No.1100 社会・コミュニティ 『老人たちの裏社会』 新郷由起著(宝島社)

2015.07.31

 『老人たちの裏社会』新郷由起著(宝島社)を読みました。
 著者は1967年、北海道生まれ。OL、イベント関連業務などに従事後、文筆業へ。自ら現場を体験する潜入取材を得意とし、観察力と分析力を生かしたルポルタージュには定評があるそうです。

   本書の帯

 本書のサブタイトルは、「万引き、暴行、ストーカー、売春・・・・・・他人事ではない長寿社会のリアル」という身も蓋もないものです。帯には「『長生き』は本当に万人に幸せなのだろうか。不良化する高齢者が急増。何が彼らをそうさせるのか」と書かれています。

本書の帯の裏

 また帯の裏には「万引きで捕まった86歳の女性は、『「万引きをしそうになったら、大事な人を思い出して」と言われたけど、大事な人なんていないんだからしようがない』と口を尖らせた―」さらにカバー前そでには「死ぬよりも、上手に老いることの方が難しい時代になってしまった」と書かれています。

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「まえがき」
第1章 万引き
コラム「巧妙過ぎる!! 高齢者による「窃盗・詐欺」の最新手口」
第2章 ストーカー
コラム「『シニアストーカー』の凄まじき思い込みと執念」
第3章 暴行・DV
第4章 売春
コラム「悪女の毒牙にかかった高齢男性たちの『孤独』」
第5章 ホームレス
第6章 孤立死
コラム「シニア婚活パーティ&不倫サイトに集う人々」
第7章 生き地獄化する余生
「あとがき」

 第1章「万引き」では、冒頭から以下のような驚くべき事実が明かされます。

 「警察庁発表の犯罪統計によれば、万引きで検挙される65歳以上の高齢者は年ごとに増え続け、2011年からは未成年者の検挙数を追い抜く。その勢いは止まらず、翌12年には総数の3割を超え、現下(15年2月)で直近の公表数となる13年では全体の32.7%を占めて、ついに過去最高を記録した。高齢者(2万7953人)が未成年者(1万6760人)に1万人以上の大差を付けて上回り、万引き検挙数のおよそ3人に1人が老人という状況になっているのだ」

 「万引き」という犯罪は、身近な場所でいつでも行えます。特別な道具や準備もいらず、必要なのは「モラル」を捨てることだけです。その境界線を越える意志と行動力があれば、誰でもスーパーなどで簡単に犯行に及べるわけですが、著者は次のように書いています。

 「近年ではコスト削減などの理由で従業員は最低限の人数しか店内に配されず、防犯カメラは作動していても死角は至る所で見つけられる。
 こうした誘発環境が整っているせいか、万引きは再犯性が極めて高い。歴々の『犯罪白書』を見ても、窃盗事犯者の再犯手口は『万引き』が群を抜くトップで、再犯期間も過半数が1年以内と、覚せい剤事犯者と比較しても短くなっている。
 そして、窃盗においては年齢が上がるほど再犯率が高まるのだ」

 第2章「ストーカー」では、高齢男性が女性の親切や善意による言動を自分への特別な好意と勘違いし、思い詰めて暴走するケースが紹介されています。10年以上にわたって、500人以上のストーカー加害者と向き合い、1500人以上の被害者を支援してきたNPO法人「ヒューマ二ティ」の小早川明子理事長は、「人生の終盤を迎え、タイムリミットを自覚した高齢男性が決まって口にするのは『やり残していることがあった。それは恋愛だ』というものです」と述べています。さらに、小早川理事長は次のように述べています。

 「仕事を辞めてやることも見つからず、心にぽっかり空いた穴を埋めるのに持ってこいなのが『恋愛だ』というのです。若い世代では『次の恋愛』や『次の出会い』が期待できても、高齢者では『次はないかもしれない』という焦燥感から、目の前に現れた対象者に異常なほど思い入れ、”人生最後の恋”とばかりに執着する。その過程のなかで、本人の『こうあってほしい』『こうなりたい』という願望も入り混じり、現実と妄想をごっちゃにして自己都合のストーリー化を進めていくのです。恋愛への意識のなかには『いつまでも男でいたい』とする若さへの固執と、プレーヤーとして現役でい続けたい希望も潜んでいます」

 コラム「『シニアストーカー』の凄まじき思い込みと執念」では、小早川理事長がシニアストーカー予備軍に「やってはいけない行為」を以下のように指摘します。

●本人に興味を持って(持ったふりをして)話を聞かない
●笑って(笑いかけて)接しない
●楽しそうに(楽しいふりを)しない
●下手に褒めたり励ましたりしない
●体に触れない(握手もしてはいけない)

