No.1191 歴史・文明・文化 | 社会・コミュニティ | 経済・経営 『贈与の歴史学』 桜井英治著(中公新書)

2016.02.09

 もうすぐバレンタインデーですね。
 ホワイトデーを含めて、日本人には贈答の習慣があります。
 もちろん、盆暮れの中元や歳暮のやりとりも盛んです。
 『贈与の歴史学』桜井英治著(中公新書)を読みました。 「儀礼と経済のあいだ」というサブタイトルがついています。
 著者は歴史学者で、東京大学教授です。1961年茨城県生まれ。84年東京大学文学部考古学科卒業、89年同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学、97年「日本中世の経済構造」で文学博士。北海道大学大学院文学研究科助教授をへて、2006年東京大学助教授、07年東大総合文化研究科超域文化科学比較文学比較文化准教授。NHKのテレビ番組「その時歴史が動いた」にもゲストとして出演しました。12年、本書の刊行で第10回角川財団学芸賞を受賞。同年、教授に就任しています。

    本書の帯

 本書の帯には、以下のように書かれています。

「換金前提の贈物。死の床で返礼を済ませようとする上皇。贈物の目録だけが決済され、ときには相殺される―」「中世日本の、世界的にも類を見ない功利的な贈答儀礼から見えてくるものは―」

    本書の帯の裏

 また、カバー前そでには以下のように書かれています。

「贈与は人間の営む社会・文化で常に見られるものだが、とりわけ日本は先進諸国の中でも贈答儀礼をよく保存している社会として研究者から注目を集めてきた。その歴史は中世までさかのぼり、同時に、この時代の贈与慣行は世界的にも類を見ない極端に功利的な性質を帯びる。損得の釣り合いを重視し、一年中贈り物が飛び交う中世人の精神を探り、義理や虚礼、賄賂といった負のイメージを纏い続ける贈与の源泉を繙く」

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」
第1章 贈与から税へ
1.四つの義務
2.神への贈与
3.人への贈与
第2章 贈与の強制力
1.有徳思想―神々からの解放
2.「礼」の拘束力
3.「相当」の観念と「礼」の秩序
第3章 贈与と経済
1.贈与と商業
2.贈与と信用
3.人格性と非人格性の葛藤
第4章 儀礼のコスモロジー
1.”気前のよさ”と御物の系譜学
2.劇場性と外在性
3.土地・労働・時間
「おわりに」
「あとがき」
「参考文献」

「はじめに」の冒頭で、著者は以下のように述べています。

「欧米の贈与は慈善というキリスト教の精神をかいくぐってきたがゆえに、彼らはそこに未来への希望を託せるのだろうか。贈与について論じた欧米の著作には贈与をプラス・イメージでとらえたものがひじょうに多いという印象をうける。殺伐とした時代を生きる現代人が人と人とのきずなをとりもどし、真に豊かな生活に入るためには、政治・経済・外交・福祉・文化など、あらゆる領域に贈与の精神が生かされるべきだという具合にである」

では、日本における贈与はどうか。著者は述べています。

「日本の贈与は義務感にもとづいてなされる傾向が強いといわれる。これは贈与というものが一般的にもちあわせている性質ではあるけれども、日本の贈与にはとりわけその側面が強くあらわれるというのである。日本の民法が、西欧諸国のそれと異なり、贈与の撤回を認めていないのもそのためといわれる」

 日本における贈与のあり方は、いつ形成されたのでしょうか。 この問題について、著者は以下のように述べています。

「日本の中世とはほぼ鎌倉・室町時代、世紀でいえば12世紀から16世紀ごろまでをさす。周知のとおり、武士が新たな支配階級として勃興してきた時代だ。そしてこの時代、贈与は日本史上、いやおそらくは世界的にも例をみない、極端な功利的性質を帯びるのである」

