No.1256 哲学・思想・科学 | 芸術・芸能・映画 | 論語・儒教 『茶道と中国文化』 関根宗中著(淡交社)

2016.05.30

 『茶道と中国文化』関根宗中著(淡交社)を読みました。 著者は、昭和21年京都生まれで、大谷大学文学部仏教学科卒業。現在は、裏千家事務総長、(一社)茶道裏千家淡交会副理事長、(学)裏千家学園理事・教頭、(公財)松下政経塾理事などを務めています。茶道月刊誌「淡交」の連載を書籍化したものですが、茶道と中国文化の関係をわかりやすく説明した好著でした。帯には「禅だけではない、茶の湯には中国の諸思想が息づいている。」「儒教、道教、易・・・。」と書かれています。

    本書の帯

 じつは、父である サンレーグループ佐久間進会長が、小笠原家茶道古流の全国団体である「未得会」の会長を今年から務めることになりました。それで会社をあげて茶道を勉強することになり、良いテキストがないかと探していたのです。また、次回作である『儀式論』(弘文堂)の資料にしたいという狙いもありました。茶道とは儀式文化そのものですから・・・・・・。

    本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

「前書」
一、「藝」について(一)
二、「藝」について(二)
三、酒掃・應對・進退
四、東洋的な藝について―中国の六藝―
五、『論語』と茶道―稽古と温故知新―
六、『論語』と茶道―茶道修行位階論源―
七、茶道と禮
八、茶道と禮―常と五常―
九、茶道の美
十、易と茶道のかかわり
十一、澤庵和尚の茶道観(一)
十二、澤庵和尚の茶道観(二)
十三、不老長生の妙薬―茶道と道教―
「あとがき」

 「前書」の冒頭には、以下のように書かれています。

「綜合文化や綜合藝術である茶道の全容理解のためには、禅の立場からの学問研究だけではなく、易経や儒教、道教はじめ、我が国の神道やキリスト教に至るまで、多種多様な宗教や思想の影響を考える必要がある。 茶道の大成者・千利休は臨済宗の堺の南宗寺や京都の大徳寺で参禅し、当時の高徳の僧と厚誼のあったことは周知のことであり、勿論、茶道への禅の影響の大きいことは事実である。しかし、当時の南宗寺や大徳寺などの仏教寺院では、内典としての仏教経典以外に四書五経等の外典の研究も行われ、内典よりも外典研究のほうが盛んであったと伝えられる」

 続いて、著者は以下のように述べます。

「特に、我が国では早くから四書五経の中でも『論語』『易経』の影響が、個人の人格形成から社会や国づくりにも及んでいる。このように考える時、当然のことながら、当時の日本の諸思想や諸宗教を背景にして、我が国を代表する固有の文化である茶道も大成されたと考えられる。茶道の開祖・珠光は、浄土宗の称名寺の僧でありながら、『山上宗二記』に「孔子をも学びたる」とあり、『南方録』はじめ多くの茶道古典や、また茶室や道具、点前から禅以外の諸思想からの姿や形を見ることが出来る」

 一、「『藝』について(一)」の冒頭では、著者は以下のように述べています。

「日本の伝統文化の分類には様々な呼称がある。例えば『藝道』『藝能』、あるいは『遊藝』『藝事』などであるが、その違いを明らかにすることはなかなか難しい。辞書によると、藝能及び遊藝とは『娯楽性の強い大衆的な藝の総称』とある。一方、藝道とは『技藝・藝能を修業する道』とあり、藝能に比べ、藝のあり方とその人のあり方を結合するもの、換言すれば藝そのものがその人の生き様でなくてはならず、修行性を伴う高い精神性を有しているものである」

 二、「『藝』について(二)」の冒頭では、著書は「茶道は綜合藝術といわれているが、西洋的な藝術の概念を超えた東洋的な『藝』の意味を合わせもっている」と述べます。 それから、「空間藝術について」として、以下のように述べています。

