No.1515 宗教・精神世界 | 小説・詩歌 『逆さに吊るされた男』 田口ランディ著(河出書房新社)

2017.12.11

 『逆さに吊るされた男』田口ランディ著(河出書房新社)を読了。
 著者は1959年東京生まれ。2000年、長篇小説『コンセント』を発表。以来、社会問題や人間の心をテーマに、フィクションとノンフィクションを往還しながら幅広い執筆活動を続けています。作品は映画化や各国語に翻訳され、海外でも高い評価を得ているとか。01年、 『できればムカつかずに生きたい』で婦人公論文芸賞を受賞しています。

   本書の帯

 本書のカバーには書名と同じ「吊るされた男」をはじめとしたマルセイユ版タロットカードの絵札の写真が使われています。帯には「オウム真理教とは何だったのか、私だけが、真実に辿りつけるはず―」と大書され、続けて「地下鉄サリン実行犯/死刑囚Yとの十年を超える交流。実体験をもとに、世紀の大事件を描く衝撃の私小説」と書かれています。

   本書の帯の裏

 帯の裏には「許さないのは、世間ではなく、私―?」として、以下のように書かれています。

「地下鉄サリン事件の実行犯で確定死刑囚Yの望みで、外部交流者となった作家・羽鳥よう子。贖罪の日々を送るYと、拘置所での面会や手紙のやりとりを重ねるうち、羽鳥はこんなに穏やかそうなYが《なぜ、殺人マシンとまで呼ばれるほどの罪を犯したのか》という疑問を抱く。《警察も、マスコミも、世間も、間違った解釈でオウム真理教事件を過去のものにしてしまった。Yとの出会いは運命。私だけが、事件の真実に辿りつけるはず―》関係者に会い、教義を学ぶうち、そう確信した羽鳥は、ついにYとの交流をもとに『逆さに吊るされた男』と題した小説を書きだし、独自のオウム解釈にのめり込むのだったが・・・・・・」

 本書の存在は「未来医師イナバ」こと東京大学医学部付属病院循環器内科助教の稲葉俊郎氏のブログ記事「田口ランディ『逆さに吊るされた男』」を読んで知りました。稲葉先生はブログ記事の冒頭で同書を「別世界に連れ去られたかのように、一気に読んだ。圧倒的に面白かった。作家が存在をかけて書いている、まさに『渾身』の作品だ」と絶賛し、さらに以下のように書かれています。

「この『逆さに吊るされた男』の小説では、事件の深い森のような中に入り込んでいく書き手の視点で話は進むのだが、ある時に『超自我』や『自己』(自分を上から俯瞰する自分)のようなものが自分の中に出現してきて、『あなたが意味を求めて事件に関与していくこと自体が、あなたの自我の欲望ではないか、あなた自体のどういう深層心理と呼応しているのだ』と警告を発する。そのアラーム音に気づきながら、そのはざまで揺れ動く書き手自身の心理をも同時に描いていた。作家の心をさらけだしながら描かれるすごい作品だ」

 稲葉氏は著者である田口氏とは昔からの知り合いだそうです。ブログ記事の最後に書かれた「渾身の小説だった。こういう小説を書いた作家の心身の健康が心配になるほどだ。心の極北に連れて行かれて戻ってくるような感覚になった。力作です」という一文にはお二人の友情を強く感じました。
 『逆さに吊るされた男』を読了したわたしは基本的に稲葉氏と同じく「渾身の小説」であり、「すごい作品」であり、「力作」であるとは感じたものの、どこか釈然としない思いがしたのも事実です。それはやはり、オウム真理教を過大評価していること、麻原彰晃というモンスターを生み出したのは社会であるという見方、そして多くの犠牲者を出した地下鉄サリン事件の実行犯Yを美化しているように描いていると感じたことから来ているのでしょう。

 地下鉄サリン事件は、1995年(平成7年)3月20日に、東京都で発生した同時多発テロ事件です。警察庁による正式名称は「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」です。宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出ました。平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のない事件であり、国内外に大きな衝撃を与えた事件でした。

 『逆さに吊るされた男』では、その地下鉄サリン事件の実行犯の1人で、死刑囚となっているYと、著者をモデルとする女流作家の交流を軸として物語が展開されます。このYですが、作品中のプロフィールおよび「殺人マシーン」というあだ名から、元オウム真理教幹部で確定死刑囚の「林泰男」がモデルであることは明白です。東京都出身の林のホーリーネームは「ヴァジラチッタ・イシディンナ」で、教団内でのステージは師長でしたが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格しています。オウムに省庁制が採用された後は、科学技術省次官の1人となりました。地下鉄サリン事件で唯一サリンパックを3つ携帯し(他の実行犯は2つ)一番多くの犠牲者を出したため、マスコミに「殺人マシーン」のあだ名を付けられました。

