No.1091 グリーフケア | 冠婚葬祭 | 死生観 | 神話・儀礼 『永遠葬―想いは続く』 一条真也著(現代書林)

2015.07.09

 9日、わたしの最新刊『永遠葬―想いは続く』(現代書林)の見本がついに出ます。宗教学者である島田裕巳氏の著書『0葬―あっさり死ぬ』(集英社文芸単行本)に対する反論の書です。

   『永遠葬―想いは続く』(現代書林)の帯

 本書には、「想いは続く」というサブタイトルがつけられています。帯には、著者近影とともに「人は『永遠』に弔われる存在です。あなたは儀式で守られています。」というキャッチコピーに続いて、「葬儀やめますか、そして人類やめますか? 時代に合わせた葬儀をみんなで考える時がきました。わたしはそれを総称して『永遠葬』として提案します。」と書かれています。

   あれから5年が経ちました・・・・・

 かつて、わたしは島田氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)というベストセラーに対し、『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。それから5年後、再び島田氏の著書『0葬』に対抗して本書『永遠葬』を執筆しました。

 意図的なカウンターブックであることを強調するため、判型・ページ数・定価など、『0葬』とまったく同じで、装丁も意識して作られています。 これは版元のアイデアですが、ここまで徹底しているのは見たことがありません。2冊を並べると、偶然にも『永遠の0』が浮かび上がってきます。

   2冊を並べてみると・・・・・・

 なお、本書では『葬式は、要らない』『0葬』に対する批判を展開していますが、それらの本の著者である島田裕巳氏その人には何の恨みもありません。それどころか、わたしは島田氏を才能豊かな文筆家としてリスペクトしています。島田氏とわたしの間には、さまざまな交流もあります。そのあたりも本書に書きましたので、ぜひお読み下さい。

 意見が違うからといって、いがみ合う必要などまったくありません。意見の違う相手を人間として尊重した上で、どうすれば現代の日本における「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切です。あなたは、どのような葬儀を希望しますか。本書を読みながら、ご自身の葬儀について、またあなたの大切な方の想いを残す方法について一緒に考えてみませんか?

 本書の目次構成は以下のようになっています。

はじめに「葬儀は人を永遠の存在にする」
プロローグ 東日本大震災の教訓
第1章   『葬式は、要らない』から『0葬』
第2章   もう一度、葬儀について考えよう
第3章   日本はいつから変わったのか
第4章   日本仏教の大切な役割
第5章   「永遠」というキーワード
第6章   大いなる「永遠葬」の世界
第7章   冠婚葬祭互助会の新たなる役割
エピローグ 「終活」から「修活」へ
おわりに「戦後七〇年を迎えて」 

 葬儀は何のために行うのか―その明確な答えを書いたつもりです。「家族の絆」がクローズアップされる一方で、「老い」や「死」がなぜ軽んじられるのか。「終活」という問題が大きなテーマになる中で、葬儀の重要性、必要性を語りました。葬儀という「儀式」の必要性を説き、さらに変わりつつある死の迎え方の現実を豊富なデータや実例で紹介しながら、葬儀の実践方法をも紹介します。いわば、『葬式は必要!』のアップデート版です。

 島田氏の提唱する「0葬」とは何か。通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」をさらに進めた形で、遺体を完全に焼いた後、遺灰を持ち帰らずに捨ててくるのが「0葬」です。わたしは、葬儀という営みは人類にとって必要なものであると信じています。

 故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれます。もし葬儀が行われなければ、愛する家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きるでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。儀式という「かたち」は人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。

 わたしは、決してわが社や業界のために本書を書いたのではありません。わたしは、「会社は社会のもの」と考えています。社会に要らない会社や業界など消えてもいいと思っています。でも、葬式は社会にとって必要なものです。日本人の「こころ」に必要なものです。

 日本人が本気で「葬式は要らない」と考えはじめたら、日本は世界の笑いものになります。いや、それどころか、人類社会からドロップアウトしてしまう危険性があります。そんな事態は絶対に避けなければなりません。ですから、わはしは悲壮感をもって『葬式は、要らない』に対抗して『葬式は必要!』を書き、今また『0葬』に対抗して『永遠葬』を書きました。

 葬儀によって、有限の存在である”人”は、無限の存在である”仏”となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」です。葬儀とは、じつは「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニーなのです。そう、人は永遠に生きるために葬儀を行うのです。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、わたしはそれを「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。

 本書で、わたしは葬儀の本質と重要性を述べるとともに、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」あるいは遺骨を火葬場に置いてくる「0葬」を批判しました。 これらの超「薄葬」が、いかに危険な思想を孕んでいるかを声を大にして訴えました。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は、ナチス・オウム真理教・イスラム国の巨大な闇に通じています。

 今年は終戦70周年の年です。日本人だけでじつに310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって70年目の節目なのです。今年こそは、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年であると思います。今こそ、「血縁」や「地縁」の重要性を訴え、有縁社会を再生する必要がある。わたしは、そのように痛感しています。

 そして、わたしたちは、どうすれば現代日本の「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切ではないでしょうか。本書で、わたしが現在取り組んでいる葬イノベーション―四大「永遠葬」を紹介します。日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが対応したスタイルで、「樹木葬」「海洋葬」「月面葬」「天空葬」となります。この四大「永遠葬」は、個性豊かな旅立ちを求める「団塊の世代」の方々にも大いに気に入ってもらえるのではないかと思います。『永遠葬』は22日に全国の主要書店で一斉発売されます。もちろん、アマゾンなどのネット書店でも購入できます。理想的な「人生の修め方」を考えるためにも、ぜひ『永遠葬』をご一読下さい!

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