできるんですよ。そういうことばっかりが、僕の本心なんです。科学的なものとか、本当の強さとはなにか、とかね。いま、その最終段階にいるわけです」

 「新たなる格闘技を作ろうとしているのでしょうか?」と問う著者に対して、佐山はこう語ります。
「格闘技ではないですね。格闘技の精神的なものですね。仏教であったり、儒教であったり、儒教の中にある朱子学であったり、陽明学であったり。グローバル主義の中に流れているものも取り入れなくてはならないし、神道的な普遍的無意識もそうですよね。歴史も大切ですし、精神学も大切ですし、それらを全部まとめなきゃいけないわけです。なにがしたいかと言うと、祠(ほこら)とか、洞穴に籠もりたいんですよ。集中したいんですね。いまやっていることはすべて人に任せて、核心の部分を求めたいんです」
 うーん、なんだか、わたしと話が合いそうですね!

 憧れの人へのインタビューを終えた後、著者はこう述べます。
「佐山サトルは天才だ。ゆえに、だれからも理解されない。人は、人から理解されないと、どんな気持ちがするのだろう。悲しいのだろうか。誇らしいのだろうか。孤独なのだろうか。佐山サトルはずっと、孤独の中に生きているのだろうか。かつて初代タイガーマスクとして一世を風靡した青年は、60歳を目前にして『洞穴に籠もりたい』と話す。
 佐山女子会は、永遠に続けよう――。穏やかな笑顔の中に見え隠れする、”佐山さん”の寂しげな瞳を見つめながら、私はただ、そう心に決めた」

 佐山サトルが「自分以外で最強だと思う男」として紹介したのはプロレスラーではなく、元キックボクサーの藤原敏男でした。著者は述べます。
「『機動隊が50人、襲いかかってきたらしいです。それをすべてかわしたら、今度は柔道の猛者たちがやってきた。捕まった藤原先生の身元引受人になったのが、黒崎先生だったとか』
 藤原敏男の強さを教えてほしいと言うと、弟子の小林聡はそう言って笑った。本人は『若いときは喧嘩もした』と控えめに言うが、おそらく相当、やんちゃをしたのだろう。武勇伝は数知れない。
 伝説のキックボクサー。外国人で初めてムエタイの頂点・ラジャダムナン王者になった。タイに行くといまでもレッドカーペットが敷かれ、藤原を見つけるとヒクソン・グレイシーが走ってくるという。ヨーロッパのキックボクシングの拠点になったオランダ目白ジムには、道場の壁一面に藤原の写真が飾られている」

 キック界のレジェンドに、著者は「藤原先生にとって強さとはなんですか?」と質問します。それに対して、藤原敏男はこう答えます。
「俺は強さに憧れた。でも強さを覚えていくにつれて、乱暴さが消えていく。そして愛に変わってくる。だから、男の強さとは、愛である。これが70歳になって、格闘技人生を生きてきた男の最後の言葉。昔は佐山先生と一緒に暴れもしたけど、暴言、暴力は絶対にダメ。自分の気持ちを愛で包んで、優しい言葉で相手に伝えていかないと。みんなね、自分一人で強くなって生きてるわけじゃないから」

 そして、藤原敏男は「自分以外で最強の男」として、プロレスラーの藤原喜明の名を挙げます。「格闘技で一番強いのは、プロレスラーなんじゃないかと思うよ」と言う藤原敏男は、「なぜですか?」という著者の質問にこう答えます。
「レスラーは肉体を痛めつけるじゃないですか。そういった意味で、打たれ強いというのかな。デカいし、パワーもあるし。とてつもない技を使うしね。跳んだり跳ねたり、空中殺法なんて立ち技の我々には到底できない。さらに、お客さんを楽しませるでしょ? ありとあらゆる面で、レスラーが一番強いと思う。藤原組長と飲んでて首をグッと絞められたことがあるけど、太刀打ちできなかった。敵わないなと思ったよ」

 その藤原喜明は、師である「プロレスの神様」ことカール・ゴッチの思い出を楽しそうに語ります。「組長とゴッチさんの関係、本当に素敵だなと思います」と」と言う著者に対して、こう語るのでした。
「俺らって、裸と裸で一緒に汗かいたり、くっついたりしてるわけだよ。ある意味セックスしてるようなもんなんだよな。だから離れていても、普通の友だち以上に、昔の愛人だったような、夫婦だったような、繋がりが深いんだよね。長いトレーニングで一緒に苦しんだり、体と体がくっついたり、汗と汗でビショビショになりながらさ。プロレスラーってそういう関係なんだよ」

