No.1482 プロレス・格闘技・武道 『闘魂最終章』 井上譲二著(双葉社)

2017.09.09

 9日は北朝鮮の建国記念日ですが、いま、アントニオ猪木参院議員が現地を訪問しています。どうか、今回の訪朝で日本の国益が損われませんように。
 『闘魂最終章』井上譲二著(双葉社)を読みました。
 「アントニオ猪木『罪深き太陽』裏面史」というサブタイトルがついています。 「週刊大衆」の連載『アントニオ猪木55年目の「虚と実」』に大幅加筆したもので、日本のマット史の中心で強烈な光を放ち続けた猪木を追いかけ続けた著者が、書けなかったスクープの裏側、取材秘話、そして関係者への取材により猪木の実像を丸裸にする内容です。

 この読書館でも紹介した『昭和プロレス迷宮入り事件の真相』の監修者でもある著者は、1952年神戸市生まれ。大阪芸術大学卒業。在学中よりプロレス専門紙「週刊ファイト」通信員として英国マットを取材。77年、「週刊ファイト」米国特派員としてニューヨークに駐在し、数々のスクープを連発。帰国後、新日本プロレス担当として活躍したのち、94年6月「週刊ファイト」編集長に就任。2006年9月の休刊を機に発刊元の新大阪新聞社を退社、フリーの立場でプロレス記事を執筆し活躍。「週刊ファイト」については、以前紹介した『「週刊ファイト」とUWF』でに詳しく紹介されています。

    本書の帯

 本書の帯には、宿敵タイガー・ジェット・シンに卍固めを決めるアントニオ猪木の写真が使われ、「要領のいい優等生 綺麗事だけの偽善者 何もしない傍観者 そんなヤツにはなりたくなかった」「だから、猪木だった。」「追いかけて半世紀超え ”最後の猪木番”が明かす秘話」「激活字! 考えないプロレスは、単なる見世物である」と書かれています。

 また、カバー前そでには、以下のような内容紹介があります。

「勝ち組、負け組・・・、そんな言葉が当たり前のように語られる時代。だが、人生に勝つとは一体、何なのだろう。プロレスは勝敗を超えたところにある、とも言われる。闘いを通じて見せつけた何か。勝ち負けよりも大切な何か。人生に克つ―リングには、その答えがある。プロレス激活字宣言!」
    本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」
第一章 磨かれた原石~日本プロレス時代
第二章 29歳の決意~新日本プロレス設立
第三章 世間に挑む~アリ戦とIWGP構想
第四章 噴き出したマグマ~クーデター事件と大量離脱
第五章 消えた太陽~38年目の引退と現場介入
第六章 愛ゆえの憎しみ~持ち株売却とIGF設立
第七章 素顔の闘魂~私が愛したアントニオ猪木 「おわりに」

 第一章「磨かれた原石~日本プロレス時代」では、「BI砲の関係に入った亀裂」として、日本プロレスのクーデター未遂騒動により、ジャイアント馬場との最強コンビに亀裂が入ったことが、以下のように書かれています。

「『馬場さんさえ抱き込めば、途中で何が起ころうとも目的は達成できる』と考えた猪木は、馬場が手形の決済に困っていると知って大金を工面。そして、実際に貸し付けるだけではなく、改革後の人事を『馬場社長、猪木副社長、坂口専務』とした連判状を作成したのである」

 続けて、著者は日プロのクーデター未遂騒動について述べます。

「馬場にとって悪い話ではなく、すっかり猪木を信用していたのだが、実は上田(馬之助)は芳の里社長に垂れ込む前に仲の良かった馬場に会社改革後の猪木の悪巧み(?)を耳打ち。狼狽した馬場はどこからか調達したカネで借金を返済し、会社側に寝返ったという。時期は『ワールド・チャンピオン・シリーズ』開幕前と見られている。同シリーズが始まってから馬場と猪木は、ほとんど口をきかなかったようだ」

 第二章「29歳の決意~新日本プロレス設立」では、「馬場への挑戦を口にし続けた真意」として、著者は以下のように述べています。

「60年9月30日、東京・台東体育館にて同日デビューを果たした猪木と馬場は、その日から切磋琢磨しながらともに国民的なプロレスラーにのし上がった。両雄の若手時代の対戦成績は馬場の16戦全勝。人一倍、負けず嫌いの猪木にはその悔しさを一気に晴らしたい思いもあっただろう」

