No.1294 冠婚葬祭 | 民俗学・人類学 | 神話・儀礼 『現代日本の死と葬儀』 山田慎也著(東京大学出版会)

2016.08.09

 『現代日本の死と葬儀』山田慎也著(東京大学出版会)を再読しました。
 2007年9月26日に刊行された本で、「葬祭業の展開と死生観の変容」というサブタイトルがついています。著者は1968年千葉県生まれの民俗学者です。現在は国立歴史民俗博物館民俗研究系准教授で、専門は民俗学、文化人類学です。特に儀礼の近代化に興味を持っているそうです。

カバー表紙の写真

 本書のカバー表紙には「蓮花の造花を持った葬列」(『明誉真月大姉葬儀写真帖』より)の写真が使われています。明治44年2月7日、東京日本橋魚問屋の老母の葬列の写真です。同業者だけでなく歌舞伎役者などから多数の蓮花が対で贈られたとか。これらを専門の人足が持って輿の前を進んでいったといいます。

松柏園ホテルで著者と

 ブログ「山田慎也先生の来訪」で紹介したように、今年3月24日、著者をサンレー本社にお迎えしました。著者はわたしが副座長を務めるアジア冠婚葬祭業国際交流研究会のメンバーであり、ともに冠婚葬祭総合研究所の客員研究員を務める仲間でもあります。今年2月のインド視察をはじめ、著者とはこれまでアジア各地を一緒に訪れました。

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
序章 葬儀とは何か――葬制研究の対象と方法
第1節 葬制研究の対象
第2節 葬制研究の展開と本書の視点
第1章 共同体の中の死と葬儀
――新潟県佐渡市関の葬儀から
第1節 死を準備する人生――葬儀とその社会的基盤
第2節 生者にとっての死の予兆
第2章 変わりゆく葬儀
――和歌山県串本町古座の葬儀から
第1節 葬儀の変容と地域社会
第2節 香典を辞退すること――葬儀を支える関係の変容
第3節 葬祭業者を利用することとは――死の変容の外在化の過程
第3章 葬祭業者の成立とその展開
第1節 葬祭業の成立とその様態
第2節 葬祭業者の社葬と地域社会
第4章 代行される葬儀――利用者からの視点
第1節 文書資料から見た葬祭業の利用
第2節 知識の提供者としての葬祭業
第5章 儀礼空間の創出と死の意味づけ
第1節 死を受容させるもの――輿から祭壇へ
第2節 行く末よりも来し方を――生花祭壇における死者の表現
終章 エージェントとしての葬祭業者
「参考文献」
「あとがき」
「資料・写真出典一覧」
「索引」

 序章「葬儀とは何か――葬制研究の対象と方法」の第1節「葬制研究の対象」では、「1 葬儀とは」として、著者は以下のように述べています。

「本書は、葬儀を死の総合的な変換装置という観点から捉え、現代日本の葬儀と死生観の変容について考察することを目的としている。従来の葬儀とその変化にとどまらず、葬祭業者が葬儀に介在していくなかで生じた変容過程とその要因を分析する。そこで葬儀と関連してくる墓制、通過儀礼、年中行事、社会構造や生業、経済なども含めて考察するものである。ちなみに葬儀とは、葬送儀礼の略語であり、葬制とはひとの死をめぐる儀礼や諸習俗の総称として用いる」

 続けて、「2 死と葬儀」として、著者は以下のように述べます。

「葬儀はひとの死を契機として行われる。死は人体の肉体的現象であり、自然的現象である。しかもひとを含め生物にとって普遍的な現象ともいえる。しかし、死の捉え方や死の定義は人間の文化的営為であり、個々の社会において異なるものである」

 また、「死」について、著者は以下のように述べています。

「ひとの死は、自然としての肉体的な現象を中核としながら、その領域は文化的な要素に大きく関わっている。文化的なカテゴリーとしての死は、基本的にはそれぞれ個々の人々が『死ぬこと』を基盤として、それが蓄積したものであり、人々によって一般化され概念化されていくなかで、個々の死を超越した不特定多数の『死』という社会的事実として現れてくる。また死は、自らの経験を経てその内容を語ることはできないため、結局、他者の死に重ね合わせて外在的に概念化した結果、構成されるものでもある。よって死は、個別的な事象としての死を超越し、集合的な表象として現れることになる」

