No.1006 国家・政治 | 歴史・文明・文化 『名著で読む日本史』 渡部昇一著(育鵬社)

2014.11.18

 『名著で読む日本史』渡部昇一著(育鵬社)を読みました。
 著者の書斎で直接プレゼントされた本です。署名までしていただきました。本書は著者の『名著で読む世界史』の姉妹本とも言える内容ですが、著者が凄いところは「世界史」にも「日本史」にも精通しているところです。

   歴史が解る16冊

 帯には著者の顔写真とともに、「歴史が解る16冊」と書かれています。また、帯の裏には、その16冊の書名がずらりと並んでいます。そのセレクトは『古事記』『日本書記』といった神話から、『紫禁城の黄昏』『東條英機宣誓供述書』といった近代史の本に至るまで、じつにバラエティに富んでいます。

    本書の帯の裏

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「序にかえて―歴史とは何か、国史とは何か」

第1章 古代
 1 『古事記』・・・日本神話と日本人
 2 『日本書紀』・・・古代日本人の歴史の実像
 3 『栄華物語』・・・昔も今も歴史はスキャンダラス!?
 4 『平家物語』・・・歴史のドラマと日本人的無常観

第2章 中世
 5 北畠親房『神皇正統記』・・・南朝正統を主張する書に何を読み取るか
 6 『太平記』・・・中世の日本を知るために必読の軍記物語
 7 岡谷繁実『名将言行録』・・・戦国・江戸期に活躍した武将たちの生き方
 8 原勝郎『日本中世史』・・・目からうろこの連続の歴史絵巻

第3章 近世
 9 山鹿素行『中朝事実』・・・尊王思想はこの本を読むと理解できる
10 徳川光圀『大日本史』・・・世界に誇る全397巻の歴史書に書かれていること
11 頼山陽『日本外史』・・・歴史書”空前のベストセラー”誕生の背景

第4章 近現代
12 伊藤正徳『軍閥興亡史』・・・日本はなぜ第二次世界大戦を戦ったのか
13 徳富蘇峰『近世日本国民史』・・・今、注目したい国民史・全100巻
14 辻善之助『日本文化史』・・・日本文化の核心とは何か
15 R・F・ジョンストン『紫禁城の黄昏』・・・封印されてきた満州国の歴史の真実
16 『東条英機宣誓供述書』・・・東京裁判史観の呪縛を解く!

付録 渡部昇一『裸の総理たち32人の正体』・・・・・・「後世の日本」という視点で見る功罪

「序にかえて―歴史とは何か、国史とは何か」の冒頭を著者は次のように書き出しています。

 「歴史とは何でしょうか。私はそれを考えるたびに、夏目漱石の家に入った泥棒の話を思い出します。
 あるとき、漱石の家に泥棒が入りました。そして、その泥棒は庭にウンチをしてから逃げました。明治の頃には、泥棒は自分が入った家に脱糞すると捕まらないというジンクスがあったようで、漱石の家に入った泥棒もそれにしたがったのです」

 警察は、庭について泥棒の足跡の大きさや窪みの深さから、泥棒の体重や体の大きさをほぼ推定できます。また糞を分析すれば、泥棒に入る前に食べた物がわかり、それによって泥棒の身分さえも推定できるかもしれません。著者は、次のように述べます。

 「泥棒の本質を知るために、足跡や糞から分析されるものは非常に重要な証拠となります。これは学問でいえば、考古学に属するような研究分野だといえるでしょう。一方で、彼が落としていった手帳や日記帳に基づいて、泥棒の姿を推定していくのは、歴史の研究に当たります。歴史の研究にとって、絶対に必要なものは、『書かれたもの』なのです。その『書かれたもの』の裏づけとして、考古学的な研究が極めて貴重な証拠になるのです」

 そこで、著者は日本の戦後の一時期に見られた傾向について述べます。

 「戦後、日本では『古事記』『日本書紀』のような「書かれたもの」を軽んずる風潮が強く出て、その代わりに考古学的な知識を重視するようになりました。考古学的知識はそれ自体貴重なものですが、今述べたように、文献として残ったものの代わりにはなりません。歴史を学ぶときにはこの点を心得ておく必要があるというのが、私の歴史に対する根本的な考え方です」

 最初に取り上げている『古事記』では、「『古事記』には日本の神話の元になる話がつまっている」として、著者は次のように述べています。

 「『古事記』の内容はご存知のとおり、天地創造の物語です。最初は一人神、神様は1人であって伊耶那岐神、伊耶那美神に至って男女の神が生まれたということになっています。
この伊耶那岐命、伊耶那美命が国造りをなさるわけですが、このときに絶対見落としてはいけないのは、造った国が島であったということです。つまり、『古事記』が書かれた頃の伝承でも、日本に住む人々は自分の国が島国であることを知っていたわけです。しかも、その中には佐渡島まで入っています。ゆえに日本人の先祖が大陸から渡ってきた騎馬民族であるという説は初めからナンセンスなのです。『古事記』は単なる天地創造の話ではなくて、日本国創造の話であったところに重要性の1つがあると思います」

  また『日本書記』では、著書は次のように述べています。

 「『日本書紀』ができた頃の日本人は、自分の国を『中国』といっていたのです。それは高天原と黄泉の国の真ん中にこの国があるという意味で『中国』といったのかもしれません。
しかし一般的にいうと、自分にとって一番大切な国を『中国』と呼ぶのです。たとえば、シナにおいて僧侶たちが中国というときはインドを意味したそうです。だから日本には『日本書紀』の書かれた時代から自分の国のことを『中国』と呼ぶ習慣があったのです」