「茶道は四畳半という茶室空間にありとあらゆる藝術作品としての茶道具が飾り置かれる。それらは陶器、磁器、漆芸、裂地、木工、竹芸、金工、書、絵画などのあらゆる藝術ジャンルの作品の数々である。その他、露地や茶室も藝術作品である。これらの造形藝術は一定の空間を占めることから空間藝術といわれる。茶道では茶室という空間にこれら諸道具を取り合わせ、綜合させている。ここでいう綜合とは藝術作品である諸道具をただ寄せ集めているだけではなく、茶道の最高の理念である『侘(わび)』に基づいて体系化されることをいう」

 茶事そのものは二時、今の時間でいう4時間を要します。 このように一定の時間を経た後に藝術としての評価ができるものを時間藝術といいます。音楽や詩、文学、舞踏などが時間藝術であると説明した上で、著者は「茶道は、このように空間藝術と時間藝術の両者によって構成される。そこに、茶道が綜合藝術といわれる所以がある。一般的には茶道の他、映画や舞台藝術などが綜合藝術と称されている」と述べています。

 著者によれば、この綜合藝術としての茶道は、西洋的な藝術と比べていくつかの特質を持っているといいます。まず、綜合藝術としての茶道は、多様な藝術的ジャンルを包摂していますが、単にそれらを寄せ集めたわけではありません。茶道の理念である「侘」でもって一体的に体系化されることをいうのです。 次に、『茶の本』を書いた岡倉天心が「藝術家以上のものすなわち藝術そのものとなろうと努めた」と述べたように、茶人そのものも藝術であり、綜合藝術を構成する重要な1つの要素であるという点です。

 これらの茶道の特質を紹介して、著者は以下のように述べます。

「このことは綜合藝術としての茶道が単に美を追求する営みとその所産だけではなく、人間の人格形成に大きな影響を与えていることである。それは、日本人が日本人であるための精神的な基盤をなしているともいえる。もっというならば、茶道が人間の実生活と具体的かつ精神的に深く結び付き、茶道が日本人と日本社会を規定しているとか、支配しているといっても過言ではないであろう」

 三、「酒掃・應對・進退」では、「中国・周代の教育」が紹介されます。 周の時代とは、夏・殷の後、春秋戦国時代までの紀元前11世紀から紀元前2世紀までを指します。初代の文王、その子・武王や同族封建制として魯に封じられた周公旦などにより、国家の諸制度や文物が大いに備わりました。官制度の整備はもちろん、教育が重んじられ、天子の都、諸侯の都から田舎の村里まで学校が設けられました。村里には小学、諸侯の郡には国学、天子の都には大学があり、およそ7、8歳から小学に入り、貴族の子弟や一般国民の俊才なる者は15歳頃には大学に入り、国家、天下の人材養成が行われました。

 ここで、著者は以下のように述べています。

「この各段階の学校では洒掃(水を撒き掃き清めること)、應對(人の呼ぶに応じて問いに答える)、進退(立居振舞い)の小さな儀禮から始まり、士が学ぶべき、禮(禮節)・樂(音楽)・射(弓術)・御(馬術)・書(書法)・数(算法)の六藝を学んでいた。これが周の国の国民普通教育である。周代は我が国ではまだ縄文時代であり、農耕らしいこともなく、狩猟、採集、漁労などで日々の暮らしが営まれていた。勿論、天下や国家などもなく、学校教育なども到底考えられない時代である。しかし、その頃の中国では、学校制度が整備され学問と教育科目が体系化されていたことになる」

 また、「小さな儀禮」として、著者は以下のように述べます。

「儒教では家族や社会、国の成立は1人の良き人間、即ち人間本来の相を体得している1人の人間がベースになる。そしてこの良き人間同士の関係を円滑にする潤滑油の役割を果たすものが禮である。洒掃、應對、進退もすべて良き人間関係を築くために必要欠くべからざる禮と捉えられている」