 当時、林泰男は自ら志願して他の実行犯よりも多い3袋を引き受けたと報道されました。しかし、実際は事件の前日、中川智正・遠藤誠一がサリンのパックを11個用意して端数が生じ、林が犯行当時、指示を断れない状況下にあるのを知っていた村井秀夫が実行犯の5人の中で最初に林に「1つ多く持ってくれるか」と頼み、引き受けたものでした。井上嘉浩は「実行メンバーの中でもっとも人間的で優しい人なのでいやがることを引き受けた」と語っています。なお、林は1994年6月の松本サリン事件で使用されたサリン噴霧車を製造しています。

 本書を読めば、林泰男をモデルとしたYが誠実な人物であることはよくわかります。しかし、女流作家の羽島よう子との面談では、Yは煮え切らない返答を繰り返します。人の「こころ」が一筋縄ではいかない複雑なものであることを思い知らされます。わたしたちが誰かに問いを投げかける場合、わかりやすい答えを求めがちですが、よう子はYの「わかりにくさ」をそのまま受け止め、さらなる謎に囚われて葛藤していく様子が描かれています。その流れの中で、よう子のYへの共感を読み取ることができます。

 たとえば、「死と同じように避けられないものがある、それは生きること」という喜劇王チャップリンの言葉を紹介した後、よう子は「チャップリンのサイレント映画って、とっても静かで、残酷で、それでいて優しいの。主人公は一文無しの放浪者。ちょび髭を生やして、山高帽をかぶり、ダブダブのズボンをはいている。ヨチヨチしたアヒルみたいな歩き方をして、態度だけは紳士なの。妙に毅然としていて、反骨精神があって、弱い者の味方。でも、最後は警官に追っかけられて、ドタバタ逃げ回って、ジ・エンド」と述べてから、「なんだか、それが、Yさんと重なって見える」と結んでいます。Yに対するよう子の気持ちがよくわかります。

 さらに「死刑囚であるYもまた人間である」というメッセージを読みとることができます。たとえば、Yは「拘置所側は死刑囚を、なるべく人間社会から遠ざけたいのだと思います」と語ります。「どうして?」と問うよう子に対し、Yは「死刑囚が、生きた人間、同じ人間だという認識を、国民に持たせないためじゃないかと思います」と答えます。
 「そのことで、いったいどういうメリットがあるの?」と問うよう子に対して、Yは以下のように述べるのでした。

「死刑囚が、同じ人間だったら、死刑囚を処刑する刑務官の方々の心情はいたたまれないです。死刑がある以上、誰かが処刑ボタンを押すんです。いまは、5人の刑務官が同時にボタンを押して誰が処刑したかわからない仕組みになっています。だけど、そんなことはあまり関係がないと思うんです。選ばれた5人は、自分が殺したかもしれないと思うでしょう。だから、少しでもその罪悪感をやわらげるために、死刑囚を人間として扱ってはいけないのかもしれないです」

 わたしは、おそらく日本で最も多くの死刑囚に面会したであろう人物を知っています。作家の故・佐木隆三氏です。生前は北九州文学館館長や九州国際大学客員教授を務められ、わたしも親しくさせていただいていました。お酒が大変お好きな方で、わたしも酒席でご一緒したことが何度かあります。2015年10月31日に78歳で亡くなられたときにはわが社で葬儀のお世話をさせていただきました。直木賞受賞作となった『復讐するは我にあり』をはじめ、佐木氏の小説は実在の凶悪殺人事件を扱ったものが多く、それもあってか殺人事件の裁判を傍聴し続け、多くの死刑囚と面会されました。一度、わたしに「日本中の死刑囚に会いたい」と言われたことがあります。

 『逆さに吊るされた男』には、その佐木隆三氏が2回登場します。1回目は本書の冒頭で、よう子が門司の佐木氏の自宅を訪ね、一緒に酒を飲みながら、オウム真理教について意見交換をします。Yと同じく死刑囚である林郁夫の法廷での証言にウソくささを感じるよう子に対して、佐木氏は徹頭徹尾「林郁夫の反省は本物だと思う」と言い続けました。そのことと、佐木氏が「あまりにも宗教に興味がない」ことに、よう子は不満をおぼえます。
 しかし本書の後半になって、再び、佐木隆三の名が登場します。
  Yの言葉に翻弄され、「オウム真理教」という謎に囚われたよう子は以下のように述べるのでした。

