No.1092 歴史・文明・文化 | 民俗学・人類学 『洞窟のなかの心』 デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ著、港千尋訳(講談社)

2015.07.11

 『洞窟のなかの心』デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ著、港千尋訳(講談社)を再読しました。
 ハードカバーで555ページもある大著ですが、学際的研究の到達点ともいえる名著であり、『唯葬論』への多大なインスピレーションを得ることができました。著者は1934年生まれで、南アフリカのヨハネスバーグにあるウィトワーテルスラント大学のロック・アート研究所名誉教授で、シニア・メンターです。サン族の文化における研究の第一人者です。

   本書の帯

 帯には「後期旧石器時代に、『芸術の誕生=創造の爆発』がなぜ起こったのか?」「脳内神経回路、シャーマニズム、社会形成、を鍵に謎を徹底解明する!」「ホモ・サピエンス史上最大の謎!」と書かれています。また、アマゾンの本書の内容紹介には次のように書かれています。

 「ラスコーやアルタミラなど、洞窟芸術は、芸術の起源は数万年前に突如誕生した。芸術はなぜ必要だったのか?
 心のどのような機能が、表現にいたるのか?
 なぜ洞窟の中に誕生したのか?
 現生人類の脳=心の構造、人類による社会の構成、シャーマニズムによる意識変容男状態の活用が、『芸術』誕生の鍵となります。著者はホモサピエンス史上最大の難問に挑むために、考古学に加えて、人類学、心理学、宗教学、脳生理学、意識研究の最前線の知見を創造的に再解釈し大胆な仮説を提示します。20世紀の知的遺産を引き継ぎつつ、21世紀に向けてのラディカルな問題提起を孕んだ意欲作です」

   本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

「序文」
「カラー口絵」
「三つの洞窟:三つの時間単位」
第一章 「人類の古代」の発見
第二章 答えを求めて
第三章 創造的幻想
第四章 心という問題
第五章 南部アフリカ、サン族の岩絵
第六章 北米のロック・アート
第七章 イメージ製作の起源
第八章 心のなかの洞窟
第九章 洞窟と共同体
第十章 洞窟をめぐる論争
「献辞」「原註」
「参考文献とブックガイド」
「訳者解説」「謝辞」

 「序文」の冒頭は、新しい学問の誕生について書かれています。

 「1902年、当時フランスやスペインの洞窟でなされた発見の正当性につよい疑念を表明していたフランスの影響力ある考古学者、エミール・カルタイヤックが自らの首長を翻し、かの有名な『懐疑論の懺悔』を出版した。当時、不完全ながらも広く浸透していた、後期旧石器時代の先史人類には芸術創造の能力など認められないという懐疑主義は、このカルタイヤックの改心によってすぐさま崩れ去った。こうして、後期旧石器時代の芸術をめぐる探求は、たちまちにしてれっきとした研究分野となり、新しい学問の共同体が誕生したのである」

   カラー口絵も充実しています

 第三章「創造的幻想」には、ダーウィンが『種の起源』を書こうと決心した2年前に、ドイツのフェルトホッファー洞窟として知られる場所で発掘を行なっていた作業員が、土地の教師でアマチュア博物学者だったヨハン・フールロットにいくつかの出土品を見せたエピソードが紹介され、著者は次のように書いています。

 「この洞窟は、ネアンデル渓谷を見渡せる石灰岩質の断崖の高所にあった。その警告を流れるデュッセル川は、デュッセルドルフのライン川と交わる合流点へと注がれる。広く信じられていることに反して、洞窟の下を流れる川が『蛇行する流(ネアンダー)』と呼ばれていたのではない。土地の名は、17世紀の神学者であり教師でもあったヨアヒム・ネアンダーに由来している。彼は、聖体拝領を受けるのを拒んだため、デュッセルドルフ神学校での地位を解任されたのだった。神学上のジレンマについて考え込むような時に、彼がしばしばこの渓谷に散歩に出かけたことから、ここはネアンダーの渓谷―ネアンデルタールと地元で呼ばれるようになった」

 そして1857年、この渓谷自体が、西欧のキリスト教神学を根底から揺るがすジレンマの種を生み出しました。発掘作業員がフールロットに見せたものこそ、ネアンデルタール人の骨だったのです。著者は、ネアンデルタール人の行動について述べています。

 「まったく異なる種類の芸術として、あるいは『象徴行動』と呼びうるものとして、選ばれた死者の埋葬がある。それは身体装飾、ビーズ、ペンダントその他の人工品からなる豊かな副葬品をともなう、身体を飾るビーズ等が墓のなかに収められることがあっても、埋葬という考え方自体が身体装飾の実践から派生したなどと考えるものはいないだろう。また墓所をつくることと絵画を描くことの間に―いずれかの方向での―進化的な関係があると考えるものもないだろう。それらは、はっきりと異なる種類の『芸術』なのである。ここで想起すべき重要な点は、後期旧石器時代の埋葬地は、副葬品の点で大変豊かなものであり、それらの品々は、個々の家族ではなくより広汎な社会的サークルによって死者に奉献されたものである。それは、中期旧石器時代の埋葬の慣習よりも、はるかに広大な社会的ネットワークとそれに付随する象徴体系を指し示している」