 続いて、著者は以下のように述べています。

「茶道は点茶と喫茶の二者を機縁にして成り立つものである。点茶は亭主の、喫茶は客の役割である。一座建立も直心の交わりという亭主と客の仕え合う良き人間関係がなくては成立するものではない。そのためにまず『洒掃・應對・進退』の禮の基本を稽古や修行により会得しておくことが大切になる」

 そして、著者は以下のように述べるのでした。

「禅道や茶道・華道、また武道などの日本の伝統的な道の世界全般の稽古や修行の過程に、この洒掃・應對・進退や点前の三要素的な事柄を見ることができる。しかし、茶道ほどこれらの小さな儀禮を明確に且つ具体的に位置づけているものはない。「禮に始まり禮に終わる」という茶道の特色を物語るものであろう」

 四、「東洋的な藝について―中国の六藝―」では、茶道をはじめ、我が国の藝道の修行や稽古が「洒掃・應對・進退」から始まることが紹介されます。「洒掃」とは掃除と水撒きであり、「應對」とは人の問いに応じて答えること、また「進退」とは動作・立居振舞いをいいます。 周では教育制度が整備され、小学、中学、大学が設置され、士から万民に至るまで幅広く教育を施していました。その大学での教育内容が、東洋の「藝」の根本となる「六藝四術」でした。

 「六藝四術」とは何を指すのでしょうか。六藝とは禮(禮節)・樂(音楽)・射(弓術)・御(馬術)・書(書法)・数(算法)の六科目でした。次に、四術とは詩・書・禮・樂の四科目でした。『史記』によれば、四術よりも実践色の強い六藝を体得することの方が困難であったようです。

 六藝にも四術にも「禮」がありますが、著者は以下のように述べます。

「現代の日本では、長く続いた封建制の下で、禮というと形ばかりを重んじる形式ばったものであり、個人としての自由を束縛したり、人間関係を窮屈にするものとして捉えられている。しかし、人間は個人では生きてゆくことのできない存在であり、家庭や社会の中でこそ生きられるのである。禮の本来は、決して堅苦しいものでなく、その家庭や社会における人間関係をより良好にし、正しい秩序を築くための潤滑油的な存在であった筈である。禮は自然の理に基づく正しい秩序と考えられている。この禮の本来の姿を教えるのが茶道といえる」

 「禮の本来の姿を教えるのが茶道」という著者は、以下のように述べます。

「茶室の中の人々は全て平等であることを同席の客は理解しているものの、年齢や社会的な立場などの違いによって正客からお詰まで、着座する順序が自ずと決まってゆくのである。つまり、茶室の中は平等の精神であることには違いないが、そこには自ずと違和感のない秩序が生まれていく。特に洋装の多い昨今では、衣服で身分的上下、また社会的位置関係は判然としない。しかし、自然と茶室の中は正しい姿、秩序が体現される。この秩序が即ち『禮』である」

 続いて、著書は茶室の禮について、以下のように述べます。

「このような茶室の中の秩序を生む禮は、身分差による差別区別のために生じる詳細な禮の決まりごとによるものではなく、禮が『より良い人間関係』を築くという本来のあり様を踏まえた茶人の「はたらき」によって生み出される。儒教の影響を色濃く受ける茶道ではあるが、真行草、点前の三原則、洒掃・應對・進退など、実にシンプルな禮の姿が臨機応変なはたらきを生み出している。このことが、茶道の禮が日常生活に息づき、そして日本全体が礼儀正しく、秩序のある国と国際的に評価される要因であろう」

 そして、茶道の本来の意義について、著者は以下のように述べるのでした。

「茶道は綜合文化、綜合藝術と評され、多様な側面を持つ藝道である。そして、喫茶や点茶、また、道具の鑑賞等に止まるものではなく、倫理や道徳に基づく真の生活の実践を通じて高い精神的境地に達することこそが、茶道人の目標であり、茶道の本来の意義といえる」

