No.1260 宗教・精神世界 | 神話・儀礼 『宗教とはなにか』 小林道憲著(NHKブックス)

2016.06.10

 『宗教とはなにか』小林道憲著(NHKブックス)を読みました。 「古代世界の神話と儀礼から」というサブタイトルがついており、1997年に刊行されています。古代宗教の生命観・自然観を通して、宗教の祖型と構造を探る好著であると思いました。著者は1944年福井県生まれの哲学者で、元福井大学教育学部教授です。

 本書のカバー前そでには[われわれは何処より生まれ、何処へ逝くのか]として、以下のように書かれています。

「宗教とは何なのか。”カミ”とは、どのような存在なのか。 古代びとは、森羅万象に”カミなるもの”を感じとり、大いなる自然の営みに畏怖の念を抱いた。万物の生成と豊饒をねがい、生と死のはざまに身を置くことは、永遠に連環する宇宙生命の輝きに驚き、無限の闇に沈む死を忌むことでもあった。人間に内在する原初的な感性こそが、”宗教的なるもの”の原形ではないのだろうか。本書は、宗教の根源にある生命観・自然観を、概観し、既成宗教の媚態となった世界の古代宗教と、その儀礼や神話から”宗教”の意味に迫るとともに、日本的な宗教の祖型と構造を読み解くものである。”こころ”の時代の必読の書」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

プロローグ「宗教の本質の探究」
(1)大いなるものへの畏怖
1 大自然への畏怖
2 死の自覚
3 原始宗教
4 宗教とはなにか
(2)大地と生命
1 生成
2 豊饒
3 死
4 再生と循環
(3)死と再生
1 魂と肉体の分離
2 冥界の諸相
3 冥界からの再生
4 生と死の連続
(4)生成と創造
1 混沌からの生成
2 生成の弁証法
3 創造と再生
(5)儀礼と象徴
1 宇宙の循環と農耕牧畜儀礼
2 古代の密儀
3 儀礼の意味
(6)罪と悪の自覚
1 混沌と秩序
2 罪と罰
3 原罪と審判
4 解脱と救い
エピローグ「宗教と日本人」
「註」
「主な参考文献」
「あとがき」

 プロローグ「宗教の本質の探究」で、著者は以下のように述べています。

「宗教体験は、神話や儀礼という言語や身体を介した象徴の体系として表現されているが、 この象徴の体系から、そこに隠されている宗教体験の意味を解釈することによって、普遍的に成り立つ宗教の本質も了解されうるのである。神話や儀礼の形で表現されている現象は、一見理解しにくい内容や振る舞いに満ちている。だが、そこから、そこに潜んでいる意味を理解し、時代を越えて共通する宗教体験を取り出すことによって、”宗教とはなにか”ということが理解されうるのである」

 著者は本書の意図について、「神話や儀礼など様々な象徴によって表わされている宗教的表現の中に、人々がもっていた原初的な宗教感情を読み込み、その意味を解釈することに向けられている」とし、さらに以下のように述べています。

「この原物的な宗教感情は、ここでは、大いなるものへの畏怖と帰一の感情、宇宙の大なる生命への畏怖と帰一の感情にみられている。本書は、原始世界や古代世界の儀礼や神話の解釈を通して、一貫して、そのような原初的宗教感情を読み出そうとするものである。宗教は、宇宙生命への畏怖の感情に始まり、宇宙生命への帰一の感情によって完結する。この時、人間は大宇宙を映す小宇宙となる。本書では、原始宗教や古代宗教の原初に帰ることによって、そこに潜むこのような宇宙論的感情が取り出されてくる。宇宙論的宗教感情は、宗教というものの最も古い層を形成しているとともに、古代宗教から高度宗教を経て現代の宗教にまで一貫して流れる感情でもある。それは、あらゆる宗教に共通する原初的感情である」

 (1) 「大いなるものへの畏怖」の1「大自然への畏怖」の冒頭では、「大自然、この大いなるもの」として、著者は以下のように格調高く書いています。

「人間が人間として大地に立った時、われらの祖先の視界に開けてきたものは、頭上遙か高くに広がる天空と、遠い地平線にまで続く広大な大地であったであろう。天空には、輝く太陽があり、夜空を照らす月があり、瞬く星があった。そして、天空は、一陣の風とともに雲に覆われ、やがて雷のとどろきとともに、大地に雨を降らせた。また、この大地には、草や木が繁茂し、動物たちが蠢き、何より、自分たちを保護してくれる洞窟があった。しかも、大地に屹立する山々は、遠く天空にまでつながっていた」