「組長が思う強さとはなんですか」という問いに対しては、藤原喜明は「ちょっと答えは違うかもしんないけど、ルールに基づいて、勝ったもんが強いんだ。だけど、努力ばっかりじゃ強くなれないからね。努力で村一番にはなれても、日本で一番とか、世界で一番にはなれない。DNAだよ。努力しましたって言ったって、努力できるDNAかもしれないし。だから強いからって、偉いとは限らないよ。年取ると、いろんなことが分かってくる。ガンをやってから、余計にな」と語ります。

 また、「プロレスとは、プロレスラーとは、どういうものでしょうか」という問いに対しては、「プロレスラーは、強くて当たり前。プラスアルファだよ。いくら『俺は強いんだ』って言ったって、お客さんがつまんないなと思ったら、二度と来てくれないからね。でもね、本物はやっぱり綺麗なんだよ。藤原敏男さんのハイキックだって綺麗だしな。本物は美しい。美しいから、お客さんが来る」と答えるのでした。

 藤原喜明が指名した「最強の男」は、前田日明でした。
 前田に対して著者は「関節技は、前田さんにとってどのようなものですか」というガチンコの質問をしますが、前田はこのように語りました。
「猪木さんも山本(小鉄)さんも、若手の頃にアメリカ修行で行った場所はテネシー州なんですね。テネシー州っていうのは、太平洋戦争での戦死者が一番多い州なんです。だからプロレスでも、日本人がヒールで扱われたりとか、日本人をバカにするような取り決めだったんですね。正統派として出たとしても、相手のアメリカ人がショーとしてのプロレスをやってくれずに、ガチンコを挑んできたりとか。
あの2人は、”やられた喧嘩は買ってやり返す”っていう経験をいっぱいしている人たちなので、『外人にバカにされちゃいけないよ。向こうがルールを破ってきたら、ヤッていいんだよ』っていう教育だったんです。俺の場合、『ヤッていいんだよ』というところだけが大きくなりすぎましたけど(笑)」

 また、「総合格闘技を創設したのは、佐山さんなのでしょうか? 前田さんなのでしょうか?」と、これまたガチの質問をする著者に対して、前田は優しく答えます。
「だれが創ったとかじゃなくて、そういうことを目指している時代だったんですよ。当時、盛んに言われていたのは、実践空手の影響で、なにが一番強いんだろうかということ。組めばいいのか、投げればいいのか、殴ればいいのか、蹴ればいいのか。みんなが、せーのでやったら、だれが一番強いのか。そうなると、ルールとして総合格闘技的になるしかなかったんです。
 佐山さんはUWFにルールだとかいろいろ持ち込みましたけど、それはUWFという団体のためのアングルだったんですよ。簡単に言うと、言い訳のためにルールを作ったんです。『UWFって危険なんだよ、だからルールがいるんだよ』と。でも実際にやっているのはプロレスなんですよね」

 さらには、「前田さんのプロレス観をぜひ教えてください」と言う著者に対して、前田はこう答えます。
「プロレスはね、究極のアスリートスタントマンがやるメロドラマですよ。真面目にやるとこれほどキツくて危ないスポーツはない。でも手を抜けば、これほど楽なスポーツはない。両極端なんです。だから面白いんですよね。こっちの極端とこっちの極端が試合することもありますしね。
 いまプロレスは活気を呈しているように見えるんですけど、昔と比べるとまだ低調なんです。昔は人口10万人くらいのところでも、3000、4000人、普通に入りましたから。ちょっと不況を脱したから浮かれちゃってね、スタントマンを飛び越して、サーカスになってるんですよ。だから危険なんです。スタントマンは、危険なことを危険でないようにやる。サーカスは、危険なことを危険にやるんです」

 そして、「強さとはなんだと思われますか」という質問に対しては、前田はこのように答えました。
「強さとは、しつこさです。しつこい人は諦めないでしょ。負けを認めないから、延々と努力するんですよね。しつこいフリをしている人は違いますよ。それはただのわがままです。本当にしつこい人間は、『ちくしょう。そうはいくかい。いまに見てろ』って、虎視眈々と機会を狙う。しつこくて、執念深い。それが強い人ですよ。プロレスに限らず」

 前田日明インタビューからほどなくして自分の体の異変に気づいたという著者は、以下のように書いています。
「病院で検査を受けると、卵巣に腫瘍が見つかった。レントゲンを撮ると影があり、悪性の可能性が高いとのことだった。つまり、癌かもしれない。死ぬかもしれない。まだちゃんと生きてもいないのに。
 死の恐怖に怯えながら、病室でUWFの試合映像を繰り返し見た。涙が止まらなかった。これが真剣勝負か否か、私にはどうでもよかった。前田日明は強い。佐山サトルも強い。プロレスラーは強い。プロレスはいつだって、私に力をくれる。それだけがリアルだった。祈るように、私はUWFの試合映像を繰り返し見た」

