No.1097 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『龍魂継承』 天龍源一郎著(ベースボール・マガジン社)

2015.07.22

 『龍魂継承』(ベースボール・マガジン社)を読みました。
 今年の11月に引退する「ミスタープロレス」こと天龍源一郎選手の対談集です。

 天龍選手の本名は嶋田源一郎。1950年2月2日生まれ。福井県勝山市北郷町出身。1963年、大相撲・二所ノ関部屋に入門。64年1月、初土俵。天龍の四股名で前頭筆頭まで昇進。76年10月、相撲を廃業し全日本プロレス入団。同年11月13日、武者修行先のアメリカでデビュー。80年代後半には「天龍革命」を起こし、一大ムーブメントになりました。90年に全日本を退団し、SWSに移籍。その後、WAR、フリー期を経て、2010年4月に天龍プロジェクトを旗揚げしています。

 マット界随一の酒豪としても知られており、そのあたりは『天龍源一郎 酒羅の如く』に詳しく描かれています。

   本書の帯

 本書の表紙には天龍選手の笑い顔が使われ、帯には「2015年11月、革命終焉 ― 。”ミスタープロレス”天龍源一郎 プロレスを愛する12人と激突! 中邑真輔 諏訪魔 丸藤正道 真壁刀壁 ハヤブサ 高山善廣 獣神サンダー・ライガー 長与千種 越中詩郎 曙 内館牧子 前田日明」「『週刊プロレス』好評連載 待望の書籍化!」「録り下ろし! ”幻のカード”前田日明との対談収録!」と書かれています。

本書の帯の裏

 帯の裏には「プロレスは伝承文化です。天龍源一郎」と書かれています。

 かつては「プロレスがなければ生きられない!」ぐらいに大のプロレス・ファンだったわたしですが、最近はすっかり疎遠になってしまいました。新日本プロレスの所属選手の多くも知らない顔になりました。本書で天龍選手が対談している12人は諏訪魔以外は知っていました。興味深かったのは、中邑真輔、獣神サンダー・ライガー、越中詩郎、そして前田日明との対談です。

  若い中邑真輔は、すでにレジェンドであった天龍と初めて会ったとき、以下のような感想を持ったそうです。

【中邑】僕みたいな浅いキャリアで30歳も年の違う人間からすると、ちっちゃいころからテレビで見て、ものすごい強烈な印象を天龍さんに持っている。だからテレビのなかの世界の話というか、もう天龍さん自体が僕のなかでは”想像上の生き物”ぐらいの。

【天龍】ガハハハハ。

【中邑】それこそ龍とかユニコーンとか。ホントに、それぐらいの感覚でしたね。実際に会って「ホントにいたんだ!」って(笑)。だから、そういうファン時代の気持ちも持ちつつ、でも「倒さなきゃいけないんだ」とか「闘うべき相手なんだ」という部分でも意識して。

  獣神サンダー・ライガーとは、プロレスラーの性(さが)について語り合います。

【天龍】今、プロレスの天龍源一郎の試合数が減ってるでしょ。そうすると、妙にストレスがもたげてくるときがあるんだよね。これはもう相撲とかプロレスってものに、ずっと携わってきた人間の性みたいなもんだと思うよ。試合数が減って、おとなしくなればいいんだろうけど、ときどき、得も言われぬ感情がガーっと沸点までいくときがあるんだよ。自分でやばいと思う感じがある。

【ライガー】でも自分でも同じですよ。あんまりにもオフが長いと夢を見ますし。天龍さんも見られていると思うんですけど、夢の中で自分のテーマ曲が鳴っているのに、靴ひもをまだ結べていないんですよ。

【天龍】あっ、同じ!

【ライガー】やっぱり! この夢、見るんですよね。靴ひもを互い違いに結んじゃったりして、「『ちょっと待って』って言って!」って叫んだり。

【天龍】まったく同じ夢。入場テーマがもう流れちゃってね、まだシューズ履いてないよ! 間に合わないよ、コノヤロー! って。まったく同じ夢だよ。不思議だけど、それを見るんだよね。音楽がかかってるのに、シューズのひもを結んでて、まだ身支度できてないっていう。

【ライガー】今、言われた通りですよ。

  全日本プロレスと新日本プロレスの両方の団体で活躍した越中詩郎は、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の両雄について語りますが、これがあまりにも面白い!

【天龍】馬場さんは、ファーストフードとかを食べるのはチープなレスラーだっていう感覚があったんだよな。ファミレスとかにも、絶対に行かなかった。

【越中】あと覚えているのは富山での試合が終わって、ホテルの最上階のラウンジでメシを食ってたときに、たまたまサザンオールスターズの桑田佳祐さんも同じ店にいて、馬場さんに挨拶に来たんです。馬場さんは座ったまま、葉巻をくわえて「オウ」って言って、桑田さんが帰った後に「あれ、ゴダイゴか?」って言ってね。「馬場さん、サザンオールスターズ知らないんすか!?」っていう(苦笑)。

【天龍】逆に、ゴダイゴを知ってるのがすごいよ、ワハハ!

