No.0989 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『全日本プロレス超人伝説』 門馬忠雄著(文春新書)

2014.10.01

 『全日本プロレス超人伝説』門馬忠雄著(文春新書)を読みました。
 著者は昭和13年福島県出身で、元東京スポーツ新聞社の記者でした。この読書館でも紹介した『新日本プロレス12人の怪人』の続編です。前作がなんと文春新書から刊行されたのには驚きましたが、まさか続編も出るとは。もう、びっくり仰天です。でも、続編なら前作とタイトルを合わせて『全日本プロレス15人の超人』としてほしかったですね。もちろんタイトルを最終的に決定するのは版元のほうだと知っていますが、わたしはそういうことに非常にこだわる人間なのです。(苦笑)

   馬場、ハンセン、ブッチャーの雄姿入りの帯

 帯には、ジャイアント馬場、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャーの雄姿の写真とともに、「猪木の米国進出を阻止した馬場、新日の鶴田『引き抜き』、デストロイヤーとブッチャー、日本人と再婚したハンセン・・・”とっておき15人の秘話”を初公開」と書かれています。

 また、カバー前そでには、「馬場の『32文ロケット砲』完成秘話、岐阜の病院に極秘入院した鶴田、妻に逃げられたデストロイヤー、乱闘で警察沙汰となったブッチャー・・・・・・初めて明かされる超人たちの素顔」とあります。

 さらに、アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。

 「全日本プロレスを代表する15人のスターを、東京スポーツの名物プロレス記者として鳴らした著者が描く傑物列伝。彼らのマットでの活躍はもちろんのこと、御大ジャイアント馬場が海外に太いパイプを築けた秘訣、三沢光晴に負けてふさぎ込んだ”完全無欠のエース”ジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤーと一緒にやった筋力トレーニング、行儀の悪い外国人レスラーを一喝したレフェリーのジョー樋口など、現場取材40年の著者にしか書けない秘話が満載。アブドーラ・ザ・ブッチャー、三沢光晴、小橋健太、大仁田厚、ファンクス、スタン・ハンセン、天龍源一郎らとのリング外の交遊録も一読の価値があります。」

 本書の目次は、以下のようになっています。

「プロローグ」
第1章  ジャイアント馬場~王道プロレスの牽引者
第2章  ジャンボ鶴田~完全無欠のエース
第3章  ザ・デストロイヤー~「日本のレスラー」になった魔王
第4章  アブドーラ・ザ・ブッチャー~血染めの凶器使い
第5章  ミル・マスカラス~千の顔を持つ男
第6章  大仁田厚~ジュニアヘビー級の尖兵
第7章  ザ・ファンクス~テキサス・ブロンコの心意気
第8章  スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ
~不沈艦と超獣「最強コンビ」
第9章  ザ・グレート・カブキ~毒霧噴く”東洋の神秘”
第10章 三沢光晴~男気のファイター
第11章 小橋健太~病魔に勝った鉄人
第12章 天龍源一郎~不滅の負けじ魂
第13章 ジョー樋口~厳しく優しいプロレスの番人
「参考文献」

 「プロローグ」の冒頭、著者は「設立者のジャイアント馬場没して14年、全日本プロレスは2013年10月、ライバル団体新日本プロレスに7ヵ月半遅れて、創立41周年を迎えた。アントニオ猪木の新日本とせめぎ合い、常に比較対照されてきた一方の盟主である」と書き出しています。

 しかし、新日本プロレスについての前作同様、本書の内容はちょっとしたプロレスファンなら誰でも知っている各レスラーのプロフィールとエピソードで構成されていますせっかくのベテラン記者なのですから、もっと著者しか知らない話を書いてほしかったと思うのは、わたしだけではありますまい。

 結局、全日本プロレスを象徴するのは、ジャイアント馬場とジャンボ鶴田の2人であったように思います。2人ともデカくて、強いレスラーでした。ジャイアント馬場は晩年のユーモラスな試合スタイルから「弱い」と思われがちですが、とんでもない。あの巨体にプロ野球選手にまでなった運動神経・・・・・・馬場は紛れもなく強いレスラーでした。著者は、「驚異の肺活量8500」で、馬場について書いています。