 葬制については、著者は以下のように述べています。

「葬制は、(1)死者の体、(2)死者の人格(霊魂)、(3)残された生者が相互に関連しあうなかで移行され、生前の状態から分離し、どちらにも属さないあいだの期間があって、新たな存在として再統合していく。つまりそれぞれ、ある状態が処理され、転換されていく儀礼であり、死を物理的、文化的、社会的に変換していくことになる」

 続けて、著者は以下のように「葬制」について述べます。

「(1)死者の体の変換は、死体そのものを変換させることから、『死の物理的変換』で、葬送儀礼の中心をなし、基本的にはその変換のプロセスに(2)死者の人格(霊魂)や(3)残された生者も併せて変換されていく。(2)死者の人格は、もう肉体を通して顕在化できない死者を、儀礼の対象とし時には主体として扱うことで、表象としての死者を創出している。例えば、日本のようにひとが死ぬとホトケになるという文化においては、葬儀その他の儀礼を経てホトケに位置づけられていく。こうして死者はホトケというカテゴリーを社会の中で獲得し、現実の社会へ新たな作用を及ぼす。こうしたホトケという概念は、当該文化が規定するものであり、『死の文化的変換』ということができる。(3)残された生者については、死者が担っていた社会的役割を残された生者に再分配して社会関係を再編成することになる。それは葬儀を執行する間にそれぞれの役割が再分配されることも多い。これを『死の社会的変換』ということができる。つまり葬送儀礼とは、死を物理的、文化的、社会的に変換する儀礼である」

 第2節「葬制研究の展開と本書の視点」の1「葬制研究の展開」の冒頭では、「葬制への関心」として、著者は以下のように述べています。

「日本の葬制研究は、近代に民俗学が成立し展開していくなかで、常に重要な地位を占めてきた。近世期に民俗学的な思考が成立していくなかで、葬制が具体的な研究素材としてすでに意識されていたことがうかがえる」

 日本民俗学の創始者である柳田國男は、概説書である『郷土生活の研究法』の中で、国学者本居宣長の『玉勝間』の「葬礼婚礼など、殊に田舎には古く面白き事多し。(中略)葬祭などのわざ、後世の物知り人の考へ定めたるは、中々にから心のさかしらのみ多くまじりて、ふさはしからず、うるさしかし」というくだりを引用しています。

 宣長は古い習慣を「田舎」に求める際に、葬制や婚姻儀礼がその素材として有効だという視点を持っており、これを柳田が引用したのです。 もっともこうした「田舎」に古いものがあるという発想は、国学者だけに限られたものではないそうです。著者によれば、すでに近世後期の知識人たちが、民俗の喪失感を共有しており、こうしたなかでさまざまな紀行や随筆が執筆されたといいます。

 第2章「変わりゆく葬儀――和歌山県串本町古座の葬儀から」の第1節「葬儀の変容と地域社会」では、「6 儀礼と社会組織の不連続」として、著者は以下のように述べています。

「従来の葬儀の変化に対する分析はいずれも社会変化、つまり都市化につれて葬儀も共同体的な儀礼から個人的な儀礼へと変化するものと考えられてきた。もはやここでは、葬儀は社会組織のあり方への従属項になってしまっているのである。文化人類学者ギアツは、都市における葬儀の混乱を分析した『儀礼と社会変化』(1987)のなかで、文化的側面と社会的側面を分析上明確に区別して、相互に影響する独立因子として扱うことで文化と社会構造の相互関係のあり方には様々な形があり得ることを見いだそうとした」