【越中】桑田さんは、最敬礼で「馬場さん!」って言ってくれているのに。でも、そういう意味では、(アントニオ)猪木さんは立派ですよ。猪木さんは偉いなって思うのは、どんなときでもビシッとスーツを着てましたからね。いつどこで誰に会っても、「あっ、プロレスラーってピシっとしてるな」って。絶対にレスラーの印象を良くしてくれたと思いますよ。当時は電車とか飛行機の移動ってけっこう多かったから、やっぱりみんな来るわけですよね。「あ、馬場だ!」「おお、猪木だ!」って。馬場さんは、みんな突き返しちゃうけど、猪木さんはみんなにアントニオ猪木って書いてサインしてあげてましたよ。羽田だろうが東京駅だろうが。しかも、嫌な顔をしてるところを見たことがない。たとえば、グリーン車で寝てるとき、ファンに起こされてサインさせられたってなると、馬場さんは怒る。でも、猪木さんは逆で、そのファンを(付き人が)止めたら怒りましたね。

【天龍】あの人はプロレスに関することに一生懸命やってるから、ちゃんと挨拶するんだよね。でも、馬場さんは「オウ」って感じだから。ジャンボも天龍も、みんな「オウ」って感じになっちゃって、それで、みんな全日本の人たちに怒っちゃう、ワハハ! 選手というのは、やっぱりトップの影響を受けるもんなんだよなぁ。

さらに、越中選手は新日本のすごさについて以下のように語ります。

【越中】新日本のすごいところって、やっぱり猪木さんと長州さんなんですよ。シリーズが長くてダラっとしちゃうときもあるけど、そうしたらプッシュアップバーを持って、「お前ら、何やってんだ!」ってブン殴られる。あれで、試合場にピーンと糸を張ったような緊張感が生まれる。控室から長州さんの怒鳴り声が聞こえてきたら、みんな逃げたもんですよ。でも、そこを逃げちゃダメなんですよ。逃げずに話しにいく。口より先に手が出てブン殴られちゃうから、なかなかできないですけど。

【天龍】でも、その2人が率先して練習をしたりしてたからね。

【越中】いいかげんなヤツが言うんだったら、”なんだ”ってなるけど、やっぱりあの2人はちゃんと練習するし、誰も何も言えないようなすごい試合をやってましたから。ハンセンとかホーガンとか、デカいだけで何もできなかったような選手でも、猪木さんとやると、すんごい試合になっちゃう。ベイダ―にしてもシンにしたって、何もなかったのに。

 そして、本書の白眉といえる前田日明と天龍源一郎の”夢”対談。
 現役時代に2人の激闘を見たかったという想いは強いですが、対談もスイングして素晴らしい内容となっています。「天龍革命」や「UWF」に対するお互いの感想も興味深いですが、何よりも印象に強く残ったのは、ラッシャー木村についてのくだりでした。

【前田】昔のレスラーは、すごい人いっぱいいましたよね。
ラッシャー(木村)さんだって、のちのちマイクを持っておもろいことを言う柔和な人みたいな思われ方してましたけど、あの人、金網デスマッチやってる頃(国際プロレス時代)に、後輩の陸奥嵐(大相撲元関脇)さんをホントボコボコにしたらしいですからね。

【天龍】同じ宮城野部屋のね。

【前田】生意気な口きいたらしいんですよ。表につまみ出してボコボコにやっちゃったっていう。

  あの温厚なラッシャー木村がそんなに強かったとは意外ですが、同じ国際プロレス出身のアニマル浜口なども「本気になったら、おっとう(ラッシャー木村のこと)が一番強い」といつも言っていたそうです。さらに前田は、以下のようにも語っています。

 「木村さんは、すごく寡黙な人でしたよね。あと、悪口を言う人が誰もいないんですよね。どんな話を聞いても、へぇ、そうなんだって感心する話ばかりで。木村さんはお子さんが生まれなくて。でも、3人養子をとって、3人とも東大に入れたとかね。すごいなぁっていう人でしたからね」

 これには、わたしも驚きました。「はぐれ国際軍団」として新日本のリングに上がっていた頃、人気者である猪木の敵役として木村は憎まれに憎まれていました。当時、木村の自宅には生卵などがよく投げられていたとか。そんな環境の中で、3人養子をとって、3人とも東大に入れた! そこには、どんな人生のドラマがあったのでしょうか? わたしは、ラッシャー木村という人に無性に興味が沸いてきました。

 この読書館でも紹介した『完本 1976年のアントニオ猪木』『1964年のジャイアント馬場』を書いたノンフィクション作家の柳澤健氏に、次回作としてぜひ『1981年のラッシャー木村』を書いてほしいですね。1981年というのは、木村が愛した国際プロレスが崩壊して、アニマル浜口、寺西勇とともに新日本プロレスに参戦した年です。

  もちろん、本書の主役である天龍選手を忘れてはなりません。わたしは、天龍選手の妥協なきファイトが大好きでした。元横綱の輪島選手の頭にサッカーボール・キックを見舞ったときの衝撃。また、好敵手であったジャンボ鶴田とのド迫力の闘い。同じく好敵手であった長州力との意地をかけ闘い。日本人として唯一、馬場と猪木の両雄からスリーカウントを奪った快挙。多くの名場面が心によみがってきます。

 天龍選手、長い間、お疲れ様でした!

Archives