 続けて、著者は以下のように述べています。

「これら天地に宿る自然万物は、偉大な力をもち、その偉大な力によって人間に豊かな恵みを授けてくれると同時に、恐ろしい猛威も振るった。この大自然の力の前で、人間は無力であった。人間は、ただ、大自然の偉大な力に従う以外になかった。自然の力は人間の力を越え、計り知れない神秘なものであった。人々は、この大いなる自然の力を恐れ、大自然の人智を越えた力に、無限の畏怖の念を懐いた」

 そして、著者は以下のように述べるのでした。

「この大いなるものへの畏怖の念こそ、宗教の出発点であった。人々が、この畏怖の念から、大いなる力をもった自然を、偉大な生命力をもったものとして崇拝したのも不思議ではない。人々は、天空、太陽、月、星、雷、風、大地、草、木、土、石、海、山、洞窟、水、火など、自然のすべてのものに宿る大いなる生命力の中に神的なものを見、その中に生きていたのである」

 著者は、太陽について次のように述べています。

「この天空に輝く太陽は、原初の人間にとって、世界を明るくし、生きとし生けるものの命を養う生命力の源泉と観念された。太陽は、認識と生命力の象徴であった。太陽は、月とともに、天空神の息子であり、天空神の眼であり、地上のあらゆる生物を生かす無限の力を持った神として尊ばれた。しかも、この太陽神は、やがて天空神にとってかわって、天空の最高存在者となっていく。さらに、人間社会の発展とともに、共同社会の統率者自身、しばしば太陽神の子として崇拝されるようになっていった。古代エジプトをはじめ、アフリカ、太洋州、日本、古代メキシコ、古代ペルーなどで発達した様々の太陽信仰は、原初の太陽崇拝の発展していったものであった」

 続いて、著者は月についても次のように述べます。

「月も、天空の眼として、夜を照らし、夜を支配した。特に、月は、時を測定して人に知らせ、月月の区切りを教えた。また、月の満ち欠けは、死と再生を表わし、生命の永遠を表わした。人々は、月の満ち欠けを通して、死が最終的なものではなく、新たな生の始まりだということを知ったのである。この月に対する信仰は、農耕の発見よりも遙か以前の後期旧石器時代のオーリニャック期(およそ3万年前)からすでにあったと言われている。この頃から、人々は、すでに、月のサイクルを利用して、日月を骨などに刻んでいたのである」

 2「死の自覚」では、著者は「死」について以下のように述べます。

「死、つまり、生きていた者がいなくなるということ、存在していた者が存在しなくなるということ、このことは、原初の人間にとって、極めて不可解なものとして永遠の問題を投げかけた。人はなぜ死ぬのか。人はどこから来て、どこへ去るのであろうか。死後の世界は果たしてあるのであろうか。昔も問われ、今も問われ、なお答えられないこの永遠の問いは、人間が人間として大地に立った時以来の問いであった。と同時に、この死の自覚とともに、世界もまた巨大な問いと化した。この世界はどこから来て、いかにして存在するに至ったのであろうか。自らの死を自覚するということは、同時に、自分自身を超える大いなるものを自覚することであった。宗教は、人類誕生以来、これら、人間の死と世界の存在についての問いに、様々の神話や儀礼を通して答えてきた。宗教というものの大きな出発点が、この死の問題であった」

 わたしも、拙著『唯葬論』(三五館)の「神話論」において、「神話と儀式とは、『死』という人生最大の謎であり不安に対する二大対応なのだ」と書きました。同書の帯には「問われるべきは『死』ではなく『葬』である!」ですが、本書『宗教とはなにか』でも、以下のような「埋葬の意味」が述べられています。

「埋葬という行為は、死の自覚の表現である。死後の世界という観念も、埋葬という行為によって表現される。人間は、意味世界に生き、その意味世界を行為によって表現する存在である。埋葬という儀礼が始まった時、人間は死の明確な自覚に達したと言える」

 また、「聖なるものの顕現」として、著者は以下のように述べています。

「原始宗教においても、古代宗教においても、高度宗教においても、例外なく行なわれていた様々の宗教儀礼は、人間が大いなるものを畏怖し、大いなるものに帰一しているという宗教感情の表現であり象徴である。未開社会においても、原始社会においても、古代社会においても行なわれてきた動物供犠1つをとっても、それは、人間を越える大いなるものへの感情の表現であり象徴であった。人間は、世界の中にあって世界を問うとともに、世界を理解することによって、世界とのつながりを回復する。大いなるものへの畏怖と帰一を本質とする宗教も、世界の理解と世界とのつながりの表現である。宗教は、これを、儀礼によって象徴的に表現する。人間は、儀礼を通して、大いなるものに通ずるのである」