 第1章「贈与から税へ」では、冒頭の1「四つの義務」で著者が以下のように述べています。

「贈与について研究しようとする者がかならずそこに立ちもどる、いわば贈与研究の原点といえるのがフランスの社会学者マルセル・モースの『贈与論』である。1920年代に発表されたこの論文が、その後の民族学・文化人類学の発展や、構造主義をはじめとするポスト・モダンの潮流におよぼした多大な影響についてはいまさらくり返すまでもなかろうが、この『贈与論』のなかで、モースは贈与をめぐる義務として次の3つをあげた。   

1 贈り物を与える義務(提供の義務)   
2 それを受ける義務(受容の義務)   
3 お返しの義務(返礼の義務)   

 一方、モースがその存在に気づきながらも、『贈与論』では明確な位置づけを与えていなかったために、のちにモーリス・ゴドリエによって「第4の義務の忘却」と評された、もうひとつの義務がある。それが、   

4 神々や神々を代表する人間へ贈与する義務(神にたいする贈与の義務)である」

 著者は、この4つの義務を本書の考察の出発点とし、次のように述べます。

「贈与というものは、およそ人間の営む社会、文化にはつねにみられるもので、それは歴史上のあらゆる時代、あらゆる地域に、いわば時空を超えて見出されるものである。言語や貨幣と同様、その起源ははるか氷河の時代までさかのぼるといってよかろう。しかも贈与のあるところには―親子兄弟などごく近しい肉親間でおこなわれるばあいを除いて―たいていこれら4つの義務が付随している」

 4つの義務は、わたしたちにも経験的に「ああ、なるほど」ど納得できますが、さらに著者は以下のように述べています。

「とりわけ日本は、先進諸国のなかでも例外的に贈答儀礼をよく保存している文化として、世界中の研究者から注目されてきた。しかもたんに保存しているだけでなく、バレンタインデーやホワイトデー等々のように、新たな贈答儀礼を次々と再生産しているという点でもきわめて特殊なポジションを占めている。バレンタインデー以下の新しい贈答文化というのは、いわば企業戦略に乗せられるかたちで生まれたものだが、乗せられているとわかっていながら、いざ軌道に乗ってしまうともはやそれをやめることはできない」

 4つの義務の中で、わたしたちがもっとも意識するのは「お返しの義務」ではないでしょうか。このことを指摘する著者は、次のように述べます。

「そもそも贈答という言葉自体が返礼(答)の存在を前提にしているわけだが、このようにそれを受け取った者にたいして返礼を義務づける贈与の性質を互酬性reciprocityともよぶ。贈(送)ったのにお返し(返事)がないと不快感を覚える、あるいは逆に贈(送)られたのにお返し(返事)をしないでいるのは落ち着かない、そういった経験は誰しもあるにちがいない。そこには贈り物を一種の債務・負債と感じる意識がある。もっと平たくいえば、贈り物を受け取ることにより受贈者には『借り』ができ、贈与者には『貸し』ができるのである。モースが『お返しの義務』とよんだのはまさしくこれであり、モースの最大の関心も、このような債務意識がどこから来るのか、ないしはどこから来ると解釈されていたのかを解明することにあった。バレンタインデーにたいするお返しの機会として、ホワイトデーなるものがスムーズに定着したのも、男性の債務意識と女性の債権意識を巧妙に利用した結果であることはいうまでもあるまい」

 なるほど、日本においてバレンタインデーの普及よりもホワイトデーの普及のほうがスムースに行われた事実の背景には「お返しの義務」の意識があったのですね。非常に納得できます。さらに、著者は述べます。

「贈り物を受け取ることにより、受贈者には贈与者にたいする『借り』ができる。贈与者は―ときに意識的に、ときに無意識に―その『貸し』を受贈者が自分と特別な人間関係を築いてくれることをもって回収しようとする。受贈者は、その期待に応えてもよいと思えば素直に受け取るだろうし、期待に応えられないと思えば受け取らないか、かりに受け取ったとしてもその期待とは別の対価物で(つまり贈与者にとっては期待はずれの)返済をおこなうだろう。要するに、人は返済できる見込みのない『借り』をつくりたくはないのである」

