No.1667 歴史・文明・文化 『鏡が語る古代史』 岡村秀典著(岩波新書)

2019.03.09

 『鏡が語る古代史』岡村秀典著(岩波新書)を読了。著者は1957年、京都大学文学部卒業。文学博士。京都大学助手、九州大学助教授を経て、京都大学人文科学研究所教授、東アジア人文情報学研究センター長。専攻は中国考古学。

本書の帯

 本書の帯には、「精神を刻み 恋情を歌い 思いを伝える」「鏡から生の声を聴きとる〈人間の考古学〉」と書かれています。カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「中国の皇帝が邪馬台国の卑弥呼に贈った『銅鏡百枚』。日用の化粧具のほか、結婚のしるし、護符、政権のプロパガンダなど、さまざまに用いられた古代の鏡は、どのようにつくられ使われてきたか。鏡づくりに情熱を注いだ工匠たちの営みに注目しつつ、図像や銘文を読み解くことから、驚くほど鮮やかに古代びとの姿がよみがえる」 

本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
第一章 鏡はどのように使われたか
第二章 人びとの心情を映す
    ――前漢鏡に刻まれた楚歌
第三章 ”プロパガンダ”としての鏡
    ――儒家思想のひろがりと王莽の台頭
第四章 自立する鏡工たち
    ――後漢前期に生まれた淮派
第五章 民間に題材を求めた画像鏡
    ――江南における呉派の成立
第六章 幽玄なる神獣鏡の創作
    ――四用における広漢派の成立
第七章 うつろう鏡工たち
    ――東方にひろがる神獣鏡
第八章 政治に利用された鏡
    ――「銅鏡百枚」の謎を解く
「あとがき」
「図出典」
「参考文献」
「鏡関連年表」

 「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「卑弥呼の『銅鏡百枚』――多数の小国に分かれて争っていた日本列島の倭人が、邪馬台国の女王卑弥呼のもとに結集し、西暦239年、中国王朝の魏に使いを送ったところ、魏の皇帝から返礼として贈られたものである。かわって近代、いまから100年ほど前に、それを日本の古墳から大量に出土する三角縁神獣鏡に比定したのが京都大学の富岡謙蔵である。その後、日本では邪馬台国論争、ひいては日本の国家形成論において鏡が大いに注目されている」

 また、著者は以下のように述べています。
「古代の銅鏡に関心がもたれるようになったのは、いまから1000年も前にさかのぼる。中国のルネサンスといわれる北宋時代(960~1127)、文人官僚たちは古代にならった儀礼制度への改革を進めるため、地中から掘り出された古代の銅器や石碑を珍重し、そこに刻まれた文字を研究するようになった。それが金石学のはじまりである」

 中国やヨーロッパでは、20世紀はじめまで古鏡の賞玩と銘文の読解が進められたのに対して、日本では古くから鏡が”三種の神器”の1つとして重んじられ、実際に古墳から大量の鏡が出土していることから、もっぱら歴史的な関心を引いてきました。著者は述べます。
「江戸時代の1822年、怡土郡三雲村(福岡県糸島市)から多数の銅鏡が出土した。福岡藩の青柳種信はさっそく現地を調査し、遺跡と出土品について詳しく記録した。それによれば、農民が土を掘っていたところ、口を合わせた2個の素焼き甕(いわゆる甕棺)から大小35面分の鏡のほか、銅矛や勾玉などが出土し、重なった鏡と鏡との間には円盤状のガラス璧が差し挟まれていたという」

 続いて、著者は以下のように述べます。
「青柳はさらに、古銅器の鑑識を論じた南宋の趙希鵠『洞天清録』(1242年ごろ)など宋・明代の漢籍を博捜して三雲の出土鏡を漢鏡とみなし、中国の習俗にならって多数の鏡を墓に副葬したものであり、『魏志』倭人伝に記されるような交流によって中国から大量の鏡が舶載されたと推測した。かれは本居宣長門下の国学者であり、それが中国鏡か和鏡か、日本史の中にそれをどのように位置づけるのかに、主たる関心があったのである。出土鏡を日本史の文脈でとらえる視角は、ここにはじまったといってよい」

 第一章「鏡はどのように使われたか」では、「最古の銅鏡」として、著者は以下のように述べています。
「東アジアにおける青銅器の出現は、紀元前3千年紀後半にさかのぼる。黄河上流域の斉家文化では工具類を中心に多くの銅器が出土し、チベット高原に近い青海省ガ(乃の下に小)馬台25号墓では、被葬者の胸の位置から銅鏡1面が出土している。墓の年代は前2000年ごろに下るが、鏡は径9センチ、背面に光の輝きをあらわす星形の文様がある」
中央の紐(紐を通すつまみ)が破損したため、周縁の近くに2孔をあけており、首から紐で吊り下げていたと推測されます。合金成分は銅90、錫10パーセント、白銅色からほど遠い赤みがかった色になるため、これで顔を映すのはむずかしかったと思われるそうです。

 本書でわたしが最も興味を惹かれたのは、「殷周時代の礼器と鏡」として述べられた以下のくだりです。
「紀元前に成立した『周礼』考工記は、銅と錫の配合比に6段階あるという。すなわち、錫の少ない順に、楽器の鐘と炊器の鼎、木を切削する斧と斤、長柄の武器である戈と戟、長い刃をもつ刀剣、小刀の削と武器の鏃であり、もっとも錫の多いのが鑑と燧、つまり鏡である。宮廷儀礼に用いる礼楽器は錫が少なく、鏡は鋭利な刃をもつ工具や武器よりも錫が多いというのである。梅原末治らが歴代の鏡を分析したところ、およそ戦国時代(前453~前221)の鏡は銅75、錫25パーセント、漢~唐の鏡は銅70、錫25、鉛5パーセント前後である」