 いまになってやっと、佐木先生の謙虚さが、理解できる。
 先生は、傲慢に事件の内部に入ろうなんて、思っていらっしゃらなかった。じっと傍聴席の最前列に座って、裁判を傍聴し続けた。佐木先生は、自分の目で、ありのままを見ようとした。私のように妄想を膨らませて、その妄想の内部で事件を解釈しようとはしなかった。
 たぶんそれが、本物の戦争を知っているってことなのよ。
 私は戦争を体験していない。その雰囲気、空気感を知らない。あんな巨大なファンタジーの内部に入った経験がない。だから、ファンタジーの本当の怖さがわからない。佐木先生は、戦争の怖さを知っているから、現場主義に徹したのじゃないかしら。(『逆さに吊るされた男』P.206~207)

 その著者が抱いた妄想とは何か。ここで「ゴジラ」や「ナウシカ」といったキーワードが出てきます。怪獣ゴジラが核のメタファーであり、ジブリの「風の谷のナウシカ」は核戦争後の世界の物語ですが、よう子は「過去を葬り祈る術すら失った戦後世代の、暗い心の深みから現れたものが、怪獣アサハラとオウム真理教だとしたら、オウム真理教は、ゴジラやナウシカと同じように、潜在化した大衆の不安から創造され、大衆によって消費されたのではないかしら」と考えます。ナウシカが命がけで鎮めようとした生物の名は奇しくも「オーム!」でした。

 いつしか、よう子は非日常的な物語世界に迷い込みます。
 その始まりは、「ゴジラ」と「風の谷のナウシカ」という2つの映画の封切り日の奇妙な符号に気づいたことでした。

 「ゴジラ」1954年11月3日封切り
 「風の谷のナウシカ」1984年3月11日封切り

 「11」と「3」の組み合わせが互い違いになっていますが、よう子は「3・11に東日本大地震があり、それに伴い福島第一原発事故が起こったのは単なる偶然なのだろうか」と考えるのです。本書の最後で、よう子はYに向けた手紙で、自身の「妄想」を次のように総括しています。

 笑わないでね。外に、意識を向けたとたん、発狂したの。
 次々と標識が現れて道が繋がっていく。第二次世界大戦、原爆からゴジラ、水俣、風の谷のナウシカまで。
 私が意味を与えた瞬間から、なんだってリアリティをもって動き出す。それが快感なの。ファンタジーに巻き込まれていくのって波乗りみたい。意識が飛んじゃう。その感覚は最高にスリリング。
 どんどん現実離れしていく私の言動を、Yさんが一番、心配してくれたわね。「麻原はゴジラだと思う」と言った時のあなたの顔ったら、「大丈夫かなこの人」って思ったでしょう。
 そうなの。私は発病していた。
 もしかしたら、サリンを撒く前日の井上嘉浩や村井秀夫も、あんな感じだったのかも。麻原彰晃に意識を向けると、体の内側がぞわぞわしてくる。きっと神話的なシンボルをたくさん含んでいるから、こちらの無意識に潜んでいる怪物が目覚めてくるのね。私は作家だから、無意識との細いパイプから物語を汲み上げている。日常生活がそもそも妄想的な物書きが、神話のシンボルに摑まった時は、狂うのが早いのなんの。一気に、無意識からガジェットな情報が流れ込んできて、全部が繋がって、パンパカパーン。頭がお花畑の人になっちょうのよ。(『逆さに吊るされた男』P.223~224)

 本書の読者は、よう子の妄想からオウムの「魔境」までは遠くないことを知り、底知れぬ恐怖を感じます。Yは、よう子が抱く妄想について、「妄想とファンタジーは、基本的に違います。妄想が積極的に他者を巻き込もうとすることはきわめて稀です。しかし、ファンタジーは他者を巻き込んで膨らんでいきます。統合失調症の患者さんは妄想は持っていますが、ファンタジーで他者を巻き込んだりはしないのです」と述べます。
 ファンタジーの最たるものこそ宗教ですが、宗教としてのオウム真理教の本質について、よう子は以下のように述べていますが、その核心を見事に衝いているいると言えるでしょう。