 さらに著者は、以下のように述べるのでした。

「人間をはじめ、あらゆる生きとし生けるものが、大宇宙の一部であり、大宇宙を映す小宇宙であることを、諸宗教は、儀礼や神話を通して象徴的に表現している。人間、動物、植物、物質の固体の1つ1つが宇宙の命の表現であり、その中に全宇宙が働き出ていること、したがって、また、すべてが宇宙全体とつながっており、宇宙の根源的生命に帰一するということを、宗教は、無数の表現形式を通して、語り続けてきたのである」

 (2)「大地と生命」の4「再生と循環」では、エレウシスの密儀が以下のように紹介されています。

「古代ギリシアのエレウシスの祭儀は、豊饒神デメテルが娘のペルセポネを取り戻したことを記念するものであった。毎年秋に行なわれる本祭は、1日におよぶ行列で始まり、黄金時代の古式に則り、デメテルを祀る各聖堂に地域の産物を供え、巡礼していくものであった。さらに、ペルセポネの失踪と帰還の物語が、音楽と舞踊付きで演じられた。 小麦の種は、夏の間、暗い地中に埋められて保存され、秋になって蒔かれ、再び芽を出してくる。この穀物の死と再生が、ペルセポネの冥界への誘拐と冥界からの帰還の神話に象徴される。エレウシスの祭儀は、これを盛大に再現するものであった。この祭儀で行なわれる秘儀では、女神の再生にちなんだ儀礼が行なわれ、その儀礼への参加者の再生を約束した。人々は、この秘儀に参加することによって、自分たちが、そこへと死し、そこから再生する大地の子であることを体験したのである」

 この読書館でも紹介した鎌田東二氏の著書『世阿弥』では、神話や儀式や宗教や芸術が誕生した舞台としての洞窟について述べられていますが、本書『宗教とはなにか』でも以下のように洞窟が取り上げられています。

「洞窟も、死と再生、そして生命の永遠の象徴であった。世界の各地で、太古に、洞窟が死体を埋葬する葬場に使われていたのも、そのためである。死者は、冥界の入口である洞窟の穴から、母なる大地の子宮に帰り、再びそこから再生してくるものと考えられた。 イエスが聖母マリアから生まれてきた場所は、ベツレへムにある馬屋ではなく、洞窟であったという別の言い伝えがあるのは、キリスト教以前の古代信仰からきている。そこには、子供が、母なる大地から、処女精霊の子として、洞窟という大地の子宮から生まれるという信仰があったのである」

 そして著者は、(2)「大地と生命」の最後に以下のように書くのでした。

「大地女神の数多くの神話が語る生成・豊穣・死・再生・循環の物語は、宇宙の根源的生命の再生と循環を象徴的に語っており、宇宙生命の永遠を表現している。われわれの死も、宇宙生命への回帰に他ならない。肉体も魂も、ともに死を通して宇宙生命へと帰還し、再生してくる。この宇宙の根源的生命への帰一の感情こそ、宗教がその発生以来求めてやまなかったものであった」

 (3)「死と再生」の1「魂と肉の分離」では、著者は「葬送儀礼」について以下のように述べています。

「葬送儀礼は、どこでも、死者の亡骸を葬り、死者の霊をこの世からあの世へ送る通過儀礼である。したがって、他の通過儀礼同様、葬送儀礼も、死というものを一定の時間的な経過をもった過程としてとらえる。ファン・へネップ(1873-1957)によれば、一般に、通過儀礼は、当事者が社会的な母体から引き離される『分離』の期間と、試練を経て心の状態を変容させる『移行』の時期と、変容した当事者が再び共同社会に統合される『統合』の時期の3つの局面を備えていると言われる。死の儀礼も、死者の埋葬の儀礼と、死者の霊のまだ迷っている時期の儀礼と、死者の霊が最終的にあの世に住む時期の儀礼と、3段階に分かれる。だから、死の儀礼では、死者の埋葬ばかりでなく、死者の霊のあの世への旅立ちを助け、死者が無事にあの世へ到着するように、生者が死者に配慮をすることが必要になってくる」

 2「冥界の諸相」では、著者は以下のように述べます。

「一般に、死者の眠る冥界が地中深くにあると考える地下他界観は、死者を葬る墓のイメージから他界を想像し、そこを現世の喜びもなく暗い世界だと想定している。しかし、この地下他界観は、本来は、大地こそ死者の眠り安らう故郷だという考えに源泉をもつものであろう。草や木や虫と同じように、人間も、また、大地から生まれ大地へと死していくものと考えられていたからである。生が大地からの出現であるとすれば、死は生の根源である大地の懐に帰ることであった。とすれば、大地に生える植物と同じように、人間も、また、大地から再び甦ってくるものと期待されていたと解釈することもできる」

