No.1181 評伝・自伝 『ゴースト・ボーイ』 マーティン・ピストリウス&ミーガン・ロイド・ディヴィス著、長澤あかね訳(PHP研究所)

2016.01.19

 『ゴースト・ボーイ』マーティン・ピストリウス&ミーガン・ロイド・ディヴィス著、長澤あかね訳(PHP研究所)を読みました。「出版界の炎のランナー」ことPHP研究所の中村悠志さんから頂戴した本です。中村さんはビジネス書編集部の副編集長に就任されたのですが、「後輩が作ったのですが、素晴らしい本です。ぜひ、お読み下さい」と渡して下さいました。

本書の帯

 カバー表紙には、車椅子に座った男性が海辺に佇んでいる絵画のように美しい写真が使われています。帯には「植物状態。医師はあきらめ、両親は泣いた。――だけど、ぼくには意識があった。10年の沈黙を経て、人生を取り戻した少年の物語。」「NYタイムズ ベストセラーリスト4位」「世界26か国で絶賛『とてつもない自伝!!』」と書かれています。

本書の帯の裏

 また帯の裏には、「とてつもない自叙伝だ――『スター』誌」「深く胸を打つ、時に衝撃的な本――『サンデー・タイムズ』紙」「医師たちは両親に告げた。退行性の未知の病で、彼の心は赤ん坊に戻ってしまった、と。誰も知らなかったのは、身体こそ無反応だったけれど、マーティンの心はゆっくりと目覚めていったこと。だけど、それを誰にも伝えられないこと。彼は自分の身体の中に閉じ込められた囚人だった」と書かれています。

 1988年、12歳の少年マーティン・ピストリウスは突然、原因不明の病気になりました。18ヵ月後には口もきけず、車椅子に座らされていました。彼は退行性の未知の病魔に侵されてしまっていたのです。しかし、身体は無反応でしたが、マーティンの心はゆっくりと目覚めていきました。でも、それを伝えるすべがなかったため、彼は長い間、昏睡状態のままだと思われていたのです。10年たった頃、マーティンの一部が目覚めていることを1人のセラピストが気づきました。そして両親も、息子の知性が少しも損なわれていないと知ったのです。マーティンは自分が病に倒れる前の記憶がなく、車椅子に座り、話すこともできませんでした。しかし、コンピューター分野で素晴らしい才能を発揮します。彼はあらゆる困難を乗り越えて恋に落ち、彼女と結婚し、ついにはウェブデザイン事業を立ち上げます。「事実は小説より奇なり」と言いますが、この信じられない実話を綴ったのが本書『ゴースト・ボーイ』です。

 「ゴースト・ボーイ」というタイトルは、本書の以下のくだりに由来します。
「こんな映画を観たことはないだろうか? ある日目覚めると幽霊(ゴースト)になっているのだけど、自分が死んだことがわからない。ぼくもそんなふうだった。みんなぼくがいないかのようにふるまっているけれど、なぜなのかがわからない。『ぼくを見て』と必死で頼み、訴え、叫び、金切り声を上げようとするが、誰にも気づいてもらえない。ぼくの心は使いものにならない身体に閉じ込められて、腕も足も思い通りにならず、声も出せない。『意識が戻ったよ!』と伝えるサインも音も出すことができない。 ぼくは誰の目にも映らない、幽霊少年(ゴースト・ボーイ)なのだ」 (『ゴースト・ボーイ』P.10~11)

 じつに10年以上もの長い間、ゴースト・ボーイだったマーティンは、一種の透明人間でした。本書には以下のように書かれています。
「ゴースト・ボーイでいることの思いがけない一面は、人々が何の気なしに秘密の世界を見せてくること。部屋を歩きながら、銃を連射するみたいにおならを炸裂させる人、見れば見るほど魔法が効いて美人になるかのように、頻繁に鏡をチェックする人・・・・・・。人々が鼻をほじって食べることや、食い込んだ下着を直したあとにボリボリ股をかくことも、ぼくは知っている。部屋を歩き回って悪態をついたり、ぶつぶつつぶやく声も聞いていたし、口げんかが始まって、戦いに勝とうとウソがまことに変えられていく様子にもじっと耳を傾けていた」(『ゴースト・ボーイ』P.125)

 人々が自分をさらけ出すのは、そんなときだけではありません。ある日、夫を亡くしたばかりのテルマという女性介護士が、マーティンの前で泣きました。彼の頭は胸のほうに傾いていましたが、「彼がいなくて、すごく寂しいの」「いい人だったのよ」とつぶやく彼女の声は聞こえていました。
「そばに座っている間に、テルマはもう少し泣いた。胃がきゅっと締めつけられる。親切な彼女が、こんな悲しみに見舞われるなんておかしい。『いい奥さんだったよ』と、言ってあげられたら。きっとそうだった、とぼくにはわかるから」(『ゴースト・ボーイ』P.127)