 麻原の弟子たちは、教団のマニュアルでヨーガ修行を進め、程度の差こそあれクンダリニー覚醒(らしきもの)を体験している。教義の通りに神秘体験が起きることで修行への確信を深めていった。修行中に体調不良や事故、精神の不安定が生じると「カルマが出てきた」と歓迎され、カルマが表面化したことで内的な浄化が起こり修行はさらに進むとされた。
 何が起きても修行は正しい、という一方向への思考回路の形成。全員で信じれば思いこみ効果も絶大。
 弟子に「成就者」という認定を与えられるのは、教祖の麻原彰晃のみ。教団において麻原彰晃は絶対的な存在。麻原だけが「成就とはなにか」を知っていて、弟子は、決して麻原を越えるることができない。よって、教祖の逮捕後には、弟子たちのステージが上がることはない。この気づきは衝撃だった。Yは事件前に「正悟師」に昇格している。たとえ死刑囚になっても、現信者にとっては永久背番号みたいなもんなんだわ。
『逆さに吊るされた男』P.119~120)

よう子は「なんとなくわかってきた」として、「輪廻転生を信じ込ませ、都合が悪いことはすべてカルマのせいにしてしまえば、悪いカルマをもった人を早く転生させるための殺人も正当化できる。内容はどうあれ理屈として『筋が通っている』。筋さえ通せばへ理屈で相手を丸め込むことができる。なんだってそうじゃない、ネットワークビジネスだって、政治法案だって・・・・・・」と考えるのでした。

 さて、この読書館でも紹介した「地下鉄サリン事件20年」の書評の冒頭で、わたしは「13人が死亡し、約6300人が負傷したオウム真理教による悪夢のような犯罪から、もう20年も経過したとは驚きとともに世の無常を感じます」と書きました。
 その5年前の3月20日、地下鉄サリン事件15周年の日、わたしは自身のブログで、オウム関連の記事を1日に6本も書きました。以下の通りです。

『オウム~なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』
『アンダーグラウンド』
『約束された場所で』
『1Q84』BOOK1&2
『二十歳からの20年間』
「地獄」(石井輝男監督)

 その中の島田氏の大著『オウム~なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』の書評記事で、わたしは次のように自分なりにオウム事件を総括しました。

「日本の犯罪史上に残るカルト宗教が生まれた背景のひとつには、既存の宗教のだらしなさがあります。あのとき、オウムは確かに一部の人々の宗教的ニーズをつかんだのだと思いますが、そのオウムは自らを仏教と称していました。そもそもオウムは仏教ではなかったという見方ができました。オウムは地獄が実在するとして、地獄に堕ちると信者を脅して金をまきあげ、拉致したり、殺したり、犯罪を命令したりしたわけです。本来の仏教において、地獄は存在しません。魂すら存在しません。存在しない魂が存在しない地獄に堕ちると言った時点で、日本の仏教者が『オウムは仏教ではない』と断言するべきでした。ましてやオウムは、ユダヤ・キリスト教的な『ハルマゲドン』まで持ち出していたのです。わたしは、日本人の宗教的寛容性を全面的に肯定します。しかし、その最大の弱点であり欠点が出たものこそオウム真理教事件でした。仏教に関する著書の多い五木寛之氏は、悪人正機説を唱えた親鸞に『御聖人、麻原彰晃もまた救われるのでしょうか』と問いかけました。核心を衝く問いです。五木氏は最近、小説『親鸞』(講談社)上下巻を発表してベストセラーになっていますが、くだんの問いは、親鸞が開いた浄土真宗はもちろん、すべての仏教、いや、すべての宗教に関わる人々が真剣に考えるべき問いだと思います」

 現在でも、わたしのオウム事件に対する考えは基本的に同じです。ただ、藤原新也著『黄泉の犬』(文春文庫)を読んで麻原彰晃に対する見方が少し変わりました。この本は『逆さに吊るされた男』にも登場します。田口ランディ氏も、水俣病と麻原の関係に強い関心を抱いたようですね。また、わたしは、『オウム事件17年目の告白』で上佑史佑に対する見方も少し変わりました。もちろん、彼らが行った凶悪な犯罪行為はどんな言葉を用いても許されることではありません。これからの上佑氏の生き方に注目したいと思います。

 宗教学者の大田俊寛氏は、この読書館でも紹介した『オウム真理教の精神史』で次のように書いています。

「人間は生死を超えた『つながり』のなかに存在するため、ある人間が死んだとしても、それですべてが終わったわけではない。彼の死を看取る者たちは、意識的にせよ無意識的にせよ、そのことを感じ取る。人間が、死者の肉体をただの『ゴミ』として廃棄することができないのはそのためである。生者たちは、死者の遺体を何らかの形で保存し、死の事実を記録・記念するとともに、その生の継続を証し立てようとする。そしてそのために、人間の文化にとって不可欠である『葬儀』や『墓』の存在が要請される。そこにおいて死者は、『魂』や『霊』といった存在として、なおも生き続けると考えられるのである」