 また、世界各地の神話に登場する冥界について、著者は述べます。

「世界各地の神話に残っている大地神や英雄神の冥界下りの物語には、死んだ夫や妻などを求めて、それを連れ帰るべく、冥界に旅立つという設定が多い。しかも、その冥界は、大概は地下にあり、洞窟などの入口を通って、あの世とこの世を区別する川を越えて、ようやく至り着くと想像されている。冥界には、多くの怪物が棲み、冥界の王や女王が君臨し、死者を支配していると考えられている。この冥界のイメージは、もとは、大地に生える草木の死や、大地の果てに沈む太陽のイメージから想像され、死者を埋葬する墓のイメージとも重なり、たくましい想像力によって、より豊富にされていったものであろう。とすれば、この冥界下りの物語も、大地を通しての生命の循環という考えに起源を発しているものと理解することができる」

 冥界の様子を詳細に記した本といえば古代エジプトの『死者の書』が思い浮かびますが、著者は以下のように述べています。

『死者の書』は、死者が冥界に至るまでに経験する恐ろしい試練を乗り越え、法廷を無事通過するための呪文や祈り、まじないや言葉を、死者に前もって授けようとした冥界の旅の手引き書であった。そこでは、たとえ生前に悪いことをしていても、呪文や言葉を覚えていて、その通りに言えれば、地獄の沙汰も免れると思いなされていたのである。ここには、生前の行ないの善悪に応じて死後の運命が決まると考える応報の思想は、まだ現われてはいない。 もっとも、『死者の書』とは別系統の宗教思想に基づいた『他界の書』によれば、死者の霊は、夜の12時に応じて12に分けられた冥界ツアトで、前世の業に応じて、善悪それぞれの報いを受けるという。悪人は、水に漬けられたり、火で焼かれたり、蛇に食われたりする。ここには、すでに、インドなどで発展した応報の思想がある」

 さらに著者は、古代エジプト人の冥界について以下のように述べます。

「古代エジプト人は、人が死んでも、冥界を無事通過すれば、再び甦り、太陽神ラーのもとで栄光ある姿をとって再び生きることができると信じていたようである。そのためには、何よりも冥界を無事通過し、オシリスの審判もうまくくぐり抜ける必要があった。それゆえにこそ、『死者の書』には、様々の魔力をもった名前や威力のある呪文や法廷での弁明の台詞などが、こと細かく書かれていたのである。『死者の書』は、むしろ、死者の再生ための書であった。現に、それは、本来は、『日の下に出る書』と名づけられていた。古代世界で、エジプト人ほど死の魅惑に取り憑かれた民族はいなかったと言われる。数多くのミイラやピラミッドを思えば、確かに、エジプト文明は死に取り憑かれた文明のように思われる。しかし、それは、本当は、再生と復活そして永生をこよなく願った文明だったのだと言わねばならない」

 4「生と死の連続」では、自然のイメージが古代人の世界観や人生観に影響を与えたことが以下のように指摘されています。

「太陽、月、星、大地、植物など、自然のイメージは、古代人の世界観や人生観を基礎づけた。沈んでも昇る太陽、欠けても満つる月、消えても現われる星、滅ぼすと同時に甦らせる大地、死しても甦る植物は、人々に死と再生の哲学を教えた。死は終わりではなく、新しい生の始まりであることを教えたのは、大自然の循環であった。人間の生死も、自然と連続しており、大自然の循環の中に組み込まれたものであった。生は死であり、死は生である。自然の永遠の循環に加わることによって、死者も、永遠の生を受け、不死となる。人間も、永劫に回帰する宇宙の生命力と一つである。宇宙生命への畏怖の念から出発した古代宗教は、宇宙生命への帰一の感情に、その最も深い基盤を見出したのである」

 (3)「死と再生」の最後では、著者は「宇宙生命への帰還」について以下のように述べています。

「人は、死と再生を繰り返しながら、偉大な宇宙の循環の中で、その根源的生命力を維持する。それどころか、一般に、古代宗教では、宇宙そのものも死と再生を繰り返して、常に更新されるものと考えられてきた。太陽は、夕べに死して、夜の世界を通って、翌朝、再び甦ってくる。太陽は、また、冬至に向かって次第にその力を弱めていくが、冬至を境にして再びその生命力を回復する。この太陽の死と再生が、また、宇宙そのものの死と再生の観念を呼び起こしたのであろう。この太陽の循環によって起きる季節の移り変わりも、宇宙の死と再生、絶えざる更新の象徴となった。冬の訪れとともに、万物はまるで死んだかのようにその生命力を衰えさせるが、春の訪れとともに、自然は再び生命力を取り戻し、甦ってくる。太陽や季節をはじめ、月や大地や植物など、様々の循環するものが、宇宙そのものの死と再生、周期的な更新という観念を生み出した。宇宙は、毎年、周期的に死と再生を繰り返し、一旦原初に帰って更新される」