 第3章「暴行・DV」では、筑波大学名誉教授で「情動認知行動療法研究所」所長の宗像恒次氏が以下のように説きます。

 「年を追うごとに、昔出来たことが出来なくなるといった不安やストレスも増え、加齢により、不安物質とされるノルアドレナリンが出やすくなります。さらに、抗不安感を司り副交感神経の働きを強める、沈静物質のギャバ(ガンマアミノ酪酸)の分泌低下に伴う影響も大きい。一部の高齢者が些細なことでキレて爆発してしまうのは、こうした身体的要素に加え、自分への要求水準が上がりっぱなしになっていて、いつ爆発してもおかしくないほど感情がパンパンに膨れた危険な状態でいるからです。
理想と現実のギャップが不満になります。認めてほしい、感謝してほしい、愛してほしい・・・・・・と、承認欲求が肥大化すれば、不充足感しかなくなる。そもそも、己の価値や評価を他者に委ねてきた生き方を転換する必要があるのです」

 第5章「ホームレス」には以下のように書かれています。

 「2014年4月に厚労省が発表した『ホームレスの実態に関する全国調査』によれば、全国のホームレス数は7508人と過去最少を記録。年ごとに減少し続けて、5年前(1万3124人)からはほぼ半減したことになっている。しかし、この調査方法は『昼間に目視』で、規定となる『都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者』だけをカウントしたに過ぎない」

 ホームレス生活には「守るものも、失うものもない強さと気楽さ」があるといいます。長く路上生活者支援に携わるボランティア男性の1人が、内情の一端を以下のように話します。

 「ここに至るまでの誰もが世間一般には分かりづらい、それなりの理由と過去があるんです。ただ、同じ高齢のホームレスといっても、生命力や人間力のヒエラルキーみたいなものがあって、社会的スキルが高い人やコミュニケーション能力に長けている人は自活能力もあって逞しく生きていくけど、情報も知識も持たず、支援に乗っかれない人がどんどんこぼれていく。中には、食えずに万引きに走る人もいる。高齢者では、世代的に最終学歴が義務教育止まりの人も大変多く、携帯電話もなく、パソコンも使えない60歳以上の男性で、肉体労働も無理となると、一度路上に出たら最後、生活保護を受けずに、住まいを借りて生活が出来るだけの収入を得られる仕事に就くのは至極難しい現実があります」

 第6章「孤立死」では、多くの孤立死の現場に立ち会った遺品整理専門会社「キーパーズ」の吉田太一代表が次のように語ります。

 「電化製品などを拾い集めては自宅の敷地内へ溜める”ゴミ屋敷”は主に一軒家に多くて人目につきやすく、行政の立ち入りや集積所が廃止されるなどして減少傾向にあります。一方で、惣菜トレーやペットボトルなどの生活ゴミを室内に溜め込む”ゴミマンション””ゴミアパート”は、ドア1枚で中が窺い知れないこともあり、近年急増中です。積雪のごとく、1.8メートル超の惨状も珍しくなく、1メートル進むのに2時間を要する部屋もあるほどで、高齢者においては『干渉しない、されたくない』と、自身の人間関係を排除する『砦』的役割すら担っています」

 また、孤立死の現場が総じてゴミの山になりがちなのは、「ゴミ出しのルールが分からないからなのです」と吉田代表は説き、次のように続けます。

 「生活全般を奥さんに頼り切っていた男性ほど、失った途端に『ないない尽くし』に。整理整頓、食事の支度、ゴミ出しの他、地域交流、身内との連絡など、どれもお手上げ状態となってしまう。なかでもゴミ出しは一度間違った出し方をして注意されると、恥と体裁から家の中へ溜め込む傾向が顕著です」

 ある県警の鑑識官は、以下のように重い口ぶりで語ります。

 「どんな密室の遺体でも、大抵は必ず数日でウジが沸きます。口や肛門から入ったウジ虫は体内から内臓や筋肉を食い荒らし、遺体を膨らますように皮膚の下からボコボコと動く。次いでゴキブリやネズミが集まり、過去にはゴキブリの甲冑を着ているのかと見間違えたほどの亡骸もありました。さらには、カツオブシムシという虫(甲虫コガネムシの一種)がたかって干乾びた肉を食べ尽くし、白骨化した遺体もある。現場は作りもののCG映画の比ではなく、直視に耐えない光景と凄まじい悪臭に失神した同僚もいます」

 「孤独死の防人」こと千葉県松戸市にある常盤平団地の自治会長である中沢卓実氏は次のように語ります。

 「遺体の腐敗が進んで長く放置されていた場合、遺品をはじめ、あらゆる物に臭いが染み付く。集合住宅では、下階の天井からも臭い続けるほどです。壁紙や畳、床を剥がして何度消毒しても早々には臭気が抜けず、場合によっては半年から1年くらい、室内をがらんどうにして外気を通す必要も生じます」

 この中沢氏の発言を受けて、著者も次のように述べます。

 「事実、臭気の凄まじさは筆舌に尽くしがたい。警察官や清掃業者、葬儀関係者などが皆一様に『何と表現したらよいか分からない臭い』と口を揃えるのも頷ける。どの現場に立ち入っても、あの独特の臭いを言い表せる妥当な言葉は見つからない。とにかく『凄まじい臭い』としか言い様がないのだ。どれだけ言葉を尽くしても、現場の悪臭を他の何かの臭いで代弁して伝えるのは不可能だろう。それほどに日常生活のなかで誰もが知っている臭いとは”種類”が違うのだ」