 続いて、著者は以下のように述べています。
「『国の大事は祀と戎にあり』(『春秋左氏伝』成公13年条)といわれたように、祭祀と戦争は古代国家の根本であり、その礼楽器と武器・車馬具は青銅でつくられた。青銅器が古代国家を維持するもっとも重要な資財とされる所以である。
 しかし、銅鏡は礼楽器より早く出現したとはいえ、殷周時代の作例はあまり多くない。また、儀礼について記した『礼記』や『儀礼』などの儒教経典には、青銅の酒器・食器・炊器・楽器などにかんする記述が豊富にあるが、祭祀儀礼において鏡はほとんど用いられていない。礼楽器と鏡とでは、用いられた時代と使われ方がちがっていたのである」

 また、「儒家と道家の言説」として、著者は述べます。
「古典籍には『鑑』と『鏡』の両方が用いられたが、漢以前の儒教経典は『鑑』がほとんどである。しかも形を映すはたらきの比喩として政治を『鑑みる』という用例が多い。たとえば『尚書(書経)』酒誥には、殷が天命を失ったことにかんして「人は水を鑑とするのではなく、民を鑑としなければならない」という古人のことばが引かれている。儒家はこのように歴史を手本とする政治思想をしばしば説いた。北宋の司馬光が編纂した『資治通鑑』や、日本の『大鏡』以下の歴史書に『鑑』や『鏡』のタイトルがあるのも、この考えにもとづいている」 

 これに対して戦国時代の『荘子』は、「鏡」の字をはじめて用い、「至人の心を用いるや、鏡のごとし」とあるように、道を体得した聖人の象徴としています。『淮南子』脩務訓にも「誠に清明の士の、玄鑑を心に執り、物を照らすこと明白なるを得る」とあります。この「玄鑑」は「水かがみ」であり、それに聖人の清らかな心をなぞらえています。著者は述べます。
「漢代にいたって、前2世紀中葉の安徽省阜陽双古堆1号墓から出土した『万物』という竹簡文書には『事 到れば大鏡を高く懸けるなり』と記されていた。精白なる鏡には目にみえない現象でも映し出すはたらきがあると考えられ、災いが起こったときには、大きな鏡を高くかかげて不祥をしりぞけるというのである。『万物』は医薬・物理・物性にかんする書物で、その思想は道家に近い。これは鏡を魔除けに用いた最古のテキストとして重要である」

 第三章「”プロパガンダ”としての鏡――儒家思想のひろがりと王莽の台頭」では、「王莽の台頭」として、以下のように書かれています。「武帝のとき、儒家の董仲舒は、天と人とは不可分の関係にあるという天人相関説を唱えた。政治に対する天の評価は自然現象としてあらわれ、君主が徳のある政治をおこなえば、天はそれを嘉して瑞祥を降し、悪政だと自然災害や怪異現象などの災異をもたらすという。この天人相関説は、宣帝のころからさかんにとりあげられた」

 儒家を好む元帝(在位前48~前33)が即位すると、儒家官僚がますます登用されていきました。著者は述べます。
「儒教にもとづく天地や祖宗の祭祀制度が整備され、経典の収集と整理が進められた。そのとき儒家思想の中核をなしたのが讖緯思想である。讖とは未来を予言する文字、緯とは織物のように経糸の経典を緯糸から解釈することで、緯書によって未来を予言する思想をいう。これは天人相関説を発展させた考えで、この讖韓思想と自然の変化を説明する陰陽五行思想とが車の両輪となって儒教の国教化へと進んでいった」

 また、「陰陽五行思想」として、著者はこう述べます。
「讖緯思想に並んでひろがったのが、陰陽五行思想である。陰陽説は、天地や日月、男女など、陰と陽の相反する性質をもつ2つの気が、相互に盛衰をくりかえすという二元論である。一方の五行説は、万物が木・火・土・金・水という五要素によって成り立ち、それぞれの相生と相剋によって天地万物が変化し、循環するという。この陰陽五行思想は、周期的な天体の動きや季節の移ろいなど、天や自然の変化を説明する理論であり、前漢末期に天人相関説と結びついて人事を説明する理論にもなった。漢王朝は火徳で赤色を尊び、それにかわる王莽の新王朝が土徳で黄色を尊ぶという説も、この五行思想にもとづいている。また、讖韓思想による予言書にも、陰陽五行思想が反映されている」

 「瑞祥の象徴」として、著者はこう述べます。
「めでたいことの前兆としてあらわれる瑞祥は、想像上の神秘的な動植物の形をとることが多く、前1世紀後半に天の瑞獣を主文とする鏡が出現する。生き生きとした細い線で瑞獣を表現するのが特徴で、方格の紐座をもち、円い天と四角い大地をあらわしたのが方格規矩四神鏡、円形の紐座をもち、円い天をあらわしたのが獣帯鏡である」

 文献に記された瑞祥は、為政者の徳をたたえて出現する例がほとんどですが、鏡には瑞祥の出現によって服用者や家族の幸福がかなえられることを予言した銘文があります。
 本書を読んで、鏡の魅力に惹かれました。わたしは儀式をについて研究と実践を続けていますが、鏡の存在はきわめて重要です。これからも、多くの文献を読んで、鏡についてもっと知りたいです。改元まで、あと53日です。

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