  さて、贈与者が拒否された場合、将来に深い禍根を残すことがあります。 贈り物を受け取ってもらえなかったとき、贈与者は「寂しさ」「恨み」「憎悪」などの感情を抱くことになります。歴史的にみると、それはしばしば激しい敵意となって、ときには戦争の原因にもなりました。 さらに著者は、以下のように述べています。

「広義の贈答である訪問や招待のばあいも同様である。外交の場面では、相手国への抗議が首脳による招待の拒否や訪問のキャンセルとなってあらわれることがあるのを、私たちはよく知っている。『贈り物を受ける義務』の意義は、これら『贈り物を受ける義務』が履行されなかったケースから逆に推しはかることができよう。個人と個人、あるいは集団と集団が良好な関係を構築・維持しようとするとき、『贈り物を受ける義務』はもっとも基本的なマナーとなったのである。 ちなみに中世の日本では、贈り物の贈り方が決められた礼儀作法に則っていないという理由でも、しばしば受け取りが拒否されたことを付け加えておこう」

 「贈与」という行為の背後には「有徳」の思想というものがあります。 この「有徳」の思想について、著者は次のように述べています。

「〈富める者(金持ち)は喜捨(施し)をしなければならない〉〈富める者は貧者を救わねばならない〉〈富める者はその富を社会に還元しなければならない〉―これらは歴史上のさまざまな時代、さまざまな地域に広くみられた倫理である。中世日本に存在した有徳思想もそのひとつだ。これは、金持ちは道徳的にも優れている、あるいは優れていなければならないとする思想であり、当時、金持ちが『有徳人』とよばれたのもこの思想に由来する。『有徳』はしばしば『有得』とも表記されたが、ここからもわかるように、中世の人びとにとって人徳の『徳』と所得の『得』はほぼ同義語ととらえられていた。『徒然草』217段に登場する大福長者が『人は、万をさしおきて、ひたふるに徳をつくべきなり』と語るときの『徳』がまさにそれであり、ここでの『徳』は富・財産を意味しているのである」

 第2章「贈与の強制力」でも、「有徳」の思想が語られます。 著者は、有徳思想について以下のように述べています。

「貧しい民衆に代わって有徳人が祭礼費用を負担し、その祭礼を民衆が享受する。私は神への贈与の観念の下に伏在していた、このような民衆への贈与という構造に注目したい。中世後期になって神々がその姿を隠したとき、それは地表にあらわれて有徳銭を正当化する中核的な論理となる。喜捨を神仏への贈与と関連づけてとらえる思想もけっして途絶えてしまうわけではないとはいえ、私はこの有徳人に徳行を求める民衆意識こそ、中世後期において有徳銭をささえていた主要な倫理的基盤であったと考えたい」

 第2章「贈与の強制力」では、「相当の儀」についても言及されています。

「相当」とは何か。著者は、以下のように説明しています。 「中世の人びとは損得勘定、釣り合いということにひじょうに敏感であった。彼らは、損得が釣り合っている状態を『相当』、釣り合っていない状態を『不足』とよび、他家との紛争や交際ではつねに『不足』の解消と『相当』の充足を求めたのである」

 第3章「贈与と経済」では、貨幣の贈与と用脚折紙について言及されており、非常に興味深かったです。2「贈与と信用」で、贈り物を持参するさいに折紙(目録)を添える作法があったことを紹介し、それは銭の贈答のばあいにも同様であったとして、著者は次のように述べています。

「贈り物一般に添える折紙を『進物折紙』、銭に添える折紙を『用脚折紙』とか『鳥目折紙』などとよんだが(『用脚』『鳥目』はいずれも銭の異称)、もともと儀礼の道具にすぎなかったこれらの折紙が銭の贈答をめぐる計算上の操作に利用されたのは、当初はまったくの偶然だったのかもしれない」