 さらに、ギアツの説に依拠しながら、著者は述べています。

「ギアツによると、従来の宗教の社会的役割に関する研究は、機能主義的な理解が多く、社会統合という機能を強調するため、変化の問題に対し無力であったという。その最大の原因はこの理論が社会的過程と文化的過程を同列に扱ってきたことにある。文化は社会組織のあり方に従って全く派生的に決まると考えるか、社会組織の形は文化の型を行為面において具象化したものであるとするかのいずれかだという(ギアツ、1987b、245)。その結果、そのどちらかが無視もしくは完全な従属変数として扱われ、その従属項はもはや動的要因ではなくなってしまったのである」

  終章「エージェントとしての葬祭業」では、著者は「死の変換法」としての葬儀が以下の4点において大きく変容したと述べています。

「第1に時間の効率化である。死の変換は長期内在的に形成された資源を使用していたが、次第にその時点に使用でき決済できる短期的なものに転換していく。そして長期の互酬制によって固定されていた物資や役務の提供は、その解消により拘束されることがなくなり、死の時点における選択の範囲はむしろ拡大することになった」

「第2に空間的な効率化である。葬儀はなんども場所を変え参列する人々の範囲を変えながら段階を踏んで行われていたが、自宅や専門斎場などで一括して行われるだけでなく、死者も「死出の旅路」を効率化され、即座に旅を終え他界にたどり着いた死者に別れを告げるだけになった。こうして葬儀は実質的にも観念的にも、空間的な移動を伴って個々の儀礼を行ってきたが、移動を極力おさえて死の変換を行っているのである」

「第3は実践の効率化である。それは実質的な作業方法といった手続きの側面だけでなく、死者を送り出すといった観念的な変換法も効率化し、死者を他界へ送り出すよりは、死者を他界に統合し別れをする儀礼へと転換している」

「第4は社会的な効率化である。死の変換をする際に、多様な紐帯をさまざまな場面で使い分け、多くの人々を動員して行われていた。なかでも地域社会という枠組みが葬儀の中で果たす役割は大きなものであったが、死者や喪家がこれらの紐帯から遊離し、ごく限られた人々によって死を変換する傾向がみられるようになった」

 こうした葬儀の変容について、その変容の過程は、基本的には儀礼の細部における効率化・簡略化の累積であるとして、さらに著者は述べます。

「それは体系的に効率化していくものではなく、局所的な改変である。儀礼の変容の際には、改変するための釈義が人々の間で流通することになるが、それ以降連続的に必要になるわけではなく、一時的なものである。こうした改変の積み重ねによって、たどりついたのが現在の変容の状況であり、従来、死の変換法の近代化といわれてきたものである」

 続けて著者は人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」という考え方を借りて、以下のように述べています。

「それは体系的な観念によってその手段がそれぞれ効率化されていくマクロからミクロへの改変の方向性ではない。儀礼の細部における効率化の際には、その儀礼の観念レベルまで改変することはなく、手続きの効率化、つまりミクロからマクロへの方向性により、結果として観念体系自体が変わっていくことになる。こうしたブリコラージュ的な作業の累積によって、死の変換法が近代化していったのである」
 そして「あとがき」で、著者は以下のように述べるのでした。

「この調査を始めたときには、まだ葬儀の変化といっても今ほど多様な話題が上ることは少なく、本書刊行までに、これほどの大きな変化が生じていることには、正直驚きを隠しえない。1990年代初頭には、墓制についてはやっと散骨が、1つの葬法として可能であることが、次第に人々のあいだで認知されつつある状況であった。それがわずか15年ほどのうちに、斎場での葬儀が急増し、いわゆる無宗教葬など故人らしい葬儀が主張されるようになり、エンバーミングが認知され、さらに全く儀礼を行わずに火葬のみの『直葬』や通夜葬儀を短縮して行う『1日葬儀』が登場するなど、当時は想像がつかなかった事態が起きている」

 本書が刊行されてから、さらに10年が経過しています。
 この間、葬祭業界をはじめ、日本人の死と葬儀は激変しています。
 冠婚葬祭総合研究所の客員研究員でもある著者には、ぜひ本書のアップデート版を書いていただきたいです。葬祭研究の第一人者としての著者の今後の活躍に大いに期待しています。

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