 (4)「生成と創造」の1「混沌からの生成」では、著者は「宇宙」について以下のような素晴らしい名文を書いています。

「宇宙は、永遠の過去から休むことなく生成発展してきた巨大な流動である。宇宙は、無限の活動力であり、永遠の生成である。生成こそ宇宙の本質である。宇宙の根源には、無限に活動し、創造してやまぬ根源的生命が働き出ている。万物は、この無限の活動力としての宇宙生命から生成し来たったものである。 宇宙生命への深い畏敬の念こそ、古代宗教を成立させていた原初的な宗教感情であった。この原初的な宗教感情を出発点にして”混池からの万物の生成”を説く古代の世界創成神話は、少なくとも、以上のような豊かな自然観、宇宙観の萌芽を語っているように思われる」

 3「創造と再生」では、「創造型神話」について以下のように述べられます。

「世界がどのようにして創成されたかを説く世界創成神話には、混沌からの生成を説く生成型神話と、超越神による創造を説く創造型神話と、2つの大きな類型がある。このうち、創造型神話では、生成型神話とは違って、1人あるいは複数の高神が何らかの方法で世界万物を創造したという形で、世界創成が説かれる。特に、ヘブライ神話は、唯一の至高神が単独で世界を創造する形式をとる。しかし、この神話にも、いくつかの点で、それ以前の生成型世界創成論の影響が見られる」

 また、著者は「創造と破壊」について以下のように述べています。

「太陽は、朝、天に昇り、夕べには地に沈む。そして、それを繰り返す。月も満ち欠けを繰り返す。季節も、また、勢いの盛んな春夏を過ぎ、秋冬になれば衰える。それにつれて、植物も、春から夏にかけて、芽を出し生長し花を咲かせるが、秋から冬にかけて、実を結ぶとともに、枯れ萎んでいく。そして、それを繰り返す。世界の創造物は、どれもが死と再生を繰り返す。それと同じように、創造された世界全体も、死と再生を繰り返すと考えられたのである。世界の死と再生という観念、つまり、世界は創造と破壊の反復であり、混沌への復帰とそこからの再創造の繰り返しであるという考えは、このような世界万物の生命力の循環から想像されたのであろう」

 (5)「儀礼と象徴」の1「宇宙の循環と農耕牧畜儀礼」では、宇宙と人間社会の更新について、以下のように述べられています。

「古代の人々にとって、新年は、古い1年が死に、新しい1年が再生してくることに他ならなかった。特に、それが、バビロニアのように、ものみな芽吹く春の到来と重なっている時には、1年の始まりは、すべての生きとし生けるものの甦りを意味した。新年祭は、1年の死と再生、冬の死と春の到来を祝い、これを表現する儀礼であった。世界は、1年の終わりとともに、始源の混池に帰り、1年の始めとともに、そこから再生して秩序を回復する」

 続けて、著者は世界創世神話について以下のように述べます。

「世界創成神話が新年祭の度ごとに繰り返されたのは、この始源への回帰とそこからの再生を保証するためであった。古代の人々にとって、宇宙は、常に死と再生を繰り返し、1つのサイクルを描くものと考えられた。四季の移り変わり、太陽の運行、月の満ち欠け、惑星の軌道運動などは、この宇宙の循環を象徴するものであった。しかも、そのような宇宙観が、新年祭という儀礼によって表現されたのである。新年ごとに詠唱された世界創成神話は、年々の宇宙秩序の確認に他ならなかった」

 また、動物供犠について、著者は以下のように述べます。

「農耕牧畜社会に多くみられる動物や家畜の供犠の儀礼も、宇宙論的意味をもっている。動物や家畜の犠牲は、通常、神々への犠牲、つまり、人間に幸福をもたらしてくれるように神々の協力を要請するための犠牲と考えられている。それはそれで正しいのだが、しかし、動物供犠には、さらに、それ以上の意味がある。犠牲にされる牛や馬など、動物や家畜は、それ自身聖化されている。しかも、それが儀礼の重要な中心をなしているような場合には、それ自身が神または宇宙の神聖な象徴である場合が多い。動物の犠牲式は、それ自体、世界創成の再現という意味をもっていたのである。さらに、聖化され解体された犠牲獣の肉を、供犠に参加した人々が共食するというような場合には、宇宙の原初であり最も力強い神の霊力を自らの体内に宿すことによって、人間自身が再生するという意味をももっていた」