 「無縁社会」と呼ばれる現在、「誰にも看取られずに1人で逝く」ことは珍しくありません。しかし、著者は以下のように書いています。

 「農村地では田畑の中で1人倒れたまま、数日以上見つけられなかった死もあった。溶けた肉が脂と変わるまで、24時間風呂で延々と煮込まれて白骨化した遺体や、和式トイレで力んだ拍子に脳溢血となり、トイレットペーパーを握り締めて仰向けに倒れたまま、ミイラ化して発見された亡骸もある。また、主の死が分からず、腐り始めた遺体に幾度となく頬ずりをして、体の一部を血塗れにしながら寄り添う飼い猫と一緒に発見された高齢女性や、密室で亡き主人の腕を食べて命を繋いだ愛犬とともに見つけられた初老男性もいた」

 第7章「生き地獄化する余生」では、孤立死ではなく自殺の問題が取り上げられます。近年、老人性うつ病患者の増加が報じられています。うつ病と自殺の関係性が深いことは広く知られています。著者は「注視すべきは、自ら命を絶たなくても余命の知れている人間が、自死を選ぶ決意をさせるほど、老いの生活と人生に絶望している現実だ」と述べます。統計によれば13年の自殺者2万7283人中、60歳以上は1万1034人を占め、80歳以上も2533人に上っています。著者は「60年以上を生き抜いてもなお、残りの数年、十数年を生き続けるより辛い老年期を迎えている真実を読み解かなければ、老人の自殺の減少は望めないだろう」と書いています。また、余生を持て余している老人を、著者は以下のように紹介します。

 「『退職後は妻と旅行三昧の予定だったけど一度で懲りた。年を取ってから急に一緒に行動しようとしても無理だと分かった。老後の予定が狂った』(68歳男性・東京)、『自分史を書き終えたら、本当にやることがなくなった。現役時代はあれほど本を読む時間が欲しかったのに、読書しかない毎日は飽きるし退屈過ぎる』(72歳男性・神奈川)、『長年出納帳を付けてきたから、退職後もすぐに経理のパートが見つかると思ったけど、パソコンを使いこなせないとどこも雇ってくれない』(66歳女性・東京)など、当初の当てが外れてしまったと嘆く人もまた多い。
 残りの人生を誰もが生き甲斐を持ち、胸を張って送れるのなら問題ない。
 しかし、取材を通じて浮き彫りになったのは、持て余す時間とエネルギーをどう使ってよいか分からず、老いのジレに焦りながら迷走を続ける、不器用な高齢者の姿だった」

 余生を持て余している人々について、著者は述べます。

 「過ぎていく時間をただ空しく静観するだけの毎日。
 身体を痛める前に心が壊死していく、あるいは、自己評価の著しい低下と戦い、社会における疎外感や無用感を味わうだけの老年期なら、『長生き』はただ酷なものでしかなくなるのではないか。無意味な時間を漠然とやり過ごすだけでは、到底、人として生きる満足感は得られないのだ。
 人生の終盤に差し掛かり、最初からすべてのやり直しは利かない。
 ただし、修正はいつの時点でも可能だ。
 これ以上、存在価値を貶めて迷走を続ける高齢者を増やしてはならない」

  第7章の最後に、著者は次のように書いています。

 「毎日に『やることがある』幸せと、心弾ませて生きる『充実感』を。
 そして老いてこそ社会に欲される”人としての役割”を。
 高齢社会の新たな課題であり、新しく噴出した社会問題といえよう」

 この社会問題に答えるべく、わたしは『老福論~人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)を書きました。そして今、日本経済新聞電子版「ライフ」「一条真也の人生の修め方」というコラムを連載しています。

   世界同時開催「隣人祭り」の会場で

 高齢者に「毎日に『やることがある』幸せ、心弾ませて生きる『充実感』、そして老いてこそ社会に欲される『人としての役割』」を与えるのは誰でしょうか。もちろん、国や地方行政が第一ですが、わたしは冠婚葬祭互助会にもその使命があると思っています。会員のほとんどが高齢者となった今、互助会は単に冠婚葬祭サービスの提供だけではなく、「豊かな老い」や「安心できる死」を提供しなければなりません。わたしが経営する株式会社サンレーも互助会ですが、「隣人祭り」 「グランドカルチャー教室」「ともいき倶楽部」などの活動を行っています。それらのすべてが「人は老いるほど豊かになる」社会づくりのためです。

 本書の「あとがき」には次のように書かれています。

 「医療の劇的な進歩により、そう簡単には死なせてもらえなくなった。命を永らえる可能性があれば一縷の望みでもすがってしまうのは生物としての生理で、食事情も向上し、各種の健康情報も流布して、誰もが長く生き続けられるようになったら、死ぬよりも、上手に老いることの方が難しい時代になってしまった」

 この現実をしっかりと見つめながら、けっして悲観的にならず、光輝高齢者たちがいきいきと生きる超高齢社会、人が老いるほど豊かになる「老福社会」の実現をめざして、サンレーは突き進みたいと思います。
 それは「天下布礼」の道を行くことにほかなりません。

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