 五、「『論語』と茶道―稽古と温故知新―」では、著者は『論語』について以下のように述べています。

「仏教も『論語』もまた日本人の精神的支柱であった。加えて茶道が中世の禅林の影響を受けて形成されてきたことを考えると、儒教聖典の代表格である『論語』と茶道の関係を看過することはできない。その証左として茶道では今もなお『論語』に見られる稽古や束脩などの言葉を使い続けており、茶道の道のあり方及び禮や藝の考え方もまさしく『論語』の影響を受けているといえる。この他、床の掛物にも『論語』からの出典も多くみられることから、『論語』は茶人にとって身近な存在である」

 六、「『論語』と茶道―茶道修行位階論源―」では、その冒頭で、著者は茶道の禅の関わりについて以下のように述べます。

「茶道が形成される過程で禅林の影響には大きいものがあることは周知の通りであり、一般的に茶禅一味と称されるようになったものの、禅だけではなく儒教・道教・我が国の神道など多種多様な宗教や思想・哲学の影響を受けている。特に、茶道大成期の中世の禅林では仏教だけでなく、儒教や道教の研究が盛んに行われていたこと、また、その中でも禅林での中国典籍研究の筆頭は『易経』『論語』であったといわれる」

 七、「茶道と禮」の冒頭では、著者は「禮」について以下のように述べます。

「茶道に大きな影響を与えている儒教は後世『禮教』といわれるように『禮』が思想の真髄としての位置づけがなされている。 さて、『禮』の字は、神を意味する『示』と、お酒を入れる祭器としての杯である『豊』から構成されている。つまり、禮の起源は神々の祭祀であり、飲食をともにする禮儀が原意である。後に祭祀としての宗教性が徐々に希薄となり、人間が社会で生きていく上での守るべき規範として重んじられ、人間関係全般を律する社会的な儀禮として重要視されることになる。同時に、徳の1つとして個人的にも実践されることになる」

 また、茶道における禮について、著者は以下のように述べます。

「茶道における禮は、應對・進退の禮節や真行草のお辞儀の作法など、人間関係が主であるが、点前の三原則(位置の決定・順序・動作)という規範に対しても、間違いなく広義の『禮』として捉えることができるであろう。この規範=禮―私欲我欲に打ち克つこと―を守ってこそ、一盌を介して良好な人間関係を築きあげることができるのである。なお、人間関係の禮だけではなく、茶道の様々な清めの所作は、まさに天地神明やモノに対する禮と理解しても良いであろう。そして、この禮の実践は、最高の徳目である仁(汎く人を愛する)を得るための道であり、茶人の己事究明の道といえる」

 八、「茶道と禮―常と五常―」では、「茶道の常とは何か」で、著者は以下のように述べています。

「茶道の成立や発展には、禅を中心にひろく仏教との関係があることは周知のことであるが、すべてを禅と結び付けて茶道理解を進めることには無理があるように思われる。現に『茶話抄』「上手下手之事」で如心斎が述べた茶道の常について、利休居士と加藤肥後守(清正)との茶事逸話にある『如心斎物語に、茶の心持とて別になし、常を茶になして、茶に臨ンて改らぬ様二、又言葉などにあやを付て虚のなき様に有りたし』の文意は、禅云々というよりも、まず思い浮かぶことは、『論語』『学而第一』にある『巧言令色鮮矣仁』という言葉であろう。茶道修習の者にとって大切なことは、いつも巧言令色のないように、虚心坦懐で人と向き合うことであろう。このような境地から、覚々斎は『茶事は元、敬禮之游ひなれハ』(『茶話抄』「茶の衆儀之事」)と述べたと考えられる。この『敬』や『禮』はまさしく儒教思想の真髄である」

 九、「茶道の美」では、冒頭に以下のように書かれています。

「茶道の美については、西洋美学の視点から、1つ1つの茶器など、茶道の部分的構成要素の美について論じられることが多い。しかし、茶道は日本内外の諸文化の要素が渾然一体となっており、東洋文化の精華といわれる。この東洋文化の精華である茶道の美意識は、狭義の『芸術』という視点を持つ西洋美学からだけでは十分に記述・説明することは難しい」