 「”東洋の巨人”の無尽蔵のスタミナと強靭な足腰は、多摩川グラウンドや明石キャンプでの走り込みによって培われたものだ。その肉体的強さは、心肺機能の高さにあった。全盛期の頃の肺活量は、ジャンボ鶴田もビックリの8500強あったとされる。あの”人間発電所”ブルーノ・サンマルチノを16文で蹴倒し、”荒法師”ジン・キニスキーを32文ロケット砲で吹っ飛ばし、日本プロレスを機関車の如く牽引したエネルギーは、並はずれた肺活量にあった。これがジャイアント馬場の底力の総てだろう」

 しかし、馬場の本当の強さは、プロレスラーとしてよりもプロモーターとしてでした。かつて、新日本と全日本の間で壮絶なトップ・スラーの引き抜き合戦がありました。本書には、以下のように書かれています。

 「ライバル団体のぶつかり合い。『双頭のプロレス』のクライマックスだ。新日本がIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)構想をブチあげ、81年5月8日、全日本の外国人選手のトップ”黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜き、参戦表明させたことから両団体の全面戦争が勃発する。続いてディック・マードック、タイガー戸口(キム・ドク)も引き抜かれ、『売られた喧嘩は負けるわけにはいかぬ』と馬場が烈火の如く激怒。
 あの慎重居士が猛反撃に転じた。同年暮れの81年世界最強タッグ決定リーグ戦に新日本の外国人エース”不沈艦”スタン・ハンセンを引き抜いて報復し、ブルーザー・ブロディとの合体を予告させる大デモンストレーションをやってのけたのだ」

 さらに、本書には以下のように続いています。

 「馬場はその前に新日本の看板悪党コンビ、タイガー・ジェット・シン、上田馬之助、84年にはダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスの人気コンビを引き抜き、営業面で新日本に大きな打撃を与えていた。
 馬場の逆鱗に触れた新日本。ハンセンを取られたショックが大きく、全日本に一時休戦を申し込む。『これ以上の泥仕合は避けたい』と両団体が歩み寄った。その仲介のたったのは”ミスター・週刊ゴング”といわれた竹内宏介日本スポーツ出版社社長(故人)だった。
 新日本との休戦協定は束の間であったが、『怒らせたら怖い』攻撃型の経営者・馬場の側面を見せつけた出来事だった」

 当時のわたしは大の新日ファンでしたので、ハンセンを引き抜かれたのは本当にショックでした。「最初に、ブッチャーなんか引き抜かなければよかったのに」と、新日本の経営陣の無能さを呪ったものです。それにしても、馬場の怒りの大きさには猪木も震え上がったことでしょう。

 馬場の後継者として、全日本のエースとなったのがジャンボ鶴田です。身体も大きく、運動神経も良く、本当に素晴らしいレスラーでした。彼を「歴代日本人レスラー最強」と見るファンは非常に多いです。著者は、山梨市倉科にある鶴田の実家を以下のように紹介します。

 「父親、林さんの代は養蚕農家、2つ違いの兄、恒良さんの代になってブドウの栽培農家となった。坂道の途中に『ジャンボ鶴田ブドウ園』の看板がある。小学校の高学年から農作業を手伝っていたわけだ。こうした生活環境で自然に足腰が鍛えられ、全体の筋力がついた。ダンベルやバーベルなど器具を使ってつけた筋肉とは違ったナチュラルな強さがあった。
 馬場が家業の八百屋で、リヤカーを引く手伝いをやって下半身が強くなった環境と同じである。ジャンボはそれに運動量の激しいバスケットボールの経験を持つ。御大・馬場に劣らず8500の肺活量を誇った。無尽蔵のスタミナといわれた源はここにある」

 ちなみに、鶴田を本気にさせられたのはブロディ、天龍、三沢の3人だけだったそうです。本書の帯には、「新日の鶴田『引き抜き』」とセンセーショナルに書かれていますが、ワクワクしながら本文を読んでみると「新間氏から強引な勧誘があって話し合いを持つ寸前まで行ったがブレることなく拒否。」だけで終わりで、大いに肩すかしを食いました。このあたり、もっと突っ込んで書いてほしかったです。残念でした。

 それにしても、馬場も鶴田もともに肺活量が8500もあったとは驚きです。2人合わせて、なんと1700! 文字通り、最強の師弟コンビでした。

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