 動物供犠に続いて、人身御供についても著者は述べます。

「人身御供の場合も、動物供犠と同じような意味をもっていた。確かに、犠牲にされる人間は神々への犠牲であるが、同時に、犠牲にされる人間自身が神として扱われている面は見逃すことができない。実際、古代インドの馬の供犠、アシュヴァメーダの後にも、すぐに続いて、人の供犠が行なわれたという。そこでは、1年の間自由を与えられたクシャトリアが選ばれ、犠牲に供されると、王妃がその死体の傍らに添い寝をしたという。もっとも、この供犠が実際に行なわれたかどかは定かではない。だが、ここでも、犠牲にされる人間は、宇宙創成当初の巨人プルシャやプラジャーパティ神とも同一視され、アシュヴァメーダの儀礼の場合と同様の意味をもっていたと理解される。人身御供の儀礼も、動物供犠と同列のものとみてよいであろう。それは、いずれも、宇宙創成の再現なのである」

 2「古代の密儀」では、著者は「死と再生の儀礼」について以下のように述べています。

「宇宙の循環を反映していた農耕牧畜儀礼は、社会の発展とともに、国家の繁栄を保証する王権儀礼にまで進展していったが、他方では、また、これは、非公開の密儀宗教をも生み出していった。古代の密儀宗教としては、イシス―オシリスの密儀、エレウシスの密儀、オルフェウスの密儀、ディオニュソスの密儀、キュベレとアッティスの密儀、ミトラスの密儀など、数多く知られている。これらは、どれも非公開で、参加者はその内容について口外してはならないとされていた。そのため、今日のわれわれは、これらの密儀に関しては断片的にしか知ることができず、その詳しい内容はよく分からないというのが現実である」

 しかし、これらの密儀宗教は、何よりも、非公開の祭儀を中心とする高度な宗教体系であるという点では共通していました。著者は述べます。

「それは、どこまでも祭儀に参加することによって、哲学的思弁ではなく、身体を通して、ある宗教的経験を得ることを目標としていた。しかも、救済の対象は、国家や集団ではなく、個人であるという点が、他の共同体に向けられている宗教とは違う点である。したがって、古代密儀宗教は、それを執り行なう祭司や神官など聖職者集団と、それに個人として参加する信徒によって支えられていた」 古代の密儀というものは、どれも、死と再生の儀礼を通じて、宇宙生命への帰一を体験しようとするものでした。密儀への参入者は、儀礼を通していったん死に、宇宙という母胎に帰って再生してきました。そして、宇宙の大いなる霊力を自分自身の中に宿そうとしたのです。

 3「儀礼の意味」では、著者は儀礼の目的を「宇宙との合一」に見て、以下のように述べています。

「王権儀礼にまで発展した新年祭にしても、播種や収穫に伴う農耕儀礼にしても、春分や秋分、夏至や冬至など、宇宙の循環の中で営まれる。この農耕儀礼から発達し、高度な儀礼体系を完成させた古代の密儀宗教も、宇宙の循環の中で、宇宙生命と1つになることによって、永遠なる生を獲得しようとするものであった。生と死をはじめとして、人間のすべての営みは、宇宙の循環の中で営まれる。人間が人間として大地に立った時以来、儀礼は、人間が宇宙の循環とともにあることを表現してきた。人間の生そのものが宇宙秩序の中にあり、宇宙秩序が人間の生そのものの中に宿っているということを表現してきた。宇宙生命への畏怖の念から出発した宗教感情は、何よりも、それを儀礼という形で表現したのである。儀礼は、人間存在が宇宙秩序の中にある存在だという原初的宇宙感情の象徴的表現なのである」

 著者によれば、祭儀や祝祭は、宇宙論的な意味をもった神聖な遊びであるといいます。それは、神々との合一、宇宙生命との合一という日常を超越した世界へ遊ぶことです。そこでは、厳粛と過剰、禁止と放埒が同居しており、真面目と遊びが1つになっているのです。 さらに著者は以下のように述べています。

「祭儀や祝祭における儀礼は、何ものかの表現である。とりもなおさず、1つの宇宙感情の表現である。人間は、宇宙の秩序と循環を、儀礼という形で演じ、表現する。儀礼は、世界の表現であり、世界観の表現であり、一種の芸術である」

