No.1484 プロレス・格闘技・武道 『プロレスを見れば世の中がわかる』 プチ鹿島著(宝島社)

2017.09.13

 北朝鮮を訪問していたアントニオ猪木参院議員が無事に帰国し、羽田空港で会見を開きました。「北朝鮮の空気が変わってきている」と述べた猪木氏は、今度は超党派の国会議員による訪朝団を結成したいそうです。
 さて、『プロレスを見れば世の中が分かる』プチ鹿島著(宝島社新書)を読みました。この読書館でも紹介した『教養としてのプロレス』の続編です。
 著者は、1970年長野県生まれのお笑い芸人で、時事ネタを得意とする芸風で知られています。本書の内容ですが、前作よりも、試合やレスラーについて具体的に深く取り上げていると、著者は述べています。

   本書の帯

 本書の帯には「トランプから安倍政権まで!」「世界の仕組みは、プロレスでたちまち理解できる!」「『ポスト真実』の時代を生き抜く大人の知恵」と書かれています。

   本書の帯の裏

 また、帯の裏には「答えはすべて多団体時代の中にある」「芸人式プロレスの読み方」として、以下のように項目が並んでいます。

●トランプの芸風はプロレスがネタ元
●小沢一郎は政界の長州力だった
●見るだけで癒される馬場=タモリ説
●新国立競技場と政治家・馳
●もうひとつの「1990年のユニバーサル」

 さらにカバー裏には、以下のような内容紹介があります。

「世の中の仕組みはプロレスを見れば、たちどころにわかる―。現代を生き抜く知恵は、プロレスが教えてくれる。時事芸人である著者が『生きるヒント』としたのは、百花繚乱の多団体時代と呼ばれた90年代プロレス界。『第二次UWFの三派分裂』『邪道・大仁田厚の狂い咲き』『巨大資本SWSという黒船来航』などに象徴されるプロレスバブルを、時事芸人の視点から振り返ることで、世界の仕組みを浮き彫りにする。『確信的な暴言』を繰り返すトランプ大統領、大統領選で本命だったヒラリーがまさかの逆転敗北を喫した原因など、森羅万象の答えはすでにプロレスのリング上に示されていた」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「多様性の時代を読み解く魔法の杖」
第一章 政治が『東スポ』に寄せてきた
第二章 90年代プロレスバブルはなぜ起こったのか
第三章 ストロングスタイルの地殻変動
第四章 天下を取った異端児
第五章 プロレス界の曲がり角
第六章 名勝負の濁流
第七章 猪木生前葬から馬場崩御
巻末特別付録「プチ鹿島的90年代ベスト興行」
「参考文献」

 第一章「政治が『東スポ』に寄せてきた」では、トランプのパフォーマンスがWWFの影響を受けているというのは有名な話なのですが、それよりも小沢一郎と長州力の比較論が面白かったです。「小沢一郎、もうひとりの長州力」として、著者は以下のように述べています。

「小沢一郎と長州力は似ている。90年代、自民党幹事長として政界の中心に躍り出てから、政界の『ど真ん中』を歩み続けた小沢。結党以来、38年間政権を維持し続けた自民党をはじめて野党へ追いやった政界の『壊し屋』である。対して、プロレス界の『革命戦士』長州力。アントニオ猪木が一線を退いた後の新日本プロレスを、プロデューサー的な立場から牽引した立役者である」

 著者は小沢一郎と長州力について、「似ているのは『コワモテ』な顔だけじゃない。政治家とプロレスラーである2人の生き様をあらためて見ると、共通する要素が本当に多いのだ」とした上で、両者がともにエリートであることをはじめ、さまざまな共通点を挙げていくのですが、中には「こじつけでは?」と思われるものもあるにせよ、「よくぞ、ここまで指摘できるなあ」というくらい、大量の共通点を紹介します。

 特に笑ったのは、両者のライバルについての以下のくだりです。

「長州のライバルは藤波辰爾。そして小沢のライバルは、のちに『一龍戦争』ととり沙汰される橋本龍太郎だった。ドラゴンつながりである。女性人気で差をつけられたことも似ている」

 また、両者のトラブルの相手は同じ人物でした。前田日明です。
 前田は長州の顔面を蹴って新日本プロレスを追放されましたが、2010年民主党の参院選1次公認で比例区の「公認内定」として公表されていた前田を候補から外した小沢と揉めました。前田は「民主党とは政策が合わない。肌が合わない」と切り捨て、小沢の逆鱗に触れたのです。著者は「こうしてみると前田日明はやっぱり凄い」と述べています。たしかに。

 第二章「90年代プロレスバブルはなぜ起こったのか」では、「『最強』のみこしとなった高田延彦」として、UWFインターナショナルのエースだった高田が取り上げられます。著者は、Uインターでの高田のベストバウトに北尾光司戦を挙げ、以下のように述べています。

「1992年10月23日、日本武道館。夜行バスで駆けつけた学生の目で感じた武道館は、今にも屋根が取れそうなほどファンの殺気と期待が充満していた。『格闘技世界一決定戦』と銘打たれた一戦は、高田のハイキックにより北尾の失神KO負け、高田のハイキックを浴び、目もうつろで起き上がれない北尾は、まるで麻酔銃を打ち込まれた巨象のようだった。
 『チャンコがまずい』『ファミコンのデータを消された』という理由で親方と大喧嘩し、最後は仲裁に入った女将さんを突き飛ばすという『利かん坊』のような北尾を成敗した高田は、この試合でプロレス界のトップにのぼり詰めたのだ」