   カラー口絵も充実しています

 著者は、まさにネアンデルタール人が埋葬を行った後期旧石器共同体について、以下のように述べています。

 「後期旧石器共同体では、表象芸術と入念な埋葬の慣習は、異なる社会的カテゴリーに属する人々がそれぞれに持つ『霊』界(つまり、心的イメージの領域)に対する関心のさまざまな程度や種類に関連づけられるものだったが、それは、ネアンデルタール人が欠落させている意識のタイプに共通の基盤を持つものである。それが、ネアンデルタール人が表象芸術と埋葬を借用したり模倣したりしたわけではなかった、と私が論じる根拠である。彼らが十分に知的ではなかったということだけではなく(それはたしかに一理ある)、ネアンデルタール人は私たちのものとは異なる種類の意識構造を持っていたのである。完全にモダンな人間の意識は、ネアンデルタール人の意識と違って、心的イメージを楽しみ、種々さまざまな意識の状態で心的イメージを生みだし、それをあとから思い返し、共通の枠組みのなかでそれについて他人と語り合い(つまり、心的イメージ社会化し)、それを絵画として描く能力を持っていた。このような能力の所有と欠如は、オーリニャック人とネアンデルタール人のアイデンティティ概念にどのような影響を及ぼしたのだろうか?」

 著者は、ネアンデルタール人における芸術と儀礼について、以下のように述べています。

 「芸術と儀礼はたしかに社会的な結束力を高めるのに役立ったであろうが、それらは他の集団からある集団を区別する何かであり、そうすることで社会的な緊張関係を生みだす可能性を創り出したのである。そこにあるのは協働関係ではなく、競合と緊張の関係で、それは最後のネアンデルタール人が消滅したあとも人類史を通じて持続し、拡大してきた社会的・政治的・技術的な変動の、終わりなき螺旋運動の最初の引き金をひくものだった」

   カラー口絵も充実しています

 そして、最終章である第十章「洞窟をめぐる論争」の最後を、著者は次のように締めくくっています。

 「クロード・レヴィ=ストロースによれば、神話は『それを作り出した知的な衝動が尽きるまで』『螺旋状に』展開していうという。後期旧石器時代の心的状態、固定化されたイメージ群、社会関係、そして洞窟からなる相互関連の総体もまたそうだったのではなかろうか。そして、およそ1万年前、ネアンデルタール人の滅亡のはるかのちに、社会的、環境的そして経済的な変化が霊的世界の場所を地上に設置することを余儀なくさせ、こうして洞窟芸術は終焉を迎えるのである。後期旧石器時代の宗教的指導者や政治的指導者たちは、自らのテで地下の奥深くに絵を描き記した、だがそれはまた別の話である」

  わたしは、もともと洞窟絵画には並々ならぬ関心を抱いており、ブログ「世界最古の洞窟壁画」で紹介した映画も夢中で鑑賞し、DVDも購入しました。この作品は、ショーヴェ洞窟と、そこに残されていた世界最古の壁画をめぐるドキュメンタリー映画で、3D上映となっています。ショーヴェ洞窟とは、1994年12月、ジャン=マリー・ショーヴェが率いる洞窟学者のチームが発見した洞窟です。そこには、なんと3万2000年前に描かれた壁画が奇跡的に保存されていました。3万2000年前といえば、1万5000年前のものとされるラスコー壁画よりも1万7000年も古いわけです。まさに、世界最古の洞窟壁画! 

 しかしながら、「訳者解説」で港千尋氏が以下のように書かれています。

 「最後になるがこの解説を書いている最中の2012年6月、旧石器洞窟芸術の年代についてアメリカの科学者グループによる発見が世界を驚かせた。スペイン、カンタブリア地方にあるカスティーヨ洞窟の壁画を、新しい年代測定法(ウラン-トリウム法)で測ったところ、それまで考えられていた年代をおよそ1万年遡る、4万年という値が出てきたのである。カスティーヨ洞窟の壁画自体は本書373頁以下でも触れられており、わたし自身も実際に洞窟で見たことがあるが、このニュースが衝撃を与えたのはショーヴェ洞窟よりもさらに古い最古の壁画というだけでなく、それがネアンデルタール人によって描かれた可能性が示唆されたためだった」

 そして「訳者解説」の最後に、港氏は「洞窟のなかの心は、心のなかの洞窟と通じているという著者の言葉は、芸術の起源だけでばく、人間の創造力や社会性といったより一般的な探究のフィールドにおいても、十分に刺激的である。イメージは、人間の心が生み出した最良のもののひとつにして、かつ最大の謎として、わたしたち自身についての探究に扉を開いているのである」と述べています。

 わたしは、もともとネアンデルタール人に深い関心を抱いていますが、ネアンデルタール人に関しても知らなかった多くのことを知ることができました。本書を読んでいるうちに、わたしの心も彼らが象徴的行為を行ったであろう後期旧石器時代の洞窟へとつながったような気がします。

 なお、本書を参考にした『唯葬論』(三五館)がアマゾンにUPされました。

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