No.1021 評伝・自伝 『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』 角岡伸彦著(小学館)

2014.12.19

 『やしきたかじん伝 ゆめいらんかね』角岡伸彦著(小学館)を読みました。
 この読書館でも紹介した『たかじん波乱万丈』と同様に、いま話題の『殉愛』の関連書と知り、アマゾンで購入しました。2014年小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞しています。

   本書の帯

 赤い帯には、やしきたかじんの顔写真の一部が使われ、「小心者で、優しくて、気の弱いおじさん。あの人は、やしきたかじんを演じていたと思う」「関西の視聴率男の『心奥』を描く 」と書かれています。アマゾンの「内容紹介」には、以下のように書かれています。

 「2014年1月3日、歌手でタレントのやしきたかじん氏が食道ガンで死去した。関西を中心に活動してきた、いわば”ローカルタレント”である。 しかし、翌日の全国紙はその死を大きく報じた。死後2か月後にとりおこなわれた偲ぶ会の発起人には、安倍晋三首相、建築家・安藤忠雄氏など各界の大物が名を連ねるなど存在感の大きさを示した。
 ただし、数多の追悼番組が組まれ、芸能人との交遊録も語られたたかじんだが、素顔はあまり知られていない。
 なぜ東京進出に失敗し、その後、東京の番組出演を避け、さらには東京への番組配信すら禁じたのか。晩年、なぜ政治に接近し、政治家を生む原動力となっていったのか―。取材で明らかになっていったのは、ある作詞家が『小心者で、優しくて、気の弱いおじさん。あの人は、やしきたかじんを演じていたと思う』と評したように、一見、剛胆にみえるたかじんのあまりに一本気で繊細すぎる一面だった。本書は内なる葛藤を抱えながら、自らに求められた役割を『演じ続ける』たかじんの『心奥』を、たしかな取材で描いていく」

   本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

序 章 プロフェッショナル
第一章 ルーツ
第二章 酒場の契約歌手
第三章 タレント開眼
第四章 『あんた』のバラード
第五章 東京
第六章 震える歌
第七章 司会者と政治家
第八章 縫合不全
終 章 幕が下りてから
「あとがき」

 本書は、たかじんの出自を明かしたことで話題を呼びました。第一章「ルーツ」には、以下のように書かれています。

 「飛田新地から北西の咆哮に少し歩けば、ニッカ―ポッカ―にねじり鉢巻の男たちが行きかう日本最大のドヤ街・釜ヶ崎に行き着く。
 ポケットの上辺中央には、日本最大級で、人口約1万人の被差別部落が広がっている。かつては屠畜場があり、皮革産業で栄えた街だ。戦前は沖縄や朝鮮半島から職を求めて多くの人がこの部落、そして西成区全域に住み着いた。
 このように西成は、あらゆるマイノリティを吸収してきた、偉大なる下町と言える。田佳人が生まれ育ったポケットの中央付近もその例外ではない」

 このようなルーツの開示はとかく陰湿になりがちですが、著者自身が『はじめての部落問題』(文春新書)や『とことん! 部落問題』(講談社)などの一連の著書で自分の出自をカミングアウトしている人だけあって、このあたりはサッパリとした感じでした。でも、わたしはルーツよりも、やはりたかじんの「終活」に興味があります。特に、なぜ血縁者や親しい人々が葬儀に参列できなかったのかがどうしても気になります。

 『殉愛』では「さくら」の名前で出てくるたかじんの最期を看取った妻は本書では「のぞみ」という仮名で登場します。第八章「縫合不全」には、たかじんの離婚した元妻の智子についてのくだりが以下のように書かれています。

 「智子は後に知ることになるのだが、たかじんは食道ガンがわかる1ヶ月ほど前の11年の年末に、32歳年下ののぞみ(仮名)と知り合っていた。フェイスブックで知り合ったとも、知り合いのパーティーで出会ったとも伝えられている。のぞみには何度も取材依頼の手紙を書いたが、返事はなかった。のぞみはたかじんの闘病に付き添い、最後を看取ることになる。それまで定期的にあった連絡の途絶は、たかじんの判断か、はたまた他に何か理由があったのか、真相はわからない」

 その智子は、たかじんの死の翌日、のぞみから連絡があり、密葬に参列しています。本書には、以下のように書かれています。

 「密葬に智子を呼ぶことは、おそらくたかじんの遺言だったのだろう。彼が年末に書き残したメモの中には、智子を気遣う気持ちも記してあった。
 娘の曜子には、3日に携帯電話に連絡が入っていた。しかし知らない人物からだったので、電話をとらないままでいた。翌4日も同じ人物からかかってきたので出ると、のぞみだった。マネージャーの小丸ではなく、会ったことのないのぞみからの架電であったため、1日のズレが生じていた」

 本書には、さらに娘の曜子について次のように書かれています。

 「曜子は母親がクモ膜下出血で急死したため、人はいつ死ぬかわからないという死生観を持っていた。しかも父親がガンにかかったことはすでに報道で知っていたので、驚くことはなかった。
 しかし、ガン報道の直前に携帯電話で話をして以降、会話もせず、会ってもいなかったので、そのことだけは悔やまれた。面識がなく自分よりも若い女性(のぞみ)が看病をしているということも会いづらい理由の1つだった。だが、こんなことになるなら、顔を見に行くべきだった、と悔やんだ」

 たかじんの密葬についての文章の最後は次のように書かれています。

 「密葬には『一生、一緒にやっていこな』と言った元マネージャーの野田幸嗣や、野田のあと、たかじんを支え続けたマネージャーの小丸豊、さらにはふるさとの母親や弟の姿もなかった。大阪を愛し、大阪に愛された男は、大嫌いだったはずの東京で、わずかな人に見守られ、荼毘に付された」

 本書を読んで、わたしは「人が亡くなったら、縁のあった人々が葬儀に参列し、故人を見送るのが自然」だと改めて思いました。たかじんの未亡人がここまでバッシングを受けるのは、きちんとした葬儀を行わなかったことも大きな理由の1つだと思います。

 それにしても、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した本書に書かれていることは、もう1つのノンフィクションである『殉愛』の内容とあまりにもかけ離れています。いったい、どちらが本当なのでしょうか。ネットで書き立てられているように、もしも『殉愛』がノンフィクションでないのなら、それを暴くのは本書の著者である角岡伸彦氏の使命ではないかと思います。

 ちなみに、本書のタイトルにもなっている「ゆめいらんかね」は名曲です。

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