 北畠親房『神皇正統記』では、「南朝正統論と三種の神器」の項で、著者は次のように述べています。

 「親房の解釈によれば、鏡は太陽であり日の体を示しています。つまり、自分の心に私心がないことを表し、正直の源となるものです。玉は月の精であり、柔和善順を徳とし、慈悲の源となります。剣は星の気で、剛利決断を徳とし、知恵の源となるものです。したがって三種の神器は、智・仁・勇を示すものであるとしています。そして、それが神代から伝わっていることを重視しました。それゆえ、三種の神器の偽造品を与えられている北朝は偽物であると主張したのです」

  その『神皇正統記』と一対になっているのが『太平記』です。『太平記』を中世の日本を知るために必読の軍記物語であるととらえる著者は、吉田松陰のエピソードなどを紹介しつつ、以下のように述べます。

 「幕末の志士にとって『太平記』は重要な必読書であったことがうかがえます。志士たちは、『太平記』を倒幕の書として読んだのです。ですから足利幕府が成立した部分などは、読み飛ばしていたかもしれません。彼らが重んじて読んだのは、建武の中興までの戦いの場面です。楠木正成や新田義貞の活躍で北条幕府を倒して建武の中興が起こります。しかし、それは足利尊氏によって壊されてしまいます。
 おそらく志士たちは、最初のほうでは北条幕府に対する憎しみを感じ、その後は足利幕府に対する憎しみを感じたはずです。そして、それを自分たちの立場に置き換えて、江戸幕府に対する憎しみを湧き立たせたのです。そう考えると、志士たちにとっての『太平記』とは、幕府を倒すための本だったといってもいいかもしれません」

 この読書館でも紹介した著者の『名将言行録を読む』には「戦国・江戸期に活躍した武将たちの生き方」が生き生きと描かれています。この『名将言行録』について、著者は次のように述べています。

 「『名将言行録』上巻は北条氏長を筆頭に北条家から始まり、次いで太田道灌とか尼子経久、今川義元、毛利元就、小早川隆景、武田信玄、真田昌幸、上杉謙信、織田信長、明智光秀、前田利家、蒲生氏郷、伊達政宗など、戦場を生き抜いた武将たちの逸話が集められています。武将の話がこれだけまとまって集められている本は世界にも少ないでしょう。
 戦国時代というのは、よくいわれるように、織田信長がついた餅を秀吉が丸めて、それを家康が食べるというような形で終わりますが、この空前絶後の時代を生きた日本人の生きざまが本当に見事に描かれています。しかもその内容は、今、実業界で生きている人たちの手本になるような教訓に満ちています。歴史家は無視していますが、日本の歴史を語る上で、この『名将言行録』は是非とも取り上げるべき本です」

 原勝郎『日本中世史』では、著者は次のように述べています。

 「この本の中で原勝郎は、日本文化や日本史を論ずるには、平安朝に重きを置かず、主として武士の勃興を見る必要があることを述べています。確かに武士が勃興しなければ、日本は元寇で潰されていたに違いないのです。そうなれば平安朝も平安文化も消えてしまっていたことでしょう。帝政ローマ時代の歴史家タキトゥスが『ゲルマーニア』でゲルマニアの蛮族のことを書いています。タキトゥスはそこで蛮族を褒めるような感じで書いているのですが、武士を称えるというのは、それとちょうど同じような視点なのではないかと感じます」

 山鹿素行『中朝事実』を読めば、尊王思想は理解できると訴える著者は、著者の素行を「幕府の学問である朱子学を批判した人」として、次のように述べています。

 「素行という人は幕府が奉ずる儒学であってもおかしいと思えば異を唱えるような人でした。そして孔子の唱えた儒教の精神を国体と調和させるものは神道だと考え、両部神道(神仏習合思想の1つ。真言密教の金剛界・胎蔵界の両部の理論で日本の神と神の関係、神と仏の関係を位置づけた思想)を学び始めます。そして、日本という国の歩みをよく理解していて、孔子の考え方ならば日本の国体と相反しないと考えました。
 ところが、儒学といっても朱子学は理屈ばかりで日本の国体とは合わない。そこで『儒学をやるなら孔子に戻れ』ということで古学を提唱し、その開祖となるのです」

  徳富蘇峰『近世日本国民史』も取り上げられています。 この読書館でも紹介した『知的生活の方法』で、著者の渡部先生が若い頃に『近世日本国民史』全100巻を無理して購入したと言うエピソードを読み、わたしも同書がどうしても欲しくなり、高校生の頃に神保町の小宮山書店で購入した記憶があります。もちろん、代金を払ったのは父でした。

 著者は、『近世日本国民史』について、次のように述べています。

 「蘇峰は、明治という時代に生まれたことを心から幸いに思っていました。自分は幸いにして明治のことは隅から隅まで知っている。明治の偉い政治家とはみんな親しいし、板垣退助が暴漢に刺されて箱根で療養しているときには何日も一緒にいて話を聞いたこともあった。だからどうしてもこの明治という偉大な時代を書きたいのだ、というのです。
 そうした決意のもと、すべての仕事をなげうって書き始めようとしたのですが、そこでふと思うのです。明治を書こうとしたら、やはり幕末のさまざまな出来事を書かなければならないだろう。そして、その幕末の前には徳川時代がある。徳川の前には秀吉があり、秀吉の前には信長がある、と。しかし、そんなふうに考えればキリがありません。大化の改新まで戻ればいいのかもしれないけれども、それではおおごとになります。
 考えた末に、結局、蘇峰は信長から書き始めようと決めるのです。これは偶然にも内藤湖南が『日本史は応仁の乱以後を見ればいい』といったことと重なります。だから、応仁の乱を最初にまとめて信長から歴史を見ていくというのは、ちょうどいい史観になったわけです」

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