 続けて、世界の表現としての儀礼について、著者は述べます。

「王権儀礼にも現われているように、祭儀が社会統合の働きをも果たすのは、儀礼が世界の表現であり、その社会の世界観の表現だからである。古代バビロニアの新年祭や古代インドの馬の供犠にも現われているように、儀礼は、世界の表現であると同時に、社会統合の表現でもある。古代では、人間の営む社会の秩序も、宇宙の大きな力に支えられているものと考えられていたからである。宗教の社会的機能も、その宇宙論的本質の方から考えねばならない」

 そして、著者は神話についても以下のように述べるのでした。

「儀礼ばかりでなく、神話も、その社会の世界観を表わす。そのため、多くの場合、神話は儀礼と深くつながり、人間とその営む社会の安定原理となる。世界観は、神話として表現され、神話は儀礼として表現される。神話は、原初の時代と神々の時代を物語り、その社会の原型を形づくる。しかも、それは、祭儀や密儀の儀礼を通して再現される。神話的原型は、絶えず、儀礼として再現されるのである。そればかりか、しばしば、神話自身が儀礼の中で朗誦され、それが儀礼の重要な一部をなしている。人々は、儀礼を通して、神話的な原初の時間に立ち返り、生を更新し、その社会を秩序づける」

 「世界観の表現」として、著者は神話と儀礼について以下のように述べています。

「1つの世界観は、神話として表現されるとともに、儀礼という身体行為としても表現されて、はじめて現実のものとなる。儀礼は神話によって基礎づけられ、その社会の世界観や宇宙観を表現する。人々は、儀礼という共同の芸術作品の中に入ることによって安定するが、それは、儀礼が神話に基礎づけられ、大きな世界観、宇宙観に基礎づけられているからである。もっとも、神話と儀礼はいつも結びついているとはかぎらず、何ら連関をもっていない場合もある。また、神話から儀礼が生まれる場合もあれば、逆に、儀礼から神話が生まれる場合もある。ただ、神話と儀礼は、相互に作用し合って、社会を維持する原理となる。古代社会では、世界観、神話、儀礼、社会が有機的に連関し、全体が、1つの芸術作品のように、見事な表現体系を成している」

 また、著者は「儀礼と象徴」として、以下のように述べます。

「古代社会では、一般に、物事の本質を象徴によってとらえ、象徴と象徴の連関によって、ある1つの世界観が表現される。神話同様、儀礼も、象徴による世界観の表現である。儀礼は、それを、身体行為を通して行なう。儀礼は身体を通した表現であり、身体そのものを象徴とする表現である。古代人の象徴志向を、近代の概念的志向からみて、不合理とすることはできない。儀礼という演劇性を備えた身体行為の中に、その社会の宇宙観や世界観は表現される。儀礼は、そのような普遍的意味を集約する象徴である。儀礼は、その意味で、1つの世界解釈である。宇宙、自然、社会、人間の諸関係の解釈である。だから、その社会の儀礼を見れば、その社会の世界観が読み取れる」

 著者は、古代人の思考様式としての象徴思考について述べます。

「古代人は、象徴と象徴の連鎖によって構成される象徴体系をもち、それによって世界観を表現するのである。古代社会の宗教体系は儀礼や神話によって構成され、儀礼や神話は聖なる象徴群よって構成されている。そして、それは、象徴によって、人生と世界の根源的真実を表現する。宗教は、象徴を通して世界と人間に究極的意味を与える象徴の体系である。 古代社会の儀礼は、宇宙論的な意味体系の中で、人間存在の根源的意味を、その象徴群によって表現している。それゆえ、儀礼に参加することによって、人は自分自身を理解することができる。人間は単に個人として存在するのではなく、大宇宙の中の小宇宙として、全体の中の部分としてあることを理解する。そして、自己一個の生と死を越えて、自己の生命は、永遠に存在する宇宙の生命と一つであることを理解するのである。この時、人は、その存在の意味を獲得し、安定的基盤を得て、一個の人格として統合される。儀礼が人々を結びつけ、社会の統合原理となるのも、そのことによる」

 さらに、「大宇宙と小宇宙」について、著者は以下のように述べます。

「古代の儀礼がすでに示しているように、人間は大宇宙を映す小宇宙である。人間自身が宇宙の象徴なのである。宗教は、人間それ自身を、大宇宙の象徴に変える。太陽の運行、月の満ち欠け、四季の変化、昼と夜の交代、潮の満干、どれをとっても、宇宙は周期を描いて絶えず動いている。人間も、また、この宇宙の運行を映している。人間と宇宙は一体である。人間は宇宙の中にあり、宇宙は人間の中にある。われわれは大いなる宇宙の中に生きているとともに、われわれの中に大いなる宇宙が生きている。人間は大宇宙という全体の部分であると同時に、この部分の中に全体は宿る。人間は、宇宙という巨大な生命体の中に統合されていると同時に、宇宙の生命力は人間の中にあまねく宿っている」