 続けて、著者は以下のように述べています。

「だが、互いに40年近くも現役生活を送りながら猪木の夢はかなわなかった。時には謀略的な手段で馬場を追い詰めた猪木だが、実は馬場の最低限の名誉だけは守っている。それは若手時代のスパーリングにおいて馬場を圧倒したという事実を1度もマスコミに話さなかったことである。周囲からは決してわからない、猪木ならではの馬場への敬意がそこから透けて見える気がするのは私だけだろうか」

 第三章「世間に挑む~アリ戦とIWGP構想」では、「アリ戦強行による借金9億円のツケ」として、著者は倒産寸前の新日本プロレスの株の大半をNETテレビ(現・テレビ朝日)が保有する形で借金の全額を肩代わりしたことを紹介し、以下のように述べています。

「『ワールドプロレスリング』とは別枠で猪木の異種格闘技戦を目玉にした特番『木曜スペシャル』を隔月ペースで全国放送。その放映権料をそっくり返済に充てることで完済の目途も立った。とはいえ、猪木は自らの肉体を酷使しながら返済していくことになる。従来のビッグマッチ、特番用の異種格闘技戦に加え、海外遠征。月イチ程度のペースで負担の大きい試合をこなさねばならない猪木の体は、アリ戦から3年でボロボロになったと言われる」

 続けて、著者はアリ戦後の3年間について、以下のように述べます。

「この3年間でとりわけキツかったのは、78年の殺人的スケジュールだ。2・8武道館での上田馬之助との釘板デスマッチを皮切りに、年末のMSG定期船出場まで重要な試合が目白押し。その間には米プロ空手の強豪ザ・ランバージャック・リーとのカードが組まれたWWF4・4フィラデルフィアや西ドイツを中心にヨーロッパ4カ国をサーキットする『世界選手権シリーズ』(11月7日~同29日)も組み込まれていた」

 第五章「消えた太陽~38年目の引退と現場介入」では、「新日プロ凋落の端緒となった橋本問題」として、著者は以下のように述べています。

「今思い返すと、平成のストロングスタイルの象徴と言われる橋本が小川の大暴走によってそのイメージを著しく損なわれたのが新日プロ凋落のキッカケだった。98年10・24両国で旗揚げしたUFOを軌道に乗せるために小川を一気にブレークさせたかったのか? それとも新たな競合相手になりつつある総合格闘技のPRIDEに脅威を感じるあまり新日マットでも勝負論のあるプロ格スタイルを打ち出したかったのか?」 猪木の真意は未だにわかりませんが、間違いないことは、この一件以来、新日プロは「強さ」というイメージを失ってしまったことです。

 第七章「素顔の闘魂~私が愛したアントニオ猪木」では、「”真剣勝負”と思い込んでいたI編集長」として、プロレス界のスーパースターである猪木に対し、「週刊ファイト」はある意味でガチンコで向き合っていたと述べ、なんとI編集長は猪木の試合を真剣勝負であると信じていたと告白しています。 「I編集長は少なくとも70年代に新日マットで行われた猪木の一連のビッグマッチは真剣勝負と思い込んでいた。猪木のプロレスには”殺し”がある―。手加減なしのえげつない攻撃のことだが、そんなプロレスを続けていたら猪木の体はもたないし、逆にファンの前でブザマな姿をさらけ出すケースも出てくる。見せかけだけの攻撃とは言わないが、猪木が本物の”殺し”を披露したのはグレート・アントニオ、アクラム・ペールワンといった新日プロの若手レスラーでも勝てそうなロートルに限られていた」

 そして「おわりに」で、著者は以下のように猪木への思いを述べるのでした。

「本書を書き上げた今、私は改めて思う。猪木と他のレスラーとの差は結局、紙一重どころではなかったのだと。輝きで言えば、太陽と月の違いであり、冠言葉で言えば、スーパースターと、スーパーの4文字が外れたそれであったと。それはリング内に限らず、リング外でも常に自分の価値を意識し、プロレスファンだけでなく、社会に対しても自らを発信し続けた結果として体得し得たものではなかったか。そして、それを可能にしたのが、何よりもメディアの利用術であったと私は断言したい」

 この一文には、著者の猪木に対する限りない愛情が溢れています。
 著者だけでなく、「週刊ファイト」のI編集長も猪木を愛しました。
 わたしも、これまでの人生の大部分において、猪木の生き様から多大な影響を受けました。ここに書かれてあるエピソードに目新しいものはありませんが、本書は、アントニオ猪木という稀代のスーパースターの怒り、苦悩、悲しみを見事に描き出した「真・闘魂ヒストリー」であると思います。

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