 著者は「病気が悪性だった場合、闘病生活を送ることになる。良性だった場合……。それでも私には、『強さとはなにか?』をこの先追求していく自信がもうなかった。世界が突然、色褪せてしまった。この連載を終えようと思った」という著者には、最後にどうしてもインタビューしたい人がいました。
 その人物の名は、高山善廣。2017年5月4月日、DDT豊中大会にて頭部を強打し、大阪市内の病院に搬送されたプロレスラーです。検査の結果は、「頸髄損傷および変形性頚椎症」。その後の発表によると、呼吸もできない上に、心臓停止のトラブルも発生していました。医師の判断が「頸髄完全損傷」に変更され、現状では回復の見込みがないことが明らかにされました。

 がんを乗り越えて復帰した経験を持つプロレスラー・小橋健太は、復帰時に高山善廣をタッグパートナーとしました。高山が頸髄完全損傷で回復の見込みがないと知ったとき、「言葉にできなかった」と小橋は言いました。激闘を繰り広げた思い出。タッグを組んだ思い出。いつでも熱く、優しかった高山の姿が、走馬燈のように浮かんできたのです。小橋は「意識があるのに動けない苦しさを思うと、胸が詰まります。けれど高山選手の熱い闘いは、僕の心の中にも、ファンのみんなの心の中にも残っている。高山選手が立ち上がることで、励まされる人がたくさんいるはず。見る人を元気にするのがプロレスラーです。ベッドの上にいても、プロレスラーであり続けてほしいと思います」と語りました。

 高山とともにプロレス界を縦横無尽に暴れ回ったのが鈴木みのるでした。鈴木が自身のベストバウトの1つに挙げるのは、2015年7月19日、プロレスリング・ノア旗揚げ15周年記念大会です。高山は鈴木の持つGHCヘビー級王座に挑戦。鈴木はパイプ椅子で高山の頭部を殴り、高山は大流血。試合内容に納得しない観客から、リングにゴミが投げ入れられた。しかし鈴木はあの試合を振り返って、「なに1つ後悔はない」と話しました。そして、「もしもあの試合で受けたダメージが現在の彼の状況に繋がっていたとしても、後悔はないです。本人もないと思います。タッグを組んだら一緒に全力で闘って、笑い合って、敵になったら全力で殴り合える。そんな友達、なかなかいないですよ。友達だから全力で殴り合えた。手を抜いたら逆に怒られそうで」と語りました。

 著者は、以下のように書いています。
「ノアと敵対した鈴木に対し、高山は『俺は三沢さんにお世話になったから、ノア側につく』と宣言。それから二人は会話をしなくなり、プライベートで会うこともなくなった」
 そして2017年5月、高山の体は動かなくなりました。高山の治療費を集めるための「TAKAYAMANIA」設立記者会見で、鈴木は泣きました。泣きながら、高山への募金を呼びかけました。著者は「ヒールの中のヒール。通称、”世界一性格の悪い男”。その男は友達のために、日本中の前で泣いた」と書いています。

 そして、著者は以下のように書いています。
「プロレスラーは皆、強さを求め、もがき、苦しみながら、リングの上に立っている。生きることは、ときに苦しい。現実から目を背けたくなることもある。しかしプロレスラーは、目の前の対戦相手から逃げない。真正面から相手の技を受け、やられてもやられても立ち上がる。そんな彼らの姿を見て、俺も、私も、立ち上がらなければいけないと思う。プロレスを見ること。それは、自分自身と向き合う作業だ。
 3年半前、私はプロレスと出会った。最初はプロレスの記事を書くのが、楽しくてしかたがなかった。しかし続けるにつれ、書くことがつらくなっていった。『素人が分かったようなことを書きやがって』と、批判されることも少なくなかった。追いかければ追いかけるほど、プロレスは遠く離れていくように感じた。しかしいまは、それでもいいと思っている。プロレスはいつまでも遠く、私はいつまでも、その尊い幻を追いかけていきたい」

 最後に「プロレスとはなにか? 強さとはなにか?」と自問する著者は、「それは、生きるということ。生きて、闘うということ。いつか命が絶えるとき、決して、後悔しないように」と答えるのでした。著者の卵巣にできた腫瘍は良性でした。
 著者がこれからどのような恋愛をして、どのような結婚をして、どのような人生を歩むのかは知りません。でも、ひとつだけ分かることがあります。著者は、これからも多くの読者に生きる勇気を与えるような本を書き続けていくだろうということです。プロレスにおける強さを人生における強さにまで高めた一連のインタビューは素晴らしいと思いました。著者の次回作が楽しみです。「令和」への改元まで、あと15日です。

Archives