 さて、ゴースト・ボーイだった彼が話しかけていた唯一の相手は神でした。
 本書には以下のように書かれています。
「神は空想の世界の一員ではなかった。ぼくにとってリアルな存在だったからだ。神はぼくの中や周りにいて、なだめたり安心させたりしてくれる。北米インディアンが守護霊と語り合ったり、異教徒が四季やおひさまを頼みにするように、ぼくは神に話しかけていた。自分に起こったことを理解しようと努め、『危険から守って』とお願いしていた。 神とぼくは、人生の大きな問題を語り合ったりはしなかった。哲学的な論争をしたり、宗教について議論したりはしなかったけど、ぼくは延々と話しかけていた。大切なものを分かち合っている、と知っていたからだ。神が実在するという証拠はなかったけれど、ぼくはその存在を信じていた。実在すると知っていたからだ。神もぼくに対して、同じことをしてくれた。人々と違って、ぼくが存在するという証拠を、神は必要としなかった。ぼくの存在を知ってくれていたからだ」(『ゴースト・ボーイ』P.200)

 マーティンは、ゴースト・ボーイでなくなった後も、ゴースト・ボーイだった頃に戻ることがありました。本書には以下のように書かれています。 「意識が戻って9年が過ぎたが、その間ぼくは、唯一の持ち物である『心』を使って脱出しては、ありとあらゆる探検をした。真っ暗な絶望の淵から、サイケな色をした幻想の風景にいたるまで」(『ゴースト・ボーイ』P.11)
「むろん、胸の奥では理解している。もう空想の世界に溺れる必要はない、と。ぼくはついに人生を歩みだしたのだから。それでも、自分の想像力にはずっと感謝し続けるだろう。それが神さまからの最大の贈り物だと、ぼくは昔から知っていた。想像力は牢獄の扉を開ける鍵で、ぼくをここから逃げ出させてくれた。扉を開けては新しい世界へ乗り込み、いくつもの世界を征服した。空想の世界では、自由だったからだ」 (『ゴースト・ボーイ』P.88)

 マーティンをゴースト・ボーイ状態から解放してくれたのは、パソコンでした。本書には、彼とパソコンとの出合いが次のように書かれています。 「コミュニケーションという岩壁に、アイゼン(訳注:登山靴の裏につける、滑り止めの爪)を突き刺す準備ができた。ぼくの代わりにしゃべってくれるパソコンの操作に使うスイッチが届いたので練習を始めると、これが単なるマシンをはるかに超えたものだとわかった。思いを伝えること、おしゃべり、口げんか、ジョーク、うわさ話、会話、交渉、雑談・・・・・・そんなすべてが、スイッチのおかげで間もなく手に入りそうだ。賞賛、質問、感謝、依頼、お世辞、お願い、不満、議論・・・・・・こういったものも、思い通りにできるだろう」(『ゴースト・ボーイ』P.70~71)

 パソコンが外部とのコミュニケーションを可能にするといえば、かのスティーブン・ホーキング博士を思い出します。ブログ「博士と彼女のセオリー」で紹介した、ホーキングの自伝映画を観たときに思ったのですが、人類史上、ホーキングほど過酷なハンディと重要なミッションを同時に与えられた者もいないでしょう。映画にはアメリカでの講演のシーンが登場しますが、講演後に観客から発せられた「神を信じないそうですが、あなたの人生哲学は?」という質問に対して、ホーキングは「どんな不運に見舞われようとも、人間の可能性は無限です」と答えます。それを聴いたとき、わたしは泣けて仕方がありませんでした。

 世の中には、さまざま病気に苦しんでいる人がいます。
 もしかすると、心の病に悩んでいる人もいるかもしれません。
 でも、決して絶望しないで生きていれば、必ず光明は見えてきます。
 ホーキング自身、ALSを発症したときは「余命2年」と宣告されましたが、結果は何十年と生き続け、宇宙の謎を解明し続けてきました。彼は間違いなく、ニュートンやアインシュタインと並ぶ人類史上最高の科学者ですが、つねに「絶望」を拒絶し、「希望」を信じて生きてきたのです。本書の主人公であるマーティン・ピストリウスも同じです。
 10年以上もゴースト・ボーイ状態であったのに、あるセラピーから意識があることを発見され、パソコンと出合い、それによって仕事を持ち、愛する人との結婚までをも実現したのです。まさに本書は「絶望」から「希望」への転換の物語であると言えるでしょう。

 本書を読んで、わたしが最も心を痛めたのは、本書の中で介護という仕事をするに値しない人々が登場することでした。マーティンは、鶏肉を手際よく鍋に入れるように、彼を処理しなければならない死体のように扱う人々に言及した後、次のように述べています。
「彼等の冷ややかなプロ意識には、人間の温かみが微塵もない。人をジャガイモ袋のように運び、飛び上がるほど冷たい水でジャブジャブ洗い、どんなに必死で目をつぶっても必ず目に石けんを入れる。挙句の果てに、冷たすぎたり熱すぎたりする食べ物を、無造作に口の中に放り込んでくる。その間ずっとひと言もしゃべらず、笑顔も見せないのは、見つめ返されるのが怖いからだろう」(『ゴースト・ボーイ』P.56~57)