 かつて大田氏は自身のHPで、わたしに次のコメントを寄せてくれました。

「伝統仏教諸宗派が方向性を見失い、また、一部の悪徳葬祭業が『ぼったくり』を行っていることは、否定できない事実だと思います。しかしだからといって、『葬式は、要らない』という短絡的な結論に飛びついてしまえば、そこには、ナチズムの強制収容所やオウム真理教で行われていた、『死体の焼却処理』という惨劇が待ちかまえているのです。社会のあり方全体を見つめ直し、人々が納得のいく弔いのあり方を考案することこそが、私たちの課題なのだと思います。とても難しいことですが」

 わたしは、この大田氏の意見に深く共感します。
 火葬の場合なら、遺体とはあくまで「荼毘」に付されるものであり、最期の儀式なき「焼却処理」など許されないことです。それは、わが社のミッションである「人間尊重」に最も反する行為だからです。

 わたしは、葬儀という営みを抜きにして遺体を焼く行為を認めません。
 かつて、ナチスもオウムも葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスはガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼いたのです。しかし、「イスラム国」はなんと生きた人間をそのまま焼き殺しました。このことを知った瞬間、わたしの中で、「イスラム国」の評価が定まりました。わたしたち日本人は、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」「直葬」あるいは遺骨を火葬場に置いてくる「0葬」といったものがいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の精神に通じているのです。

 麻原彰晃が説法において好んで繰り返した言葉は「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突き付けることによってオウムは多くの信者を獲得したわけですが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、言挙げする必要などありません。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということ。問われるべきは「死」でなく「葬」なのです。 この主張は拙著『唯葬論』(サンガ文庫)でも強く訴えました。その意味で、Yが自らが命を奪った人々の「弔い」や「供養」についてどう考えているのかを知りたかったです。

 思えば、地下鉄サリン事件は戦後50周年という大きな節目の年に起きたわけです。わたしは重大な事件や発明から半世紀後に社会は一変するという「ドラッカーの法則」を唱えていますが、たしかに戦後半世紀目のオウムの悪夢によって日本社会は一変しました。日本人が宗教へのアレルギーを示すようになり、葬儀に対する関心も一気に弱まっていったのです。これはあまり言いたくないのですが、現在、「0葬」を提唱しているのが、かつてオウム真理教を擁護した島田裕巳氏であることは重要です。島田氏との共著『葬式に迷う日本人』(三五館)で対談してからは島田氏本人には何の恨みもありませんが、儀式なき遺体焼却という行為において、オウムと「0葬」は完全につながっていることを指摘しておきたいと思います。

   3月20日生まれの鎌田東二先生と

 最後に、地下鉄サリン事件が起こった3月22日の2日前にあたる3月20日は「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生の誕生日です。鎌田先生とわたしは、WEB上の往復書簡「シンとトニーのムーンサルトレター」を交わしているのですが、現在は第151信がUPしています。月1回、1年に12回なので、151回ということは12年7ヶ月です。その文章量もかなりなものですし、われらが往復書簡、もしかしてギネスに近づいているのではないでしょうか?
 『逆さに吊るされた男』では、よう子がYへの手紙で「ごめんね。いまや、私は、年に1、2回しか面会に行かなくなっている。手紙だって、以前は週に一度も出していたのに、最近では2ヶ月に一度も書きゃあしない。親の介護や仕事で忙しかったのは確か。だけど、十年前より忙しいかと言えばそうでもない。だから、面会に行けないというのは、忙しさより気力のせい。きっとそのことは、Yさんも感じているでしょう。そして、諦めているのよね。しょうがないさ、彼女も自分の人生で忙しいんだから、って」と書いています。

 わたしは、この文章を読んで、ずっと鎌田先生と往復書簡を続けられることに感謝するとともに、サン=テグジュペリが言った「人間関係の贅沢」というものを感じました。その鎌田先生も田口ランディ氏と面識があるとか。わたしが「いま、田口さんの『逆さに吊るされた男』を読んでいます。オウムの死刑囚の話です」と申し上げたところ、鎌田先生は「オウム真理教事件については、いろいろなアプローチと考察が可能であり、また必要です」とメールに書かれていました。オウム真理教事件の考察としては、本書は最高のテキストの1つだと思います。なによりもオウムの「魔境」に迫っているところが素晴らしいです。渾身の力作である本書を上梓された田口ランディさんは、出版の報告を兼ねてYさんに面会されたのでしょうか?

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