 その北尾に対して、プロレスファンは、大相撲の元横綱として「真剣勝負をやれば強い」という幻想を抱いていました。もう1人、同じような幻想を抱いた相手がいます。元柔道世界チャンピオンの小川直也です。高田にハイキックKOされた北尾と違って、小川はプロレス界の「強さ」の象徴であった橋本真也を東京ドームで完膚なきまでに叩きのめしました。第三章「ストロングスタイルの地殻変動」の「『ものさし』としての北尾と小川」では、両者の実力が検証されます。

 また、著者は「小川直也=幸せな花嫁説」を唱え、こう述べます。

「『2番目に好きな人と結婚した女性こそが幸せ』だという通説がある。結婚においては、『理想』を求めすぎてしまう『1番目』よりも、妥協さえ含めた『現実的』な『2番目』のほうが結果としてうまくいくという説。TBSドラマ『あなたのことはそれほど』でも描かれたテーマだ」

 この説に小川の格闘人生が妙にリンクするとして、さらに著者は「小川直也=幸せな花嫁説」を展開するのでした。

「『やりたい』のではなく、『のぞまれる』ハッスルポーズで小川は自分の存在感を示し続けた。北尾と小川の差はなんだろう。長州ら、マット界を代表する先輩の意見を聞き入れなかった北尾と、猪木や佐山の考えや戦略に耳を傾けた小川。最初は小さいが、この差はぐんぐん大きな差となったのだと思われる。お天道様は見ているのだ」

 ちなみに、「お天道様は見ている」とは、「あなたのことはそれほど」で波瑠が演じた主人公・美都の口癖です。

 第七章「猪木生前葬から馬場崩御」では、「プロレスと『総合格闘技』と『自由』」として、著者は桜庭和志がグレイシー一族の強豪を次々と打ち破ったことを取り上げます。PRIDE-1で髙田延彦がヒクソン・グレイシーに完敗したという悲劇を、髙田の弟子である桜庭は「グレイシーハンター」として見事に回収してくれたわけですが、さらに著者は「桜庭のおかげでもうひとつ見えたことがある」と述べています。

 「もうひとつ見えたこと」とは何か。著者は述べます。

「藤田和之を筆頭に、『アマレス(レスリング)』をベースにしたものが強いという『当たりまえ』の答えが見えてきたのだ。それは2017年における総合格闘技の世界でも定説で、勝率の高い選手のほとんどがレスリングをベースとしている。カール・ゴッチも生前、『格闘技戦を突き詰めていくと、最後に生き残るのはグレコローマンスタイル』と明言していたという。プロレスファンは、レスリングの本当の顔を総合格闘技によって知ることができたのだ」

 また、著者は「『テレビタレント』としての馬場と猪木」として、ここ数十年の猪木は闘魂ビンタや「1、2、3、ダーッ!!」を引っさげて、「おもしろい、ヘンなおじさん」として世間的にあらためてブレイクしたことを指摘します。決めセリフの「元気ですかーっ?」は国会でもブチかまして、議長から注意を受ける弾けっぷりです。昔はあれだけ笑われることを嫌っていた猪木が変われば変わるものですが、著者は以下のような鋭い分析をしています。

「猪木の『タガが外れた』時期は、『ジャイアント馬場が死んでから』と考えると時期がピタッと合う。つまり1999年以降。それまでG・馬場という存在がどれほど猪木の重しになっていたか、どれほど目のうえのタンコブだったか想像は容易だ。『馬場にバカにされたくない』という意地と緊張感が猪木を支えていたのだ。もし馬場健在なら、猪木はここまでおもしろいおじさん化していないはずである」

 そして最後に、著者は「馬場=タモリ説」を以下のように唱えるのでした。

「数字に追われる人気テレビ番組の呪縛から解放された馬場さんと猪木は、90年代はライブに活路を見出した。だからこそ『90年代の馬場・猪木は新しい』のである。もし今、ビートたけしさんやタモリさんがテレビから舞台に専念したとしたら観客は会場に押し寄せるだろう。新たな魅力がまた語られるであろう。それと同じなのである」

 タモリは国民的番組といわれた「笑っていいとも!」(フジテレビ)を終えましたが、その後、「ブラタモリ」(NHK)などで人気が再燃しています。「タモさんを見る」、ただそれだけで視聴者が有難味を感じるようになったとして、さらに以下のように述べるのでした。

「そういう意味では馬場さんとタモリさんは似ていることに気づく。両者ともに、一般のファンでも『馬場さん&タモさん』と呼ぶことに抵抗はないし、楽しそうな姿を見られるだけでファンも幸福な気分になれる。『馬場=タモリ説』である」

 本書を読んで感じたのは、著者の本業であるお笑いにも「教養としてのプロレス」が影響を与えていることでした。逆に、著者のプロレスの見方にも「教養としてのお笑い」が影響を与えています。最後の「馬場=タモリ説」などは、両ジャンルの教養が見事な合体を果たした具体例と言えるでしょう。興味深いのは、お笑いとプロレスの発想があれば、政治の動きだって読めるということです。政治だって、しょせんは人間同士の営みにすぎません。
 きっと、お笑いとプロレスは人間の本質を見る最高の「窓」なのかもしれません。ともに「サブカルチャー」と呼ばれるジャンルですが、サブカルチャーこそ教養なのです!

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