 さらに、マーティンは以下のように述べています。
「でももっとひどいのは、その冷淡さが個人攻撃に変わるとき。ぼくは一部の介護士から『邪魔者』『バカ』『ゴミ』と呼ばれてきた。自分のほうが優れている、と思い込んでいるのだろうが、そんなふるまいによって、彼らは自分がどれほど愚かな人間かをさらしている。
彼らは本気で思っているのだろうか?知能が低い子どもは、触れた手に悪意を感じたり、相手の口調から怒りを読み取ることができない、なんて。
まざまざと思い出すのは、毎日昼寝のときに、イライラしながら毛布をはぎ取られ、冷たい風がわっと吹き込んで、必ず起こされてしまったこと。臨時雇いのその女性に、椅子に乱暴に放り投げられたせいで、椅子が前に傾いて、床に頭から突っ込んでしまったこと」

 わたしが経営する会社は高齢者介護業も営んでいますので、このような言語道断の介護士の存在を知ると、いろいろと考えてしまいます。「青臭い」と思われるかもしれませんが、介護業とは奉仕の仕事です。奉仕やボランティアという行為をプロフェッショナル化した仕事と言ってもよいでしょう。
 では、奉仕とは何でしょうか。それは、決して誰かが自分を犠牲にして、他の誰かのために尽くすということではありません。真の奉仕とは、自分自身を大切にし、その上で他人のことも大切にしてあげたくなるといったものです。自分が愛や幸福感にあふれていたら、自然にそれを他人にも注ぎかけたくなるのです。「情けは人の為ならず」と言いますが、他人のためになることが自分のためにもなっているというのは、世界最大の公然の秘密の1つです。アメリカの思想家エマソンによれば、「心から他人を助けようとすれば、自分自身を助けることにもなっているというのは、この人生における見事な補償作用である」というわけです。

 与えるのがうれしくて他人を助ける人にとって、その真の報酬とは喜びにほかなりません。他人に何かを与えて、自分が損をしたような気がする人は、まず自分自身に愛を与えていない人でしょう。つねに自分に与えて、なおあり余るものを他人に与える。そして無条件に自分に与えていれば、いつだってそれはあり余るものなのです。真の奉仕とは、助ける人、助けられる人が1つになるといいます。どちらも対等です。相手に助けさせてあげることで、自分も助けている。相手を助けることで、自分自身を助けることになっている。まさにこれは、与えること、受けることの両方が理想的な輪のかたちになっているのです。その輪の中で、どちらが与え、どちらが受け取っているのか、わからなくなる。それは、もう1つの流れなのです。

 拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)にも書きましたが、いじめ、虐待、自殺、殺人、テロ、戦争・・・・・・人心が荒れてゆく一方のこの社会において、直接の人的サービスを提供できる仕事の価値はますます高くなっていきます。その中でも、真の奉仕をめざす介護業が最高の仕事であることは言うまでもありません。介護業こそ、最も「生きがい」「働きがい」のある仕事ではないでしょうか。

  以前わたしは「介護塾」という雑誌に「一条真也の平成心学塾」というコラムを連載していました。その最終回に「介楽を求めて」という文章を書いたのですが、そこでわがホームページに届いた読者からのお便りを紹介しました。北九州市の若松に住む当時40代の主婦の方からでした。その方には、当時77歳になる義母がいらっしゃいました。引きこもりで半うつ状態だそうで、通いで介護をされているとのこと。その大変なご苦労がメールからも想像できました。その方は、ホームページを隅から隅まで全部読んでいただいたそうですが、その中で「四楽」というキーワードが心に残ったとか。わたしの造語であり、仏教の「四苦」を転じた考え方です。
 この「四楽」という考え方に共鳴してくださったその方は、「介楽というものもありませんか?」と書いてこられました。
 「介楽」とは、なんと素晴らしい言葉でしょうか!
 いろいろと悩みながら日々の介護を実際にされている方だからこその重みのある、また説得力のある言葉です。たしかに、他人を介護することが自らの魂の快楽となる・・・・・・これはもう神仏の代理人とさえ呼べます。こんなに崇高なことはありません。そして、介楽を実現するのは、介護される方の心のあり方以外にはないのです。

 本書に登場するのはひどい介護士ばかりではありません。
 「介楽」の醍醐味を知った神の代理人としての介護士もたくさん出てきます。そして、そのような人々に支えられて、マーティンはゴースト・ボーイの状態から解放されたのでした。彼は、幽霊から人間になったのです。 本書は、再生と愛の力を描いた、深く胸を打つ実話です。この途方もない物語を読んで、「やはり人生は素晴らしい!」と思いました。
 とても素敵な本をプレゼントしてくれた中村悠志さんに感謝いたします。

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