 また、「美の原意」として、著者は以下のように述べています。

「東洋文化のなかでの『美』の字の源意とは何であろう。 甲骨文では、『美』という字は、象形の会意字で、人が頭に羽飾を加えている字形である。この『美』は甲骨文と金文(鐘鼎文)である『毎』と同義であり、異体字といわれている。『美』は男の首を装飾し、『毎』は女の首を装飾することをいう。つまり、美の原意は装飾の意とされている」

 『古代漢字彙編』(木耳社刊/小林博著/白川静序)によれば、美は、元来は羽飾の美しさをいう字であったそうです。そして「美」も「善」も「膳」も、さらに「義」なども「羊」の字を根として宗教的な意味を原意に、価値的な語に移行したものであることは疑いないといいます。そして「美」は神への捧げ物の意味から味のうまさの意味にもなりました。日本語の「美味しい」の語もこれに通じるものだといいます。

 「儒教と茶道の美」では、著者は以下のように述べます。

「儒教の究極の目標は、仁の徳を体得してそこを離れずに住み着くことであり、仁の徳を実践することである。真の智者とは、学問を修得してさまざまな知識や理論を蓄えるだけではなく、その上に仁の徳を選び取ってそこから離れない者のことをいう。仁とは、『周禮』には『仁愛人以及物』(仁とは人を愛し、以て物に及ぶ)であると述べられている。そして、そこから離れないで居ることを『美』といっている」

 「和=美」では、茶道の精神が四規七則で表されることが紹介されます。その四規とは「和」「敬」「清」「寂」ですが、この中で茶道精神の代表格が「和」なのです。『論語』では、禮と和の両方を用いなければならないことが説かれていますが、これについて、著者は以下のように述べています。

「禮は道徳上、身分に伴って守るべき教えであるが、差別をつけるために、ややもすれば離れる憂いがある。一方、和はあわせる力は持つが、ともすると、狎れ紊れる弊害を伴う。従って、禮と和をともに用いる必要がある。夫婦や朋友の間などの五常(先述の五倫)、その他の関係についても心得ることが大切である。なお『禮記』『儒行篇』には『禮之以和為貴』とあり、この章の用を以てと訓ずる説もある。聖徳太子の十七条憲法に『和を以て貴しと為す』とあるのは、この『論語』『禮記』に依拠している」

 「和」については、わたしも『和を求めて』(三五館)で考えを述べました。

 十、「易と茶道のかかわり」の冒頭には、以下のように書かれています。

「茶道はその成立にあたり禅思想だけではなく、儒教、道教、そして我が国の神道やキリスト教などの諸宗教、諸思想の影響を受けている。その諸思想の中でも茶道の原点である『湯の創造』に火と水と風炉釜は欠かすことのできない要素である」 「湯の創造」では、著者は以下のように述べています。 「『茶経』『南方録』にもあるように、茶の湯の『湯』は、水と火、つまり陰陽の交合、和合、感応によって創造される。そしてそれに使用される水には、陽の気が増す寅の刻(午前3時から5時の間)に汲み上げる井華水が用いられることから、茶の湯にとって陰陽の思想が如何に重要な位置を占めていたかということが理解できよう」

 また、茶の大いなる秘密について、著者は以下のように述べます。

「茶は健康に良いといわれているが、その理由としてカテキンとかビタミンAなどが多く含まれているという薬理的な効能が強調されている。しかし、『茶経』では宇宙の五元素である五行のバランス良く配された風炉釜で、陰陽交合する中での『吉』の湯の創造により病気に罹らないと述べている。『茶経』が著されて約1300年が経つが、最も重要な風炉釜の製作理念は依然として『易経』の陰陽五行思想に基づいていることを知ることができる。また、風・火・水は古来、日本の宗教的儀式に欠かすことのできないことを考え合わせると興味が尽きない」