 この折紙には貨幣の代わりとなる経済的な機能がありました。 著者は、「折紙の経済的機能」で以下のように述べています。

「折紙のシステムが贈与者にもたらした第一の利点は、資金の準備がなくても贈与がおこなえるようになったことである。折紙を手に入れたことで、彼らは過去の贈与を未来の収入によって清算することが可能になった。 中世とは、年始から歳暮にいたるまで、1年を通じて際限なく贈答儀礼がくり返されていた時代である。そのなかには恒例行事化しているものもあれば、出産や新築、戦勝といった不時の祝い事もあった。そのように日々くり返される贈答儀礼のなかで、毎度所定の期日までに、あるいは不意に襲ってくる祝い事のたびに多額の銭を調達するというのは至難の業だったはずである。まして荘園・所領からの収入がおぼつかなくなっていた中世後期の皇族・貴族たちにとってはなおさらだろう。折紙のシステムは、そのような彼らに支払いの猶予期間を提供した。現金は用意できなくても、折紙を贈ることでとりあえずその場をしのげるようになったのである」

 第3章「贈与と経済」の3「人格性と非人格性の葛藤」では、「債権が流通する社会」が取り上げられ、著者は以下のように述べています。

「人類史における信用経済の歴史はかならずしも右肩上がりの発達をとげてきたわけではなく、寄せては返す波のように発達と衰退をくり返してきたというのが実態に近い。日本の前近代においてはそのピークは3度あり、いま問題にしている中世の信用経済とはそのうちの第2のピークをさす。ちなみに第1のピークは平安時代の朝廷財政システムのなかから発生したもので、10世紀ごろから大蔵省や国司などの諸官司が発行した支払命令書等の行政文書が民間の金融業者である借上に割り引かれるなど、金融の手段として機能していたが、中世の入口にあたる12世紀中にそのほとんどが姿を消してしまった。国司の徴税能力の低下や、それにともなう財政システムの改編、そして12世紀半ばに大量に流入してきた中国銭が、それまで貨幣として使用されていた米や絹布の地位を押し下げたことなどが原因と考えられる」

 第4章「儀礼のコスモロジー」では、「名物の誕生」というテーマが興味深かったです。15世紀以降、将軍権力が衰えてゆく中で、将軍家が手放した茶器などの御物は、所々に流出していわゆる「名物」を形成することになりました。この「名物」について著者は以下のように述べます。

「要するに、物は過去の所蔵者の記憶を宿しているのであり、とりわけそれが名物であるとき、その歴代所蔵者に名を連ねることは、現に所持していること以上に重要な意義をもったのかもしれない。マリノフスキがトロブリアンド諸島のクラについて記述したとき、一時的に所有していること、あるいは所有者の一人に名を連ねることに意味があるという点で、ヨーロッパの戴冠式用の宝石やトロフィー・優勝杯などと類似していると指摘したが(『西太平洋の遠洋航海者』)、日本の茶器にもまったく同じことがいえよう。そして、そのことが名物の退蔵を防止し、その流動性を高めた可能性がある。実際、竹本の調査によれば、名物には転々と所蔵者を変えているものが案外多く、また、たんに所蔵されるだけでなく、折々に公開され、使用されていたことも重要だろう。名物とは―これもクラと共通する特徴だが―そのようなコミュニケーション機能をもになわされた特殊な財だったと考えられる」

 わたしが経営する株式会社サンレーは、創業以来、「礼経一致」をビジネスコンセプトとして経営してきました。「礼経一致」とは、「儀礼」と「経済」を一致させるということです。しかし、本書を読んで、中世の日本にはすでに「礼経一致」の社会が成立していたことを知りました。もともと日本人、いや人類というものは「儀礼と経済のあいだ」を漂う存在なのでしょう。また贈与の拒否が戦争にまで発展した事例などを見ると、他者からの贈与、すなわち好意はけっして拒否してはならないということは人類普遍の「知恵」であると再確認しました。昨今の日本の葬儀における「香典辞退」「供花辞退」などの愚行がいかに人間の本性からかけ離れ、人間関係を壊すものであるかを日本人は思い知る必要があります。

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