 そして、宗教儀礼について、著者は以下のようにまとめています。

「聖なる時間と聖なる空間の交差するところにおいて成り立つ宗教儀礼は、その中で、時間と空間の交差する宇宙そのものを表現する。人々は、この儀礼の聖なる時空を通して、宇宙と交感する。人間をはじめ生きとし生けるものは、宇宙の大いなる生命にあずかり、それを分かち合って生きている。古代の儀礼は、そのことを、繰り返され定型化された身体行為によって表現していたのである」

 (6)「罪と悪の自覚」の4「解脱と救い」では、高度宗教への移行について、著者は以下のように述べています。

「いつの時代も、悪は絶えることはなかった。この世は、自然の災い、人間社会の不正や不条理、人生の苦や死、空しさなど、悪に満ちていた。現世は悪であった。古代宗教では、一般に、これらの悪を秩序の混乱として受け取り、その起源を人間の罪に求めた。したがって、罪を洗い浄めれば、悪はなくなり、秩序は回復すると考えた。悪は宇宙秩序の混乱に他ならず、乱れた秩序は、儀礼によって罪・穢れを浄化することによって、回復できると考えた。古代宗教の諸儀礼には、宇宙の再生によって人間および人間社会の再生が可能だという宇宙論的考えがあった。古代宗教は、メソポタミアの新年祭からオルフェウス教などの密儀宗教に至るまで、罪の浄化の原理によって悪を祓い、絶えざる再生の中で永遠の生を獲得しようとした」

 続けて、神話と儀礼について、著者は以下のように述べます。

「神話と儀礼は、その浄化の原理の表現であった。人々は、神話と儀礼を通して、始源の無垢と完全さを回復し、再生をはかったのである。神話は、単なる物語ではなく、生きられる現実であり、儀礼は、それを具体的な行為によって象徴的に表現する。人々はこの生きた現実としての神話や儀礼を通して、自己の生きる基盤を見出した」

 エピローグ「宗教と日本人」では、著者は以下のように述べています。

「神と仏の一方を取り、他方を捨てるのではなく、両方とも等しく崇めるのが、伝統的で平均的な日本人の生き方であった。しかも、日本人は、古来、神と仏、神道と仏教をうまく分業させ、その共存を計ってきた」 「儒教は、日本の場合、宗教として受け入れられることはなかったが、これは、政治社会の倫理規範として、仏教とともに受け入れられた。かくて、われわれは、日本文化のあり方を、昔から、”神儒仏”と言い習わし、われわれの精神的源泉を明らかにするとともに、われわれの価値観が多様な価値の併存によって成り立っていることを表現したのである。鎮守の森の神社と祖先の供養をするお寺を抱え、長幼の序を守って緊密な共同社会を営んでいたわが国のかつての村の風景は、とりもなおさず、わが国の文化が神儒仏の3つを精神的支柱として成り立っていること、しかも、それらがどれも捨てられることなく程よく併存していることを、身近に表現するものであった」

 日本人の「こころ」ともいえる”神儒仏”について、著者は述べます。

「儒教や仏教は、どちらかと言えば、日本人の精神生活の表層部分を形成し、その深層部分に神道があった。わが国の文化は、その深層部分に流れている神道的心情を土壌とし、その上に、仏教や儒教の考えが生かされて、それぞれが互いに浸透し、変容し合いながら、形成されてきたのである。よく言われるように、わが国の文化は重層的に出来ている。わが国の儒教や仏教の奥深くには、それを成り立たせている土壌としての神道がある。日本人の宗教的心意の源泉を尋ねていくと、結局、神道的心意に至り着く。これが基盤になって、多様な価値が併存してきたのである」

 そして、この魅力に溢れる好著の最後に、著者は述べるのでした。

「古代世界の神話や儀礼は、世界のどこでも、同じように、大いなるものへの畏怖と帰一、宇宙生命への畏怖と帰一という原初的な宗教感情を表現していた。それは、何よりも、大自然の偉大な力に対する畏怖の感情に始まり、人間の死の自覚を通して深まっていった感情であった。古代人は、どこでも、自然万物の中に宇宙の偉大な生命力が宿ると考え、そこに神的なものをみて、この偉大な自然の力に従った。そして、生きとし生けるものは、大自然の偉大な力に生かされており、死しても、大自然の場に帰り、そこから再生してくるものと考えた。生きとし生けるものは、宇宙の大いなる生命から生まれ、そこへと帰る。そして、この宇宙生命は、永遠であり、永劫に回帰するものと感じていた。古代人は、世界のどこでも、これを神話や儀礼の形で表現してきたのである」

Archives