 まさに茶とは神秘的な飲み物であると言えますが、茶事の舞台となる茶室も神秘的な空間です。十一、「澤庵和尚の茶道観(一)」で、著者は以下のように述べています。

「茶室は陰陽と五行思想に基づく『小宇宙』であるといえる。その小宇宙の中に台子という小宇宙がある。そしてまた、台子という小宇宙のなかに風炉釜という小宇宙が存在する。そして、その小宇宙である風炉釜は陰陽の思想である水と火の交合から湯を創造する。従って、あの小さな一碗のお茶もまた、陰陽と五行の宇宙の道理が凝縮された小宇宙として捉えることができる。つまりこのそれぞれの小宇宙とは自然の理と違うことのない東洋の『無為自然』の思想の体現である」

 この小宇宙としての茶室については、わたしも『茶をたのしむ』((現代書林)や『決定版 おもてなし入門』(実業之日本社)で詳しく説明しました。

 十三、「不老長生の妙薬―茶道と道教―」では、茶道と道教の関係が述べられます。道教について、まず著者は以下のように述べています。

「道教とは、中国土着のアニミズムやシャーマニズムなどの民間に伝承されてきた呪術的な要素に、老子を開祖とする道家の神仙思想や陰陽・五行思想、また儒教思想などを取り入れて成立している。特に、仏教からの影響は大きなものがあり、思想面の融合のみならず、教団組織の体裁までも模倣したといわれている。こうした道教の主な目的は不老長生であり、現世利益的な自然宗教である。そして、中国の現体制の中でも今なお中国の民衆のなかに生き続けている道教は、中国の中にあるのではなく『中国は道教の中にある』とまで言わしめている」

 古代中国人は、あらゆる現象の源は万物の母である天にあり、これを「天道」といい、自然現象から人間の営みまで、「天道」という根本原理が働いていると捉えていました。著者は『易経』の内容に言及し、以下のように述べます。

「大自然(宇宙)の理は、一陰と一陽の交合、和合によって万物の消長があり、変化の窮まらない働きは、大自然(宇宙)の理であり、それを『道』という。この道によく従わせしめる(継がしめる)のが人としての善であり、よく成就・完成せしめるのが人としての本然の性である。このように『道』は、大自然(宇宙)の道理ということができ、その『道』(大自然や宇宙の道理)に従うことが善であり、己自身をその道に従って完成するのが人間の本性であるとしている」

 茶室という小宇宙について、著者は以下のように述べています。

「茶室とは無為自然と照応する仙境であり、この仙境を市中に再構築した空間であるといえる。茶人は俗世間に居住しながら、茶室は仙境の精神を養生する大隠のための空間なのである。茶室が『市中の山居』とか『仏教の在家センター』などといわれる由縁であろう」

 「不老長生と茶」では、著者は以下のように述べます。

「道教の考え方である不老長生のためには、苦味の茶を喫することが最も肝要なことになる。茶人はまず濃茶を喫する。食べるといったほうが良いほどの濃茶、そして薄茶を喫するという後座の一連の行為は、このような不老長生の考え方が底流にある」

 さらに、茶道という文化そのものについて、著者は述べます。

「無為自然としての茶道の空間は、人間本来のあり方を究明するための仙境であり、茶人はこの空間で自らの精神を仙境に至ろうとする。このように茶道が形成される根底には道教的な発想がある。そして、この無為自然の空間と仙薬としての茶の喫茶の他に、懐石料理、点前、道具などの綜合文化としての多くの諸要素が加味されて茶事が形づくられるのである」

 そして、本書の最後には以下の言葉が記されています。

「茶道は『東洋文化の精華』ともいわれ、文化の最高峰に位置づけられるものである」

 わたしも、この「東洋文化の清華」であり「文化の最高峰」でもある茶道にじっくりと取り組み、心を宇宙に遊ばせてみたいものです。

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